そのアイスは、永遠に食べれない
「ロゴスー、どこいったのー」
路地の沈黙を破ったのは呑気で溌溂な声音だった。
「……って、あれ?」
現れたのは目を見開いたピンク色の髪の少女、ルィーゼである。
両手にはそれぞれかさばったアイスを持っている。
「……これって、どおゆう状況?」
彼女は路地のあちこちへエメラルド色の目を回せる。
俺が意外だったのは、彼女がブラチアリスを目にした時の反応だった。
常人なら誰しもびっくりするのが当然のはずの彼の外見を見ても、別段驚いた反応は示さないのである。
自然と彼女の視線は地面に倒されたままのエルフ耳の少年をすぎて、そして最後にそのとなりの少女へ至る。
すると、突然その女の子の目元にはじわりと涙が溜まる。
「ううっ、う……」
「え──」
やっとルィーゼは驚いた顔になった。
さっきよりもずっと大きくなった瞳で、泣き出した子供を見下ろしている。
彼女にとっては巨大なサザエから出たハゲのおじさんよりも泣き出そうとする子供のほうがずっと驚きに値するものだったらしい。
「ぐすん、ひっ、うっ、っぐ」
やがて少女は本格的に涙を流し始める。
するとその尖った耳は赤くなり、その先も微かに震えるのが見える。
それを見たとなりの少年は立ち上がる。
「イザベラ、大丈夫だよ。僕もせんせーも平気だから。わるい奴らはもうなくなったから」
少年はそう言いながらイザベラと呼んだ子を抱き込む。
すると少女は何も言わず、少年の小さな胸元に顔を埋めるのである。
「……あ、なんていうか……」
俺はどうにか二人を慰めたいと思い、言い出した。
が、何を言ったらいいのかが良くわからず、ちょっと淀む。
「イザベラと、あーと、お前はなんて名前なんだ?」
少年に向けた質問である。
「僕はエドガーっていうの。イザベラのお兄ちゃんなんだ」
彼はまるっこい目でこちらを見上げる。
すると大きいツツジ色の瞳が俺の輪郭を反射するのが見えた。
その目から気づいたのは、彼があまり動じていないことだ。
大人との対峙を経験したばかりなのに、小さい子供にしてかなりの勇み肌である。
「そうか。イザベラとエドガーか。仲良しの兄妹だな」
途中、ふと俺の目はルィーゼが持ってきた高々なるアイスに止まった。
「──それで、なんかいきなりだけど、お前らアイス食べたくねぇか?」
「……アイス? いいの?」
子供たちの目が輝きだした。
イザベラの方は泣き止んだりはしなかったが、お兄ちゃんの胸から顔を上げて興味深そうに俺の方を見る。
正解だったと分かった俺は安心して、くすっと笑った。
「もちろんいいぜ。……ルィーゼ、すまないけど、それ、よこしてくれ」
「えーっ」
彼女はどうも気が向かないような顔で不満を表する。
まあ、二十分も待ってやっと買ってきたものだから、拍子抜けになるのも理解はできる。
「ごめんごめん。今度もっとうまいもん買って上げるから」
俺のなだめる言葉にルィーゼはきれいな瞳を何度か瞬いた。
「……絶対だよ?」
すると彼女はアイスを持って子供たちへ近づく。
「ほら」
するとエドガーとイザベラはそれを受け取る。
いつの間にか妹の方は泣き止んでいた。
彼女は涙で濡れた顔で笑ってみせる。
「ありがと、おにいちゃん! ぐすん、そして、ええと、おねえちゃん!」
そのかわいらしい感謝に俺は笑顔で応じたが、ルィーゼは無反応だった。
あれ、もしかして本気で落胆しているのか?
