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大きく小さな貝殻



 日が完全に沈むと、雨は更に強くなった。


 雨音は激しい。

 だから常に窓を閉めているシェルズ・ヴィトルの中も、雨粒の騒音で満たされる。


「……」


 薄暗がりの室内で巨大なサザエの陰がよろめく。

 そこから出てきた蒼白な男の上半身は、本を読んでいる。


 シェルズ・ヴィトルの主、ブラチアリスである。


「……っ、はあ……」


 彼はしきりに小さな溜息を漏らしている。

 何か胸を塞ぐ憂いがあるらしく、書面に目を下ろしながらもその内容に集中しているようには見えない。


 そんな途中、


「────」


 雨粒の音の擾乱の間に、異音が混じった。

 蒼白な男もそれを確かに感じ取った。

 つられて、彼の視線は入口の方へ移る。


 しばらくして、


「────おっさん!!!」


 叫びに近い呼びかけと共に、扉が開かれた。


 敷居に立っているのは細長い印象の少年だ。

 黒髪に混じった青メッシュ、左目の目尻あたりに泣きぼくろが特徴的な、ここでは異質的な外見の男の子である。


 ──ハレノ・ロゴスだ。


 夜に近い時間に、しかもこの土砂降りの中で、グレイギルの隅っこのこのシェルズ・ヴィトルまで、何の用なのだろうか。

 傘も忘れずここまで走ってきたらしく、全身がびしょ濡れで、激しく息を切れている。


 ブラチアリスは口を開いて──





❖   ❖   ❖





「────おっさん!!!」


 シェルズ・ヴィトルに入った俺は絶叫に近い声を上げる。


 しかし、それを聞かされたブラチアリスの気配はやけに平穏に見える。


 彼は、


「……どうしたんだ?」


 落ち着いた声音でそんなことを俺に聞く。

 落ち着きすぎていて、前日の会合の時に比べると冷淡にさえ聞こえる。


 俺はそれに気づいたが、あえて触れなかった。

 それよりも重要なことがあったからだ。


「はあ、孤児院が襲われたって、聞いた、はあ、から……ッ、はあ、あ、あいつらは、……いざっ、イザベラと、はあ、エドガー、は……?」


 俺の声には息切れだけではなく、抑えきれない興奮が混じっている。

 同時に、最悪の予想を否定してくれて欲しい期待がある。


「死んだ」


 しかし、期待はそんな極めて明快な答えによって、極めて容易く挫けた。


 それだけ言って、ブラチアリスは書面の上に視線を戻す。


「────」


 しかし俺は、それだけ言われて満足することなど出来ない。

 俺は向こうのサザエの貝殻の方を瞠目した。


「『死んだ』ってなんだよ」


 声の震えが増していた。


「……それが真実だから、しょうがねぇんだろ」


「そんなこと、言ってんじゃ、ねぇ。クッソ、いったい、何がなんだか」


 頭の中がひどく混乱してしまった。

 濡れた自分の髪の毛を苛立たしげに乱す。


「せめて、状況の顛末を説明しろってんだよ! いきなり襲撃されて『死んだ』ってだけ言われたらだれが納得するんだ!」


「……」


 ブラチアリスはやっと読んでいた書籍を閉じて書机の上に置く。

 両手の指を交差させて、俺の方を直視する。


 そして、口を開いた。


「……昨夜、何者かがグレイギルに暴れ出した。それが何なのかは未だ不明だ。しかし何か恐ろしく破壊的なもので、奴はエドガーたちの住まいである孤児院を襲い、寝ていた子どもたちと職員一同を皆殺しにした」


 やはり怯みや迷いを感じない、機械じみた声である。

 ブラチアリスは話を継ぐ。


「のみならず、奴は被害者を食したみたいだ」


「──ショク、した……?」


 一瞬なにを言うのかが理解できず、狼狽した。


「つまり、食いちぎったということだ」


 俺は息を呑んだ。

 それに気づかなかったように、サザエの男は話を続く。


「私だって聞いた話にすぎねぇが、その……食事の、残骸が一所に汚く混合されすぎて、誰が誰なのかを見分けることにかなり困っている、とか。……だから厳密に言って、イザベラとエドガーがそこに含まれているのか否かは定かではない」


「……なんだよ、それ」


 軽く目まいを起こしたらしい。

 俺はいつの間にか何歩が後ずさって、壁に凭れ掛かていた。


「……誰が、そんなことを」


「今の段階で確言はねぇが──調査した人たちは『泥鬼(でいき)』が関わっていると見ているらしい」


 ブラチアリスを少し咳払いをして、


「もちろん、お前さんは遠くから来たから泥鬼が何なのかも分からねぇだろう。簡単に説明すると、人間に化けることができるが、実際の姿は恐ろしく、とんでもなく強い怪物だ。人や他の動物を襲うのが好きで、その過程で自分の使い魔を作り、侍らせる境遇もある……そんな化け物の名前が『泥鬼』だ」


