がーるずふぃーりんぐ
イリスバラの西部、ソルダネラのアパートが位置するウェスト・エンドにも夜闇が広がり始めた。
しかし西の果てにはまだ橙色の欠片が浮遊していて、そこから昼の残り香が伝わってくる。
「……ッ」
アパートの廊下、金髪のギャルが手すりに一人頬杖をついて下を眺めている。
隣には少々困ったような、微笑ましいような顔をして侍るメイドが一人。
──ソルダネラとルッセルである。
二人して何かを待っていることには間違いなさそうだ。
しかしソルダネラが不機嫌そうなのは何でであろうか。
それだけでなく、彼女はちょっと焦燥しているようにも見える。
そのきれいな指さきで自分の頬をつく動作の繰り返しからそれが垣間見えていた。
☆
「……おや、やっと見えましたよ」
目がいいルッセルが、ふと彼方を指差しながら言う。
「!!!」
するとソルダネラは手すりから身を伸ばして、そっちを見つめる。
その方角から現れたのは──多少疲れた様子のハレノ・ロゴスだ。
黒髪に混じった青のメッシュを風に靡かせて、彼は何かについて考え込んでいるらしい。
二人から見られていることなど、たぶん全然気付いていない。
彼を確かめたソルダネラは焦るように、
「──ルッセルさん、はやく!」
ルッセルの手を引いて自分のアパートの中に入る。
すると、しばらく廊下には静寂だけが残される。
やがてそれはある規則的な足音によって破られる。
ロゴスの足音だ。
「……」
階段から上がった来たロゴスは廊下へ足を運ぶ。
相変わらず何かを考え込んでいて、自分がどこへ赴くのかにはあまり考えていないらしい。
その歩みはただ惰性に頼っているようにみえる。
しかし、そんな彼の熟考も──
「──ねールッセルさん、それで、マジで楽しかったよね!」
そんな言葉とともに、やがては終わる。
閉ざされたばかりのソルダネラの玄関のドアが開かれたのである。
「──うわっ!」
いきなり目先まで近づいたドアの影によって、ロゴスは現実へ戻される。
幸い衝突までは至らなかったが、かなり危ないところで止まった。
ソルダネラからは彼を見て、驚いた表情を浮かべる。
「──あっ、ロゴス、来てたんだ」
「……ネラ。お前も、来てたんだな」
同じ言葉を交わして、二人は押し黙る。
ソルダネラの方はやや観察するような目で相手を見るが、ロゴスの方はまだ夢を見ているみたいな顔だ。
少女の方からは何かを言いたげな顔だが、先に喋りだすのを迷っているようである。
「な、ネラ」
やがてロゴスが話し出すと、
「──な、なに? なにか気になることでもあったわけ?」
なんだか期待いっぱいなようすで青い瞳を灯すソルダネラ。
ロゴスはそれに答えようと口を開く。
「やっぱ、『世界は正面だけじゃない』、よな」
「……へ?」
素っ頓狂な声を上げるギャル。
「いや、ほんとにお前の言ってることが正しかった、ってなっただけだよ。……いろいろ教えてくれてありがとうな」
「……うーん。どおいたしまして……?」
それをいうソルダネラはしかし、多少複雑な表情だった。
──自分の言葉に耳を傾けてくれたのは嬉しいけど、今はそれじゃない気がする。
彼女はしかたなく、言いたかった話題に自分から触れることにする。
「……で、今までどこにいたの?」
「あ、俺は街の中でちょっとな。パレードのところ、大通りにいてた。すぐ他のとこにいったけど」
ロゴスはちょっと言い淀んで、再度口を開く。
「……そういえば、お前も見たぞ。良かったな。クルクスといい感じだったじゃねぇかよ」
「──え、やだ、見ちゃったの? うそ、恥ずかしい!」
ソルダネラは照れくさそうにちょっと身をくねって頬に両手を当てる。
やや芝居臭い態度だったが、ロゴスはそれに気付いていないらしい。
さっきよりちょっと暗くなった顔で、彼は話を継ぐ。
「……あのアイス、酸っぱいヤツじゃなかったのかよ。どうしたんだ? 酸味は嫌いだったと思ったのにな」
「え、やば、それまで見ちゃった? もー噂とかされたらどーしよ!」
キャアキャアと、ソルダネラは騒がしくしながら、よく喋る。
「実はクルクスくんってかなり大人っぽい趣味でね? 甘い物あまり好きじゃなくて、酸っぱいものがいいっていうのよね。うち的には激甘のヤツにしたかってけど、なんかそーゆー流れになって『じゃ、うちもそれで!』って言い出しちゃってさー」
一度堰を切った言葉は止まるすべを知らず、ただ続く。
「嘘ついたみたいでちょっと悪かったけど、クルクスくんが『え、フォリアも酸っぱいの好きなんだ』って嬉しそうに笑ってくれたんだよねー! クルクスくんってたまにそんな表情するけど、マジで不意打ちすぎて心臓がやば──」
ふと、ソルダネラは口を閉じてしまった。
「……」
いつしかロゴスが自分ではなく、かなたの西を眺めていることに気がついたからだ。
つられて彼女もそっちを見ると、もう黄昏の跡すらなくなり、すっかり夜に近付いている。
「──」
ソルダネラは少年の顔を見る。
彼の湖みたいな褐色の瞳に、空の濃紺色が湛えられている。
普通はぎこちなく、真面目過ぎて、まさに少年って感じなのに。
こんな時はまるで思慮深い大人っぽい。
ついその横顔をずっと見ていたいと思ってしまう。
しかし、それをためらわせるのは、
──ロゴス、もしかしてマジで落ち込んじゃったの?
