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10 涙を流す爆心



 けたたましい轟音が聞こえてきたのは、体育倉庫の方。

 不安に駆られて、俺はそこへ向かおうとした。


「あっ、ロゴスくん、待って!」


 グロリアはまだピアノ椅子に腰掛けたまま。

 俺の方へ手を伸ばして、止めようとした。


 しかし、このままではいられない。


 俺は敷居に立って、ピアノの方へ振り向いた。


「ごめん、俺、行かなきゃ」


「……」


「ここで待っててよ。すぐ、帰るから」


 自分でも、それは叶わないだろうと思った。

 だから、半分は嘘をついたことになる。


「絶対、だよ……?」


 彼女の顔を見てしまった。

 どこか侘びしげな苦笑いが、俺を躊躇させた。


 でも、これ以上佇んではダメなのだ。


 重たい心持ちで、俺は音楽室から出た。





『否応移し』はポケットの中にある。


『陸暦1554年5月7日午後0時15分ごろ:

 瞬きの乙女の後を追い、体育倉庫の方へ行きますか?』


 今のノブは、『いいえ』の方を指している。


 いつでもノブは回せる。

 それは、音楽室で悲鳴を聞いた直後でも出来たはずだ。


 しかし、それではダメだ。

 今の俺は、知識も手がかりもなにもない、真っ暗な状態である。

 このままでフォリアを守ることなど、とうてい無理な話に決まっている。

 だから、少しでも多くの、情報が必要だ。


 しかも、今の悲鳴と轟音の正体を分かっていない。

 真相を分からないまま、ただ異常事態の兆しだけでビビって逃げるなんて。

 そんなことなど、いくら臆病者な俺でもやらないんだよ。

 たとえ俺の選択のせいでまずいことになったとしても、その輪郭すら掴めず、何もかも反転させるなど、馬鹿馬鹿しい話だ。


 だから、俺は廊下を走った。

 一刻も早く、体育倉庫まで着いて、何が起こったのか確かめなきゃいけない。


「────」


 過ぎる生徒たちの面影には、不安と当惑が混じっていた。

 多分、彼らも今の怪音を聞かされ、狼狽しているのだろう。


 途中、フォリアと俺のクラスの前を過ぎた。


「あっ、ロゴスちゃん! これいったいどうなってるん──」


 丸メガネ、麹塵色の髪のクリスの奴が、俺にそう話しかける。


 しかし、そっちへ構うヒマはなかった。

 悪いけど、無視して走り続ける。


 今、俺の頭を支配することは、ただ一つしかいないんだ。

 その名前は、


「フォリア……!」


 俺は階段を降りながら、聞かれるはずもないことを叫んだ。





◇   ◇   ◇





 中庭に出て、俺は周りを見渡す。

 見上げると、空は晴れ晴れとして、5月の空気が温かい。

 退屈になるくらいのんびりとした日常のワンシーンみたいだ。


「……」


 体育倉庫の方へ、近づいた。

 それは、建物の一棟によって全貌が隠されている。

 だから、すぐには見えなかった。


 しかし、


「──はーぁっ、はーっ」


 呼吸を荒くして、俺の前に現れた人がいた。


 フォリアの友人の一人。

 端っこだけ白い、緑色のサイドテールのギャル。

 まだ名前も知らないから、勝手に『青リンゴちゃん』と呼んでいた少女だ。


「──お、まえは──」


 俺は、何が起こったのか、聞こうとした。

 しかし、彼女の全身の様子を確認したら、その気を失ってしまう。


「……は?」


 彼女は、左腕を失っている。


 きれいにそこだけ斬り落とされたとか、そういうレベルではない。

 まるで、大きな獣によって噛みちぎられたような。

 いや、それよりももっと壊滅的だ。


 まるで──そうだ。

 元の世界で、映画で見たよな。

 爆発物にむやみに触れた人が、身体の一部を失くしてしまう。

 そういう感じ、に似てるかも、知れない。


「ぜーっ、はーっ、はーっ」


 彼女の呼吸は、とても苦しそうな音をしている。

 よく見ると、損傷された部位は肩を超えている。

 もしかして、肺や、心臓にまで及んでいるかも知れない。


 彼女は、立っていることさえ苦しいらしい。

 やがて、倒れてしまった。


「お、おい!」


 俺は急いで彼女の方へ走った。

