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7 これがどんな物語なのか、知ったから



 俺の名前は晴野はれのろごす

 元の世界では、一般高校生だった。

 異世界でも、多分それは変わってない。


 そう、別の世界でも、俺自身は特に変わらないのだ。

 一つだけ、違うことがあるとすれば。

 それは、俺に任された役目があるということだ。

 それを果たせないといけない。

 俺は、それを確かに知った。





 俺の転生先として選べらた都市、イリスバラ。

 現代的に整えられた欧州の街並みみたいなこの場所は、一見、美しく平和な街だ。


 しかし、俺はその裏に潜む危機に気づいている。


 ──すぐ昨日のことだ。

 俺がそばにいてくれなかったから、瞬きの乙女、フォリアに惨劇が訪れたのは。


 今でも目を閉じると、その場面が繰り返される。

 生命を失って、虚ろになった青い瞳。

 血まみれになって、苦痛に歪んだ表情。


 それをもたらしたのは、俺の馬鹿な選択だった。


 やっと気づいた。

 俺がする選択一つ一つが、どれほどの重みを持つのかを。

 あのメガネの神さまの言葉を、実感したのだ。


 でも、俺には『否応いやおううつし』がある。

 たとえ一度誤った選択をしたとしても、それを反転させる力がある。

 それだけが俺の頼りだった。


 ──俺は、『否応移し』を使って、フォリアを守る。


 なぜだと聞かれると、ただ、そうするのが正しいから、としか言えない。

 目の前で人が死ぬかも知れない。そして、俺にはそれを止める力がある。

 なのに、それを無視して何もしない奴がどこにあろうか。


 細かい理屈など、どうでも良いのだ。

 晴野言は、ソルダネラ・フォリアモメンタネアを守る。

 そう決めたのだ。

 だから、そうする。





◇   ◇   ◇





 月曜日。

 授業が再開し、魔術学園テムプス・ノヴムの日常は巡り行く。

 何事もなかったように、平和に、青春の舞台を演じている。


 昼休みの時間。

 俺は早々食事を済ませた。

 残りの時間、俺は教室の後ろの席に着いて、窓の外を眺めていた。


「でね、土曜日がそれだったから──」


「でさ──」


「でもマジあいつのことは──」


「だから──」


 教室のあらゆる方向から、そんな言葉の短編が聞こえてくる。

 どれも、俺の注意を引くようなものはない。


「……っ」


 軽い頭痛を起こして、俺は呻き声を漏らした。

 多分、昨日の経験と、それによる寝不足が原因だと思う。


 だって、あんな光景を見た後だったのだ。

 どうしても、目をつむると、思い出してしまった。

 あの劇場のトイレのことを。

 その異様な臭気の強烈さも。

 その鮮明に照らされた血溜まりの赤黒さも。


 シートの上で横になって、ずっと同じ映像を、瞼の裏で繰り返していた。

 おおよそ、三時間以上はそうしていたと思う。

 最後に時刻を確認したのが午前の4時半くらいだった。

 さすがに疲れ切っていたので、その後すぐ眠りに落ちたのだが。


 それから、目を覚ましたのが7時40分。

 心配そうなフォリアの声が聞こえて、起き上がった。


『ロゴス? ねぇ、ロゴス? もう朝だよ?』


 朝一番に彼女の顔を見たのは嬉しかった。

 でも、その青い瞳の中を見つめた瞬間。

 どうしようもなく、昨日の記憶が蘇ってしまう。


『どしたの? 具合わるい?』


 彼女は、いつもよりも増して優しい声音で言ってくれた。

 俺の頬に手を当てて、こっちの顔をつくづく眺めた。

 彼女の柔らかい手の感触が伝えられた。


 前日、泣きわめいて醜態を晒した後、俺はどうにか平気なふりをしようとした。

 しかし、騙せるわけがない。

 朝の俺は、きっと死にそうな顔をしていたと思う。


『……ね、なにもむりやり学園に行く必要はないよ? ロゴスがキツければ、今日くらいやすんでも──』


 そんなことを言ってくれたが。

 瞬間、脳裏に過ったのは、同じ光景。


 宝石みたいな青い瞳が、生命のない混濁したものに朽ちる光景。


『──ッ。な、何言ってんだよ。この世界に来てまだ一週間ぐらいしか経ってないし、もう休むとか、ありえないだろ?』


 そんなことを言い出して、俺は立ち上がったのだ。

 似つかわしくもない、明るい表情を作り上げて。


 彼女を一人にしては、ダメだ。

 それをしっかりと学習したはずだ。


 なのに、すぐ明日から、彼女を一人学園へ行かせるわけがない。

 フォリアを、俺がどうにか守らなきゃいけない。

 それだけが、俺に任された責任だから。





「──ちゃん」


 でも、これからはどう動くべきなのか。

 フォリアを死に至らせた過程については、不確かなところが多すぎる。

 危険要素の正体も知らない状態で、人一人を守れだなんて。

 まるで、息をしないまま毒霧を切り抜けろって言われた気分だ。


