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11 最低のロゴス



 担任のファインオルドが現れてから、状況は一段落がついた。


 彼女は、まず関係者以外を教室へ行かせた。

 残ったのは俺とフォリア、ラムポートと彼の取り巻き二人。

 周りが静まると、ファインオルドは事情を聞いた。

 主に話したのは、フォリアだった。

 もちろん、ラムポートからも何かざれごとを言っていたが。


 ファインオルドは注意深く聞いて、頷いた。

 そして、俺とフォリアを保健室へ行かせた。

 残りの三人とは、別に話をするつもりらしかった。


 だから俺は、フォリアに導かれ、保健室へ移動することになったのである。





◇   ◇   ◇





「……」


 保健室へ向かう途中。


 フォリアと俺は、ずっと無言のままだ。


 ──出しゃばりすぎた。


 心の中では、ずっと自責した。


 なぜ俺は 、独りよがりの行動ばっかしてしまうのだ?

 そんなことしたって、フォリアのためにはならない。

 むしろ、彼女をもっと苦労させるだけだ。

 頭の中では分かっているのに、なぜ衝動を抑えなかったのだ?


 フォリアは、多分、俺に呆れているだろうな。

 きっと、誰から見ても、今の俺の行動はイカれた人のそれだ。


 ……しかし、俺だって弁明の一言ぐらいはある。

 しょうがなかったんだ。

 だって、あんな場面を目撃した直後だったのだ。

 片腕を失くして、死にたくないと哀願する『青リンゴちゃん』の姿。

 ボロボロになった倉庫の真ん中の、謎めいた強烈な光。


 それだけじゃない。

 日曜の劇場、トイレの中で腹を何度も刺されていたフォリア。

 大事なことを失くした喪失感。

 守るべきことを守れなかった罪悪感。


 その二つの惨劇の原因が、目の前にあると思うと。

 そいつが逆にこっちを嘲っていると思うと。

 どうも、ラムポートの奴のニヤケ面を前にして、抑えることが出来なかったのだ。





「ほら、ここ」


 フォリアは保健室の扉を指した。

 やけに落ち着いた声で、普段の溌溂さとは違う。


「……うん」


 俺は、元気なく答えた。


 そして、中へ入ろうとした。

 多分、彼女は一緒に来ないだろう。


 扉の辺りで佇んで、見渡す。

 元の世界の保健室より、ずっと広々とした感じだ。

 これでは、もはや立派な病棟である。

 テムプス・ノヴムの施設の惜しみなさに、改めて驚いた。


「……何してんの? 入れないんだけど」


 ぼうっとしていた俺は、背中からそんなことを聞いた。


「んしょ」


 フォリアは俺の背中を押しのけて、入る。


「えっ」


 俺は呆然とそんな声を出した。

 まさか、彼女は俺の怪我の処置の間もそばでいてくれるつもりなのだろうか。

 あんなことをやらかしたのに。


 フォリアは先に出て、別に区画された事務室の方へ行った。

 多分、そこが治癒師の人が待機しているべき場所なのだろう。


「……誰もいないし」


 しかし、首をかしげる。

 今は留守のようだ。


 それは、事務室だけではない。

 保健室の中はがらんどうで、誰一人いない。


「……」


 空っぽの病棟に、窓が開けっ放しになっている。

 そよ風は、絶え間なく吹いてくる。

 その度、カーテンがかさかさと靡いた。

 晩春に変わろうとする五月の香りが匂う。


「はぁ、しょうがないわ」


 フォリアは、俺の袖を引いた。

 近くにあるベッドまで行って、俺を座らせる。


 すると、いきなり俺の頬に温かいものが触れた。


「っ」


 びっくりして見ると、フォリアの右手だ。

 彼女は、まじまじと俺の顔を観察している。


「ん、ま、傷はそんなにひどくないっぽい?」


 ベッドの前には、古びた木製の椅子が置かれていた。

 フォリアは、それに腰掛けて俺を見ている。


「ロゴス、意外と骨太だったりする?」


「……知らねぇけど、まあ、今はそんなに痛みとかはねぇかな」


「じゃ、ちょっと待とうね? 治癒師の先生、どっか行ったっぽいから」


「……うん」


 それだけ言って、黙ってしまった。

 俺なりの、申し訳無さの表現だった。


「……」


 珍しく、フォリアの方も何も喋らない。

 彼女は、何か考え事があるらしく、窓の向こうを見ている。

