5月エピローグ Ⅳ そして、残りの日々の記録
5月13日、月曜日。
ある女がソルダネラのアパートの玄関前に立っていた。
白髪をボブヘアにして動きづらそうな黒いドレスを着た人だ。
エイギヴェル国王の召使い、ラヴィエである。
興味なさげな表情で、彼女はチャイムを鳴らした。
──ピンポーン。
多少気抜けする音が響いて、すぐ止んだ。
扉の向こうで何かがばたばたとする音が続く。
しばらくしてドアが開けられる。
そこから出てきたのは、ラヴィエの視線を超える高みから彼女を見下ろす少年だ。
メッシュが混じった黒色の髪と、左目の泣きぼくろが特徴的だ。
別世界からの少年、ハレノ・ロゴスである。
「──」
その褐色の瞳の中に潜むのは、紛れもなく嫌悪と恐怖だ。
少年がラヴィエの訪問を好ましく思わないのは歴々としている。
しかし、
「こんにちは。わたくしは陛下のお使いの一人、ラヴィエと申します」
ラヴィエは平然と自己紹介をした。
「……知ってる」
冷たい返事はロゴスからだ。
「陛下のご命令により、只今、預言遂行の調査のため、参りました」
「それも知ってた」
それきりで、両方ともしばらく黙り込んだ。
しかし、それは長引かなかった。
「──なになに? え、ラヴィエさん?」
扉に凭れ掛かったロゴスの腕の下から、明るい表情をした少女が頭を出した。
瞬きの乙女、ソルダネラ・フォリアモメンタネアだ。
透き通った青い瞳には歓迎の思いが湛えられている。
「ラヴィエさん、マジひさしぶりじゃん! よければ晩ごはん一緒にたべよ? ちょーどいまロゴスとふたりで支度してたところなんだけど──」
「あーはいはい、ネラはちょっと待ってて」
ロゴスは困った顔になりながら、多少強引にソルダネラを室内へ押し込める。
それになにかぶつくさ愚痴を言う少女に、ロゴスは付け足しに言う。
「少しだけ中で待っていて。ちょっとラヴィエ……さんと二人だけで話すことがあるから」
きょとんとした顔でロゴスを見つめるソルダネラを無視して、彼は外に出た。
玄関のドアが閉ざされて、白髪の召使いと黒髪の少年だけが残った。
ロゴスは、
「ここではちょっとなんだから、下で話そう」
彼が顎でしゃくったのは、アパートの前の地上の、街路樹が列をなしているところだ。
ラヴィエに否応も言わせなく、ロゴスは先に階段へ歩き出した。
少しの間、ラヴィエはロゴスの背中に双眸を這わせた。
しかし、すぐ彼の後を追う。
*
ロゴスが足を止めたのは街路樹まえではなかった。
それは人気の少ない、建物の陰の下。
少年は眼の前の白髪の召使いを睨んだまま、立っていた。
「で、お話とはなんでしょうか?」
ラヴィエは問う。
それを待っていたのか、ロゴスは即時に応じた。
「陛下へ伝言がある。伝えてくれ」
「……なんでしょうか?」
ロゴスは答える代りに、ポケットから手紙を出した。
それは封されていない。
ラヴィエはそれを取り、一瞬の迷いもなく中身を出した。
書状を広げて読み出す。
内容は短かったようで、すぐ終わった。
ラヴィエの視線がロゴスの顔に固定された。
現れた表情は不愉快なのか、あるいは他のなにかなのか。
「もし、わたくしがこれをお伝えするのを拒んで、この書簡をゴミ箱に入れたとしたら?」
「だったら、もう一度伝えるまでだ。で、同じことの繰り返しになると、そのときは俺から直接王宮へ行くぞ」
心なしか、ラヴィエの眉が一瞬だけ蠢いた気がした。
「な、ラヴィエさん、俺考えてみたんだけど」
ロゴスは真剣な顔で言う。
「ネラに危険が差し迫った時にも王室からのサポートがなかったのは、本当に陛下のご意思からのことなのか? 或いは、あんたが何か他に望むことがあって、俺とネラのことをどうにかハメさせようとしただけなんじゃねぇのか?」
それを言うロゴスの脳裏には、最後の『切り替え』の直前、ラヴィエが狂気じみた姿でネラの死を喜んでいた場面が浮かんでいた。
ラヴィエは少年の問い質しには何も答えない。
