夢を見る街
深夜のイリスバラ、暴雨の中の街を一人あるく。
傘もなしに、ポケットに両手を入れて。
しきりに口汚い言葉をブツブツ言いながら。
「くそ、くそ、情ねぇヤツッ、……くそ」
その対象はもちろん、あの巨大なサザエの中に潜んだ臆病者、ブラチアリスだ。
あの元気なく平穏で、魚の腹のように蒼白な面構えを思い出す。
すると不愉快な怒りが自分の深くから湧き上がってくる。
何か罵言を吐かないと我慢できなくなってしまうのだ。
「人が、子供たちが死んだんだろ。なのにあんな戯言ばっか言いやがって。大人ぶって。つまんねぇ説教なんかしやがって。大バカが……チクショウ!」
……そんな間、気がついたらイリスバラ中心部まで来ていた。
街の中は閑散としていて、行き来する人影は少ない。
悪天候のせいなのか、それともグレイギルの物騒な事件の影響なのか。
雨は──まだまだ止みそうにない。
「いいかげん止まれよ。もう十分じゃねぇか。……ああ、天気までクッソみたいだな」
どうしようもないことをつぶやきながら、俺は少し目を上げる。
そして、街を囲う櫛比した建物を見る。
ここはイリスバラの他の区画よりもずっと高い建物が連なりを成している。
魔力を以て光らせたビルボードや窓の群衆からは灯りが漏れる。
ひょっとしたら、ここはイリスバラで最も現代的都市に近い外観を持っている所なのかも知れない。
と言っても、それは東京の感じよりはやはり西洋の面影が濃く、敢えて地球の都市で例えるなら昔の映像で見たマンハッタンに近いだろう。
グレイギルの古びた煉瓦街を見たあとだからか、コンクリートの摩天楼たちは一層強く現代的寂しさを含んでいるように見える。
雨に濡れると街は更に朧気になり、まるで都市全体が夢を見ているようだ。
良くも悪くも、イリスバラ中心部の雨風景は夢心地がするものだった。
こんな気分じゃなければ、そしてこんな濡れ鼠みたいな状態じゃなければ、うっとりとして眺めていたかも知れない。
──ふと、自分が家から遠くまで来てしまったということを実感する。
「……俺、なんでこんなとこをさまよっていたんだっけ」
異世界だの、預言だの、魔術だの、怪物だの。
全てがただ遥かの幻影みたいに感じられてしまう。
……どうやら、ひどく疲れているみたいだ。
今最も切に思うのは、早く帰って寝たいという願望である。
*
ちょうど路地と大通りが会うあたりまで来ていた。
その時──路地の奥の方へ視線を向けた。
特に理由などない。
すると、
「────」
気のせいだろうか。
一瞬、路地の向こうからぶきみな光沢が閃いたような。
「──ッ」
いや、間違いない。
あそこに何かが身を伏せて、俺に目を配っている。
明確には見えない。しかし、何かがあるということだけは分かる。
「……だれ、だよ?」
返事を期待せずに放った呼びかけだった。
しかし、
「────」
あっちから一度大きなうねりがあった。
それは、人間の身動きには見えなかった。
まるで大きな虫の体が刺激に反応して収縮したような、そんな異質的な感じだった。
「……はあ、はあ、はあ」
自分が怖気づいたことを理解した。
雨に濡れた顔の上から、自分の汗の熱が確かに伝わったのだ。
いつの間にか、ポケットのなかで力強く放出機を握っていた。
心の中には今まで何度も呪っていた、醜い鉄の塊だ。
なのに、こんな時にはこうも頼りになる。
それがとても不思議だった。
「……そうだ、装填、しないと」
俺はブラチアリスからもらった黒いボックスを開けて、中の真空管みたいな弾丸を出す。
上のボタンを押すと微細な針が出て、それを自分の右腕に差す。
弾丸の内容物が深い藍色に染まる。
それを確認して、弾を放出機のシリンダーへ入れる。
その動作は慣れすぎていた。
自分でもこんなになだらかに手さばきが回るのに驚いている。
しかし、そんなのはどうでもいい。
「──よし」
放出機を強く握って、路地の奥へ足を運ぶ。
相手が誰だろうが、俺の可能力『反転』の撹拌なら十分に制圧できるだろう。
「……俺が無力だって? そう言ったか? エェ?」
いつの間にか口元に気味の悪い笑みが浮かんだことを自覚した。
思い出した面影は、あのサザエの中から生えてきた蒼白な男。