 つられて、俺もそっちへ視線を向けた。


 見ると、下には平和な校庭が見える。

 その彼方には、イリスバラの全景が配置されている。

 全てを包む五月の空は、やっぱり晴れ晴れしすぎた。


 まるで、さっきまでの激烈さが嘘のようだ。


 遠く、北東の方には、湾が見える。

 イリスバラは海に接している都市だ。

 今日みたいな天気だと、水平線まで見えるのである。


 ぼんやりと、風に混じった花の匂いを嗅いでいた。

 何の花なのかは、ちょっと分からない。

 故郷では、藤の満開する頃だが。


「……?」


 ふと、思いついた。

 そう言えば、ここの海には、船が一隻もない。

 なぜだろうか。

 今まで考えたこともない。





「……ロゴス」


 ふと、話かけられた。

 海から視線を移して、前を見る。


 すると、フォリアが俺を見ていた。

 真摯ながらも、優しい表情だ。

 彼女のふわふわとした金髪を、そよ風がしきりに撫でる。


「なんで、そんなことした?」


 その声音は、まるで子供をなだめるお母さんみたいだ。

 ふしぎにも、フォリアにそうされるのは、嫌いじゃない。

 むしろ、もっと素直になってしまう。


「……ムカついたから」


「でも、ダメっしょ?」


 ほんの少しだけ、フォリアは表情をむっ、とさせる。


「ムカつくってだけで、人を殴ったりすると」


「それは、そう、だよな……ごめん」


 済まない気持ちでいっぱいになった。

 俺は、少し項垂れた。


「ロゴス、もしかして」


 フォリアは言い続ける。


「うちとシリルスの間のこと、誰かから聞いた?」


 その呼び方が、ひどく気に食わなかった。

 何で、あいつのことを『シリルス』と呼ぶのだ?

 別に、『ラムポート』でいいじゃん。あんな奴なんか。


 でも、話の焦点は、そっちじゃない。


「……普通に、聞こえてくるんだよ、どこからでも。あいつが、フォリアにしつこくしてるってこと」


「はぁ、まっ、そうなるよね」


 フォリアはため息を吐く。


「あいつも、うちも、それなりに有名なんだし。噂されるのも、知ってた」


 彼女は苦笑しながら、話を繋ぐ。


「でも、一々そんな反応してなくていいのに。さっき、シリルスを見かけた時のロゴス、マジで怖い顔になってたんだよ? ロゴスもそんな顔するんだなーって、ちょっと驚いちゃった」


 ……いや、俺も思いがけずのことだった。

 そんな反応を、するしかなかったんだ。

 これは、ただ生徒の恋愛絡みの問題のレベルじゃない。


 ──あんな経験の後だった。

 お前の死に顔だって、俺は見たのだよ。

 そうさせた犯人があいつなのかも知れないのだ。


「……そう言えば」


 気づいた。

 俺からも、フォリアに聞かなきゃいけないことがある。


「そもそも、フォリアはなんであいつと体育倉庫へ行ってたんだよ?」


「ん?」


 分からない表情をして、彼女は目を見開く。


「……あのな、さっきのことなんだよ」


 俺は問いただす。


「俺がお前を連れ出した時、お前は体育倉庫の方へ行ってたんだろ?」


「うん。そっちへ行ってたのはそうだけど、あの時、シリルスはなかったよ?」


「……え?」


 今度は、こっちが混乱した。


 しかし、わけがわからないという表情をしたのは、相手だって同じだ。

 フォリアは首を傾げながら、


「見てたじゃん。トトノちゃんとうちの二人だけだったよ?」


 今の問答で明確になったのは、ただ一つ。

『青リンゴちゃん』の名前がトトノということだけだ。

 響き自体はあだ名のようだが。


 しかし、それはどうでも良い。

 それ以外はむしろ、もっと深い闇に包まれてしまう。


「じゃ、今日のお昼休み、お前はラムポートの奴とは──」


「さっき大通りで話かけられる前までは、全然、会ってもしなかったんだけど」


「……」


 俺は前かがみになり、右手の指で眉間を押させた。


 ──いったい、どういうことだろうか。

 俺は、グロリアに音楽室への誘いを受けた時、確かに三人の姿を見た。

 なのに、今、フォリアは言った。

 体育倉庫へ向かった時、ラムポートの奴はいなかった、と。


 ……分からない。

 俺は、確かにあいつを目撃した。

 フォリアが嘘をつく理由もない。

 ならば、いったい、これは?