しかし、見る見る、彼女の表情には不愉快に違いない感情が滲み出ていた。
「今回ネラを狙っていた幻術師のことは、あんただって既に聞いたんだろ。それがネラに成したかもしれない被害の規模も、分かるはずだ。都市自体が完全に破壊された可能性だって、十分ある」
ロゴスは落ち着いた声音で、話を繋ぐ。
「王室からネラをほっとけない理由はありあまっている。にもかかわらず、未だに手助けを拒むということは、もはや王室はイリスバラが壊されようが人が死のうが気にしないということにしかならないだろ。あるいは──」
ロゴスの視線がラヴィエの淀んだ碧眼に注がれた。
「中間に愚かなメイドさん一人がいて、彼女は勝手な感情を持っているから、事故を未然に防げるのに手をこまぬいて何もしてない、の可能性もあるか。
……あ、でも後者はさすがに無理があるよな。だって、それだったらメイドさんの頭悪すぎるだろ」
「お黙りなさい」
ラヴィエはもはや感情を隠しきれていない。
顔の色んなところがこわばり、眼の前の相手のことへひどい憤りを表している。
「……やはりそうだな」
しかし、相手する少年はたじろがない。
むしろ微笑を浮かばせて言い続けている。
「ラヴィエさん、あんた、この世界で今まであった人のなかで、一番感情豊かだ」
それを聞いてラヴィエはやっと自分が鬼の形相になっていることに気づいた。
「……」
どうにか冷静な顔に帰ることが出来たようだ。
そして、
「この書簡はお伝えいたします。では」
彼女はそれ以上なにも言わず、振り返って歩き出した。
「王宮に行くって話、本気だかんな。くれぐれも忘れるんじゃねぇよ」
ロゴスは、ラヴィエの後ろ姿にそう念押しした。
答えはない。
*
「ふ……」
少年は脱力して、ため息を吐いた。
白髪の召使いがなくなったことを確認して、ポケットから何かを出した。
──『否応移し』だ。
彼はディスプレイに表示された文字を見下ろし、
「今度は使う必要がなくて良かったよ」
ロゴスはそう呟いて、元通りにポケットに入れた。
危険なことに巻き込まれそうになると、クセのように『否応移し』の『登録』を行う。
今回も、玄関のチャイムを聞きドアスコープから相手が誰なのかを見据えた途端に、急いで登録を行ったのだ。
ラヴィエがもう直に訪れると予想はついていたから、もっと迅速にそれが出来た。
しかし、もう疲れてしまった。
自分の手だけでは負えないこととなった。
いつまで怯えた鼠のようにこの野暮ったい機械仕掛けのノブを回し続ける生活は、したくない。
だからこそ、王への伝書を頼んだのである。
「……もし受け容れられると、すこしは状況も進展する、はずだ」
自分を賺すように、独り言を言う。
ぼうっとしていると、
「ロゴスー」
ふと上方からそんな声が聞こえてくる。
ソルダネラだ。
「もっ、どこ行っちゃった? ラヴィエさんはー?」
ロゴスを探している。
「あ、ごめん! 俺、ここ、ここ! すぐ上がるから!」
言い、少年はソルダネラに向かって手を振ってみせた。
すると彼女からも応じて手を振る。
あっちは両手で、何かすごく嬉しそうだ。
……あの幼女幻術師の騒ぎが過ぎてから、ソルダネラからの仕草がとりわけ親しい感じになった。
ロゴスも確かに気付いている。
それをどうしようもなく嬉しく感じてしまう自分のことを嘲笑いたかった。
でも、もう少しで、今までのやりとりは出来なくなるかも知れない。
変化はもうすぐ訪れてくるはずだ。
だから、この一瞬一瞬をもっと大事にしないといけない。
ロゴスはそう思った。
そして、早足でアパートへ向かい歩き出した。
ちょっとエピローグが長引いてますね。
でも次の回で5月は終りなので、若干ダルいと思われるかも知れませんが、もうちょっと付き合ってくださると嬉しいです。
次回、5月の章の最後のエピソードは今日の深夜に投稿される予定です。
感想やブクマや評価など、いただけたら嬉しいです!




