ギャルさまが迎えてくれる日常
雨降る深夜の都市の空を飛んだこと、あるか?
生身で。
ドラゴンの翼の揚力に全てを任せて。
同じくドラゴンの剛腕に抱えられて。
あるはずないだろうな。
そんなの、異世界だからこそできる経験なのだ。
そして、今俺はまさにその経験の真っ只中にいる。
「────ッッッッッ!!」
しかし、俺にはどうもその奇異な経験を楽しむことができなかった。
今日のイベントがどれも強烈すぎたせいで頭がいっぱいになっていたのもある。
だが、それよりも強い理由は──単にその飛行は寒すぎた。
だから楽しむどころか、なにも禄に考えることなど出来なかったのである。
*
さいわい、街の中心部からウェスト・エンドのアパートまでは五分もかからなく、飛行は凍え死にになる前に終わった。
たぶん、五分というのも前回の幼女幻術師の時よりはずっと緩やかな速度だったからで、もし先生が全速力を出していたら三十秒もかからなかったと思う。
「──着いたわ」
ファインオルド先生は俺をロビー近くに下ろして言う。
「あ、ありがと、ござい、ます、っ……」
あまりの寒さで俺はワナワナしていた。
先生は物案じする様子で俺の頬に手を当てる。
その手先は意外と温かい。
『意外』というのは、俺は勝手に彼女の形態変化の姿を見て、冷血動物の体温を予想していたからである。
ほら、ドラゴンだからトカゲとかヘビと似てるとか、ふざけたことを思っていたわけだ。
……これって割と失礼な考えだったかも知れない。今後とも口に出すことはないように注意しないとな。
先生は俺を見て、
「大丈夫? こんな天気に飛行なんて、良くなかったわよね。早く帰ってお風呂にでも入る方が良さそうだわ」
「は、はい。そう、します。それ、じゃ」
俺は軽くお辞儀をして踵を返す。
そして階段の方へ向かい、歩き出した。
「……ありがとうね、ロゴスくん」
そんな言葉が背中に投げられたが、雨音に遮られて良く聞こえなかった。
*
「……っ、さ、さむっ」
階段を上りながらそんなことばを吐いていた。
でももう少しで温水が待っている。
それだけが今の俺の精神を隈無く支配する愛おしいこいねがいだった。
しかし、
「──ロゴス」
そんな声が聞こえて、縮まっていた体を少し張り、顔を上げて正面を見る。
☆
そこにはネラがいた。
どこか元気なさげな顔をして。
身軽な服装をして、その華奢で長い手足が露わだ。
真っ白な肌は雨夜の彩りを受けて、それを仄かに輝かしている。
お団子のように結い上げた金髪は微かに湿り気が見えて、ちょっと上気した頬とともに風呂上がりの直後だと知らせている。
彼女は俺のところへトコトコ歩いてきた。
すると、僅かな温もりとともに驚くほどいい香りが伝わる。
今の俺の体温とは真逆すぎて、敏感にその温度を意識してしまう。
「……ロゴス、やっと帰ってきぁ……」
なんかモジモジしているような動作だ。
いつもの陽気なネラの感じとはギャップを感じて、一層かわいらしいと思ってしまう。
──一瞬、彼女をギュッと抱きしめたい衝動に襲われる。
……もちろん、実行には移さない。
ほら、俺はチキンだから、そんなことは絶対しないって。
代りに口を開いた。
「まさか、今まで待ってたのかよ」
「……」
ネラはコクッと頷いた。
その表情は寂しそうで、また悲しそうでもある。
さっきグレイギルの報せを聞いた俺がそのままシェルズ・ヴィトルに走り出してから五時間以上は経っている。
待たせてしまったことに対して、心が申し訳なさで充溢するのを感じた。
「なんで、そんなことを」
ネラはすこし項垂れて、
「なんか……さっき走ってくロゴスの後ろ姿、もうここに帰ってこない人みたいだったから……うち、怖くなって」
そう言う。
その声音はとても弱々しかった。
「……そんなわけねぇだろ。なに言ってんだよ」
無愛想な言葉だった。
でも、思わず優しい声になってしまう。
「……」
ネラは顔を上げて俺を見る。