「ロゴス、大丈夫? 顔色やばそうなんだけど……」


「……ああ、別に大丈夫だよ」


 今のままで深く考えたって、良い結論にはたどり着けない気がする。

 とにかく今は、確実なことだけに集中するべきだ。


 フォリアを体育倉庫から連れ出した今、学園には何ごとも起こらない。

 ならば、惨劇のきっかけは、彼女が体育倉庫へ行ったことになる。

 彼女の言葉を信じるなら、倉庫にラムポートはいなかった。


「フォリア、ごめん、間違えてた」


 集まった手がかりを頭の中で整頓しながら、俺は言う。


「もう一度聞く。じゃ、お前とトトノはなんで体育倉庫へ?」


「トトノちゃんから誘われたんだよ?」


 ほぼ即答だった。


「倉庫の中で何か見つけたって言われたから。うちは腹減ってたから、ちょっと気は向かなかったけど」


「マジで悪いんだけど」


 俺は彼女にもう一度聞いた。


「もう一度、状況の説明を、時系列的にしてくれるか? お前がトトノと体育倉庫へ向かい、俺がお前を連れ出すまでのこと」


「何でそんなに知りたがるの? これ、そんなに重要なわけ?」


 フォリアはちょっと眉をひそめる。

 それでも、俺の真面目な顔を見ると、軽くため息を吐いて、話してくれた。


「だから、うちは昼休み直前の授業の終りのころに、トトノちゃんに言われたの、『体育倉庫に行こ』って。ロゴスも見たっしょ? 後ろで、うちらがこそこそするの」


 確かに、何か話し合ってるとは思った。

 俺は最も後ろの席なので、他の生徒の動態が良く見えるのだ。


「で、ふつーに二人で行ってた。なのに、いきなりロゴスが現れて、それで大通りまで……あれ?」


「なんだよ?」


 首をかしげるフォリアに、俺はちょっと焦りながら答えを促す。


「なんか……そう言えば、ロゴスに連れられた時のことが、思い出せない、っぽい?」


「は?」


「ちょっと待って、うちもなんか、おかしいと思ってるから」


 フォリアは何か言おうとする俺を黙らせて、熟考した。

 そして、再び口を開けて、


「……分かんない」


 それが、今の彼女の結論だそうだ。


「何か気がついたら、ロゴスに連れられて、廊下を歩いてた。どこ行くのかって聞いたら、ロゴスが言ったっしょ? 大事な話があるって。で、大通りまで、って感じ」


「……」


 ますます、分からない。

 理解できない所が多すぎる。


 トトノから体育倉庫へ誘われた?

 それまではさておこう。


 でも、俺は見たのに、本当はそこにラムポートはなかった?

 それに、俺に連れられた時の記憶が、フォリアにはない?


 これは、何の冗談なのだ?