彼の深刻な表情を見てそんな心配をしてしまったからだ。
──もしかして、自分が出来心でやった芝居が逆効果を起こしてしまったのではないだろうか。
……自分はただ、あの転校生と彼のやり取りをみて、ついムカついたから……。
ちょっとしたドッキリみたいな、ただそんなことだったのに。
「……ね、ろ、ロゴス? だいじょ、ぶ……?」
すこし怯んだようすで、少女は彼に話しかける。
手もすこし上げられ、彼へ伸ばすのかいなかが決まっていないらしく、それは空中を迷っている。
ロゴスは、
「──な、ソルダネラ」
彼女があまり好まない呼び方をする。
いつもなら『ネラ』なのに。
きっと、なにか大事なことを言おうとするのだ。
それがわかって、少女は更に後込みしてしまう。
「は、はいっ」
これから聞かされることに怖気づく。同時に、好奇心が興る。
だからソルダネラはロゴスの口に目を注ぐのである。
すると少年は──
「──女の子って、何考えてんだろ」
そんなことを言い出した。
☆
「……はあああ????」
ソルダネラは瞬時に自分の顔が赤くなることを自覚した。
ここで怒ると、きっと美しい場面にはならないだろう。
けど、
「……うん? どうした? なんでお前そんなに赤くな──って、いって!!」
いきなりぽかぽかと目の前の少年を叩きはじめる。
ロゴスは自己防衛のために背を向けて、両手で頭を防ぐ。
それでもぽかぽかは止まらない。
「せっかく! ひとが! 心配!! してあげてる!! のに!! なのにっ!! に!! っっ!!!」
──ぽかぽか。
「いて! いってっ! なんでだよ!! ちょっ、待てって!」
──ぽかぽか。
……そんな風に、しばらく滑稽な劇が続いた。
☆
それが鎮まったころ。
なぜかロゴスは廊下の真ん中で正座をしている。
そして、そんな彼の前には暗黒微笑を浮かべて腕を組んだギャルさま。
彼女はロゴスを見下ろしている。
「……あの、ほんとすみませんでした。僕が悪かったです」
ロゴスはそんな謝りの言葉を口にする。
「あっそ? だったらなにを間違えたのか、自分の言葉で言ってみて?」
怖い微笑みのままで、そんなことを聞く。
「っ、そ、それは……あーと、なんか、うーん……」
口は開いたものの、何も適当なことが思い当たらない。
だから、
「え? 待てよ。マジでなんでなのかさっぱりわかんねぇ」
するとソルダネラは一歩前へ進む。
……まさかまたぽかぽかの続きをするつもりだろうか。
そう思い、ロゴスはふたたび防御をする準備をした。
しかし、
「……ロゴス、女の子の気もち、知りたいの?」
それを言う彼女の顔は、何だか寂しげだ。
しょぼんとしょげた表情で、視線もロゴスを直視せず、廊下の床のどこかを伝っている。
それを見つめるロゴスはますますわけが分からなくなってしまう。
──今日ずっとクルクスといい感じになって嬉しいんじゃなかったのかよ。
なんで今はあんな元気ない顔なんかするんだよ?
わけがわかんねぇ。
ソルダネラは言い続ける。
今度はほんの少しだけ口角を上げたままだ。
「ふっ、うちがなんで怒るのかも気づかないのに? そんなロゴスが女の子が何考えるのか、分かるはずないじゃん。ロゴスには百年は早いし」
「……」
返す言葉がなかったから、ロゴスは黙る。
ソルダネラは組んでいた腕を解いて、自分のアパートのドアの取っ手を握る。
すこしだけ止まっていたが、ふたたびロゴスの方へ振り向く。
「……転校生ちゃんとは、楽しかった?」
「……えっ」
答えを待たないで、彼女は中へ入る。
廊下にはロゴスだけが残された。
☆
「……やっぱり、何も聞こえねぇな」
ロゴスは下の灌木の群れを見つめて、つぶやく。
故郷なら虫の一匹や二匹は鳴いていたはずなのに。
ここは、何も聞こえない。
……聞かされる前までは気づかないものもある。
ロゴスはそれを、確かに知った。
本当に今更なんですけど、作品タイトルの『晴瞬』は『せいしゅん』って読みます。