 彼女の上半身を抱いて、顔を見下ろす。


 傷口から出血は、とんでもないことになっている。

 俺の手も、服も、彼女の血だらけになってしまった。


 俺は、自分の手が震えることがわかった。

 いや、手先だけではない。

 全身が震えているのだ。


「ど、どうしたら、これは……」


 俺は狼狽して、周りを見渡す。

 しかし、助けに来れる人など、誰もいない。


「……き、みは」


 そんな声が下から聞こえて、俺は再び『青リンゴちゃん』を見おろした。


「ねら、ちゃんのとこの、ね、ねくら、くん……?」


 淀んだ瞳が、俺を見ている。

 どんどん血の気を失っていく彼女の顔に、涙が流れていた。


「な、なんで、あたし、いま」


 彼女は、ただただこの状況が理解できないように見えた。


「あた、あたし、し、しぬ、の……? なんで? な、なんで、なんで、なんで……」


「──喋らないで。今、助けを呼んで来るから」


 そう言い、俺は再び学園の中へ行こうとした。


「いや!」


 しかし、彼女の片方の手が、俺を掴んでいる。

 それは弱々しいながらも、払い除けがたい何かを秘めている。


「いかないで、ひとりにしないで、ひとりにしないで」


 泣きながら、彼女は俺に懇願する。


「──っ」


 この状況が、もし俺の選択から起こったことだとすれば。

 彼女の苦しみもまた、俺の責任ということになる。


 俺が、彼女を苦しませたのか?

 俺は、知らない間で、罪を犯してしまったのか?


「いや、いや、しにたくない、しにたくない、しにたく、ない」


 しかし、彼女が生命を失うスピードは、恐ろしかった。

 一秒ごと、俺が抱いている肉体が、死へ近づくことが分かった。


 俺は、彼女を抱きしめた。


「ごめんなさい、ごめん、ごめん」


 しかし、『青リンゴちゃん』は、俺の謝罪が聞き取れないらしい。


「しにたく、ない、しに、たく、ない、しに、しに、た、く」


 声は、どんどん弱まっていく。


「し、に────」


 そこで、声は止まってしまった。





 俺は、彼女を芝生の上に寝かせた。

 目を開けたまま死んでしまった。

 それを閉じさせたかった。

 しかし、思い通りには、ならない。

 筋肉が固まっているのか、いくら試みても、死んだ瞳を見せたままだ。


「くっ、そ」


 誰に向ってでもなく、俺はそんな言葉を吐いた。

 そして、立ち上がった。


 ……そろそろ、ノブを回してもいいじゃないか?


 そんな考えに至った。

 早くそれを回して、この悪夢から目覚めるのだ。

 学園テムプス・ノヴムを、青春の舞台へ戻せるのだ。


「……いや、まだだ」


 彼女をこうさせた原因の確認が、まだなのだ。

 それを、俺は確かめなきゃ、ダメだ。


 俺は、前へ進み始めた。

 体育倉庫へ、向かうのだ。


「……」


 そして、やがて倉庫の全貌が現れた時。

 俺は唖然となるしかなかった。


 建物全てが、ひどく損傷されている。

 その具合は、まるで、建物の内部を爆心として、爆発が数回も起こったようだ。


 しかし、妙なのことがある。

 建物のあちこちへ出来たひび割れの向こうから、何かが見えるのだ。

 それは白い、光の塊のようで。

 光度の強すぎる電球を、何度も点して消しているように見える。


 ──それが何なのか、確認しなきゃ、いけない。


「はぁ、はぁ、はぁ」


 高鳴る鼓動を、どうにか抑えようとした。

 しかし、出来るはずがない。


 いつの間にか、ポケットから『否応移し』を出していた。

 左手で機体を掴んで、右手でノブを回せる準備をしている。

『青リンゴちゃん』の血は俺の全身についていた。

 だから、『否応移し』にもそれが移ってしまう。


 血の跡がついたディスプレイには、こう示されている。


『陸暦1554年5月7日午後0時15分ごろ:

 瞬きの乙女の後を追い、体育倉庫の方へ行きますか?』


 当初の俺は、軽々しい気持ちで『いいえ』を選んでいた。

 何も、そこから血なまぐさい場面を見ることになろうとは、予想もしなかった。


 心の中に刻まれるものは、深い後悔だ。


 これでは、『否応移し』は、何の意味があろうか?