「──スちゃん?」


 手がかりも確かなものはない。

 何かがあるというなら、俺の曖昧な記憶だけだ。

 決定的な端緒になりうる記憶は、トイレに入った時のことなんだろう。


 でも、その経験はあまりにも衝撃的だった。

 だから、記憶の多くは損傷されている。

 まるで写真を撮る瞬間、太陽の光が差したように。

 感情の激しさだけが、他の全てを塗りつぶしてしまったのだ。

 だから、あの記憶から思い出せるのは、ごく断片的印象しかない。

 それから決定的な何かを見出すことができるかは、自信がない。


「……っ」


 思い出すと、再び頭痛がした。


 しかし、俺は何かを見過ごしている気がする。


 奇妙な不安感にかられてしまう。


 まるで、重要な何かを、忘れているような。

 忘れてはダメなことを、忘れているような。


『──パッパッパッパッ』


 こちらを嘲笑するような甲高い声が、記憶の彼方から聞こえる。


「っ」


 思い出そうとするにつれて、頭痛も激しくなった。


 そうだ。俺は、確かに見たんだ。

 もっと別の何かを。

 フォリアのアパートに一人で帰る前に。

 何かと、出会って、

 何かを、聞かれたような──


「──ロゴスちゃん!!」


「うわーっ!」


 いきなり大声を聞かされて、席から立ち上がってしまった。

 このパターン、何回もあったよな。

 でもやっぱ、慣れない。


 見ると、丸メガネの男の子が隣の席について、こっちを睨んでいる。


「もう、何回も呼んだのに、何で答えないんだよ? 僕何かロゴスちゃん怒らすことした?」


 そばかすがひどく、麹塵色の髪がいつも汚い男の子だ。

 こいつは、クリストファー・アクスフェロックスという名前だ。

 長いから、普通はクリスと呼んでいる。

 多分、この世界に来て俺に初めて出来た、男友達だ。


「……ああ、ごめん。そうじゃないんだ。ちょっと考え事があって」


 再び着席しながら、俺は言った。


「ロゴスちゃんが考え事? へー、考えとかするんだ、ロゴスちゃんも」


「……あのな」


 しかし、ちょっと馴れ馴れしすぎるところもある。

 まだ知り合ってから一週くらいしか経ってないのに、ちゃん付けで、しかもこの態度である。


「別に用がないんなら、今はほっといてくれるか?」


 クリスを少し睨みながら、俺は言う。


「頭痛がしてるんだよな、俺ちょっと」


「ロゴスちゃん冷たーい。ネラちゃんにはずっとバカみたいにへらへらしてたくせに」


『ネラちゃん』とは、フォリアのことだ。

 もちろん、彼女自身とクリスとは会話することがあんまりないので、裏で勝手に呼んでいるだけだが。


「……別にへらへらしてねぇよ」


「してたんだよなぁ」


「してねぇって! ……はあ」


 ……そう言えばいたよな。元の世界でも、こんな感じの友人が。


「しっかしロゴスちゃん、流石に今日はネラちゃんにべたべたしすぎじゃね?」


「はぁ?」


 いきなり気持ち悪い言い方をしやがる。


「だって、午前にはずっとネラちゃんの周りでうろちょろしてたし」


「……」


 え、うそだろ。

 彼女のことが心配になって気にしてたのがそんなに見え見えだったのか。


 そういえば、フォリアにも言われたんだよな、分かりやすいって。

 こっちとしてはちゃんと隠したつもりだったのだが……。


「なんか、今日のロゴスちゃんとネラちゃんって、ママとシ◯タみたいな感じ?」


「おい」


 聴き逃がせない響きが出て来て、つい反応してしまう。

 ていうか、この世界もその用語は存在したのか。


「なんか、甘えん坊の息子ちゃんがママにすがりつくような? で、ママの方からはため息を吐きながらも、だっこをせがむ息子ちゃんを抱き返してくれる、的な?」


「……」


 妙に分かりやすいのがくやしい。


「はぁ……」


 右手で顔を抑えながら、長いため息を吐いた。


 ママうんぬんはさておき、周りにそんなに近しく見られたのなら、それはちょっと良くない。

 フォリアが言ったはずだ──ストーカーみたいな奴がいるって。

 そいつらが、俺のことを良く思っていないはずだというのも。


「……」


 俺は、フォリアがストーカーと称していた奴らのことを思った。

 最初の『切り替え』以後、今まで何度も思っている。

 理由はしごく瞭然だ。

 ──日曜日の出来事に、あのストーカーとやらが関わってたりはしないのか。

 俺は、それを疑っているからである。


 適当に聞いた知識ではあるが、多くの殺人事件は知り合いの人の間、恋愛絡みから起るという。

 考えてみれば、あの時のフォリアの死に方って、別に魔術で殺された感じではなかった。

 残酷ではあったが、元の世界でも十分ありえた場面だ。

 ならば、どの世界にもありふれている悲劇の兆し、

 つまり、答えられなかった熱狂的愛があの惨劇の原因だったと見ても、何らおかしいことはないんじゃないか?


