稟
エピソードタイトル:『稟』
──アタシはシェルズ・ヴィトルの屋上にて。
六月の昼間は長い。だからまだまだ外は明るい。
でもさすがに日は西へ傾き始めた。もうちょっとで黄昏になるってわかる。
「──」
……遠くからはいまだに凱旋の熱気が伝わる。
こだまとなったそれは、とても曖昧な音色をしている。
「おねえちゃん」
ふと、イザベラちゃんがアタシへ話しかけてきた。
「おねえちゃんとおにいちゃんは、どういうかんけーなの?」
彼女は純真な瞳でそんなことを聞く。
兄のエドガーくんもそれが気になるのか、ツツジ色の視線をこっちへ注いだ。
「……うーん」
問われたアタシは少し考えた。
答えはすぐ浮かんできた。
「──友人、だよ」
「ゆうじん……」
しかし少女は小首をかしげる。
「でもおねえちゃんはおにいちゃんがすきなんだね?」
「うん、だいすき」
即答だった。
まるで強烈な日差しを見て虹彩が縮まるような、一滴の思考もない反応だった。
「……実は、『すき』だけではおさまんないくらい、なの」
アタシは独り言のように言う。
「アタシのここ、中から何か、みなぎるの」
自分の胸をさすりながら話を繋いだ。
「大きな穴ができたみたいで、何かが上がってくるの。アタシのちっちゃい胸なんかすぐ満たして、爆ぜそうになるの。こんなに強いものってこの世に他にないって思うくらい。だから、ここから生まれるコレって、『すき』だけでは言い切れない感じがするの。
……でも、それじゃ、なんてよべばいいんだろ? 『愛』? 『熱望』? 『渇き』? ……んんっ、どれもあまりぴったりしないかも」
それを聞いた子供たちは、ぼーっとした顔でこちらを見上げる。
まるでフクロウの赤ちゃんみたいで、かわいい。
……でもアタシ、喋りすぎたのかな?
この子たちはきっと、アタシが何を言ってるのかわからないはずだよね。
だって、こんなに小さな子たちだから。
アタシよりは長く生きただろうけど。
「おねえちゃん。そのキモチ、おにいちゃんにはつたえたの?」
イザベラちゃんが目をパチパチしながら問う。
「ううん、まだだよ」
「じゃ、わたしたちがつたえてあげようかな?」
「えっ」
「だって、おねえちゃんの言ってること、きれいだから。伝えないまま、うちにたまったままだと、もったいないとおもうの!」
そんなことをいうので、さすがのアタシもちょっと赤面してしまった。
「ダメ、だよ……。いくらイザベラちゃんみたいなかわいい子の口からでも、それはダメなの。アタシの大事なことだから。アタシが直接、自分でちゃんと伝えないと」
それを聞かされ、兄妹は押し黙る。
だが、今までずっと何も言わずにいたエドガーが口を開いて、
「あの人、そんなに愛されているんだ」
ぼそっと言うのである。
「……幸せものだね」
☆
北からさわやかな風が吹いてくる。
だんだん色変わりをする空の下。
煉瓦の屋根たちもそれに合わせて着替える。
周りには純粋な笑顔が二人も。
遠くからは残響となったどよめきが。
全ての線がほのぼのとした平和を描いている、そんな風景だった。
なにも道を誤るはずのない、完璧な午後に見えた。
しかし。
❖ ❖ ❖
────トクン。
「────ハァ、ッ」
息を呑んだ。
全身が熱い。
心臓から滲んだ草いきれのような熱気がアタシの全身に塗りたくられる。
倒れそうになり、胸を強く抑えて前かがみになる。
「──おねえちゃん! だいじょうぶなの──」
「──どうしてしまったの! ねぇ、しっかりして──」
遠くからそんなことが聞こえる。
間近で鳴り響いている声音のはずなのに、ふしぎね。
*
かわりに、強く聞こえる声がある。
──私の娘。
媚びるような甘ったるい女の声。
しんみりした声音なのに、まるで嬌声のように艶めかしく、いやらしい。
──私のかわいい娘。
「……かあさん?」
──はい、私はここに。
その声はアタシに言い続ける。
甘いのに、底に内包された冷酷な意志を感じる。
そんな声だった。
──……娘よ。もうすぐ時間ですよ。西の方角の色合いが見えますか?
