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5月エピローグ Ⅱ 何もかも、決まってしまうじゃん



 俺の名前は晴野はれのろごす

 元の世界では一般高校生だった。

 異世界でも、多分それは変わっていない。


 俺はやっと、一つの災難を乗り越えた。

 ゴール地点から振り返ってみると、今までの騒ぎが嘘みたいだ。


 イリスバラは、相変わらず平和で美しい街だ。

 学園テムプス・ノヴムは、惨劇の跡形も見当たらない青春の舞台に戻った。


 そして、俺の隣にはネラが息をして、何ごともなかったかのように笑っている。


 この欣然とした世界に異常な色を秘めるのは、俺だけだ。


 破滅に接近した世界の景色を、俺だけが覚えている。

 街中に満ちていた鬼哭のどよめきを、俺だけが覚えている。

 そして、その中で犯した罪の味を、俺だけが覚えているのだ。


 あの世界で、俺はネラの美しさを汚した。


 強烈な罪悪感だけは未だに生き延びている。

 たぶん、それはこれからも俺の行く先に随伴してくるのだろう。


 だからこそ、このままではいられないと思う。

 返り血でぬかるんだ両の手で、どうやってネラと一緒に居続けようか。

 そんなの、出来ないんだ。

 臆病者で卑怯者の俺には、出来ない。


 だから俺は、ネラから離れたかった。

 どっかへ逃げたいと思ったんだ。





◇   ◇   ◇





 5月10日、金曜日。


 授業が終り、帰宅したネラと俺は早めに晩ごはんを食べた。

 そして、ちょっとした準備を終えて、出発した。


 ──第14緑色ゾーンへ。

 水曜日、ネラと約束した通り、本来はクルクスへの誕生日プレゼントとして買った精霊を放してあげるために。





 アパートから出て歩いて約十五分。

 俺たちは第14緑色ゾーンへ差し掛かった。


 緑色ゾーンとはイリスバラで唯一本物の植物が見られるところで、いわば公園みたいな場所だ。

 じゃ、ゾーンの外に見える街路樹とかは偽物だということなのか?

 俺だってまだ詳しくは知らない。

 とにかく、今それはそんなに重要ではないだろう。


 ゾーン内へ入って周りを見渡すと、前日と同じく、あまり人気は多くない。

 植物の群れが囲む中をなよやかな照明が照らしている。

 だからか、夜空の紺色がもっと際立つ気がする。


 ネラは俺の先を歩いている。

 とても大事なものを扱うように、精霊を収めたガラスの球をぎゅっと抱えて。

 その繊細な手先は、たぶんクルクスへの愛情の現れだろう。

 そう思うと、腹のどこかからジンっと痛みがした。


 俺は敢えてそれを無視しようと、


「で、どこに放つんだ?」


 ネラの背中にそう聞いた。


「水曜日一緒に話してたベンチ、覚えてる? そこまでいこ。もうすぐだよ」


 しんみりとした声音で、彼女は俺に言ってくれる。

 彼女の落ち着いた動作には厳かな何かが存在している。

 だから何も言い足せなく、俺は黙って彼女に随伴して行くのである。





 水曜日と同じベンチまで着いた。

 イリスバラの夜景と星空を前に俺たちは腰掛ける。


「……」


 しばらくネラは、スノーグローブのような、精霊を収めているガラスの球を抱きしめていた。

 そこからはしきりに黄金色の光が漏れる。

 アパートの中にいたときよりもまたたく間隔が短くなった気がする。

 もしかして、解放されると気づいたのだろうか。


「ね、ロゴス」


 ふとネラに話しかけられた。

 彼女の視線は、相変わらず精霊の方へ向かったままだ。


「なんだよ」


「この子、この精霊ちゃん、どういう精霊なのか、知ってる?」


 答えの決まっていることを問うてくる。


「……そりゃ、知らないんだけど」


 彼女はコクっと小さく頷いた。 

 そして、話し続ける。


「この子は、『おぼめきの精霊』と言うよ」


「おぼめき……?」


 あんまりピンとこない響きだったので、俺はハテナで応じた。

 すると、彼女の説明が続く。


「この子たちは周りの全ての境を曖昧にする力を持ってるらしーよ。だから、おぼめきの精霊が良く集まっているところでは、二つの別の事物が一つに重畳されることもあるんだって」


