真と偽り
パレード当日から次の日。
相変わらずの学園生活が続く。
最後の授業の直前、俺は窓辺で外の景色を見つめていた。
今日は雨が降っている。
イリスバラで雨模様の空を見るのはこれで初めてだと思う。
ここに来てから二ヶ月ほどが過ぎたが、その間はずっと晴れやかな天気が続いたのだ。
「……そういえば、ニホンはそろそろ雨が頻繁になるころか」
イリスバラの気候はちょっと分からないものが多い。
同月の東京よりずっと涼しいので北ヨーロッパに比較したらいいのかと思うが、日照はまた多いのでそれともちょっと違う気がする。
「……」
俺はふと右の方へ視線を向ける。
そこには今日ずっと空いている席がある。
昨日転校してばかりで、いきなり俺と友人になりたいって宣言した少女、ルィーゼ・プロチェラの席だ。
彼女は学園に来て二日目から欠席をしたのである。
◇ ◇ ◇
授業が終り、俺はのんびりとした身動きで席から立ち上がった。
クリスの奴はすでに部活に行っている。
ネラはまたギャルたちとどこかへ遊びに行くらしい。
グロリアは……最近あまり接点がないのでよくわからないが、早めに教室から出ていった。
教室に残ってそぞろにしている奴など、俺以外に二、三人ぐらいしかいない。
雨粒の地面を叩く音を聞きながら、考えた。
「……さて、今日はどうするかな」
実は最近、放課後に音楽室へ赴くことが増えた。
そこに俺に馴染みの楽器、ピアノ・フォルテがあったからである。
都合よくも音楽室はいつも放課後の何時間ぐらいは開放になるようで、しかも訪れる人数は少なく、おかげで俺はピアノを弾ける時間を貰えたのだ。
「テムプス・ノヴムの生徒たちの間で音楽の人気がなくてよかった」
つぶやいて、今日も俺は音楽室へ行くことにした。
☆
音楽室へさしかかった俺は引き戸を開けて中に入る。
すると、
「──お前」
ここにいるとは全く思わなかった人と出会う。
──ルィーゼ・プロチェラだ。
彼女はピアノの側面でうずくまっている。
顔を腕の中に埋めているので面影は良く見えないが、間違いない。
俺はピアノの方へ近付きながら話しかける。
「……どうしたんだよ? 今日は来ないのかと思ったのに」
ピアノ椅子の方へ腰掛けた俺は答えを待ち、彼女の方をじっくり見つめた。
「……」
しかし、無反応である。
昨日シェルズ・ヴィトルの屋上でいきなり苦しい顔をした彼女のことを思い出した。
もしかしたら、まだ体調が優れないのかも知れない。
「もしかして、どこか体の調子悪いのか? だったら保健室でもいった方がいいだろ。こっちの保健室の先生の処方ってけっこう効くぞ──」
終止符を打てなかった。
「──ッ」
やがて上がったルィーゼの顔が、涙で濡れていたからだ。
涙が粒となり、赤い頬を伝っている。
口からはしゃっくりのような息をしきりに漏らしていて、なぜもっと早く気づかなかったのかおかしいくらいだ。
「……どうしたんだよ」
そう聞いた。
「わかんない」
「え?」
「アタシ、わかんないんだよ」
言いながら、彼女は自分の目元を乱暴に擦る。
「……なんで、アタシは生きてるの? なんでこんなことにならなきゃダメなの? なんでこんな気分になってしまうの? 何一つわかんないんだ。頭が謎々でいっぱいになって、それで、潰されそうで、だから……」
……変なことを言う。
そんなことをいきなり聞かされても、こまる。
俺は果たしてこれにどう応じたらいいのか。
戸惑った。
でもその言葉を聞き、その悲嘆を目撃して、明確になったことが一つだけある。
「……やっぱお前、俺と似てるよな」
「──へ?」
素っ頓狂な声を出して、ルィーゼは俺を見上げる。
涙は止まらない。が、意外の反応を聞かされたからか、悲しみから好奇心へとすこしだけ表情が変わったのが見える。
俺は、
「実は最近、俺もそんなことで頭が爆発しそうになったことがあったんだよな」
五月のあの忌々しい日を思い出して言う。
テムプス・ノヴムからきのこ雲が上がるのを目撃したあの日。
青春の舞台だった学園が死体の山と化したあの日。
俺が許されるはずのない罪を犯した、あの日。
俺は、全てがただ理不尽だと思った。
──なぜ俺にこんなことが起こるのだろうか?