「……わけ分かんねぇ」


 軽い頭痛を起こして、俺は目を瞑った。

 そのまま、後ろに倒れた。

 すると、それなりにふわっとした保健室のベッドの感触がする。


「……」


 呆然と天井を見つめる。

 考えは絶え間なく明滅するが、どれ一つ決定的な繋がりは見出せない。


 むしろ、全部噛み合わせようとすればするほど、おかしくなってしまう。

 指からこぼれ落ちて、散逸してしまうのだ。


「まだ、ダメなのか」


 結局、答えを得るには、まだ早いということなのだろう。

 もっと足掻いて、突破口まで到達しなければならないみたいだ。


「……っ」


 軽い呻吟とともに、起き上がった。


 俺はフォリアのことを見る。

 顛末をまるごと伝えるのは、今は無理かも知れない。

 でも、少なくとも危険の前触れが見えていることだけは、伝えなきゃ。

 特に注意すべきは、あいつのことだ。


「いいか、フォリア、今からは、ラムポートからは極力離れてろ」


 キョトンとした顔で、フォリアは俺を見つめる。


「言われなくても、シリルスとは関わらないことにしてるし」


「今からは更に注意する必要があるってことだよ。あいつの周りに居ては、ダメだ」


「……なんで?」


 それを聞くフォリアの声音は、極めて優しい。

 気分を悪くしたわけではなさそうだ。


「……とにかく、ダメなんだ」


 自分で考えてもめちゃくちゃな答えをする。


「そしてしばらく、一人だけで人気のないところには、絶対行くなよ。絶対にだ」


「……そもそも、ロゴスが来た後からはほぼいっつもロゴスと一緒っしょ?」


「言ったろ、これからは更に注意するべきだって」


「だから、なんで?」


「なんでも!」


 ……いや、それだけでは、説明不足がすぎる。


 彼女に何て言えば納得してくれるのだろう。

 俺は、ちょっと考えた後、もじもじしながら、添えた。


「……フォリアが、危険になるかも知れないんだよ」


「うぶっ」


 それは、フォリアが小さく笑いをする音だった。


「ロゴス、もしかして、うちのこと、心配してる?」


「……そうだったら、何か悪いかよ」


 こっちは真面目に彼女のことを思って言ったつもりだが。

 彼女は、まるでガキとじゃれ合っている人のようだ。

 微笑ましい表情で、俺を見つめている。


 フォリアは、ニンマリとした顔で、


「じゃ、さっき連れ出して来たのも、ロゴスなりに、『フォリアのこと、守ろうっ』! ってなってした行動だったわけ?」


「……そうだよ。よく説明はできねぇけど」


「はははっ、やばぁ、ロゴスって、マジ騎士様みたいじゃん。カッコいい!!」


 ……どうやら、真面目に受け入れられないようだ。

 クスクスと笑いながら、俺のことをからかっている。


「フォリア、これは冗談じゃねぇんだよ」


「べっつにー? 冗談だとは言ってないし!」


 何がそんなに楽しいのか。

 フォリアは満面の笑顔になり、俺のことを見つめている。

 その顔は、眩しい。


「はぁ……」


 軽くため息を吐く。


 彼女が笑うなら、まあ、良いかも知れないが。

 けれど、この状況の深刻さを、少しは飲み込めて欲しいのだ。

 しかし結局、ことの顛末を全て説明しない限り、それは難しいかも知れない。


 日曜の最初の『切り替え』以来。

 彼女に全てを伝えるべきかと、もう何度も悩んできた。

 しかし、どう言えば良いのかが、分からなかった。


『否応移し』のことを説明するべきかも思った。

 だが、保留する方が良いという結論になった。


 まず、こんな馬鹿げた装置のことをどうやって説明したら良いのか、分からなかった。

 それに、説明をしても信じてくれない可能性が高いと思った。


 そして、たとえ説明も理解して、信じてもらったとしても。

『否応移し』のことを伝えることは、期せずした新たな危うさを招く可能性があると思った。

 現実が変えられて、それを観測できる能力が、俺にある。

 それを人々が知ると、果たして彼らはどんな反応を示すのだろうか。

 一言で言うと、俺はその後のことを怯えたのである。


 だから、結局は保留になっているのだ。


「でも、なんか、分かるかも知れないわ」


 目を瞑って、フォリアは言った。

 とてものどやかな表情だ。


「何をだよ」


「ロゴスって、がんばろって思うんっしょ? うちのために」


「……」


 彼女は目を開く。

 青い光を湛えた瞳孔で、俺を見る。

 その彩りを見るたび、ひどく安心してしまう。


「『預言』だもんね。……『別世界からの少年』は『瞬きの乙女』に付き従うべき」


 ぼそっと、フォリアは言う。


「『少年』さん。もしや、『乙女』の知らない所で、『乙女』のことを守ってあげようとか、思ってるんですか?」


「……俺は……」


 言い淀んでしまう。

 それがあながち間違いではないからだ。


 フォリアは微笑みながら、言う。


「それは、えらい。えらいけど、一人で全部抱えようとはすんな。だって別に、『預言』は『少年』だけが全てやってのけるべきだとは言ってないじゃん?」


 窓辺のカーテンが動くたびに、日が差したり、遮られたりする。

 その前のフォリアは、たまに眩しすぎて、直視しがたい。


「困った時には、うちにも言ってよ」


「……ああ、分かったよ」


 俺もつられて、笑った。


「んーっ、でも、ロゴスが守ってくれるのは、嬉しいかも」


 にへらと笑いながら、彼女は言う。


「──ロゴス、ヤバいことになったら、うちのこと、ちゃんと守ってくれてね?」


「……ああ」


 疼く罪悪感とともに、答えた。


 ……だって、既に。

 俺は一度、お前を守れなかったんだ。





 結局、俺の警告がどれほど伝えられたのかは、知らない。


 でも、一つ、ホッとしているのは。

 フォリアが、俺の奇行で損ねた機嫌を直してくれたことかな。


 実感するのは、どれほど彼女が太陽に似ているのかだ。

 フォリアのそばにいると、俺は洗い上げて、干からびた洗濯物のような気分になる。

 どうも、ただ陰鬱なままではいられなくなってしまう。

 

