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9 歌は、指先でも歌える



 俺の名前は晴野はれのろごす

 元の世界では、一般高校生だった。

 異世界でも、多分それは変わってない。


 俺の個性は、ピアノをちょっと弾けること。

 そして、現実改変の装置、『否応いやおううつし』の持ち主であるということ。

 おまけに、キラキラした金髪ギャルと同棲することも、かな。





 温かい火曜日の正午ごろ。


「ロゴスくん!」


 廊下を歩いていた俺に、そんな声がかけられた。


 振り向くと、丸っこい緑色の瞳の少女がいる。

 二つに束ねた三つ編みが愛らしい、グロリア・ダービシャーである。


「ああ、グロリア、どうしたの?」


「ええっとね? ちょっと、話がしたいな、って思って、ね?」


 彼女は、背中の方から何かをだした。

 それは、手提げ紙袋に入れている2人分のパンと飲み物だ。

 いつの間に買ってきたのやら。


「昼食、まだかな? もし良ければ、音楽室で、これ食べながら話しない?」


 頬をちょっと赤らめながら、グロリアは言う。


「ええっと、ね? 実は私、音楽の先生から、音楽室の管理を頼まれてるの。だから、本当はダメだけど、お昼休みの間とか、音楽室が使えるんだ」


 それを言う彼女の顔は、少し後ろめたそうだ。

 小さな罪悪感からのためらいが、またかわいらしい。


 ……でも、何なんだろ、この状況。

 健全な男の子なら、誰しも勘違いしそうな場面だ。


 わざと2人分買ってきたパン。

 二人だけの空間で話がしたいと言う。

 恥ずかしそうに、顔を赤らめて、もじもじしている。


 もちろん、俺としては、とても嬉しい誘いだ。

 でも、俺には優先すべきことがある。

 だから、容易くイエスとは言えない。


「うーん、誘ってくれたのは、ほんと嬉しいけど……」


 俺は言い淀む。


「実は、今ちょっと行きたいとこがあってね」


 今しがた、教室を急いで出ていくフォリアの姿を見かけた。

 いくら守れられている学園の中だとは言え、彼女を一人だけで人気のないところへ行かせるのは、良くない。

 だから、こっちから追っかける方が良いと思ったのだ。


 ……これじゃ、まるでこっちがストーカーになった気分だよな。

 でも、仕方がないのだ。

 別に、いやらしい気があるわけでもないんだし。


「えっ、そうなの……?」


 グロリアは、寂しそうな声色を帯びて、言った。


「でも、あの最初の日以来、ロゴスくんと全然話してないのに……私、ロゴスくんと話したくて、ずっと」


 グロリアは落ち込んだ表情をして、下を向いた。


「ね、ダメ、かな?」


 そして、緑の視線がこっちへ注がれる。

 少しうるうるしていることが分かる。


「……っ」


 困ってしまった。

 これから、どうするべきか。


 考えてみれば、日曜以来、危険な場面には一度も出くわしていない。

 特に、学園内では、ごく僅かな危険の兆しさえ見かけなかった。


 ……だったら、昼飯の間くらい、いいじゃないか?