その質問だけが繰り返して俺の思考を支配していた。
しかし、確実な理由など見つからずだ。
未だに手がかりさえも掴めない。
俺は眉根を寄せて、
「ぶっちゃけ、俺もその答えなど分かんねぇよ。正直、あと何十年生きてたって答えを見つける自信もねぇ。……でも」
俺はルィーゼのエメラルドの瞳を覗き込んだ。
……やっぱり、そこには俺と同じものが湛えられていると思う。
理解できない混沌と遭遇し、それにどうにか答えを見出そうとする、純粋な渇望が。
俺は微笑にもならないほどに曖昧に口角を上げて、
「この世のどこかで俺と同じ悩みをする人がいると知るのは、やっぱすごく安心するものだな」
真心からの感想だった。
「なーんか、俺の前に現れてくれてありがとう……って言うと、おかしいかな」
「……」
「もしお前さえよければ、これからは二人で一緒に悩んでみようぜ。そしてどっちかが先に答えを分かった日には、片方の人にもそれを教えてくれるんだ。いいと思わねぇか?」
「……なによ、それ」
ルィーゼはぼそっと呟き、うつむく。
彼女はもう泣き止んでいた。
☆
「そういえばお前、花が嫌いっていってたよな」
ふと思い出して、俺は言う。
「……」
ルィーゼはただこくっと小さくうなずくだけ。
「実は俺も同じなんだ。俺も春の花盛りなんか大っ嫌いでな」
なんでいきなりこんなことを言い出したのか、俺にも分からない。
別に彼女を慰めるとか、そんなつもりなどないと思う。
ただ思い出したことをお座なりに喋っているだけだ。
「でもなんでなのかはちょっと説明するのがムズいな。……強いて言うなら、ただ花は既に十分な人々に愛されている、と思うからかな? なのに人々はあの愛情過剰児に更に愛を注ごうとするんだよな。それを見ると、なんだか気に入らねぇんだよ」
俺はいつしかルィーゼから視線を避けて、眼の前のピアノを見ている。
記憶にないが、いつの間にか俺はそのカバーを開けたみたいで、揃った白黒の鍵盤が見える。
「もうとっくに愛で充満しているあいつらは、いわば肥満みたいなものだと思わねぇか? そこでわざと俺も混ざって愛を贈れても、百億兆の宝の山の上に一つの紅玉を投げることにすぎねぇと思うんだ。
だったら、俺はむしろまだ愛されていないものを探したい。だから、俺の故郷での話なんだけど、四月になると俺はわざと俯いて歩きたりしてたんだよな。それで道端の下水溝のマンホールなどに目をやったりしたんだぜ。周りが桜だのなんだのでぎゃあぎゃあしているのを無視してな」
……さすがに、喋り過ぎたかな。
自分でもそう思うが、なんだか口の制御が効かない。
そろそろこんなザレゴトを聞かされているルィーゼも呆れているのではないか。
「……なんだよ、それ」
ほらやっぱり。ドン引きしてるじゃん。
でも、もうルィーゼの目元から涙は流れない。
赤く腫れたあとは残っているが、それでも真ん中のエメラルドは輝かしさを取り戻している。
「ほんと、最悪な性格してるな、キミって。……クスッ」
あれ? 笑ってくれた。
愉快な語りではないと思ったんだが……呆れの笑いなのかな。
「でも、たしかになぁ」
彼女は目を瞑って、微笑みを浮かべて、
「アタシ、ロゴスが言ってること、大体わかるかも」
☆
「ほらよ、これでお前も分かったろ? 俺たち相当似てるって」
俺は自信に満ちた顔で言う。
「……なんかくやしいなあ。アタシって多分、ロゴスほど捻くれ者ではないと思うけど」
「いいかげん認めろよ。お前も俺の『同類』なんだぞ。陰の中に潜んで日向の中の奴らを妬む、陰気なヤツらってもんだぜ」
「ますます認めたくなくなる……」
ルィーゼはそういうが、その口角は少し上がっている。
それを見ると、俺もつられて和んだ顔になる。