 フォリアの笑顔を見ていて、落ち込んだままでいられる方が、無理だ。

 俺の隅々まで、温かな光で滲ませてしまうから。





◇   ◇   ◇





 治癒師の先生が保健室へ戻って、俺に簡単な処置をしてくれた。

 妙な紋様が描かれたデカい絆創膏みたいなものを、俺の頬に貼ってくれた。


 いわく、こんな軽傷は、負傷者の魔力が多ければ、もっと早く治せるという。

 でも俺の場合、魔力がゼロに近いので、そうは出来ないらしい。

 だから、一時間以上はこのまま、ベッドに横になるべきとのことだ。


 フォリアは先に出ていった。

 正直、あんな事態の直後だし、一人で行ってほしくはなかった。

 でも流石に、隣でずっといてくれと言うのは億劫だった。

 それに、先生たちが間近で監視している授業中に、何かが起こったりはしないと思った。

 なので、いちおう行かせることにした。

 ……もちろん、もしもの場合には備えている。

 フォリアが出た後、彼女を止めるか否かの選択で、『否応移し』に登録をしたのだ。


 とにかく、今は一人ベッドの上だ。


「ふわーっ」


 すると、ひどく緊張した後だからか、眠気が襲ってくる。

 何が起こるか分からないから、寝るのは良くないとは思った。

 でも、どうも、抵抗する術がなかった。


 だから、いつも間にか、眠りに落ちていた。



 ☆



「──君、ちょっと、君?」


 そんな声が聞こえた。

 でも、もうちょっと眠りを甘受したい。

 だから、ほっといてくれよ。


「むにゃ……」


「ちょっとー」


「む」


「おい!!!」


 怒声を浴びて、俺は即刻起き上がった。


 一瞬、ここがどこなのか分からなかった。


「もー、ねぼすけさんだね。もう午後の授業が終ったのよ?」


 隣から磊落な声が聞こえて、そっちを見た。

 すると、輪郭が美しい、金髪の、天然パーマの女性が居た。


「……ふぉりあ?」


「え、君、衝撃で頭がおかしくなったの!?」


 ……何か、口調が違う。

 それに、声色も少しズレている気がする。


 俺は目をこすって、再びその人を見た。


 すると、全然別人ということに気づく。


「にししし! そうか、私とネラちゃんの見間違いか! 確かに、私って実年齢より幼く見えるからね!」


 彼女は、ひどく似つかわしくない、いたずらっぽい笑い声をする。


 確かに、外見だけなら、ある程度はフォリアに似ている。

 彼女も、フォリアにそんなに劣らないくらい、美しい人だ。

 しかし仔細を見ると、かなり違う。


 まず、天然パーマの金髪だが、こっちはショートだ。

 瞳も、青じゃない銀色。

 目つきも、この人の方がもうちょっと鋭い。

 それに、腰に両手をついたポーズも、勝ち誇った表情も、フォリアならあまりしないだろうと思う。


 決定的に、耳が違う。

 彼女の耳は、まるで定番のエルフのようで、尖っていて、長い。


 彼女は、さっき遅れて来た治癒師の先生だ。

 白衣姿だが、医者というより科学者みたいな雰囲気だ。

 名前は確か、クララと言っていたな。


「……あ、先生、すいません」


 俺は、慌ててベッドから出た。

 すると、先生は手を伸ばして、俺の頬のデカい絆創膏を剥がした。


「よろしい! もう、すっかり元通りなのね!」


 俺からも頬を触ってみた。

 すると、ふしぎにも、取り巻きのオークとゴブリンに殴られて腫れ上がっていたものがすっかり治まっている。

 元の世界の何倍は早い回復のスピードである。

 魔術ってすごいな、と実感した。


「ありがとうございます。先生」


「にししし! どういたしまして!」


 感謝されることは普通に嬉しいらしい。

 しかし、この先生、生徒よりもずっと子供っぽい振る舞いだ。

 外見は大人の女性なので、ギャップがすごい。


「それじゃ、失礼しました」


 適当に学ランについた埃を払った俺は、保健室から出ようとした。


 クララ先生は、俺の後ろで、大きい動作で手を振ってくれる。

 それも、子供っぽい。


「じゃあねー! また来てねー!」


 ……保健室の先生が『また来てね』とは、ちょっとあれだと思うのだが。

 まあ、どうでも良いことだ。


 ぼんやりと覚える疑問がある。

 そう言えば、この世界は、エルフとかあるのか?

 もちろん、定番通りの異世界なら、必須項目の内なはずだが。

 しかし、この世界はどうも何だかちょっとズレがあるんだよな。

 だから、確信は出来ない。


 先生に直接聞いてみようかと思ったが、直前に、失礼かなって思ったから、ヤメた。

 考えすぎなのかも知れないが、まあ、別に重要なことでもないんだし。


 でも、もし彼女が本当にエルフだとすれば、ファンタジー定番の種族が揃ったことになるのかな?