つられて、アタシはようやく茜いろになろうとする空に気づいた。
自然と眉根を寄せてしまう。
──もうすぐ、この街に夜が訪れましょう。
夜。
あまり好きじゃない、陰鬱な時間。
でも本能的にわかる。
それが昼よりもずっと、自分の天稟に近いって。
──そうです。私が貴女へ植え込んだ泥の稟。夜になるとそれは完全に開花するでしょう。貴女は肉を欲し、血を吸い取る獣と化するのですよ……。
心なしか、かあさんの声には笑みが湛えられたような。
──泥土をその身受け容れた貴女が、最も生に近くなる時間──昼の虚像が消えて、貴女の真実が隠れを消す時間です。娘の絶巓に達した美しさがすぐに見られる。母として、どうやって喜ばずにいられるでしょうか?
──だから私は今、笑っているのです、ふふふ……。
しかしかあさんの笑顔を見て、アタシはぶっ叩かれるような妙な胸騒ぎがするのを感じた。
「で、でも、今はまだダメなの!! まだ、ロゴスとの時間で!! かあさん、アタシの愛を成就させると約束したじゃん!!」
──そうです。そのために貴女へ、彼と交えるような姿を与えました。そして泥に触れることにより、愛の最も重要な性質である、燃えて焼かれて燃えさしへとなっていくその渇望も強化されました。それでも足りないというのでしょうか? ふふふ……私の娘は、かなり欲深いのですね。
「で、でも……」
口ごもるしかなかった。
実際、アタシはかあさんに計り知れないほどの御恩を受けている。
しかし、かあさんはそこで黙ったりはしない。
──ああ、早く私の娘の本当の姿が見たいですね……。貴女だって開花の時を待ちわびているのでしょう? ……だったら、
かあさんは手招きをする。
──貴女が欲しいというなら、今からでも、ほんの少しだけ稟を発現させることも出来ます。
「えっ、ダメっ! ま、待って──」
残酷なかあさんは、指を下ろした。
*
「はっ、あ、ああああ……、アアァッッ!!」
いきなり訪れたのは激痛だ。
心臓から広がる熱気が耐え難い痛みに変るのを感じる。
たとえば、それを『渇き』と称すなら──
「──」
アタシは周りを見る。
「……おねえちゃん?」
純真無垢なツツジ色の瞳がアタシを見返す。
──アレは『渇き』を癒せる湑みだろう。
白くて、柔肌で、そして幼い肉。
とても甘くて瑞々しい、ニク。
そういえば、アタシはそのニクの名前を聞いた。
今までそれと話し合いながら、少しは愛情を感じていたはずだ。
なのに、なぜだろう。
今はどうでもよくなってしまう。
ただ想像するのは、その肉汁が舌先に触れるとき脳天を衝くはずの快感と美味だけ。
アタシは──いや、我は、ニクへ手を伸ばした。
「──イザベラ!」
しかし、届かず。
見ると、後ろにいたもう一つのニクがそれを引っ張ったのである。
……なんだ、お前は。
とても、ジャマだ。
「おねえちゃん、どうしたのよ! なにか顔色が変だよ!」
二つのニクは一所に絡み合い、互いを抱き寄せている。
大きいニクは我の顔を見上げて、恐怖に支配されながらも、小さいニクを離そうとしない。
「……じゃあ、お前から食す」
ジャマを入れるなら、しかたがない。
大きい方から食べることを決めた。
きっと、アレは小さい方よりはちょっと硬いだろう。
それでも、全然おいしく食べれそうだ。
とくに首のあたりに──ああ、あの真っ白なところ。
歯で噛みちぎったら、きっと真っ赤な色で滲む。
その液体でこの渇きを鎮ませるのだ。
ああ、そう。
この渇き。
胸が引っ裂かれそうな、苦しくめくるめく、ワダカマリ。
それを癒すために、我は生きているんだ。
生きていることを赦されたのだ。
だから、アタシ、いや、我? は今から、あのニクを、噛みちぎるのだ。
「──いただきまぁす」
口を大きく開いた。
そして、
*
「──ルィーゼ?」
瞬間、止まってしまう。
その声を聞いたとたん、狂いそうに我を駆り立てた渇きはやり場を失う。
しかし、消えたのではなく──再構築された。
新しい的を探したのだ。
一点に収斂して集中する方向は、ニクの方ではなく、今ここに現れたあの黒髪の少年へと。
──ロゴスへと。
「──」
彼の目が我──アタシに注がれる。
それには疑念と怪訝と、そして僅かながら、恐怖が含まれている。
それがたまらなく苦しかった。
「ッッッ」