俺は話を継いだ。
「で、世間でそんな似た者同士をどう呼ぶのか、知ってるか?」
「……なに?」
俺はちょっと間をおいて、
「友人に決まってんだろ」
笑ってみせた。
「お前、最初に言ったろ? 俺と友人になりたいって。その願い、すでに叶ってるぜ」
「……なに、それ」
ルィーゼはふたたび床に目を下ろして、つぶやくように言う。
でも彼女がまとう空気は間違いなくのどやかものを含んでいる。
音楽室へ入ったばかりのときの重たい悲しさとはまるで違う。
☆
しばらく俺たちは何も言わなかった。
外には雨が続く。
だから微かな雨音だけが音楽室を埋めている。
どうやら雨はますます強くなっているらしい。
傘は持ってきたけど、こんなにも激しくなると流石に靴とズボンは濡れることを覚悟するしかないだろうな。
「……ねえ、ロゴス」
ふと、ルィーゼが言いかける。
「なんだよ」
「……」
しかし、それっきりで、押し黙る。
何かを言いたいが、それを言って良いのかひどく迷っているように見える。
「別に、言いづらいなら言わないで大丈夫だよ」
そんなことを、俺は平常よりもずっと優しい口調で言った。
「友人でも隠し事ぐらいはあると思うから」
「……うん、そうだね」
彼女は一度深呼吸をする。
そして、話を継いだ。
「でも、これだけは聞かなきゃ」
何だろうか。そんなに必ず答えを聞かなければならない質問って。
ルィーゼは口を開いて、
「ロゴス。キミは──アタシの本当の姿を見ても、友人でいてくれるの?」
とてもつらい顔だった。
彼女の手先と肩が震えているのが分かる。
その真意を測りかねた。
だから、しばし沈黙を守る。
「……」
十秒以上も経ち、やがて口を開いた。
「難しい質問だな」
そう言う。
「そんなの、どう答えたら良いんだよ? ちょっと、俺には分かんねぇ。まず『本当の姿』というのがもし最初から友人にいられない存在という可能性だってあるだろ? ……たとえば、俺の故郷にこんな物語があるんだ」
俺はストスの親父の、数え切れない浮気物語の一つを思い出した。
「──ある神と人間が恋仲となった。しかしある日、人間が神へ、本当の姿を見せてくれと頼んだ。神は最初は断ったが、結局自分の姿を現した。しかしその途端、人間は神の超越的な姿に耐えきれず、死んでしまった……大まか、そんな感じなんだけど」
俺はちょっと顎を指でなぞりながら、
「極端な話だけど、何も知らない立場からはそういう可能性だってゼロじゃねぇって思うだろ? だから、その質問だけ聞いて断定することなど、出来ねぇと思うんだよな」
ここは論理的な言葉が一番いいと思った。
だからできる限り明確に、その質問への答え難さを名状しようとしたのだ。
「……そっか。最初から友人にいられない存在、ね」
しかし、その反応からしてルィーゼがそんな答えなど期待していなかったとすぐ分かる。
彼女の顔の陰りの色は前より濃くなっているのである。
「……でも、なんつーか」
そこで言い足そうとするのは、彼女の気を取り直したいと思っていったからではない。
ただ言いたいことがまだまだ残っていたから話を継いだまでだ。
「もしお前の言葉がお前の本質から直接漲ってきたものだとしたら、俺はきっとお前の本質が好きだ」
明言する。
「だって、俺って会ったばかりの人にはかなり遠慮しがちなんだよなぁ。でもお前とはこんなになんともなく会話していて、しかも俺はけっこう楽しいんだよ。もっと一緒にいたいと思うぐらい。
だから、俺はお前がたとえどんな姿形だったとしても、せめて友だちになりたいとは思ってたと思う。それが出来るか出来ないかは知らないけど」
「……」
言いながら、俺は彼女の顔を見ていなかった。