 既にオークもゴブリンも登場してるし。


 一人、バカなことを思った。





「──ていうか、なに呑気に寝てたんだよ」


 あんなことが起きた直後だと言うのに。

 危険要素がまだ学園内にある可能性だってかなり高いのだ。


 せめて、今から急いでフォリアのそばに行かないと。

 俺は早足で、教室へ歩き出した。


「……?」


 出発して間もないのに、道を塞ぐ人が現れた。

 面影はあるみたい。

 しかし、誰なのかは思い出せない。


 灰色の長髪。メガネっ娘。

 背が高くて、スタイルも良い。


 それだけではちょっと曖昧だった。


「……あっ」


 記憶に決定的なヒントとなったのは、胸元の大きい機械だった。

 あれは、プロの人が使いそうな、デカいカメラだ。

 でも、こっちの世界には写真がないのだ。

 だから、カメラと酷似した何かの装置なんだろうと思う。


 彼女は、確か──グロリアと初対面した時、音楽室の窓越しで見かけた。

 グロリアの友人の人、だったはず。


「……」


 俺が近づくのを見て、彼女は視線をこっちへ向ける。

 どうやら、わざと保健室近くまで来たらしい。

 俺に何か用事があるのだろうか。


 二人の距離が何歩ぐらいまで縮んだ時、


「俺に、何か用──」


 そう問おうとした。

 しかし、途中で遮られる。


「──あなた、最低だね」


 いきなり罵倒された。

 オレンジ色の瞳が、俺を睨んでいる。


「……はっ?」





◇   ◇   ◇





「あなた、最低だね」


 いきなりそう言われて、泡を食うしかなかった。


 眼前、灰色の髪のメガネっ娘は、軽蔑する視線でこっちを睨む。

 まるで、何か大きく誤った人をなじるようである。


 しかし、こっちとしてはまるで心当たりがない。

 だから、ただ絶句するだけだ。


「……」


 少し黙って、彼女のオレンジ色の瞳の向こうを覗き見た。

 そこには、確かな敵意が含まれている。


 そんな視線を向けられて、気分を悪くしない人など、いない。

 しかも、こっちに非がある覚えは全くない。

 俺も、顔をしかめるしかなかった。


「……俺は、君がなんで怒ってるのか、分からねぇよ」


 言い出した。


「そもそも俺は、君が誰なのかも知らねぇ。そんな言葉を聞かされる筋合いはねぇんだよ」


「だったら、紹介するわ」


 敵愾心を収めず、彼女は言葉を繋ぐ。


「私はイデオマ・レスポスト。グロリア・ダービシャーの友人よ。これで、あなたは私のことを知っていることになるわね」


「……そうだな」


「そして、私が怒っている理由だけど、私自身のことではないわ。私は、グロリアの友人として、彼女のために怒っているのよ」


 その口調は、これほど言ったら俺も察するべきだと、催促するようだ。

 流石に、俺が捕らえなかったことがあったのではないか、再考した。

 視線を泳がせながら、思ってみる。


「……グロリア」


 そう言えば、そうだ。

 悲鳴を聞き、音楽室から出てから、彼女のことを完全に忘れていた。


 でも、『否応移し』のノブは、とっくに回した。

