5月の終り
うっとりしていると、時間は歯車を早める。
気づかぬうちに二週間以上が経った。
その間、ロゴスとソルダネラの暮らしは穏やかなものだった。
穏やかすぎて、5月初頭の激しさに比べれば、若干つまらなく感じられるくらい。
しかし、それはあくまでも表側だけ。
平和な日々の中でも、ロゴスは安心できなかった。
何度も『否応移し』を使い、しごく些細なことにも選択を悩んだりしていた。
最悪なのは夜だった。
罪悪感に駆られ、眠れない夜が続いた。
眠れようと目をじっとしていると日々の記憶が思い浮かんだ。
美しいものも多かった。
でも、結局はあの記憶にたどり着いてしまう。
『──嘘つき』
『──守ってくれるって、言ったじゃん』
ロゴスをなじる、柔らかい声音。
約束を裏切ったものに対する、静かな悲しみ。
『──うち、信じてたのに』
そして倒れる彼女。
──自分が彼女を殺した。
──自分が彼女を殺めたのだ。
その実感が高鳴り、嵩張り、やがてはロゴスを拉がんとする時がある。
決まって、それは暁前の絶頂──時計を見上げると午前の3時頃だ。
するとロゴスはがらんどうになった瞳で呟くのだ。
「……このままでは、ダメだ」
彼は変化を求めていた。
王への伝言がそのきっかけとなることを信じていた。
ラヴィエが伝達する報せには、喜ぶべきものがあるに違いない。
そう希望を持った。
だから、待った。
しかしそれが中々来ないのである。
焦燥する気持ちで疲弊になり、ロゴスはやがて5月の終りごろに立っていた。
❖ ❖ ❖
5月31日、金曜日。
玄関のチャイムが鳴った。
「──」
リビングのソルダネラが反応する隙も与えず、飛び上がるようにロゴスが扉へ向かう。
外を覗いてみると、待っていた人だ。
白髪の召使い、ラヴィエである。
しかし──それ以外にももう一人がある。
ラヴィエと同じ服装をしている女だ。
手には大きい荷物を提げている。長旅にでも出るみたいだ。
背丈が高く、錆色の髪を長く垂らしている。
一番の特徴は、長く尖った耳だ。
学園の保健室の治癒師先生のと同じ感じになっている。
ロゴスは怪訝そうな顔をした。
それでも一秒も迷わず、ポケットから『否応移し』を出して素早く登録する。
それが終わると、やっとソルダネラもそっちへ近づいて来た。
「なに? だれなの?」
純真な顔でそう問うてくる。
ロゴスは、
「ちょっとそこで待ってろ」
そういい、玄関のドアを開けた。
*
ロゴスが外の方へ頭を出したとき、
「こんにちは!」
最初に挨拶の言葉を発したのは、ラヴィエの後ろに立っていた女だ。
彼女は晴れやかな笑顔をして言い続けた。
「わたくし、陛下のお使いが一人のルッセルと申します。今日よりソルダネラ・フォリアモメンタネア様の警護の任務に就くことになり、只今参りました。よろしくお願いいたします!」
そんな風に自己紹介をしてくる。
礼儀正しいが、それでも陽気な心根を隠せない感じだ。
しかし、ロゴスはどうでも良かった。
「……これって、俺の頼みに陛下が承諾してくださったということで良いんだよな」
ラヴィエに、ロゴスはそう聞く。
しかし彼女は是非を示さない。
「詳しいことは、ここの御書をご確認くださいませ」
彼女は書簡を取り出した。
それは仰々しいと思われるくらいに装飾がなされた封筒で、封蝋でしっかり封印まで出来ている。
それが誰からの書状なのかは明らかだった。
ロゴスはそれを気早な態度で受け取った。
すると、
「では、わたくしはこれで」
冷淡な声音でそう言い残し、ラヴィエは踵を返す。
そして廊下を歩いて行ってしまった。
だが、ロゴスはもうそっちには一瞥もしない。
彼は既に王からの書簡の封を解いて、その内容を読んでいたのである。
読み終えたころに気づく──封筒の中にはある鍵が入れられていた。
ロゴスはそれを確かめて、明るい表情となる。
欲しかった宝を手に入れた子どものような顔だ。
彼は視線を前へ向ける。
するとちょっと小首を傾げた、しかし飄然な顔をしているルッセルという女がいた。
ロゴスは、
「──ありがと!!」