だから俺の言い足しが彼女をどんな気分にしたのかは知らない。
「……ふふふっ」
……その笑い声を聞くまえまでは。
だから、もうちょっと語る勇気が湧いた。
「そもそも、本当の姿とか、そういう言葉、俺は好きじゃねぇんだよな」
俺は言う。
「ある人に表と裏があっても、結局はその人という本質から芽生えてきた、いわば二つの枝なんだろ? だから表も裏も、結局源の色がベースになっているはずだし、だから『表』だけ見たとしても俺があの人の偽りだけを見たということにはならねぇんだし、それに『裏』だけ見たとしてもそれが本当ばかり見たということにはならねぇと思うんだよな」
「……そう、なのかな」
やっと彼女を見ると、ルィーゼは俺の弁論を聞いて釈然としない顔をするのである。
彼女はちょっとためらうように、
「でも、そんな場合もあるんじゃない? たとえば、外面はすっごくかわいいのに、内面がすっごく醜くて、表向きでは模範的な感じの人で羨望の的になるのに、裏では他人のことをいじめて楽しんでる女の子とか」
「物語に出てくるような、もはや原型的な『嫌な奴』だな」
俺は顎を掻きながらそう応じた。
「もしそんな人が実在したらどうなのって話なのっ」
「うーん、だったら、どれもあの人の真実ということなだけだろ」
「ロゴスはあんな子と友だちになりたいの?」
「いや、『すっごくかわいい子』なんか怖いし、まわりに居ると緊張するから友だちにはなりたくねぇだろ」
「そんな話じゃない!」
「……さぁなぁ。俺も知らねぇって。ははっ」
俺はなんか笑いだしてしまう。
こちらを怒った顔で見つめるルィーゼの顔なんか始めてだ。
……そういえば、こいつだって『すっごくかわいい子』なんだよな。
でもルィーゼと一緒にいると、別に緊張なんかしない。
なぜだろうか。
☆
それっきりで、会話はまた途切れた。
そろそろ終りかなって思った俺は、
「ルィーゼ。俺実はピアノを弾きたいんだけど、いいか?」
「……ピアノって、この木箱のこと?」
ピアノを『木箱』って呼ぶヤツなんか始めてみた。
でも、彼女のエメラルドの瞳が輝くのが見える。
どうやら興味があるらしい。
「……アタシ、ここで聞いていてもいい?」
そんなことを言い出す。
……どうやってここで『ダメだ』って言えるのだろう。
俺はただ小さく頷く。
「なんか、いきなりかしこまってない?」
ルィーゼはクスッとなる。
「別に気にする必要はないよ」
言い、ピアノからちょっと離れた、窓辺の椅子に座るのである。
……実のことを言うと、聞き手があるのはあまり好きじゃない。
ちょっと元の世界で複雑な事情があって、ピアノを弾く時にまわりに人がいる状況はどうも指が不自由になってしまうのだ。
でも、一人ぐらいなら、まだいい。
それに相手はルィーゼだから。
「……よし」
俺は演奏を始める。
☆
──『Liebestod』。
かの有名なヴァーグナーの楽劇、『トリスタンとイゾルデ』の最後を飾る曲だ。
俺は彼の作品の中でそれが一番すきで、元の世界で直接観覧したオペラの一つである。
ピアノのヴァージョンはリストが編曲したものが良く知られていて、俺の演奏もそれに基づいている。
もちろん、『ミッドナイト・ムード』の時と同じく、元通りにはならない。
楽譜を目にしたのはずっと前のことで、俺はあまり記憶力がよくなく、すでに多くを忘れているからだ。
だから、即興でごまかす、いわばデタラメの、ハレノ・ロゴスヴァージョンを奏でるのである。
……でも、なぜいきなりこの曲になったのだろう。
よく分からない。
ひょっとしたら、『本当の姿』というルィーゼの言葉につられたのかも知れない。
作中──トリスタンとイゾルデの愛は禁じられたもので、彼らの逢瀬は昼には決して叶わない。だから彼らは人目を避けて、夜の時にだけ出会える。