 そんなことを思ってしまう。


 過去の選択をいくら切り替えることが出来るとしても。

 後悔だけは、いつまでも積み重なって行くだなんて。


 ……そんなことを考える間、体育倉庫の扉──だった所まで着いた。

 それもひどく損傷され、今は門として機能しない。


 俺は、その向こうに入った。


 そして、光の根源を見る。


「……っ」


 しかし、直視するのは難しい。

 光は激しすぎて、眩しすぎて。

 まるで、小さな太陽がそこに佇んでいる気がした。


 でも、何か、とてもおかしい感覚を感じた。

 まるで、その光の方から、俺の方へ、振り向いた、ような。




 

 ノブの上に右手を置いて、俺は光の方へ何歩か接近した。

 それにつれ、光の眩しさも増した。

 虐待されるのは視覚だけではない。

 耳元からも、異様な音が絶えず聞こえている。

 肌には熱が感じられて、耐え難い温度が俺を窒息させている。


「は、ぁ、は、あ」


 だから、息をしていることさえも難しい。


 これ以上、近づくことなど、無理だと分かった。


 ──そろそろ、潮時だ。


 実感した。

 これ以上、俺がここにいても、得られる情報など、ない。

 停滞すれば、俺の命さえ無くなるだろう。


 目を細くして、『否応移し』のディスプレイを見下ろした。


『陸暦1554年5月7日午後0時15分ごろ:

 瞬きの乙女の後を追い、体育倉庫の方へ行きますか?』


「──ああ!」


 そう、口に出して言った。

 同時にノブを回そうとした。


 しかし、


「──ロゴス」


 振動する呼び声が聞こえて、固まってしまった。

 ひどく変調されている。

 でも、聞き覚えがあるような、そんな気がする。


 俺は、前を見た。

 光源の中、ある輪郭が立っていることがどうにか分かった。

 しかし、その輪郭がなす形が何なのかは、やっぱり分からない。


 でも、なぜだろう。

 立っているのは、人で。

 そして、その人は泣いている、と。

 俺は、分かってしまったのだ。


 その泣き顔を、どこかで、見た、ような────


 しかし、俺の右手はこれ以上、事態を滞らさない。

 それは、『はい』の方へ、ノブを回した。


「──行かないで」





 そして。

 数え切れない現象が、再び俺の横を過ぎてゆく。

 でも、もう分かっている。

 あっちが過ぎ去るのではない。

 こっちから、渡って行くのだ。

 ある、明確な目的地に向かって。





◇   ◇   ◇





「ロゴス、ね、ロゴス?」


「……」


 俺は、どこに居るのだろうか。


 前には、ちょっと顔を赤らめた金髪の少女がいる。

 ソルダネラ・フォリアモメンタネアだ。

 彼女は泣いていない。

 なぜか、それを最初に確認した。


 俺は自分の身体を見下ろした。

 そこには、血の跡など、まるでない。

 端正に着こなしている、俺の学ランだ。


 俺はその空間を見渡した。

 どうやら、カフェテリアの前のホールに立っているらしい。

 ここは色んな廊下が合う、広々とした空間である。

 生徒の間では、『大通り』と称されることが多い。

 今も、数多くの生徒が通っている。


 なぜか、彼らは俺たちをちらちらと見ている。


「あの、ね、ロゴス……」


 ちょっとそっぽを向いて、彼女は言う。

 心なしか、恥ずかしげだ。

 フォリアがこんな顔をすることなど、せめて俺の前では一度もなかった。

 なんだろうか。まさか、またクルクスの件で何かがあったとか?


