5月エピローグ Ⅲ 瞬きの口づけ
そこに叢がったのは精霊たちだった。
あまり知識のない俺でもそれが分かる。
だって、さっきまでグローブの中にいた精霊と同じ外見をしているんだから。
その朦朧たる光たちは輝くアゲハの群れのようで、優雅に浮かんでいる。
黄金の彩りは軽く震えながら、ゆるやかな飛行をしている。
「──『登り』だよ」
驚嘆を含んだ声色で、隣のネラが呟いた。
「たぶん、うちが放った子が友だちをたくさん呼び寄せたんだよ。こんなに精霊が多く集まると、個々だけいたときよりもずっと明るくなって、光の群れとなるんだって」
驚いた彼女の表情からして、『登り』は月並みの出来事ではないようだ。
おぼめきの精霊の灯籠が点された緑色ゾーンの景色は、雅びやかだった。
再び俺は、自分が魔術も魔法もある世界に来たということを実感してしまう。
俺たちはベンチに腰掛けたまま、その風景を眺めていた。
「きれい……」
ネラは、そうこぼす。
「……あーあ、ざんねん」
ふと、ネラは意地悪い笑みを見せた。
それさえも、とても魅力的だ。
「よりによって、『登り』を見るのがうちとロゴスだなんてね」
ネラを囲む精霊たちのふしぎな光は背景となった。
どんな景色でも最も輝くのは、やはり彼女だった。
「別にお互い好きでもないのに、こんな場面にうちら二人だけ置かれるだなんて、ロマンチックな背景の無駄遣いじゃん?」
「……っ」
それが軽い冗談だって、分かっている。
でも、
「はっ、そうかよ。悪かったな、クルクスじゃなくて。根暗で地味な俺で。……冴えないハレノ・ロゴスで」
ちょっとだけ本気で、俺は落ち込んでしまった。
そんなことを言われると、どうしようもなく彼女の真意を思い出してしまう。
──ネラはクルクスが好きなんだ。
この物語の主役は、最初から決まっていた。
俺はただの脇役だ。
いくら彼女のために走って、頑張って、涙を流して、苦しんでも。
ハレノ・ロゴスは、しがない役割しか負えない。
一等輝く場面からは、必ず退けられる定めなんだ。
既に全部分かっていたつもりだ。
でも、再び深く切り刻まれる。
だから、どうしようもない憂鬱に囚われてしまう。
せっかくの眺めを前にして、俺は少し項垂れた。
☆
しかし──
「──でも、今はロゴスがいい」
ふと、自分の左腕に柔らかい感触がした。
見ると、口元をほころばせて、こちらを見上げるネラの顔がある。
潤んだ瞳で、少し上気した頬で。
俺と腕をくんでいる。
「ロゴスと一緒が、いい」
微笑んで、彼女は言葉を繋いだ。
「理由は分かんない。でも、ロゴスがいいの。ロゴスが一緒でいい。ロゴスと一緒にいたいの」
彼女の笑みが薄まった。
青い瞳に湛えられた光がゆらゆらするのが見える。
「ね、なんでだと思う?」
そう、真摯な声音で、質問してくる。
……もう、何がなんだか分からない。
何もかも美しくて、頭が拉がれそうだ。
見えない領域へ渡る運命だという精霊の群れも。
大きい痕から紺色をこぼしている夜の空も。
そして、僅かな熱れを含んで、俺と一緒がいいと言っている俺の隣の乙女も。
ふと、思う。
この瞬間がずっと続いたら、どれほど良いだろうか。
不可能だと知っていても、そんなことを考えてしまうのだ。
焦れて、続かない。
この感じこそが、青春の最寄りの感覚であろう。
──それが、俺は嫌いだ。
俺は永遠なものがよかった。
俺は長らえるものがよかった。
俺は続くものがよかった。
俺は思った。
ソルダネラ・フォリアモメンタネアは、何もかも瞬時的すぎた。
彼女は、常に儚さの予感を兆している。
俺は、それが嫌いだった。
いつか殺められる運命の美しさを見ているのが、嫌だった。
ああ、気付いてしまった。
俺が彼女から逃げようとするのは、彼女のためではない。
俺自身のためなんだ。
こんなの、俺には荷が重すぎるのだ。
俺には出来ないよ。
これ以上は。
舞台から降ろさせてくれ。
観客さえでもなく、劇場の外側まで行かせて。
そのまま解けて、消えさせてくれ。
☆
「そういえば……」
気づかぬ内、ネラの顔は俺に近づいていた。
「うちのために頑張ったご褒美、まだだったよね」
囁きが左耳をくすぐったと思ったら──
次の瞬間、頬に柔らかい感触がした。
それはすぐ終わってしまった。
俺はただ呆気にとられていた。
驚いた顔で、左目の彼女を凝視した。
「ロゴス、ありがと、うちのために頑張ってくれて。うちのこと、助けてくれて──」
そして、また眩い笑顔を見せてくれた。
「……どした? そんな顔して、ウケる。もしかして今ので惚れ直したりした? あははは、ほんとチョロいんだから」
「……」
きっと、俺は真っ赤になっている。
もはや何も言い返せなくなった。
ただ視線を街の夜景の方へ逸らしてしまった。
しかし、ネラは俺の左腕から離れようとしない。
むしろ絡んでいる腕に力を入れている。
だから、無理矢理じゃないと、俺からでも遠のけない。
鼓動が早鐘のようになっていることが分かる。
きっと、ネラにも気づかれただろう。
……でも、もうどうでもいいんだ。
隠すことなど、出来るはずがないから。
どうしても否めない。
俺は、ソルダネラが好きだった。
彼女のことを愛している。
最初に会ったときから、初めて彼女を目にしたその瞬間から、そうだった。
『一目惚れ』だったから、な。
冷たい灰色の、『世知辛い』世の中で、そんあ作り話のようなこと、あるはずがないと思っていた。
でも、
『世界は正面だけじゃない』
そう、教えてくれた。
世界は一色だけじゃないと、教えてくれた。
俺の世界を鮮やかに灯してくれた。
空っぽだったここを、いっぱいにしてくれた。
思う。
俺は、ネラに……。
☆
いつまでも、おぼろげなまま、さまよえるのなら、どれほどいいだろうか。
何も終わらせず、何も結論付けず。
未完成のままで、可能性のままで。
どちらも選ばず、何も決めず。
ただ浮遊するままでいられたら。
でもそれが不可能だと、もう知っている。
物作りの神さまからの贈り物──『否応移し』の感触が、俺にそう気づかせている。
生きた存在は、いつだって一つしか決めないんだ。
浮遊しているだけとか、出来ないんだ。
俺は『否応移し』を通じて、選択を覆す能力を持っている。
でも結局は、一択に収斂する他はないんだ。
終には遂げて、了わないとだめなのだ。
完結させ、終わらせないといけないのだ。
だから、俺は今から──