 正直、説明の詳細はあまり頭に入らない。

 ただ特定のキーワードだけが耳に刺された。


『怪物』、『襲うのが好き』、『使い魔』、など。


 サザエの男の話は続く。


「どうやら、刃刺の奴らも出しゃばっているらしい」


「どういうことだ」


「決まってんだろ? どうにかその真相を暴いて、必ず犯人を罰するって言いやがるってことだよ」


 刃刺を口にした彼の口調にはやっと感情らしいものが沁み出ている。

 それは、紛れもなく疑心と皮肉だ。



*



「……」


 俺は壁に凭れたまま、天上を見上げていた。

 頭の中で情報の整理をしようとするが、絶えず湧いてくる衝動の抑制に精一杯だ。


 しかし、なんとか思考が収斂した一極点が存在する。


「おっさん、俺に『特撹弾(とくかくだん)』をくれ」


 そう、言い捨てた。


「──お前さん、なにを」


 彼は驚いた表情をする。

 そういえば、こっちの世界線では俺は『特撹弾』について知るよしもなかったんだっけ。


「……俺、ルバスに聞いたんだ。彼によれば俺の可能力は独特で、『特撹弾』を使うとかなりの威力を出せるはずだって」


「そんなことを聞くんじゃねぇ」


 ブラチアリスは上半身をこっちへ伸ばして、そう言う。


「あんな物騒なものをもらって、今から何をするつもりなのかを聞いてるんだ。まさかお前さん、バカなことを思っているんじゃないだろうな」


「……バカなことってなんだよ?」


 心の中では答えを予想していたが、しらばっくれてそんな質問をする。


「自分で直接犯人を探そう──とか、そんな類の考えのことだ」


 彼の口調も、視線も、いつものだらしないおじさんみたいな感じとは多少違う。

 それはまるで生徒を糺す先生みたいな。


「……だったらどうするんだよ」


 俺はつぶやくように言う。


「なにか言ったか?」


 聞き取れなかったブラチアリスは問い質した。

 雨音のせいだったかも知れない。

 でも俺は一気にウザい気持ちで胸がいっぱいになってしまう。


「……っ、俺からヤツを探そうって思ったら、それのどこがバカでおかしいって言うんだよ!」


「バカに決まってんだろ」


 しかし、ブラチアリスはきっぱりと断定する。


「危なすぎるし、お前さんには荷が重い。はっきり言って、お前さんには無理だろ。たとえ見つけたって、それからどうするんだよ? 相手は人喰いの化け物なんだ。変なことなど考えずに、お前さんの生活に集中すべきだ」


「……そんなの、知ってんだよ」


 荷が重たい。危なすぎる。無理だ。馬鹿だ。

 一々自分の無力を指摘されるみたいで、耳が痛い。


 俺が役立たずのガキということなど、とっくに分かっている。

 分かっているのに、改めて面と向かって聞かされると、わけの分からない怒りが腹からたぎってくるのだ。


 その怒りの矛先は、自然と眼の前の蒼白な男へ向けられる。

 今は、その貝殻に残された傷跡の一つさえも憎たらしく感じてしまう。


「……俺はとにかく、あんたはどうしたんだよ」


「私がなんだ?」


「あいつら、あの子供たち、あんたを先生として懐いてたんじゃねぇのかよ。あんな無邪気な子供たちが餌食になったのに、あんたは何もせずに引きこもって本だけ読んだらそれでいいのか?」


「……」


 俺の言葉には確かな敵愾心が込められていた。

 ブラチアリスからもそれを感じ取った。

 だから眉根が寄せられ、青白い眉間に皺が出来てしまう。


 しかし、それは長引かない。


「……私になにができるんだ?」


 彼がそんなことを言ったとき、皺は消えていた。


 俺はその様子に憤るよりも、訝るしかなかった。

 理解ができないのだ。


「あんたが、何ができるのかって? ……」


 いい言葉を探ろうと、少しだまった。

 俺はなんて言えばいいのだろうか。


「おっさんの知識の豊富さは、何も知らない俺だって分かる」


 まずは率直な感想から始まることにした。


「ただ何かを知ってるだけじゃなく、その知識に基づいて色んなモノを作れるだろ? 俺が言った『特撹弾』もあんたが作ったんだし、前日には本物の花とそっくりな造花だって咲かせただろ?

 しかもそれだけではなくて、貧しい子供たちのために無料で講義なんかもしてただろ。イザベラたちはあんたをいい先生だと思っていたし、先生としても十分有能だったじゃねぇか」