 ぼんやりと思ったが、口にはしなかった。

 だって、以前もそんな推測からの発言がきっかけとなり、彼女と喧嘩をしたのだ。

 同じ過ちは、なるべく犯したくない。

 当たり前じゃないか?


「……いい加減、手、離してくんない?」


 ジト目をして、こちらに言う。


「えっ」


 やっと気付いて、自分の右手を見た。

 それはフォリアの左手を固く掴んだままだ。


「あっ、ご、ごめん!」


 定番通りの童貞ムーブになり、俺は手を離した。


「……も、いきなりなんなの? 意味わかんない……」


 フォリアは解放された左手をマッサージするように、右手で撫でる。

 掴まれた方の手には、赤く痕が残っている。

 どうやら、今まで俺は必死でそれを掴めていたらしい。

 彼女の肌は真っ白なので、そんな痕が明確になり安い。


「で、話って、なに?」


 こちらを睨みながら、そう言う。


「……え?」


「ロゴスが言ったっしょ? 大事な話があるって、いきなり引っ張ってここまで連れてきたじゃん」


「……は?」


 まるで初耳だ。


「は? 『は』ってなに? ロゴスが言ったじゃん!」


 やべ。また怒らせたようだ。


 ……もう、とっくに気づくべきだった。

『否応移し』の切り替えは、空白が多すぎる。

 選択を後から切り替えるのはいい。

 しかし、それによって生じるあらゆる詳細については、こちらの制御権がまるでゼロなのだ。

 多分、空白の間も、『晴野言』という人間をベースにして行動するとは思う。

 しかし、さすがにこのままでは、不安要素が多い。


「ロゴス、もしかして、うちのことバカだから適当に騙せると思ってるとか、ない?」


 フォリアは、わりと本気で怒っているらしい。

 周りの視線もこちらへ注がれ始めている。

 流石に、ここは見物人が多すぎる。


「い、いや、まずはちょっと、落ち着こう、な?」


「なに、その言い方……マジ、ムカつくんだけどぉ」


 フォリアは、軽く地団駄を踏んでいる。


「何もないのに、急にマジな顔になって驚かしておいて、なに? 今さらただのつまんないドッキリでしたとか、そーゆーこと言うの? ロゴスのこと、マジわけわかんない!」


 前日に増して、その怒り具合は激しくなっている。

 激怒と呼ばれるまではないが、ムカついていることだけは確かだ。


「い、いや、だからそれは、何ていうか、俺だけど、俺じゃ、なかったっていうか」


「……ふざけてんの?」


 冷たい視線で睨まれる。

 普段温かいフォリアにそうされると、怯むしかない。


「っ、あ、後でちゃん説明するから……だから、ここは一応──」


「──ダメだろう、彼女をこんなに怒らせては」


 フォリアの後ろ側から、いきなりそんな声が出された。

 現れたのは、一人の少年だった。


 蒼白な顔色、押し付けすぎた銀髪。

 紫の瞳、痩せたヒキガエルのような顔つき。


『ストーカー』グループの筆頭、シリルス・ラムポートだった。


「────」


 彼を目にした瞬間、俺の顔は、怒りの形相と化した。


 思い出したのだ。

『青リンゴちゃん』が死んだ──いや、殺された世界で。

 確か、最初は、フォリアと『青リンゴちゃん』と、そしてラムポートの三人が体育倉庫に向かっていた。


 なのに、ラムポートの姿は見当たらなかった。

 体育倉庫の中で見た白い光が『青リンゴちゃん』を殺した原因だとすれば、

 もしかして、その光を点したのがこいつではないだろうか。


 もちろん、結局フォリアも見つけなかったが、彼女を疑うなど、論外だ。


 色々足りない部分が多すぎる論理かも知れない。

 でも、消去法にしたら、残るのはこいつしかいないんだ。

 それに、こいつに疑念を抱く理由など、有り余っているじゃないか。

 入学式からずっとフォリアにすがりついて、断れてきた。

 逆恨みからの犯行は、十分ありえる。


 俺の心の中、半分ぐらいは、ラムポートを犯人として決めつけていたのだ。


「おっと、何なのかな? 君、人のことをそんな目で見てしまって」


 余裕ぶった態度で、ラムポートは俺の顔を睨み返す。

 口元には、にやりとした笑いを浮かべたままだ。


「そんな態度は、礼儀作法が欠けている下賤なものなんだよ? やれやれ、『別世界からの少年』には、こんなことまで一々言わなきゃ分からないのか?」


「……」


 しかし、俺は彼からの視線を収めるつもりはない。


 ──今でも、襲いかかって、その首を折りたい。


 そんな衝動に駆られている。


 しかし、そんな行動がダメなのは、言うまでもない。

 俺の言動でフォリアを困らせる可能性だってある。

 それに、彼を罰するべき決定的な証拠は、未だに何もない。

 こんな状態で、俺に出来ることが何があるということだ?