 俺は、グロリアに『応』と言おうと、口を開けた。


「────」


 しかし、その瞬間、偶然にも視線が右折した。

 窓越しから見えた場面が、俺を黙らせた。


 そこには、二人の少女の姿がある。


 フォリアと、彼女の親友の『青リンゴちゃん』。


 フォリアの方は、少々ためらっているらしい。

 でも、『青リンゴちゃん』の方はやけに積極的に見える。

 先に何歩も前に出て、後ろの方のフォリアを促している。


『青リンゴちゃん』は、何だか特徴的な手癖があるらしい。

 右手の人差指を立てて、メトロノームのように揺らしている。

 それを、俺は、見た。


「……!」


 俺は、知った。

 そこにいるのは、彼女らだけではなかった。

 もう一人の少年が、木陰から現れたのだ。


 ──それは、シリルス・ラムポートだ。


 奴は、『青リンゴちゃん』の隣に立つ。

 二人揃って、遅れているフォリアの方へ手招きをしている。 


 二人が誘う方向は……知っている。 

 あそこには、体育倉庫が建てられていたはずだ。





「ごめん、グロリア」


「えっ」


「今、ちょっと行かなきゃダメみたいだよ」


 そう言い、廊下から立とうとした。


「……」


 しかし、出来ない。

 俺の学ランの袖が、掴まれている。


 俺は振り向いた。


「ひどいよ、ロゴスくん」


 グロリアが、俺の袖を掴んでいる。

 悲しそうな顔をして、彼女は言う。


「私とは、たったの5分も一緒に居てくれないの?」


「……うっ、で、でも、今ちょっと急いでるから」


「また、フォリアさんのことなんでしょ?」


「……」


 なぜ分かっているんだろう。


 ……いや、そんなの、誰から見ても歴然か。

 どうやら、フォリアの評価は正しかったようだ。

 俺は本当に、心が隠せないみたい。


「でも、フォリアさんとは、いつも一緒にいるでしょ? フォリアさんはいつもロゴスくんを独り占めしてるのに、それでも足りないの?」


「あーと、独り占めとか、そんな……」


 そんな、まるでフォリアから俺を縛り付けているような言い方は、間違っている。

 だって、むしろ、縋っているのは、俺の方なんだから。


「フォリアさん、羨ましいなぁ」


 グロリアはちょっと暗い顔になって、言う。

 その口調はまるで、独り言をしているみたいだ。


「明るくて、可愛くて、誰からでも愛されて。あんなにキラキラしてるもんね。私なんか、比較にもならない、よね?」


 それを言う彼女の顔は、どこか悔しそうだ。


「でも、何もかも持っていくことはないでしょ?

 ……たったの昼休みの間くらい、私にくれても、いいのに」


 元気なく、呟く。


 袖を掴む力は、やがて弱まっていく。

 グロリアは、顔を赤くして、横を向いた。


「……ご、ごめん。私って、つい変なこと言っちゃった」


 済まなそうに、彼女は言う。


「ごめん、ロゴスくん。引き止めてしまって。また、今度にしようね。

 ……フォリアさんのとこ、行くんでしょ? 早く、行ってあげて!」


 明るい表情をしている。

 しかし、どう見ても作り上げだと分かる。


 昨日の俺の振る舞いも、フォリアにこう見えてしまったのだろうか。

 ふと、そんなことを思った。


「……」


 俺は、フォリアのところへ行かなきゃいけない。

 それは知っている。

 でも、どうも足がここから離れない。


 選択に迷っているのだ。

 早くフォリアの後を追って、彼女をラムポートから遠ざけるべきか。

 或いは、せめてこの昼だけは、グロリアとの時間にするべきか。


 グロリアとの時間は、楽しく、笑えるものになるに違いない。

 しかしそれは、もっと重要な責務の放棄になるのではないだろうか。

 くだらない理由でフォリアのそばから離れたせいで訪れた惨劇を、覚えている。


 この時、俺はどうしたら良いのだろうか。


「──そうだ、……」


「えっ?」


 グロリアは、俺が呟いた響きを良く聞き取れなかった。

 だから、首をかしげる。


 でも、俺の方は、穏やかな表情を浮かべた。

 そして、言う。


「グロリア、ちょっと後ろを向いてくれるか?」


「え?」


「用事があるんだ。30秒あれば、終わる」


「え、……う、うん」


 困惑しながらも、彼女は俺の言う通りにしてくれた。


 グロリアの背中を見つめながら、俺は何歩かを彼女から離れた。

 そして、呟いたらあまり聞かれないほどの距離まで達する。

 俺は、そこで『否応移し』を出した。


 リセットボタンにトトト・ツーツーツー・トトトを打つ。

 最初はちょっとぎこちなかったが、もうこの動作にも慣れてきた。


 ディスプレイに、『状況を説明してください……』という文が表示されたのを確認する。


 俺は、声を押し殺して、言った。


「今、学園のお昼休みだ。グロリアから音楽室へ誘われた。でも体育倉庫の方へフォリアが行くのが見えて、どっちに行くかで迷ってるんだ。だから否応移しを使おうと思う。……以上だ」


 ディスプレイを見下ろすと、新しい『選択質問』が更新された。


『陸暦1554年5月7日午後0時15分ごろ:

 瞬きの乙女の後を追い、体育倉庫の方へ行きますか?』


「……」


 それを読んで、微妙な表情になるしかなかった。

 何か情報量がひどく足りない気がする。


 確か、最初に俺にこの機械を渡したストスの奴は、『選択質問』は論理上『否』あるいは『応』でしか答えないものになると言った。

 だから、選択と言ってもかなり大まかな感じになるとは、予想していた。


 でも、今の選択質問は、ちょっと心細い。

 だって、グロリアの言及が完全に漏れているじゃないか。

 今度の選択はグロリアだって重要な要素だと思う。

 だが、重点がまるごとフォリアの方へ置かれている。


「──でも、今はこうするしか、ないんだよな」


 俺は、ノブを『いいえ』の方へ回した。


 いくらあやしい奴と一緒だとは言え、ここは学園の中だ。

 さすがに、日曜日のようにはならないと思う。

 それに、たとえ何かがあったとしても、すぐ彼女の方へ行ける。

 一応はグロリアと一緒に過ごして、状況を見よう。


 それが、俺の選択だった。


 俺は『否応移し』をポケットにしまって、グロリアのところへ戻った。


「おまたせ、もう良いよ」


 グロリアはわけのわからない表情で、こちらを見つめる。


「……ええっと、用事は済ませたの?」


「ああ」


「うん。よかったね……?」


 すると、呆然として、俺を見つめる。

 おかしなものを見てるように、緑の瞳を見開いて。


「ええっと、ロゴスくん、行かないの?」


「え、でも音楽室行こうって言ったじゃん」


 わざと知らないふりをした。


「──!!」


 すると、彼女の顔が電灯のように明るくなった。

 緑眼が、まるで星を写す湖のように輝く。


「──うん! じゃ、行こうね!」


 グロリアは、一度力強く頷いて、先に歩いていった。

 俺も笑って、速歩で彼女の後を追った。





「あーと、こんな風に、な」


 俺はピアノ椅子に腰掛けて、何個かのコードを弾く。

 そして、主に右手で、メロディーを弾く。


「で、全体的な曲の展開は知っているんだから」


 俺はピアノ椅子の右側に腰掛けているグロリアを見て、言う。


「これからは、この展開を緩やかな感じで繰り返しながら、適当に思いついたフレーズなどを演奏するのさ」


「でも、そんなこと出来るの?」


 丸っこい緑眼を輝かせて、グロリアは俺を見つめる。


「私もピアノ・フォルテの練習はするけど、楽譜にないものを即時で弾くことなど、やったことがないよ」


「多分、グロリアもちょっと感じ始めたら、その後は出来ると思う。一度それを超えると、わりと自然とやれるんだぜ? 例えるなら、うーん……」


 俺はどうやったら伝えられるのか、ちょっと説明に迷った。


「……あっ、そうだ、自転車みたいなことだと思う。あれって、最初は出来ないけど、なれると均衡を取れるのは全然なんともねぇだろ? そんな感じ」


 しかし、グロリアの方は首をかしげるだけだ。


「じ、てんしゃ……?」


「えっ、まさか」


 俺は、驚愕した。


「ここの世界、自転車、ねぇのかよ……」





 俺たちは、軽く喋りながらパンと飲み物を終えた。


 そしたら、決まったようにピアノの前に腰掛けた。


 彼女は、ずっと俺が聞かせた即興演奏が気になっていたらしい。

 かなり熱烈な態度で、それについて質問して来たのである。

 だから、それについて、講義というか、拙い説明をしたのだ。


 基本的に、グロリアの音楽的知識が豊富というのはすぐ分かった。

 ちなみに、ここの音楽用語は元の世界と被っていることが多い。

 たまに違うのもあるが、そんなに大きな齟齬をもたらすものではなさそうだ。


 でもやっぱり、彼女に元の世界の20世紀以降の音楽の感じは異質的に感じられるようだ。

 それに、彼女は楽器演奏の方はそんなに長じていないみたいである。

 だから、たまに意思疎通に難がある時もある。


 でも、俺は楽しかった。

 こんなに楽しかったことなど、この世界に渡ってきた以来、初めてかも知れないくらい。

 だって、俺が好きなものに興味を持っていて、話が合う人がいるのだ。

 こんな状況で楽しくならない方がおかしい。


「なんなら、ちょっとやってみるか?」


 俺の指先を珍かな視線で観察するグロリアに、提案した。

 すると、彼女は顔を上げて、驚いた表情をする。


「えっ! なにを?」


 その反応がおかしくて、ちょっと笑ってしまった。


「即興に決まってんだろ」


「えーっ、でも、そんないきなり、出来ないよ……」


「大丈夫だよ、俺も一緒だから」


 その意味が、彼女には分からなかったらしい。

 目を瞬きながら、こちらを見上げる。


 俺は、ピアノ椅子の左の端っこにちょっと移動した。


「俺がこっちで、ベースとコードを弾いてあげるから」


 そして、右側の方を見た。


「グロリアはあそこで、ソロをしてみてよ。適当で、気楽で良いんだから」


 少しの間、彼女は俺の笑顔を見つめていた。

 そして、小さく、頷いた。


「じゃあ、行くぞ? さっきと同じく、ヘ長調で。まずは主題、弾くから」


 そして、俺は始めた。


 あの日と同じく、再び、ミッドナイト・ムード。

 全然ミッドナイトじゃないけど。


 今度は、わざとテンポを更に緩慢にした。

 そして、転調して繰り返すこともなく、主題をすぐ終わらせる。


「これから、グロリア、お前の番だぞ」


 呟いた。

 彼女は、きっと頷いたと思う。


 ──そして、グロリアの指が、歌い始めた。


 でも、最初はちょっと躓く。


「っっ」


 しかし、俺は止まらない。

 低音域の進行は、まるで怯まず、ずっと進む。

 だから、グロリアもすぐ戻ることができた。


「……」


 とてもこまかな作りの手だからか?