しかし彼らにとって、愛は真実だ。
だから、彼らにとって昼は愛という真を隠す虚像に満ちた偽りの時間であり、夜こそが真実が明かされる時なのである。
だが──『トリスタンとイゾルデ』は悲劇だ。彼らの愛はやがて悲しい結末を迎える。
常しえなる苦痛と化した彼らの渇望は、トリスタンを殺すこととなるのだ。
世界の息吹に混ぜられ、消えていく彼を見下して、イゾルデは変容する。
彼女が奏でる絶巓に達した歓びこそが、この歌なのである。
……『トリスタン』のリブレット、あるいは詩は、次の通りに終わる。
『……
溺れ、
沈み、
意識を失い──
最上の歓びよ!』
そのメロディーをなぞる俺の指も、同じ言葉を歌う。
そして、終わる。
☆
「……」
演奏に没頭しすぎて、気づかなかった。
ルィーゼは──いつの間にか、消えていた。
向こうの窓が開けられている。
そこから相変わらず雨音が聞こえてくる。
「……ルィーゼ」
いない人の名前をつぶやく。
なんだか、遠くへ行ってしまったようだ。
まるでこれ以上会えない人のようだ。
なぜだろうか。
ただ旋律に酔い、感傷的になりすぎただけなのか。
「……俺もそろそろ、帰らないと」
独り言をいい、立ち上がった。
そして音楽室を去る。
◇ ◇ ◇
アパートのロビーに入ったころ、
「ビッショビショじゃん……」
溜息を吐きながら足元を見下ろす。
下校中、ずっと傘を差してきたが、雨の勢いは強すぎた。
おかげで下半身の方を防ぎきれず、びしょ濡れになってしまったのである。
「この世界の洗濯機が有能でよかったわ」
イリスバラには冷蔵庫と同じく、各家庭に配られる魔力で作動する洗濯機が存在するのだ。
しかもそれは元の世界のものとは比較にもならないくらい便利なもので、繊維の種類とか、洗剤がどうとか構う必要が全くなく、ただ洗濯したいと思う衣類を入れて三十分ほど待つと乾燥までできる代物だったのである。
「はー、つかれた」
早くアパートに戻って風呂に入りたい。
熱い湯船のことを思うと気分がよくなり、俺は期待に満ちた心持ちで階段を上がるのである。
☆
しかし、
「……ネラ?」
廊下には彼女が立っていた。
「ロゴス!」
こっちを認めると、顔色が明るくなる。
もしかしてずっと待っていたのか?
俺が近づくも前に、俺のところまでパタパタと走ってくる。
間近まで来てはこっちの顔に目を注ぐ。
何か、彼女の碧眼をこんなに至近距離で見つめるのは久しぶりのような気がする。
「……どうしたんだよ。今日もどっかへ遊びに行ったんじゃなかったのか? 雨だから早く帰ってきたのかよ」
「ううん、そーじゃない」
ネラの表情は珍しくも真面目だ。
「実は全部取り消しになったよ。たぶん、これからしばらくはお出かけはできなさそーなの」
「なんで?」
「……ロゴス、まだ聞いてなかったんだ」
何を言おうとするのか。
俺にはちょっと分からない。
耳元には雨粒の音が絶えず聞こえてくる。
一層激しくなったようで、すぐとなりに居る人の声音さえも多くが潰されてしまう。
どしゃぶりに降り注いで、どうも止みそうにないのだ。
*
「街に、襲撃があったらしいよ」
「──襲撃……?」
ネラは頷いて、深刻な顔をする。
正直、そんな顔は彼女に似合わないと思う。
「グレイギルっていう、イリスバラでもちょっと貧しい人々が集まる街があるの。そこの孤児院が襲われて、子供がたくさん死んだらしいの」
「────」
貧民街グレイギル。
そこの孤児院。
そこが、襲撃された。
そこの子供たちがたくさん死んだ。
その情報を聞いて真っ先に俺の頭に浮かび上がったのは、
「……イザベラ。エドガー」
ある兄妹の名前だった。