『ストーカー』グループの面々は、既に把握している。


 その中、最も俺の気を引く奴がいるとすれば、それは──





◇   ◇   ◇





 フォリアの学園の友人二人は、ろごすが勝手に彼女らをあだ名で呼んでいることを知らない。


 一人目は、『オレンジさん』。実際の名前は、アンナ・スロックモートン。

 背が高く、橙色の髪を後ろに丸く束ねたタレ目の少女。制服の着崩し方がエグい。


 二人目は、『青リンゴちゃん』。実際の名前は、プレストトノス・ベル、通称『トトノ』。

 背が小さく、端っこの部分だけ脱色された緑色の髪をサイドテールにしている少女。手首にも、首にも、太ももにも飾りだらけ。


 どうでも良いことだが 、言は敢えて果物の括りを完成したいと思った。

 だから、フォリアは『マンゴーちゃん』って呼ぶことにした。

 ちなみに、フォリアのふっくらとした金髪はちょっと紅が混じっている。

 だからカラー的には合っていると、言は思った。


 どうでも良いことだが。





 果物三人ごとギャル三人は、カフェテリアの一隅のテーブルで座っていた。

 魔術学園テムプス・ノヴムの施設はかなり豪華なので、ここも広々とした空間が良く整頓されている。

 大きい窓から外の青空の色が、瑞々しい空気を更に鮮やかにしてくれる。


 フォリアは買ってきたリンゴジュースをストローから飲んでいた。


「……ネラって、あの根暗くんと付き合ってんの?」


 いきなり、タレ目のギャル、オレンジのアンナは、フォリアに言う。


「ぷぅっ」


 フォリアの方はジュースを飲んでいたので、そういう反応をしてしまった。


「ゲホッ、ゲホッ、もーいきなりなに?」


 口を隠しながら、金髪の少女は言う。


「ケホッ、へ、へんなこと言うから、鼻に入ったじゃん」


「きったなー」


 緑サイドテールのギャル、青リンゴのトトノは、そういうことを言って、ゲラゲラと笑う。

 ちっちゃい女の子にしてはずいぶん豪宕な笑い方である。


「いや、別に、聞いてみただけだし」


 アンナの方は、あまり笑わない。

 それなりに真摯な質問だったんだろうか。


「だって、今日何か雰囲気が違うんだよねー二人とも。主に、あの根暗くんから何かを感じる」


「あ、それはそ! アタシも見た」


 トトノの方からも同調して、言い続ける。


「何か、たまにこっちへ送る視線にすっごく熱が入ってたよね。それに、何かすっごく悲しい顔になっちゃったりするんだから。見ていて何か楽しかったわ」


「……そ、そーだったかなー? うちらは別にふつーだったけど」


 テーブルの上からのティッシュを何枚も使って口元を拭きながら、フォリアはぎこちない返事をする。話題を変えたいと思うのが分かる。


「で、実際、どうなわけ?」


 しかし、タレ目のアンナはそれを許さない。


「何かあるの、ないの?」


 やっぱり、かなり真摯な顔だ。


「……」


 少しの間、フォリアは自分に注がれた視線を浴びていた。


「……ぷっ、ないない! 絶対ないって! ははははっ」


 しかし、普段の軽々しい仕草を取り戻して、笑いだしてしまう。


「あのロゴスと? うちが? マジで? あるわけないじゃん。陛下に命じられたから仕方なく一緒に暮らしているだけだし。そもそも、うちは好きな人いるし!」


「……ふーん」


 しかし、アンナはつられて笑ったりしない。

 ただ、考え事があるように、口を開かず、そんな音を出すだけだ。


「あっ、そういやクルクスあいつ、今日誕生日だったよね」


 アンナは今になって思いついたようで、言い出した。

 そして聞く。


「ネラは何かプレゼント用意した?」


「当たり前じゃん?」


 フォリアは明るい表情で応じた。