アタシは胸を抑えて、うずくまってしまう。
「おい! どうしたんだよ、お前! どっか痛めたのか?!」
彼が近づく音が聞こえる。
「──ダメッッ!!」
アタシは必死になってそんな声をあげる。
「……今は、触れないで……」
顔を上げた。
すると──
ああ、愛しい人の顔。
アタシに世界を贈れた人の顔だ。
まるで何もかも暗かったここを晴れやかにする、一条の光のような。
「今触れると、きっとアタシは、キミを──」
「──」
彼は言葉もない顔で、ただ呆然とこちらを見つめている。
でもどうにかしてくれようと必死に頭を回しているのが分かる。
……ああ、その顔、好き。
ふと、視線の端っこに滲む色彩がある。
橙色……。
「──ッッ」
もうその場に居続けるのはできないと分かった。
だから、アタシは跳ね上がる。
出せる力を出し切るつもりで、ジャンプする。
「────」
とても容易くアタシの体は宙を舞う。
きっと彼らは目線ですら追いつけないスピードで、アタシは他の建物の屋上まで移動した。
でも、まだ近い。
アタシはもう一度跳ね上がる。
もう一度。
もう一度。
もう一度。
そして、もう一度……。
*
気がつくと、路地裏に一人だけ。
「はぁ、はぁ、は──」
陰影の下で見上げる空は、すでに紫色が広がっている。
もうすぐで、日が沈む。
もうすぐで、夜が訪れる。
もうすぐで──真実が明かされる。
だから夜闇は本当を隠すまやかしではない。
むしろ、それは隠されたものを現す、真だけの、恣の、舞台。
「──狩りをしないと」
その告げが我の真実だ。
それだけが我の稟の本質なのだ。
我は抑えきれない興奮に包まれる。
胸元を激しく掴んで離さないのは、
これから味わう獲物に対する強烈な期待だ。
ふと思い出す。
屋上でも見たあの柔らかいニク。
「──」
いつの間にか、唇を涎で濡らしていた。
そのモノを口に入れた時のことを、再び想像したのだ。
ああ、ガマンできない。
この渇きを癒せないと。
我は飛び出した。
紫はやがて濃紺を含んだ夜の彩りとなろうとする。
「これが、我の──稟」
◇ ◇ ◇
二時間ほど前。
◇ ◇ ◇
「ある日、守護卿ケルメスは宣うた──イリスバラの全ての生き物は人間と化するべき、と」
ブラチアリスはそう言い出した。
「それはつまり人外の生物へ強制的に人間化をさせ、人間に似た形への変形を催促することだ。それが猫であれ、鳥であれ、魚であれ、虫であれ、植物であれ、精霊であれ、同じくな」
「──な」
俺は、単純に驚愕した。
「……そんなことが、できるのか?」
「できるぜ。技術的で為し得るか否かを言ったら、断然として可能だよ」
ブラチアリスは細かいことをちょっと思い出そうとするのか、右手で顎を掻く。
「たしか、『人間化』の魔術自体は既に大昔からあった。それは救済教が大陸に広がり始めたころのことで、教会が人間を万物の霊長としてはっきり規定してからだ。彼らは人間原型説、つまり全生物の原型は人間であり、それから分派して今の種々が出来たという思想を立てて、それから『人稟』を作り上げた。
それはいわば人間たるものの必要条件であり、そしてそれを基にした人間たるものの強い指向性を記述したものである」
ブラチアリスは少し不気味な微笑を浮かべた。
「しかしこの教会の奴らはかなり面白いいたずらがすきでな、そこから人稟を無理やり人外に植え込んで、彼らを人間化させる奇っ怪な技を作ったんだ。これが『人間化催促』で、守護卿はこれに着目した。結果、『催促』の技術は『人間化の号令』で万遍なく使われた。
でも教会の奴らもこんなに大規模で一斉に行われることは想定しなかったんだよな。それが出来たのは、あくまでも刃刺の工学的技術のお陰だったというべきだろうな」
彼の説明は続く。
「その計画は、実は完遂にまでは至っていねぇ。たとえば下水溝にはびこる害虫とか、空気中に遍在する精霊とか、そういう類にまで人間化が進むには……少なくともあと何十年はかかるだろうな」
「……」
俺は思い込んだ。
再び思い及んだのは、先日、ネラとの思い出の緑色ゾーン。
つまりあそこはイリスバラの中、植物のディアスポラだったというのか。
ただの公園だと思った場所にそんな裏事情があったとは。
「じゃ、街のなかで見られる街路樹は?」
そんなことを聞いた。