俺は彼女の横顔に目をやった。
「……」
しかしそんな様子は見えない。
ルィーゼは単純に無表情を貫いているだけだ。
……こいつ、もしかして良く笑うのは俺に向かってだけなのかも知れない。
俺は彼女の方へちょっとかがんで、
「……こんな時は微笑みながら『どういたしまして』、って言ったら安直だぞ」
そう囁いた。
まさか俺みたいな奴が社交辞令のやり方を他人に教える日が来るとはな。社交辞令と呼べるほどでもないんだけど。
するとルィーゼは、
「……あっ、そうなんだ。知らなかった」
まるで一般人が知るはずがない豆知識を聞かされた人のような反応をするのである。
そして、ちょっとタイミングを逃したが、彼女は口を開いて、
「──『どういたしまして』」
ちゃんと自分の口で言い、笑顔を見せる。
それを見たイザベラはさっきまで泣いていたのが嘘みたいに綻んだ顔をして、
「……おねえちゃん、わらうと、てんしみたいにきれいなんだね!」
そんなことを言うが、イザベラ自分から既に天使みたいにかわいい。
でも尖った耳と昆虫みたいな羽が相まって、天使っていうよりは、正確には妖精さんに近いかな。
一方のルィーゼは、どうやら褒め言葉だけは確かに通じたらしく、表情がますます明るくするのである。
「──ふふっ、ありがと! アナタも最っ高にかわいいわ!」
そう言い、彼女は近付いて両手でイザベラの頬と髪あたりをわしゃわしゃとする。
「あははは、くすぐったいよ」
それはかなり微笑ましいワンシーンだが──早く食べないと、そろそろアイスが溶けそうで不安になる。
「ねね、ロゴス、どお?」
いきなり話しかけられて、俺は目を見開いた。
「アタシ、雑誌? で見たの。この街でいちばんきれーな人はヤクシャさんになるんでしょ? イザベラとアタシ、最強のかわいいコンビでスターになれそうじゃない?」
……正直、それはポテンシャルあるかも、って思う。
でも今はそれどころじゃないんだ。
「……お前、髪の毛にアイスクリームついてんぞ」
「え? ああーッ!」
俺の言葉でやっと気がついた彼女は大慌てで後込みする。
しかし、アイスの色と髪の色が似ているので、どこについたのかがちょっと見分けできないのである。
「ぷっ、はは」
「ははは」
綺麗だが滑稽な、このピンク髪少女の行動を見て、推定エルフ兄妹は笑い出すのである。
……何分前までは深刻で辛い雰囲気だったのに、いつの間にか路地はほのぼのとした空気になっていた。
俺は胸を撫で下ろしながら、この場にルィーゼがいてくれてよかったと思うのである。
☆
「ありがとうな、ガキ」
いきなりブラチアリスからそんなことを言われた。
それを聞くと、なぜか俺は暗い顔になってしまう。
「……別に。俺、なにもしてねぇよ」
「それでも、な」
おっさんは苦笑いをしてみせる。
そういえば、彼の微笑を見るのはこれで初めてだ。
前回の世界線ではあまり笑うところのない会合だったからな。
ブラチアリスは話を継ぐ。
「な、ここでいつまで立ちん坊もあれだろ。それに正直、私はもう大通り近くにはいたくねぇんだよな。だから私は研究所へ戻るんだけど、どうだ? お前さんたちも来るか? お茶ぐらいなら出すぞ」
……『研究所』、な。
そういえばルバスが彼の居場所を『店』と呼んだとき、ブラチアリスはそれにかなりの反感を示していた。
「……それはシェルズ・ヴィトルのことなんだよな?」
「なんだ、もう知ってるのかよ」
彼は若干驚いた様子である。
そして疑り深い顔で、
「……ルバスの奴、なにか変なこと喋ったりはしねぇよな」
そう聞くのである。
多分、あの地下室に山積みになっていた胡散臭い品物あたりのことを気にしているんだろう。
「心配しなくても大丈夫だぞ。……俺とルバスは仲がいいから」
「返事になってねぇし、かえって不安になるんだが……」
ブラチアリスは咳払いをして、
「まあいい。とにかくいくぞ。私についてこい」
すると彼の機械脚が昆虫のような動きで歩き出す。
しかし、そっちは路地のもっと奥のところである。
どうやってあそこから貧民街の隅っこにあるシェルズ・ヴィトルまでたどり着けるのだろうか。
「まあ、そんなあやしい表情はしなくてもいいんだよ」
ちょっとためらっていると、ブラチアリスから振り向いて言う。
彼はすこし口角を上げながら、
「イリスバラの裏道なら、この都市全てを探っても私ほど詳しい奴はあんまないと思うから、な」
すると彼は再び動きだして、みんなもそれを追った。
☆
俺だけ最後にすこし佇んだ。
振り向いて、つぶやく。
「結局、ネラとあいつが買ったやつ、食べてねぇな……」
あの屋台が街に定期的に立つものでないとすれば、それと全く同じやつを食べれる期限は今日までということになる。
あとには永遠に食べれないのだ。
……割と本気でそれを残念がる自分がいる。
そして、思うのは、別の可能性である。
もし別の選択をやっていたら、今頃ネラのそばでアイスを舐めていた人はクルクスじゃなく俺だったのではなかろうか。
しかし、あまりにも馬鹿みたいな想像だった。
だから自分自身にちょっとだけ苦笑してしまう。
そして俺も、もう立ち止まりなどはせず、他の人たちを追って路地を去ったのである。