 やっと他の話題になったのに何か安心している様子だ。


「いつ渡すの? それとも、もう渡した?」


 アンナは問いただした。


「うーん、いや、放課後にしようと思うんだけど……」


「えー? 今にした方が良いと思うよ?」


 トトノが割り込んできた。


「クルクス、放課後友だちとどっか遊びに行くって聞いた」


「え? だったらうちもついて行ったら……」


「『女子禁止』だって!」


 トトスが天真爛漫に伝えた。

 その言葉に、聞いていた二人はちょっと信じられないという表情になる。


「……は? なにそれ? 女子禁止って、意味不すぎるんだけど」


 アンナは眉を顰めながら言う。


「小学生かよ? あいつ、普段はけっこういい男してるのに、たまーに、いや、割とかなりしょっちゅう、抜けてるよね。私はそういうのムリだわ、マジで」


 呆れたような顔をして、ため息を吐く。

 しかし、いきなり何か察したような顔になる。


「……あいつ、まさかそっちのケ、だとか? 確かに、女に興味がなさすぎる所はあるよね」


「冗談でもそんなこと言わないで……」


 青白い顔をしながら、フォリアは小さく言う。

 ちょっと背筋が寒くなっているようだ。


 彼女はテーブルの上に元気なく倒れるように顔を伏せた。


「はー、だったら、午後の休み時間にするわ。でも時間なさすぎて、じっくり話すヒマもないじゃん」


 顔を埋めたまま、ごにょごにょと言う。


「クルクスくんと、もっとゆっくり、話したかったのに」





「俺がどうかした?」


 いきなりの響き渡るイケボ。


「えっ」


 フォリアは驚いて、上半身を上げる。


「あ、ごめん、普通に歩いていたけど、いきなり俺の名前、聞こえたから」


 そこに現れたのは、赤毛の美形の男子。

 爽やかスマイルを浮かべて、優しい目でこちらを見つめる。

 クルクス・デュオコラムである。


「あ、あっ、何でもないの! えーと、えーと……」


 フォリアは慌てながら、前髪を直す。

 顔を少し赤らめて、視線をしきりに移させながら。

 それは、普段の明るく颯々とした彼女の姿とは全然違う。

 まさに、恋する乙女って感じだ。


「あ、そう? 不思議だな。絶対フォリアが俺の名前言っていたと思ったけど」


 右側の前髪を爽快に風に靡かせながら、クルクスは微笑んだ。


「もしかして、俺がそう願っていただけかな」


「えっ」


 フォリアは更に顔を赤くしてしまう。

 そして、項垂れる。


「……」


 その場面を糖分過多になった表情で見物するギャルが二人。

 彼女らの顔は微笑ましそうな、うざそうな。

 そういう相反するものが混じって、結果的に微妙になっていた。


「あ、あのね、クルクスくん」


 ちょっと顔を上げて、でも目は合わせず、フォリアは話しかける。


「ん?」


「放課後に、遊びに行くって、聞いたんだけど」


「あー、あれ? それは、そうだよ」


 何かあまり気が向かない様子である。


「行く前に、うちと10分だけ、いや、15分、二人で話せない、かな……?」


「……」


 クルクスは、ちょっとフォリアの顔を見つめる。


「いいよ」


 そして、さっぱりと答えた。


 それを聞いて、フォリアの顔はとても明るくなる。


「ありがと! じゃ、放課後うちからクルクスくんのクラスに行くね!」


「ん、分かった。それじゃ──」


「──クルクス、何しているんだよ? 早くこっちへ来いって!」


 クルクスの背中から、いきなり第三者が現れた。


 それは、力を入れすぎて押し付けた銀髪の、蒼白な男子生徒だ。

 瞳は紫色で、肌色も色素が薄すぎる白さである。

 顔の造形は、醜いとは言えないが、どこか陰鬱で、痩せたヒキガエルを連想させる。