「それは全て人工の飾り物だ」
「食べ物は? 食材はどうなってんだよ?」
「それも都市内部から生産される場合、全部人工だ。まあ、動物を屠殺しなくてもいいのは、一部の人には吉報に聞こえるかも知れねぇけど」
☆
……驚いた。
今までなんとも思っていなかった都市が、そんな裏側を持っていると。
ただ美しく整わった所だと思ったイリスバラがそんな事情を持っていると。
そういえば──この世界に来てから鳥を一匹も見てなかったことに気がついた。
見るどころか、さえずりも聞いたことがない。
それも全部わけがあったというのか。
五月、ラムポートとの騒ぎのあと、保健室でネラと約束を交わしたとき、窓の外からふんわりと花の香気がしたことを覚える。
それも全部、今シェルズ・ヴィトルの一隅から香りを放つあの花たちのように、人工のものから伝わったものというのか。
結局、この都市を埋めるのは人間と人間の形を強いられた者たちということか。
原型を維持できたのは、ただ僅かな精霊と──前日、俺が道端で見つけた、ゴキブリの類だけ。
……イリスバラの輝かしい外見を最初に見たときには、こんなことなど想像も出来なかった。
『世界は正面だけじゃない!』
──そうだな。
ネラ、俺はお前の言葉をまだまだ全然重んじていなかったらしい。
お前は本当に、正しかったんだ。
*
そんな時だった。
「──イザベラ!!」
屋上から大声がした。
俺は見上げた。
「子供たち──ルィーゼ!!」
呟きながら、俺は階段を登っていった。
そして屋上にさしかかる。
見つけたのは、奇妙な光景。
子供たちは一所に抱き合っている。
そっちへ、ルィーゼが手を伸ばしている。
しかし、彼女の気配はどうもおかしい。
今まであんなに感情豊かな少女だったのに。
今はまるで別人みたいに、ただ何か腸からの欲望を満たすことを望む、そう、虫けらみたいに──
「──ルィーゼ?」
すると彼女がこっちへ振り向いた。
「──」
一瞬、彼女と目が合った。
するとあの好奇心に満ちていたエメラルドが消失されたことに気づいた。
かわりにそこにあったのは、不気味に対象を認識する対の濁った眼球だけ。
それは海水の中で見つめた大魚の目玉みたいだ。
そこに宿っていたのはただ、強い食欲だけだ。
なんとなくそれが分かった。
「ッッッ」
しかし彼女はすぐうずくまってしまう。
「おい! どうしたんだよ、お前! どっか痛めたのか?!」
俺は急いで近付いたが、
「──ダメッッ!!」
ピタッと止まってしまう。
彼女は明らかに俺を拒否している。
「……今は、触れないで……」
ルィーゼが顔を上げる。
すると、俺は安心してしまった。
そこには輝くエメラルドが戻っていた。
いかし、それが写すのは好奇心ではなく、深い悲しみだ。
「今触れると、きっとアタシは、キミを──」
「……」
彼女が何を言ってるのか、わかりかねた。
そしてなんでそんなに苦しそうな顔をするのかも、分からない。
ただ、何か俺が出来ることはないか。
それだけを頭の中で必死になって探していた。
ルィーゼが苦痛に苛まれているのなら、俺がなんとかしてあげたい。
あの恐ろしい身悶えを鎮ませてやりたい。
しかし、どうやって?
意図だけが螺旋をえがき、その術がわからず、立ち尽くすしかなかった。
「──ッッ」
ルィーゼがもう一度苦しい息をしたと思った次の瞬間、
「──」
彼女は力強くジャンプした。
──とんでもない脚力だった。
常人のそれじゃないと、瞬時にわかる。
「なにを──」
そう、問おうとした。
しかし、できず。
気がつくと、彼女は消えている。
屋上に残ったのはただ混乱した俺と、エルフ兄妹だけ。
「──どうしたんだ? え? あの嬢ちゃんはどこ行った?」
遅くして登場したブラチアリスがそんな声を出す。
しかし、見ていた俺たちだって答えるすべがなかった。
彼女はただ街の彼方へ消えていた。
「……」
西の方角を見ると、いよいよ日が沈み始めるようだ。
茜と橙が合わせられた、イリスバラ黄昏の景色は間違いなく美しい。
しかし、なぜだろう。
俺はその風景にあまり興が乗らなかった。
すでにイリスバラの裏を目撃したからかも知れない。
「……女の子って、なに考えてんだろ?」
ふと、そんなことをつぶやいた。
今の俺には、それが世界の最も不可解な秘密のように思われた。




