瞬と晴(2)
とにもかくにも、今はそんなことよりも聞かなきゃ駄目なことがある。
「……で、結局これはなんなんだよ?」
俺は『否応移し』を出して、大きなノブの右下の文字を見せた。
刻んだように書かれている。
赤紫で煌めくそれは──『瞬』と。
おまけに小さなハートもついている。
「そ! うちが書いたの! 色とかかわいいっしょ?」
ネラはニシシ、と勝ち誇ったような顔になる。
「あの装置、ロゴスと似てて灰色だったから! これですこしはキラキラになったかも!」
「……」
俺と『否応移し』が似てる──つまり灰色だと。
つまり俺の印象はあの昭和のアナログ機械みたいな野暮ったい装置と一緒ということか。
……それはとても妙な評価であるが、実は自分だって似たようなことを思ったときがあるので、何も言い返せない。
でも他の人から改めてそれを聞かされるとなんかムッとなるよな。
特にキラキラの概念を人間化させたようなこいつからだと、な。
俺は意地悪をしたくて、
「……これ、どうやって消すんだ?」
「えーっ!!!」
ネラは立ち上がり、俺の方を見張る。
その顔はまるで世の中で一番残酷なことを聞いたという風だった。
もうちょっと嫌なフリを続けみようかと思ってたが、そんな顔をされるとどうも出来なくなってしまう。
「……いや、冗談だから。消さないよ。今は」
「もー、ロゴスひどすぎ! うち、ロゴスのことそんなひどいイタズラする子に育てた覚えはないんですけど!」
ネラはプンプンと怒りながらふざけたことを言う。
「それに、『今は』ってなに? ずっと書かれたままでいいっしょ?」
「いや、それはどうだろうなぁ」
再度視線をその文字の方へ向けた。
すると、やっぱりなんかアンバランスというか。『否応移し』に全体的に纏う大ざっぱなデザインと、そのキラキラしたギャルの手書き文字はさすがに相性がわるすぎる。
それに、気になることがある。
「でも、『瞬』ってなんだよ? どういう意味?」
「ふふん。なんでしょーかね?」
「……早く教えろよ」
「ヒントもさっきからたっくさんあげたじゃん。まだ分からないの? ロゴスってたまにはマジでにぶいんだよね! あはははっ」
なにがそんなに楽しいのか、そのギャルさまは豪快に笑うのである。
……まあ、実は、その一文字を見たときから心当たりはあったが、な。
──この世界で『消失言語』と呼ばれる言葉の一つで、『フォリアモメンタネア』が何を意味するのか。
つまり、これは彼女のサインなのだ。
☆
「でも結局、この文字はどうやって消すんだよ?」
やはりそれが気になったので、俺はもう一度聞くことにした。
「これ、絶対ただのペンで書いたものじゃねぇだろ」
ただのインクが機械の表面でこんなに燦爛と輝けるはずがない。
ネラは、
「うん、セイカイだよ! 実はね、巷で『残ペン』と呼ばれるペンがあってね? 書き手の力の特性を受け容れて、その特性をインクとして書くというの」
「──えっ」
「実はそれは既存の魔術の応用でね? もとは『稟刻み』っていう魔術なの。使い手の『稟』の特性をインクとして書く魔術で、これは古代から重要な契約の書類を書くときとか、重大な魔術の陣を描くときに使われてきたの」
その説明を聞いて俺はもう知っていたある品物を思い出す。
使い手の特性を受け容れ、それを材料として効果を発揮させるアイテム。
それは──
ネラの説明は続く。
「まっ、分かりやすくいえば、消すことがすごくムズい文字を書く魔術ってこと! 本物の『稟刻み』はマジですごくてね? いくら巧みな魔術師であっても消すことができないの」
「……なんだよそれ、落書きとかされたら最悪だろ」
「でもそれはあくまでもオリジナル魔術のことで、『残ペン』はただのまがい物にすぎないから、消す方法はあるよ! けっこー高い専用の消し道具を買うか、あるいは高等魔術の『否術』の類を使うかとかがあるね!」
高い道具の購買、OR高等魔術の駆使。
つまり、今の俺にはどっちも不可能ということになる。
「はあ……。結局、しばらくはこのままでいるしかないことかよ」
俺は溜息を吐いた。
「ね、くやしーの?」
本当に、なにがそんなに楽しいのか、ネラはにんまりと笑いながら俺の横顔を見ている。
子供っぽい仕草で煽り立てようとするのが見え見えで、正直笑う所だった。
「ねね、今めっちゃくやしいっしょ? フコーヘーとかおもうっしょ? 絶対やり返したいっておもうっしょ?」
なんか圧がすごい。
別にそんなことなど思ってないのだが、同調しないと駄目みたいな気分になってしまう。
「実はここ、犯行の凶器があったりするんだよねー」
ネラはポケットから何かを出した。
それは高そうなペンで、『否応移し』の上に書かれたネラの文字と同じく、赤紫で玲瓏と輝いていることが分かる。