ファインオルド先生の時とは違って、彼女と向き合いになっていると自然と彼女から俺を少し見上げる姿勢になる。
彼女は一瞬ためらったが、右手を上げて俺の頬に当てた。
「……ネラ」
すると、先生とは比較にもならないほど温かい温度が伝わってくる。
単に俺が濡れ鼠の状態で、彼女が風呂上がりのせいかも知れないが。
それ温もりが俺を朦朧とさせた。
ネラは、
「ロゴス、だいじょうぶ?」
その目だ。
底のない井戸のように深く、美しい、青い瞳。
それには確かな慈しみと優しさと、そして憐れみが湛えられている。
溢れんばかりにウロウロしていて、俺をしっぽりにさせてしまうのだ。
☆
耳には雨音が響き続いている。
以外は俺たち二人の吐息しか聞こえない。
……いつの間にか、俺の左手は彼女の右手を握っていた。
「え、えっ?」
ネラは慌てた様子で顔を赤らめる。
こっちを見つめる瞳の瞬く速度が上がる。
その顔をじっと見据える。
彼女はまつ毛の先までも綺麗だった。
……その繊細な部分まで見えてしまうほど、俺たちの距離は近い。
「ろ、ロゴス……」
囁くように、俺の名前を読んでいる。
ふと思った。
彼女の口から紡がれる俺の名前は、こうも美しい響きと化す。
今まで何度も呪ってきたふざけた名前なのに。
自分が『ロゴス』であって良かった──そう、思ってしまうのだ。
「ネラ……っ」
俺の方からも彼女を呼ぶ。
うまく綺麗に言えなかったようで、くやしい。
「ソルダネラ」
俺の舌では『ソルダネラ』という美しさをちゃんと発し切れないのだ。
俺だけずっと得している気がして、もっと彼女に何かしないと駄目だと思ってしまう。
……俺たちは、もう互いに凭れ掛かっている。
俺の腕は彼女の背中を抱え、彼女の手は俺の胸元に乗せられた。
これからなにが起こるのか。
俺はその答えが分からなかった。
ただ、この熱気を離したくないと思った。
ネラが俺を見上げる。
もう少しで鼻先が会う距離まで近付いて。
彼女は、口を開いては──
「……ロゴス、鼻水出てるんだけど」
☆
「……え? ──ああっ!!」
俺は慌てて彼女から離れた。
深く考えず、袖で鼻のあたりを熱心に擦る。
「ちょっと、なにすんの? きったなっ!! あはははは! うけるんですけど!」
そのギャルさまは隣で驚いたように、からかうように、手で口元を隠し、笑い声を上げるのである。
……そうだな。こいつにはその顔が一番似合う。
でも、やっと夢は覚めた。
どうやら俺は疲労困憊していて、ちょっと変な感じになってしまったようだ。
「……はあ」
俺はなんか完全な脱力状態に陥ってしまい、ふかい溜息を漏らした。
忘れていた寒気が一気に寄せてくる。
「……もう、いいや。ネラ。俺はやく風呂入りたいんだけど、いいか?」
自分の玄関を指さして言う。
今日はさすがに疲れすぎたんだ。
もし話したいことがあるなら、明日に回して欲しいところだ。
「じゃ、また明日な」
俺は彼女の答えを待たずにドアを開けて、入ろうとする。
しかし、
「……ネラ?」
ネラのほうが俺の腕を掴めた。
力強くないけど、振り払えない何かを感じる。
「どうした?」
彼女を見ると、なぜかさっきよりもずっと顔が赤くなっている。
何を思っているのだろうか。
ネラは少しそっぽを向いて、
「ね、ロゴス」
「ん?」
「眠る前に、ちょっとだけ……ロゴスのとこで話してもいい? ほら、五月のように」
「……え?」
「ジャマだったら、やめる、ケド……」
「……」
☆
今それどころではないと、分かっている。
なのに、頭の隅っこから滲む色彩がある。
それは紛れもなく、青春色に近い、何かだった。
最近ちょっと各エピソードの温度差が激しすぎないかって思っていますが、まあネラちゃん曰く『世界は正面だけじゃない』ですからね。はい。惨たらしいことが起きる一方では甘酸っぱい愛の歌も奏でられているわけです。
リアクションや評価など、本当にありがとうございます!