 俺は、ちょっと深呼吸をした。

 そして、フォリアの方を見る。


「フォリア、行こうぜ」


「えっ?」


「もうすぐで授業だろ。教室へ帰るんだよ」


 そう言って、彼女の左の手首を掴もうとした。


「おっと、何をしているんだ?」


 しかし、ならず。

 ラムポートがフォリアの肩を後ろへ引っ張り、俺から遠ざけた。


「彼女が困っていることが見えないのかね? 自分がソルダネラに迷惑をかけているという事実に、なぜ気づかないのかね」


「っ、触んないで……!」


 フォリアは顔をしかめて、横に退いた。


 しかし、ラムポートの方からは、それはあまり気にしない。

 どうやら、フォリアより俺の反応を見ているらしい。

 そして、かなり面白がっている。


「はははっ、何だ、その顔は。なかなかいい表情をしてくれるじゃないか」


 ちょっと腹を抑えて、笑っている。


「まさか、君はひどい錯覚をしているんじゃないかね? もしや、ソルダネラが君のものになっているとか、そういう憐れな勘違いかね?」


 俺の顔を指さしながら、言い続ける。


「いや、これは参った。君が来た国がどこなのかは知らないが、さぞやお笑いのことが栄えるところだろうね。もしかして、君は生い立ちからして道化の類だったとか──」


 ラムポートは、その後のことを言い出せなかった。

 口元に、拳を食らったからだ。


 それをなしたのは、もちろん、俺だ。


「はぁ、はぁ……」


 こっちの世界に渡る前の興奮が、

『青リンゴちゃん』の血を浴びた時の戦慄が、蘇ってきた。

 俺は息を荒げて、右手で拳を握っていた。


 ふと、気付く。


「……始めて殴ったな、人」





「っ、何だ、この野蛮な、野卑な、下賤な……!!」


 腫れ上がった唇で、ラムポートは俺の方を指さした。


 驚いた奴の顔を見るのは、それなりに満足感があった。

 でも、長引きはしなかった。


「──っ! トルトゥーガ! アンフ!」


 いつの間にか、俺たちの周りには人だかりが出来ていた。

 ラムポートは、群衆の方へそんな名前を言った。


「……おい、嘘だろ」


 すると、そこから筋肉の塊の二匹が出てきた。


 一人は、足長の筋肉だ。

 あの長身のクルクスよりも更に背が高く、横にはクルクスと比較にもならないくらいデカくて、まず圧迫感がすごい。

 俺の頭の中では、『オーク』のイメージに近かった。


 もう一人は、チビの筋肉だ。

 背は小さいが、その代り、何度も圧縮された鉄球みたいで、硬そうな外見である。

 俺の頭の中では、『ゴブリン』のイメージに近かった。


 呆気にとられて、奴らの登場を見物していた。

 すると、いきなりゴブリンの方から俺に近づいてきた。


「お、おい、何する気──」


 俺が終止符を打つにも前に、パンチを食らった。


「──ッ」


 情けなく、一発で倒れてしまう。

 仕方ないだろ? 俺は、今まで喧嘩などとは全く縁が無かったんだ。

 あんな鋭い拳を食らって、耐える術がなかったのだ。


「……っ」


 尻もちをついた状態で、奴らを見上げた。

 口の中に鉄の味がして、血が出ているのが分かる。


「あっ、だ、だめ……」


 ゴブリンとオークの後ろ側で、驚いた様子のフォリアが見える。

 両手で口を隠して、うろたえて、俺のことを見つめている。


 ──彼女は、俺を心配してくれている。

 他の誰でもない、俺を。


 全然そんな状況じゃないと知っている。

 なのに、なのに。

 嬉しさで、狂ってしまいそうだ。


 歪んでいるとは思う。