 変にも、それは俺から彼を褒めちぎる形となってしまう。

 しかし何も嘘などは言っていないはずだ。


「むしろあんたほど能が多い人を探す方が難しいだろ。なのに、自分が何ができるのかって? ……ふざけるなよ」


 言ってる途中、挫折感が込み上げてきた。


「あんたが何もできねぇってんなら、俺みたいな奴はマジで生まれたばかりの赤ん坊同然じゃねぇかよ……、ッ」


 俺は俯いて苦しい息を漏らす。


「……どうやら、ずいぶんと私を高く評価してくれたようだな」


 そんな言葉が聞こえて、俺は再度ブラチアリスの方を見上げた。

 俺から視線を避けて、書棚のどこかに目をやっている。

 ただ、その表情が微かに穏やかになったように見えるのは、俺の見間違いだろうか。


「でも、いくら小賢しい真似が出来ようと関係ない──私には何もできない。

 この世は子供だろうが誰だろうが、毎日人が死ぬ場所なんだ。もし運が悪くて死ぬようになったら、それは死ぬようになったんだ。それだけのことだ。この世はもともとそんな風になっている。私はそれにどうしようもできない。私は、世界を変えられない」



*



 宣言のあとは、重苦しい沈黙が訪れた。


「────」


 会話が途切れてから俺はやっと雨音の強さに気がづいた。


 雨は、いつ止むのだろうか。


「……『特撹弾』か。それが欲しければ、くれるぜ」


 ブラチアリスは言い捨てて、俺の顔に視線を向けた。

 そして移動する。


 地下室へ向かうのだと分かる。

 一瞬後を追うべきかためらったが、動く気力がなかった。

 だからただ棒立ちしているだけだった。


 しばらくして、彼は戻ってきた。

 貝殻の背中に付けられた二つの機械腕は、それぞれ黒色のボックスと、錆びた拳銃に似た道具を持っている。

 前回の世界線の記憶から分かる。前者が『特撹弾』で、後者がそれを撃つための『放出機』である。


「ほら、受け取れよ」


 ブラチアリスは機械腕を伸ばしてそれらを俺に渡した。

 右手で金属の拳銃──放出機を握って、その質感と重量を感じてみる。


「ッ」


 最後にこの武器を執った時の記憶がすこし蘇ってくる。

 幸い、手の震えまでは戻ってこなかった。


「その様子じゃ、どうやらルバスから放出機の使い方も聞いたようだな。そっちの説明はいらねぇことでいいんだな」


 サザエの男は話を継ぐ。


「それで、特撹弾のことだが、あいにく現在は一発しかねぇ。今はそれでなんとかしてみろ。……どうせそれだけじゃ何も大したことは出来ねぇだろうがな。お前さんの可能力がどんなものなのかは知らねぇが」


 ブラチアリスには俺を嘲弄する気などない。侮っているわけでもない。

 彼はただ、正確に見ただけだ。

 俺が何もできない、ただのちっぽけな坊やだって。


 でも、俺にはそれが気に入らなかった。

 いったい何がどんな風に気に入らなかったのかは、名状しがたい。


「──ッッ。チッ」


 ただそんな言葉にもならない音をうざったそうに吐いて、もらった物をポケットの中にしまう。


 巨大な貝殻の方へ背を向けて、俺は入口の扉を引き開けた。

 するとこの街を洪水にせんばかりに降り注ぐ雨の音が圧倒してくる。


 それっきりで、感謝の言葉もなしに、シェルズ・ヴィトルを去ろうとした。


 しかし、


「……ガキ」


 後ろから呼ばれて、少し振り向く。

 目の端っこに巨大なサザエの輪郭の一部が入ってきた。

 しかし、彼の表情までは見えない。


 ただ、彼がすこしためらっていることは分かった。


「あまり未来のことに期待を持たない方がいい」


 そんなことを言う。


「そして自分に世界が変えられると信じ込むのも、あまりよくない。お前さんの高い夢が、結局は自分自身を殺しに来るぞ。

 お前さんに本当に大事なことが何かを良く考えろ。そして、その一つだけに集中して、命をかけろ。その他は、どうせお前さんにはどうしようもできねぇから、捨てるか、無視するかで一貫しろ」


 彼の声はやけに弱々しく、そして卑屈に聞こえた。

 なぜだろうか。声音自体に別に変化はないと思うのだが。

 外の雨音がしたたか過ぎたせいかも知れない。


「それでやっても、その大事な一つさえも守れるかどうか分からないのが一人の人間ってもんだ。なのにどうやって、そんな小さい手のひらで世界を変えるっていうんだ? そんなの、不可能だ。そんなの、愚かさの極みにすぎねぇ……」


 俺はもう彼から視線を避けている。

 見るのは土砂降りの夜空だった。


「……おっさん、あんたにはガッカリしたぜ」


 できる限りはっきり言った。

 そして、内から湧き上がるこの憤怒を抑えて、落ち着いた声音を装って。


「俺はそんな老人くせぇ説教聞きにここに来たんじゃねぇんだよ。……加齢臭キツくて、もうここにはいたくねぇな。おっさんは一人でこんなとこで腐ってろよ。俺は、なんとかしてみるから」


 そこまで言って、シェルズ・ヴィトルの敷居を跨いだ。


 雨粒が顔面を叩くのを感じながら、俺はぼんやりと思った。


 ──もしかしたら、ここに来るのはこれで最後なのかも知れない。



*



 まだまだ、雨は止みそうにない。


 いつまで続くのだろうか。


 もうずいぶん長く続いたのに。



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