歓喜に満ちた感謝のことばと共に、ルッセルを抱きしめた。
いきなりのことなのに彼女は全然驚かなかった。
「ははは! 何ゆえそんなにお喜びになったのかは存じませんが、そんなお顔を見ると、わたくしまで嬉しくなってしまいますね!!」
むしろそう言い、笑いながら、ロゴスを抱き返すのである。
二人は輪なりを描きながら、まるで踊るように抱きしめていた。
「……なに、この状況」
ソルダネラはそれを目撃して、あんぐりとした顔になった。
「あ、ネラ!」
彼女のことに気付いて、ロゴスはやっと抱擁をやめる。
振り向いて口を開いた。
すると、
「今日付けで、俺たち別居だよ!」
そういい捨てた。
「……は?」
ソルダネラは唖然となるしかなかった。
*
「で、これがどうしたことなのか、いいかげん説明してくんない?」
なんだかふきげんな顔になったソルダネラは、そう聞いた。
彼女とロゴスは居間に戻った。
ソルダネラはソファに、ロゴスは向かい合いのテーブルの上に、それぞれ腰掛けている。
その隣に、面白そうな表情をしたルッセルが侍立している。
「別居って、どーゆーことなの?」
「あ……あーと、その、文字通りのこと、っすけど」
最初の興奮が過ぎ、明らかに機嫌を損ねているソルダネラの顔を看取った。
だからロゴスはキョドった口調になっていた。
「言え。はっきり」
脚を組んで、目元には軽蔑の陰を差させて、ソルダネラは命令した。
ロゴスはこのアパートに暮らすようになった初日に似たような視線を受けたことを思い出した。
なんか、あの時よりもずっと機嫌が悪そうに見える。
「あーと、だから、陛下に書状で頼んだのさ。流石に未成年男女がいつまでも一つ屋根のしたというのはマズいんじゃないかって。それに今度の騒ぎのことも考慮して、出来ればネラには個人的なボディーガードを付けさせて、俺は少し離れて暮らす方が良いんじゃないかって、そう告げたんだよ。それで、さっきラヴィエさんから答申が来たんだ。全部許諾してくださるって」
多少性急に、ロゴスは言い続ける。
少しでも早く自分の行動に弁明をしたいという感じである。
「あ、でも、預言の遂行は続くようにするからな。別々に暮らすからといって、別に俺が完全にどっかへ消えてしまうわけでもないから」
言いながら、ロゴスはソルダネラを直視するのを避けている。
困ったように視線を彼女の頭の周辺に漂わせているのが見え見えだ。
「ふーん。そ。うちには何も相談せず、ね」
相反して、ソルダネラの睨視はどんどん尖りを増しているように見える。
「ロゴスがこんなに自分勝手だとは思ってなかったわ。ちょっとマジで見損なったかも」
「うっ、で、でも」
ロゴスは言い淀みそうになりながらも、どうにか話を繋ぐ。
「まだ決まったことでもないから、予め言ってもしょうがねぇと思って」
「報告のタイミングのこと言ってるんじゃないって知ってるっしょ。うちが言ってるのはなんでその決定に至るまでの過程でうちの意見が全く置いてけぼりになっていたかのことなの」
別に激昂した声ではなく、むしろ極めて落ち着いている。
それが却ってロゴスを脅かせていた。
それに理屈の方からも、聞いていると何も言い返せない。
だから、ロゴスはただ黙り込んだ。
彼は正直、狼狽しているのだ。
こんな反応になるとは思わなかったのである。
(だって、最初あんなに嫌がってたし)
ロゴスは同棲の始まりのころを思い出した。
もちろん、最近はその時よりは刺々しい感じはなくなったが。
それでもこの生活の続きをソルダネラは望んでいないという確信があったのだ。
だって、そうもそうだろう。
華麗なるギャルがこんな冴えない陰キャと一緒に暮らすことを望ましく思うわけがない。
そんな前提と自分の苦痛を全部考慮して出した結論が──
完全に逃げ出したりはしない。それでも、ソルダネラとは一定の距離を置く。
それがロゴスの哀れな頭から出せた最善の結論だった。
謂わば、彼はどっちも選ばなかったのである。
*
「も、いいよ。行きたければ勝手に出ていって」
目元の陰を払わずに、ソルダネラは起き上がった。