「……おっと、もしかして、取り込み中? 何かタイミング悪かった?」


 薄気味悪く笑いながら、クルクスの右肩に手を置く。

 意図せず邪魔をしてしまったって態度がいかにもわざとらしくて、気持ち悪かった。


「お、これは、何て偶然だ? ──ソルダネラ、久しぶりだね」


 そんなことを言いながら、現れた男はフォリアの方へ視線を向ける。


「……」


 しかし、フォリアの方からは返事をしない。

 ちょっと表情を固めて、そっぽをむいた。


「……テメェ、何しに現れた?」


 それを言ったのは、椅子に腰掛けたままのアンナだった。

 彼女の顔はかなり強張っていて、相手を追い払うつもりがたっぷりに込められている。

 この場にろごすがいたなら、きっとビビって逃げたはずの迫力である。


「あれ、僕ってもしかして歓迎されてないのか? 別に、気を悪くするようなことは何もしてないじゃないか」


「はっ、クソみたいな芝居はテメェのママにでも披露してろよ」


 アンナは、蒼白な少年を睨みながら言う。


「あと気持ち悪いから、やすやすとネラに話しかけんな」


 自分の肩に置かれた手を退きながら、クルクスは蒼白な男を見た。


「……シリルス、どうした? 何か用?」


 シリルスと呼ばれた銀髪の男子生徒は、またわざとらしく笑う。


「いや、実は、ホワイトヘッドの奴が君を探しているんだよな」


 ミリセント・ホワイトヘッドのことだった。

 クルクスのファン一合を自称する、多少元気すぎる女の子である。


「何か渡したいことがありそうだよ。早く行ったほうが良いと思うよ? ホワイトヘッド、また泣き喚いてしまうかも知れないし」


「……分かった。伝えてくれて、ありがとう」


 クルクスは去る前に、フォリアの方を振り向いた。


「じゃあ、フォリア、放課後、待ってるから」


 それだけ言い残して、行ってしまう。





「……おい、テメェもいい加減失せろよ」


 アンナはイライラを隠しきれない声音で、そう言った。

 もちろん、にやりと笑いながら佇んだままのシリルスへ言っている。


「ホワイトヘッドの奴が何でクルクスを呼び出したのか、気にならないか?」


 そういうことを、シリルスはギャル三人に言う。

 と言っても、彼はしきりにフォリアの方へ視線を向けている。

 彼が気にしているのがただフォリア一人ということは、歴然だった。


「知るかよ。興味ないから、早くどっか行け」


 アンナの冷たい受け答えにも、シリルスは全然屈しない。

 行くつもりなど、全くなさそうである。


「今日、クルクスの誕生日なんだよね。ホワイトヘッドって、何かすごい高いプレゼントを用意したってよ」


 ベラベラと、延々と、喋り続ける。


「君たち、クルクスが精霊術に興味があるのは、知ってるか? 知らなかっただろ?」


 ずっとシリルスを無視しようとしていたフォリアだった。

 しかし、『精霊術』という単語にちょっとビクッとしてしまう。


「ホワイトヘッドの奴、それを事前に調査して、街で生きた精霊を剥製のように捕まえた飾り物を買ったってよ。

 あいつ、多分正月の一日から今までの小遣いを全部使い切っているぞ。いくら裕福な家のお嬢さまとは言え、それはかなりダメージキツいと思わないか? それほど、ホワイトヘッドの中のクルクスって大きいんだろうね」


 そっぽを向いているが、耳を塞がない以上、聞こえるものは聞こえる。

 フォリアの顔色は、ますます暗くなっていた。


「今回だけは、クルクスだってホワイトヘッドに感動するかも知れないと思うんだよね。もしかして、付き合い始めたりするかもだぞ? まぁ、僕的には友人のホワイトヘッドの悲願が叶うんだから、良いことだと思うのだが」