「はいっ」
彼女はそんな言葉と共に俺にペンを渡す。
無言で受け取ったが、なんのつもりか分からなくて彼女を凝視するしかなかった。
しかし、ペンの方から変化が起こった。
赤紫で輝いていたものがおもむろに深い藍色と化したのである。
──そう、それはまるで、『特撹弾』に俺の血液を投入した時のように。
ネラは少しジト目になりながら、
「くやしいと思うなら、ね……」
しかし口元の笑顔は崩せず、話を継ぐ。
「うちにもロゴスの名前、書いたらコーヘーじゃん?」
「……へ?」
「でもうちはあんまいつも持ち歩いてて、そんなに大事だと思うモノはないんだよね。だったら……」
彼女は妙な上目遣いでこっちを見るのである。
「──うちの体のどっかに、ロゴスのアト、残してみる?」
☆
「はあああ??!」
顔が火照るのが分かる。
久しぶりの教本通りの童貞ムーヴになってしまった。
「い、いや、そんなの、っ、お前、駄目に、決まってんだろ」
瞬間、不意に俺の目線は下の方へ向かう。
ただネラの顔を直視し続けるのができなかったから視線を逸らしただけだったが──
今更、彼女がどれほど薄着になっているのかを痛感する。
ちょっと目を転がしただけなのに、きれいな項とか、白い太ももとか、胸元の豊満な膨らみとかが見えてしまうのだ。
「……っ」
「んん? どこ見てるのかなー? ロゴスくん、人と話す時は相手の目を見なきゃダメなんですよ?」
彼女の顔はいたずらっぽい笑顔になっている。
こいつ、自分がなにをしてるのか正確に理解している。
そうだ。これはただからかわれるだけだから、動揺したら負けるのだ。
……そう頭では分かっているけど、自分をうまく調節できない。
俺はどうにか平常を維持しようとしながら、
「とにかく、そんなことするワケねぇだろ、バカ」
しかしなんかキョドってしまい、ぎこちないつぶやきになる。
ネラはとても面白そうな顔で、
「んんんー?? なんでかなー??」
俺の方へ更によるのである。
さっきよりもずっといろいろ見えてしまって、視線の届く殆どが彼女の肌色で埋もれてしまう。
「ロゴス、今絶対エロいこと考えたっしょ! 顔真っ赤だし! あはははは! ウケるんですけど!!」
「……ッッ」
……こいつ。
今度はマジで頭に来た。
ムカついたから、本気で仕返してやりたくなってしまう。
そうだ。少しは分からせないとな。
「……お前、こんな夜遅く男子と二人っきりで、そんな服装で、そんなこと言ってる意味、分かってんのか」
「え? どーゆーこと?」
「だ、だから、俺が、い、いっ、いきなり、その、あの、お前の、コトヲ……アノ、オソウ、かも……しれないじゃねぇ、か……」
噛んで、どもって、視線は逸らして。
結局、途中で言わなきゃよかったと後悔してしまった。
「────」
一方のネラは、今度は無言で俺の方をじっと見つめるだけだ。
あ、あれ? まさかマジで引かれたのか?
や、やべ、俺はそんなつもりじゃ──
「──ぶっっっ」
その時、彼女の唇の合間からからそんな名状しがたい音が出てくる。
しかしその意味は明確だ。
つまり、
「あははははは!!! や、だ、ダメ、はははは!!! マジでしぬっ!! やば、ロゴス、たすけて、ああっ、だめ、あはははは!!!」
……俺がギャルさまのおもちゃになっているということである。
まあ、いつもと大差ないということだが。
彼女は笑いながら俺の肩を何度も叩く。
わりと痛いので、勘弁して欲しい。
俺はやがて我慢できず、立ち上がっては、
「っっっっ、ああっ、もおおお!!」
まだ笑いが消えないネラの顔に向かって、
「お前のトンボ出せ!! そこに書いてやるからな!!!」
真っ赤な顔でそう言うのである。
☆
結局、その騒ぎはあっさりと終わった。
俺は彼女のかわいらしいトンボの上で、確かに書いた。
一文字──『晴』、と。
「……『晴』ね」
藍色で輝く文字が書かれたトンボを持ち上げて、彼女はほほ笑む。
ネラは俺に向かって、
「ね、ロゴスの方も見せて? こっちに出して」
俺は何も言わず『否応移し』を出した。
「そ、並べて……」
ネラのトンボの上の藍色の文字が、『晴』と輝く。
俺の否応移しの上の赤紫の文字が、『瞬』と煌めく。
「……『セイシュン』なんだな」
「え?」
ネラはちょっと理解できなかったようで俺の方を見る。
「いや、なんでもない」
「……くす」
ネラはトンボの方を胸に近寄せて、抱きしめるような動作をする。
その顔はとてもうれしそうだ。
「──これでおあいこ、だね」
ボソッと言うのである。
◇ ◇ ◇
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