自分の寝室へ向かうようだ。
「えっ、待ってよ、まだ話終わってないんだけど──」
「──いいって言ってるっしょ」
そんなに低くなったソルダネラの声をロゴスは今まで聞いたことがなかった。
だから取り留めることが出来ずにいた。
その間もルッセルは二人の動きと言葉を興味津々と見守っていた。
「……あのね、ロゴス」
部屋の扉の前で足を止めたソルダネラは、言い出した。
「うちが今アンタのことにマジでガッカリしたっていうと、ロゴスはうちのこと嫌うの?」
急な質問だった。
でも、答えは迷わず浮かび上がってきた。
「そんなわけねぇだろ」
ロゴスは言う。
「全部俺が悪いんだから、ガッカリされたとしてもしょうがねぇって思うから」
どんどん小声になることを自覚しながらも、ロゴスは言い終えた。
「……そ」
今まで扉を向いていてロゴスに顔を見せずにいたソルダネラだった。
その時、顔だけで振り向いた。
「つまんないね、ほんと」
彼女の顔には困ったような、悲しそうな、そういう笑みが浮かんでいた。
ロゴスはそれをどう受け止めればいいのか、混乱した。
しかし、
「おやすみ、そしてさよなら」
ソルダネラはすぐ顔を隠して、自分の部屋に入った。
「……今まで、ありがと」
それだけ言い残して、部屋は閉ざされる。
居間に残ったのは複雑な表情をしたロゴス。
そして、錆色の髪・エルフ耳のメイドさんが一人。
彼女はまるでドラマの一場面を見ているように興味深そうで間抜けな顔をしている、
「こりゃ、ロゴスさま、しくじったですね」
いきなりルッセルはそう評してくる。
ロゴスとしてはどう反応すればいいのかが分からなかった。
だから、
「ははっ」
いっそそんな涸びた笑い声を出してしまう。
❖ ❖ ❖
次の日──6月1日、土曜日。
新しい月の始まりは沈んだ鬱の匂いが漂っていた。
早朝からソルダネラはベッドの上で目を開いていた。
部屋の外からかたこととノイズがする。
多分、ロゴスが出ていく準備をするのだろう。
「……しらないし」
そう呟いて、無視しようとした。
壁の方によった彼女は自分の耳をかるく押した。
しかし、いつまでもそんな姿勢にいられるはずもない。
少しで腕の力が抜いて、元通りになる。
彼女は混乱していた。
昨日の夕べ、ロゴスからいきなり別居宣言を聞かされたときから、ずっと。
(なんで、こんなに不愉快に思ったんだろ)
自分の不機嫌そうな顔をみてあの少年が面食らった顔になったことを覚えてみる。
たぶん、彼は自分の宣言がソルダネラを喜ばせると思ったのだ。
せめて彼女がこんなに不平な反応を示すだろうとは予想もしなかったみたいだ。
しかし、当惑したのはソルダネラ自分だって同じだ。
なんで彼が出ていくって聞いた途端、こうも酔いに似た騒ぎが胸元からしたのか。
「……ロゴス」
もうすっかり呼ぶのが慣れてしまった響きを、口にする。
会ってからたった一月。
でも、そばにいるのが当たり前になった、別世界からの少年。
いきなり人の世界に押し込んで、何もかもかき混ぜて。
勝手に入れ込んで見つめて、別に頼んでもなかったのに無理して。
たまに悲しそうな表情なんかして、でも何ごともないフリなんかして。
「……ほんと、強がるんだから」
実は、全部知っていた。
いつしかハレノ・ロゴスという少年がすぐにでも倒れそうになっていたことを。
彼がそうなった原因が自分にあるということも。
少女は思う。
なんでロゴスは自分に優しくしてくれるんだろう。
魔術もない世界から来たという少年が、イリスバラの預言なんかを重んじていたのもありえないと思った。
すると、彼方から微かに響く声がある。
『世知辛いご時世に一目惚れとか、マジねぇわ──』
それを聞かされた時のことを未だに覚えている。
答えは最初から決まっていたのかも知れない。
僅かに胸に走る満足感とともに、ソルダネラは思った。
でも次の瞬間、それはもえのこりのような静かな怒りに変わる。
──だったら、なんで逃げる?
──それが本心だったら、なんでうちから離れようとすんの?
──まさか、それと向かい合う勇気もないの?