 彼がある効果を意図して言っているのか否か、それは曖昧だった。

 それに、アンナには正確な事情が分かってない。

 それでも、シリルスの語りを聞いているフォリアの表情が悪くなるのは、すぐ気がついた。


「チッ、しっつこいなマジでこいつ」


 アンナは舌打ちをして、椅子から立ち上がった。

 嫌悪の視線を一回だけ銀髪の少年に向けて、フォリアの隣に行く。

 そして、彼女の手を引っ張る。


「テメェが行かないんなら、私たちが行くわ」


 それだけ言い残して、その場を去ってしまう。


「ほら、トトノ、行くよ?」


「あっ、ちょっとー」


 小さな緑サイドテールのギャルが、遅れて二人の後を追う。





◇   ◇   ◇





『ストーカー』グループの筆頭。

 その名前は──シリルス・ラムポートだった。

 フォリアに何度も断れて、なお彼女に執着する奴だ。


 彼の噂は学園内にはかなり広まっていた。

 入学式当日からずっとフォリアをしつこく追っかけてきたという。

 最初は優しく接していたフォリアも、いよいよ我慢の限界に達し、ラムポートのことは完全に無視をする方針になったとか。


 それに、彼の家系の有名さも噂に拍車をかけた。

 ラムポート家は由緒正しい魔術師の家系である。


 そんな背景など、テムプス・ノヴムでは珍しいことでもないのだが、ラムポートの名前はその中でも群を抜いているものがあった。

 なにせ、彼らは幻術を特技としている家系なのだ。


 異世界人の俺としては、幻術と言うとそんな大したこともなさそうなイメージだが、この世界では違う。

 幻術、あるいは『幻見せ』はかなりの高等魔術で、しかも今の時代はそれを駆使できる術者の数が少ないという。


 しかも、今の当主、シリルスの父親は、都市内の政治にも深く関わっており、そっちの方面の影響力もかなりあるらしい。


 ……もし、本当に奴が日曜の事件に直接関わっているとすれば、その対処は、かなり厄介なことになるかも知れない。

 今はそういう、多少曖昧な不安感にかられていた。





 授業が終わった。

 同時に、俺を支配する緊張感は増していた。

 腹痛と頭痛がともに強くなった気がした。


 ──今から明日の朝まで、俺一人でフォリアを守らなきゃいけない。


 その考えが、俺にとてつもない不安感を与えていた。


 いっそ、学園内にずっと居続ければもっと安全だ。


 この学園は、そうは見えないが、建物に防備が設けられていると聞く。

 それに先生たちは、一人一人がかなりの実力者だそうだ。

 特に、担任の青銀髪赤目の先生、ファインオルド・シューランペは、恐るべき魔術師であると聞く。

 彼女が本気を出せば、小さな国一つはぶっ飛ばすこともできるとか。

 ……さすがにそれは、教えてくれたクリスの奴の作り話にしか思えないが。


 とにかく、そんなもので囲まれている学園だ。

 だから、せめてもの白昼の間には、俺は少し安心できると思ったのだ。


 だが、本当の問題は、俺とフォリアだけが残される時間帯。


 ──魔術も使えない俺が、どうやって来たる脅威から彼女を守れるのか?