 でも、笑いが、抑えられなかった。


「……ははっ」


「君は、もしや頭のネジが外れている人なのかね?」


 俺を見下ろしながら、ラムポートが前へ出た。


「こんな状況で、何をへらへらしているのだ?」


 ハンカチで唇を拭きながら、言う。


「どうやら、もうちょっと分からせなくては、ダメみたいだね。……トルトゥーガ」


 ラムポートは、オークの方を見て言う。

 それで、デカい方の筋肉がトルトゥーガって分かった。


「……」


 ラムポートはただ顎をしゃくっただけで、言葉は言わなかった。

 でも伝えられたらしく、オークの奴は俺に近づいた。


「──ッ」


 すると、とても容易く、片手だけで俺の胸ぐらを掴み上げた。

 俺は、息が自由に出来ず、空中で足を泳がせてしまう。


 そして、


「キャ──ッッ!!」


 それは、フォリアの声だった。


 俺がオークの奴に一発食らったのを見て、驚きから出した声だった。


 驚いたのは、彼女だけではなかった。

 ずいぶんと霞んでしまった視野の周りに、群衆のざわめきが見える。

 急いでその場から離れる生徒も見える。


「……」


 俺は、抵抗する力を失い、ただ睨み続けるだけだった。

 俺を殴った筋肉の方ではなく、

 あくまでも、ラムポートの方を。


「ね、もう、やめて!!」


 フォリアは、ラムポートの片腕の方を掴んで、そう言った。


「今日のことは、全部何かの勘違いじゃん! ロゴスも、アンタも、もう、これくらいでいいっしょ!!」


 必死になって、彼女は訴える。

 ラムポートの奴は、何か勝ち誇ったようだ。

 今までずっと自分を無視してきた彼女がそうなったのが嬉しかったらしい。


「ふぅん? それはどうかね?」


 いかにも余裕ぶる態度で、蒼白な少年は言う。


「僕はただ平和的に会話をしようとしただけだった。なのに、先に無作法に振る舞い、しかも野蛮にも暴力を振るってきたのは、彼の方ではないか?」


「っ、で、でも」


 言葉に困ってしまい、フォリアはちょっとたじろいだ。


「ソルダネラ、君がそんなにこの茶番を終わらせたいというのなら、一つだけ、方法があるかも知れないよ」


 ラムポートは、言う。


「僕が今まで君にずっとずっと懇願してきたことが、一つあるじゃないか。

 僕と、一度だけ、デートをしてくれ」


「──テメェ、ふざ、けんな!!」


 それが聞かされた途端、俺は空中で何度も身じろぎをした。

 しかし、オークの力から逃れるわけがなかった。


「そ、れは……」


 フォリアは、悩んでいる。

 迷う態度で、彼女は俺の顔を凝視した。


 出来るなら、こんな姿など、見せたくなかった。

 きっと、いつもより、ずっとひどく、醜くなっている。

 でも、フォリアの碧眼の中に潜む、濃厚な憐れみを感じている。


 なぜだろうか、それは、ひどく、気持ちが良かった。


「……」


 フォリアは、ちょっと心を決めた表情になった。

 口を開ける。


「シリルス、うち──」


「──そこまでよ!」


 いきなり、大通りの向こうの廊下から、朗々とした声が響いた。


 同時に、オークの方からは手の力を抜いてしまう。

 俺は、どうしようもなく床に墜落した。

 鈍い痛覚が続く。


「……っ」


 声の主が誰なのか、分かった。


 フォリアと俺のクラスの担任だ。

 長身で、青銀髪赤目の女性、ファインオルド・シューランペである。



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