「……ばか。ヘタレ」
面と向かってそう罵倒し続けたい気分だった。
でも、今はロゴスと会いたくない。
自分がどんな表情をしているのか、見られたくないのだ。
だから、彼が行ってしまうまで待つことにした。
*
どれほど経ったのだろうか。
ふと、ソルダネラの部屋をノックする音がした。
「ネラ」
ロゴスの声だ。
「……」
答えなかった。
扉を開けて彼に会いたい異様な衝動に駆られたが、抑えた。
「今から出ていくぞ。俺の部屋で使っていた倉庫は、できるだけ掃除も終えたんだけど、もしどっかまだ散らばったままだったらごめん」
また『ごめん』だ。いつも『ごめん』だ。
それしか言えないのかな、あの少年は。
うざったいと思った。
「もともと俺のものは少なかったし、全部拾っていくと思うんだけど、でももし何か残したのならあとで教えてくれよ。あ、そして、ルッセルさんもちょっと借りるぞ。彼女は荷物運びだけちょっと手伝ってもらって、すぐ返すからな」
少年はそこまで言って、しばらく黙ってしまう。
「……ネラ。ほんとに出てこないのかよ」
ちょっとした悔しさが聞こえてきた。
「最後くらい笑顔で送ってよ」
ソルダネラは自分の眉間がよせられることに気づいた。
口を開いて、
「しらない」
呟いた。
たぶん、聞こえなかっただろうと思う。
ロゴスがため息をついたのが聞こえた。
そして、
「今までいろいろ世話になったぞ。……じゃあな」
呟くように言い残す。
それだけ言って、行ってしまったのが分かった。
彼の気配はどんどん遠ざかっていく。
そして、玄関のドアが開かれるのが聞こえた。
すぐ閉ざされた。
後は、沈黙だけが残った。
*
一人、寂寞としたアパートの中、ソルダネラは残された。
「……ロゴスのばか」
彼女はぶつくさに言い始めた。
「ばか。あほ。ヘタレ。ムッツリへんたい。最低童貞。どうでもいい。大っきらい」
罵倒にはますます熱が上がっていた。
「きらい。きらい。きらい。だから──」
頭をよぎるのは──真面目すぎる、でも一所懸命な少年。
根暗なのに、どこか雨の後の晴れを連想させる、まっすぐな少年。
「──いくの、やだ」
いつのまにか、ソルダネラは起き上がっていた。
ベッドのうえで扉の方に視線を注いでいた。
「ロゴス、なくなるの、やだ」
──ああ、うちって、絶対どうにかなってる。
なんでこんなことで涙を流す必要なんかあるのか?
少女はその答えが分からなかった。
「いかない、で……」
扉を開けた。
玄関までいく。
今ロゴスを取り留めてどうするのか。
そんなの、知らなかった。
ベッドから出たばかりの自分の姿がどうも綺麗なものとは程遠いことも、気にしなかった。
ただ、ロゴスの顔が見たかった。
彼に触れたかった。
だからドアを開ける。
そして、アパートの廊下に出た。
「ロゴス──」
大声で、呼ぼうとした。
*
しかし、
「……は?」
ソルダネラはそんなぼんくらな声をこぼしてしまった。
彼女のアパートの玄関のすぐとなり。
そこにロゴスはカバンを下ろして、立っていた。
後ろには昨日のメイドさんがキョトンとした顔でソルダネラを見ている。
どうやら、ロゴスは鍵穴に鍵を差し入れる直前だったと見える。
動作をピタッと止めて、まるで珍かなものでも見てるようだ。
ロゴスは玄関から出たばかりのソルダネラに視線を注いでいる。
「……どうした?」
少年はそんな問いをしてくる。
その時、ソルダネラの頭を光芒のように飛び散る考えがあった。
「……アンタ、まさかとは思うけど」
彼女は指を上げて、ロゴスが入ろうとする扉を差した。
「あ、これ?」
ロゴスは何気なく言い出した。
「多分ネラが考えることあってるよ。王さま──いや、陛下に、同棲ではないけど、すぐ近くで住みたいとお頼みしたんだよな。で、となりのアパートに住むように、と命じてくださったんだ」
「──」
話の途中、少年はやっと少女の異変に気づいた。
ソルダネラは俯けたまま、軽い身震いをしているのである。
「ん? どうしたんだよ? ネラ──」
「──っこの、ばかあああっっ!!!」
ロゴスは食らってしまった。
胸に。最大級の衝突を。
寝起き直後のギャルから、力いっぱいでタックルされたのである。
ロゴスはこの日、身を以て知った──ギャルの物理力、舐めるべからず。
◇ ◇ ◇
そうやって、俺の異世界での初めての5月が終った。
そして、6月が始まった。
結局、そんなに変わったことはない。
俺は相変わらず拉がれそうな責任感と罪悪感に苛まれている。
すぐ隣には馴染んでしまったギャルさまが住んでいる。
これからは何かが肯定的な方向で変わるのだろうか。
そんなの、答えは知らない。
俺は預言者でもなく、人生に確信一杯な英雄様でもないから。
俺はただの晴野言だ。
ピアノがちょっと弾けて、過去の選択を覆す力を持つ、一般高校生なんだ。
とにかく、未来のことなんか心配していてもしょうがない。
過去のことも、ほぞをかんでばっかりでも何ごとにもならない。
だから俺は今を精一杯に生きていこうとする。
神々の戦争だの、預言がどうのこうの、頭の痛くなる話は今はちょっと忘れよう。
何も考えず、この場所で一所懸命がんばろう。
それが今の俺が出せる最善の結論だ。
はい、このエピソードで5月篇は終りです。
どうにか前回の『今日の深夜に投稿する』という約束を守りました。でも誤字とかひどいことになってますね、たぶん。修正します。
言いたいこともけっこうあるんですけど、時間がないのでいちおうこのままで投稿します。
皆さん、本当にありがとうございました!
次回からは6月篇となります!
感想やブクマや評価など、いただけたら嬉しいです!