 グロリアの音楽室への誘いは、断ったはずだ。

 ……ちょっと苦みが残るのは、彼女との音楽室での団欒も、こっちではないものになっているということだ。


「……いや、まさか……」


 そう言えば、『否応移し』の『空白』が、気にかかる。

 選択質問が与えられた時点から、ノブを回してこっちに渡るまでの間。

 俺の意志でどうにか出来ないし、記憶にも残らない、事件の穴。


 あの時の選択質問は確か──


『陸暦1554年5月7日午後0時15分ごろ:

 瞬きの乙女の後を追い、体育倉庫の方へ行きますか?』


 そして、今俺が立っている世界線は、質問に『はい』と答えたものだ。

 登録をした時点は、俺はグロリアと廊下で二人。

 グロリアは後ろを向いている状態だった。

 それから俺は、果たしてどうやってグロリアから離れたのだろうか。


 もしかして、何も言わず、そのまま、去って行ったとか?

 いや、それもかなり最低だが。

 流石にそれだけでこんな敵意は向けられないと思う。


 俺は、何かをしたのだ。

 言葉を吐いたのか、身動きをしたのか、知らないが。

 その『空白』の俺は、去る前に、グロリアに何かをしたのに違いない。

 だから、グロリアの親友の彼女は今、俺に怒っている。


「……すまん、マジですまないんだけど……」


 ため息交じりに、俺は指で眉間を抑えながら、言った。


「俺、お昼休みの時間に、グロリアに何かした?」


「────」


 灰色の髪のメガネっ娘は、怒りの顔になってしまう。

 近づいて、俺の胸ぐらを掴む。


「ふざけないで。預言の少年だか何だか知らないけど、外部者のくせに、調子に乗るんじゃないわよ」


「……はぁ」


 そっぽを向きながら、ため息を吐いた。


 外部者のくせに、調子に乗る、か。

 別にそんなつもりなど、無かったんだけどな。


 言い返すことも出来たかも知れない。

 でも、もう疲れた。

 今日はもう、これ以上のかしましいことは、まっぴらごめんなのだ。

 だから、どうにかこの瞬間を凌ぐすべを探ってみた。


 そして、


「……ごめん」


 謝罪が、俺が考え出せる最善だった。


「グロリアの方にも、後でちゃんと謝るから。本当にごめん」


「……チッ」


 イデオマは、舌打ちをする。

 そして、学ランを引っ張っていた手を解放して、離れた。


「もし次、同じことが起きれば」


 彼女は、威嚇の言葉を言い捨てる。


「私が、後悔させてやるわ」


 それを言う時、イデオマは胸元のカメラの尖端を触る。

 彼女は、指でその部分を軽くいじっていた。


 そして、後ろを向いて、行ってしまった。





「……最低、か」


 一人廊下で、俺は言った。


 日がもうちょっと西に傾いている時間である。

 窓の向こう、事物の陰が長くなっていることが分かる。


「俺が、何をしたって言うんだよ?」


 小さい声で、呟いた。

 しかし、誰にも聞かれない。







◇   ◇   ◇





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