 彼女が紡ぐメロディーは、極めてかわいらしい。

 でも、ちゃんと聞こえてくる。

 ちゃんと、届く。


 彼女は、歌っている。

 歌は喉元を鳴らしてだけ出来ることではない。

 グロリアも、それに気付いたらしい。


 俺は、右へ視線を向けて、彼女の横顔を見た。

 その表情は、とても明るく、無邪気に、笑っている。


 彼女もこの瞬間を楽しんでいるのだ。

 それが、俺はとても嬉しかった。


 でも、あんまり調子に乗ってはいけない。

 テンポを崩さないように、注意しないと。

 彼女の歌は、あくまでこっちを土台にして鳴っているんだから。


「……ふふっ」


 しかし、笑わずにはいられなかった。


 ああ、音楽とは、こんなにも楽しいことなのだ。

 既に、初めてピアノに触れた時から、知っていたはずなのに。

 その実感が、とても久しぶりな気がした。





「────」


 一度、ソロはちょっと激しくなる。

 そして、それから、静まる。


 俺たちは、何一つ喋らずも、ここで終りだと知った。

 グロリアの歌は、止んだ。


 すると、俺は主題に戻る。

 ルバートにして、少し長引いて弾いてみた。

 でも、すぐ終わる。


 俺は鍵盤から手を上げた。


「ふふっ」


 すると、隣でそんな笑い声が聞こえた。


「分かった、かも。こんな感じなのね」


 グロリアは、とても満足気に言う。


「言ったろ? わりとなんともなく出来るって」


 伝わったことが嬉しくて、俺も笑った。


「ううん、なんともなくはない」


 彼女は穏やかな微笑みとともに、首を横に振った。


「きっと、ロゴスくんが教えてくれたから。そして、一緒に演奏してくれたから、だよ」


 彼女は、左の俺の顔を見る。


「ありがと、ロゴスくん。私に、新しい景色を見せてくれて」


 一瞬、息が詰まった。

 その顔は、いつものグロリアの小動物的感じとは違う。

 こっちがもっと、彼女の真心に近づいている、そんな気がした。


「……んっ」


 グロリアの瞼が、少しだけ下へ垂れた。

 彼女の頬は、上気している。

 丸っこさを失った瞳が、潤んでいることが良く分かった。


「……え、えっ……」


 間抜けな声を出してしまった。

 グロリアと俺の間に置かれた、俺の右手。

 その上に、彼女の左手が重なったのだ。


「ちょっ、まっ──」


 久しぶりに、俺の童貞ソウルが唸り声を上げる。

 ついさっきまで平穏だった心臓が、爆発しそうになってしまう。

 顔に熱が上がって、真っ赤になっていることが分かった。


「ぐ、グロリア……?」


「……」


 彼女は何も言わず、顔をこっちへ近づいている。


 これから何が起ころうとするのか、

 そんなのは、歴然だった。





 ……えっ? マジ?

 ここで俺、人生初めてのキス、してしまうの?

 こんなとんでもなく可愛い、異世界人の子と?


 でも、そんなことは、もっとお互いのことを知った後で、

 そして、正式に付き合ってから……。


 などと、また心の中ではふざけたことを力説していた。


 でも、本能的期待が、全てを圧倒していた。

 俺の怯みがちな、臆病な気質も。

 16年の間、骨髄の中に刻んで来た、つまらない童貞論も。


 ──そうだ。別に、良いじゃないか。


 こんなチャンス、もう二度とないかも知れない。

 きっと、俺にも、青春の神さまの祝福が届いたのだ。

 それを受け取らず、無碍にしてしまうだなんて。


 流石の俺も、それほどバカではないのだ。


 だから、目を閉じた。

 そして、グロリアへ、近づいた。


 想像するのは、ただ一つ。

 二人の距離がゼロになった頃、

 伝えられるはずの、柔らかい感触。





◇   ◇   ◇





「キャアア──ッ!!」


 淡い夢は、無惨に砕かれ落ちた。


 それをなしたのは、鋭い悲鳴。

 そして、爆発音に似た、低い轟。


 俺は立ち上がって、それが聞こえた方向を見た。


「これは……」


 体育倉庫の方だと、分かった。 



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