「誰だろうが、この一発だけ当たれば……!」
妙な全能感に襲われる。
自分でも危うい領域へ踏み入った自覚はあったが、どうも抑えない。
「出て来いよ、コラ」
俺はその『何か』があると思われるところへ放出機を構える。
俺の人差指が引き金を伝った。
これでいつでも撃てるだろう。
いつでも、殺せるだろう──
*
しかし、その時。
大通りの方から眩しい灯りが点された。
「──ッッ」
そのあまりの強烈さに思わず手を上げて、光を防ごうとする。
その方向へ目をやり、何が起こったのかを理解しようとした。
真っ先に見えて来たのは、巨大なシルエットだ。
まるで巨人の群れのようで、十人以上の人たちがこっちへ近寄っているのが見える。
「な、なんだ──これ」
目が少しなれると、わかった。
それは巨人ではなく、巨大な甲冑を着た人の群れだった。
まるで元の世界の宇宙服のような──そう、昨日のパレードで見た横断幕の中の兵士の身なりのような、そんな鎧である。
「──ハレノ・ロゴス。あってるか?」
向こうからはそう問いかける。
俺はなるべく平静を装うとしながら、
「……そうなんだけど、これはなんの真似なんだ」
すると群れから一人がこっちへ近づく。
しかしまだまだ逆光が眩くて、その人の面はよくみえない。
「お前には、今からちょっと付き合ってもらうぜ」
そんなことを言う。
なぜだろうか、その声に聞き覚えのあるように感じるのは。
「……なんのために?」
俺は急な動作で放出機をポケットにしまいながら言う。
「言っとくが、俺は何も罪なんか犯してね──、ッ」
言い切れなく、淀む。
瞬時に頭に浮かび上がるのは確かな罪の記憶。
罪悪感が俺を黙らせたのだ。
「……ロゴスくん。これは君を咎めるためではないわ」
今度は甲冑の後ろから、確かに聞き覚えのある声が伝わってきた。
自信に満ちた透き通る美しい声。
それは──担任の、ファインオルド先生の声だ。
「……先生?」
呆気にとられて呼ぶと、彼女の方からこっちへ近づくのが見える。
「もう見つかったのだから良いでしょう! 照明を消して!」
ファインオルドが甲冑たちへ要請することが聞こえると、彼らが少々不満げにライトを消す動作をする。
すると、やっと目が元通りになった。
目先に見えたのは──
「……あんたは」
まず心配そうな顔のファインオルド先生がいる。
しかしその隣に立つ人の方がもっと視線を引いた。
それは刃刺の甲冑を鎧うた兵士である。
陰鬱な印象が濃い顔つきで、短い栗色の髪と赤い瞳を持つ。
──この前のパレードの日、路地で酔っ払って、ブラチアリスに理不尽な罵倒を浴びせていた刃刺の兵士だった。
自然と渋い顔になることを意識した。
「俺になんの用なんですか」
彼から顔を避けて、ファインオルド先生に聞く。
「おい、なに目ェ逸らしてんだ」
にやけながら、男は俺へ話しかける。
「お前と俺の間柄じゃねーかよ。なあ、正義感強いマジメ君?」
「……」
何も言わず、俺は奴を睨むだけだ。
ファインオルドは意外そうな顔で、
「先輩、彼のことを知っているんですか?」
男へそう問いかける。
「ああ、この前、ちょっとな」
「……どうやら、そんなに愉快な感じの絡み方ではなかったようだね」
ファインオルドは俺と彼の顔を順々に見ては言う。
そして、説明を始める。
「ロゴスくん。君も今度の事件のことは知っているわよね? グレイギルの孤児院のこと」
「……はい。それがなにか?」
「実はその真相について刃刺の団から手がかりを掴めたようで、学園と私への協調の要請があったわ。でも犯人の検挙のためには決定的に君の協力が要る。だから今まで探したのよ」
いまいち話の流れが分からない。
「……それは、犯人が分かったということですか? でもなんで学園と俺に協調を求める必要なんか?」
俺はそんなことを問う。
それに先に答えたのは男の方だった。
「お前の友だちが犯人だと思ってるからだ」
「──は?」
俺は目を見開いてファインオルドの方へ目を注ぐ。
「──ルィーゼ・プロチェラ」
彼女は深刻な顔で、
「私たちは彼女のことを、泥鬼ではないかと疑っているわ」
しかし、いっそ清々しいと思うほどに断固とした言い方で、言う。
……雨は、まだまだ止みそうにない。