 俺に出来るものなど、ピアノの演奏と、『否応移し』のノブを回すことしかない。


 無力の実感から、恐怖と不安が俺を支配した。





 フォリアと一緒に下校しようと思い、俺は席から立ち上がった。

 しかし、その時、声をかけられた。


「ロゴスくん!」


 振り向くと、そこには丸っこい緑色の双眸が光っていた。

 二つに束ねた三つ編みが愛らしい、グロリア・ダービシャーである。


「……ああ、グロリアか」


 何か、かなり久しぶりに見た気がした。

 ずっと同じクラスでいたはずなのに、なんでだろう。


 そう言えば、彼女と音楽室で話していた頃は、まだこっちの世界は美しいことばかりだと勝手に信じていた。

 まるで、大昔の思い出のように感じられてしまう。


「なに? 何か、用?」


「えっ、あの、大した用じゃないんだけど……」


 少しうろうろしている様子だ。


 ……そう言えば、今の俺の反応は、ちょっと冷たすぎたかも知れない。

 他のことを気にしすぎて、対応が雑になってしまったな。


 それを自覚したので、今度は敢えて笑顔を見せた。


「何だよ? またピアノ・フォルテの演奏でも聞かせてほしいのか?」


「えっ、どうして分かった?」


 彼女の方も口元を和らげて、優しく笑い返した。


 ……ああ、やっぱりかわいい、この子。

 見るだけで凍えた心が少しは和むことを感じた。


 出来れば、一緒に話したい。

 彼女の期待を裏切りたくない。


 けれど。


「すまん、今ちょっと急いで帰らなきゃダメなんだよな」


 片手を前に立てて、謝罪のジェスチャーを見せた。


「だから今日はちょっと……」


「……ううん、いきなり頼んだ私が悪いよ。では、また今度にしようね」


 心なしか、彼女は少し寂しそうに見える。


「あっ、そうだ、実は、ロゴスくんのこと、もうお父さんに伝えたんだけど、それで──」


 その時。

 楽しそうに言い続ける彼女の肩越しで、フォリアが一人教室を出るのが見えた。

 いつもとは違って、顔が陰っているように見える。


「──あ、ごめん、グロリア、また今度な!」


 多少むりやり会話を中断して、俺はフォリアの後を追った。


 その時、グロリアの顔の寂しさの色が少し増した気がした。

 が、俺としては、どうしようもなかった。





 正門を出て、ある程度出てからやっとフォリアに追いついた。

 意外と歩く速度が早い。


「ちょっと、待てよ、フォリア!」


 その掛け声にも、彼女は振り返らない。

 止まったりもしない。

 だが、こっちの存在は確かに認識したようだ。

 彼女の方から少し速度を下げてくれたのだ。


「ずっと呼んでたのに、何で止まらないんだよ……」


 少し荒くなった呼吸を整えながら、俺は愚痴を言う。


「……」


 しかし、彼女は相変わらず、反応しない。

 視線もくれない。


 ……あれ、もしかして、俺また何かやっちゃいました?

 もしかして、俺に怒ってる?

 知らないところで地雷踏んじゃった?


「……あ、あのさ」


 口は開けたものの、何を行ったら良いのかが分からない。

 後は、気まずい沈黙が続く。





「……」


 しばらくは、二人で何も言わず、ただ歩いた。

 時刻は、午後の4時ぐらいかな。


 こっちの世界も季節の移ろいは歴然だ。

 気温の方は、同季節のニホンよりずっと冷や冷やとしているが。

 それでも、5月を過ぎて、どんどん気温は上がり、日は長くなっている。

 だから、まだ空は明るい。

 今日は特に晴れていて、遠くまでの景色が良く見える。


「──はぁ」


 それは、鬱陶しさからのため息ではない。

 ふと浮かび上がった感嘆だった。


 ──ここの街って、なんて美しいんだろう。


 イリスバラは、広々とした平原の上に建てられた都市だ。

 学園テムプス・ノヴムは都市の南西の丘の上に位置している。

 そして、フォリアのアパートはウェスト・エンドと呼ばれる西の裕福な地域にある。

 下校の道は坂道の上にあり、ここでは自然とイリスバラの殆どの景色が目に入ってくるのだ。


 こんな切羽詰まっているのに、自分に景色を楽しめる余裕があるのがふしぎだった。


「……っ」


 ふと吹いてきた風につられて、俺は街の景色からフォリアの方へ視線を戻した。


 ……それで、やっと気がついた。

 彼女は、両手で精霊の標本を入れた包を持ち上げていた。

 朝、クルクスに渡すと言い、期待と不安が混じった表情であれを持ち出していったフォリアのことを覚えている。


「お前、それ、クルクスに渡さなかったのか?」


 俺は、あまり深く考えず言い出した。


 ……たまには、自分自身の馬鹿らしさに呆れてしまう。

 普段はあんなに無駄に考えすぎなくせに、なんでこんな時に限っては、思慮がそんなにも浅いのか、と。


「────」


 やっと、フォリアがこっちへ振り向いた。


 しかし俺は、何も言い出すことが出来なかった。


 だって、彼女は見たこともない顔をしていたから。


 フォリアは、泣いていたのだ。


 悔しそうに、悲しそうに、その愛らしい顔を、涙で濡らしていた。



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