「うーん」


 それもはっきり理解できないことだった。

 でも、説明はまだ終わっていない。


「けど、能力があまりにも強すぎるから、寿命の果にはやがて自分自身をも曖昧にしてしまって、内部から崩壊して、届かない領域へどんどん無くなっていくんだって」


「……ごめん、ネラが言ってること、良くわかんないや」


 正直にそう告げた。

 するとネラはやっと俺の方を見て、くすっと笑い声をした。


「ロゴスって優等生っぽいのに、案外理解が早くとかはないんだ」


 仕方ないだろ、そんなこと。

 元の世界ならまずない概念のことなんだから、きっと俺の頭脳が本能的に理解を拒んでいるんだ。


 ネラはそれ以上なにも言わずに、スノーグローブの下の部分を回した。

 そこから開けられる構造になっているっぽい。


「ほら、出ていって」


 グローブの下端を完全に剥ぎ取った彼女は、精霊にそう話しかける。

 その優しい声はもはや囁きに近い。


 しかし、怯えているのか、精霊は動こうとしない。


「だいじょぶ。うちらはただ、あなたを送ってやりたいだけだから……」


 その促しを聞いて、やっと精霊の翅みたいな部分が蠢きだした。

 そして──


「……そ、そんなふうに、ゆっくり、ゆっくり、飛んで、上がって、行って」


 微笑ましそうな顔をして、ネラは言う。

 彼女の視線の先には、飛び上がった精霊の羽ばたきが見える。


 その飛行の背景には、紺色の夜空が見える。

 月の代りに大きな傷跡が浮かび上がった、おぼろげの夜空が。

 それは精霊の発光と合わせられて、非現実的な糸遊いとゆうを遊覧する気分だった。


 ──まるで、別世界の風景だ。


「……あ、そういえば、そうだったな」


 ここは、紛れもない別世界だった。





 精霊の飛び上がりは蝶々の飛行のようで、混沌的で、そして早い。

 だから、あっという間にどこかへ消えてしまった。


 それっきりで、別れだった。

 精霊はもうどこにも見えない。

 ネラと俺だけが残り、眼前の風景を眺めている。


「……やはり、ふしぎだ」


 そんなことを口に出した。

 非日常的な光景を目にして、少しだけ気分が高揚している。


「ここの世界は、ふしぎなことでいっぱいなんだな」


 ネラの方を振り向きながら、俺はそう言った。

 あっちからも視線を合わせて、微笑んでいる。


「そ? 精霊の飛行はそれほど珍奇な現象ではないんだけど……」


 そう言う。


「やっぱ、ロゴスって遠くから来たんだわ。うちと過ごす瞬間をそんなに珍しがってくれると、うちも何か嬉しい気分になるかも」


 彼女がそこまで言うと、俺たちは自然と視線を都市の方へ戻した。

 しかし、会話はそこで途絶えたりしない。


「ね、ここの世界はもう良いから」


 彼女は今までのしなやかな囁きとは違う、彼女の普通の喋りに近い陽気な声音で話しかけてくる。


「ロゴスの故郷のこと、うちに教えてほしい!」


「俺の故郷──ニホン、いや、地球のことか?」


 そんなこといきなり言われても、良く思い出せないけど。

 元の世界のこと……西暦2024の地球は、どうだったっけ。

 すこし考えてから、口を開いた。


「──はっきり言って、人間の生活だけならこっちもあっちも、あんまり違いないかも」


「えっ、そうなの?」


「ああ、だってあっちもほぼ同じなんだから」


 多少冷笑的な口調になるのを意識しながらも、言い続けた。


「あっちも国々があって、都市の風景があって、人々が忙しく暮らしている。言葉を喋って、文字を書いている。学校があり、戦争がある。君主と政治家がいて、芸術家と詩人がいる。人々は金と権力のことを語ったり、また美しさと儚さを嘆いたりしている。──だから、大まかに言うと同じじゃないかな」


「……えっ、なに、その言い回し」


 俺はやっと、自分のセリフが感傷的すぎたことを自覚した。

 さすがに、ちょっと引かれたかな。


 思わず弁明じみた口走りをしてしまう。


「いや、別に格好つけていったわけでは──」


 振り向いて、ネラの顔に目を落とした。


「めっちゃいいじゃん!」


 そこにはネラが目を燦然と輝かせている姿がいた。


 ……意外ときれいな修辞とかがお好きなのかな、このギャルさま。

 ちょっとふふっと笑って、俺は再び前の夜景を眺めた。


「でも、ちゃんと違う点もたくさんあったりする」


「そ? たとえば?」


 好奇心旺盛なネラはこっちに身をよせながら、熱心に聞こうとする。

 すると爽やかな果物の香りが伝わった。


「一番の違いは……やっぱあっちは魔術がないってことかな?」


「うそ、マジで? じゃ、誰も魔術が使えないの?」


「せめて俺が知る限りではな。だからその分、他の技術とかが発展して、それで補っている感じかな」


「へ、そーなんだ」


 ネラは更に質問がしたいらしい。


「じゃ、あっちの世界も演劇ってあるの?」


 そう言えば、彼女が演劇好きだった。

 興味があって当然だよな。


「あるさ。割とそんなに相違ないものだと思うよ」


 実は、日曜日見たことになった『キュリアルもどき』の記憶は、否応移しを使ったゆえ俺の頭に空白となっているので、ここの演劇がどんなものなのかは正確には知らないが。

 そもそも、俺はもとの世界でも演劇と言ってもオペラの何作品しか見てない。


「でもあっちの世界は演劇意外にも、似ていて違うものがたくさんあると思うよ。例えば……映画とか、かな」


「えい、が?」


 ネラは小首を傾げる。


「演劇と似た感じて物語と演技があるけど、なんていうか……うーん、現実と全く同じの絵本の絵が動いていて、それに音も添えられた感じっていうか。人々はそれを見て楽しむのさ」


 カメラも、映像も、撮影も、スピーカーや録音も、編集も、何一つここではないので、意外と説明するのが難しい。

 理解したのかどうか、ネラは少し眉間にシワをよせた。


「じゃ、それはつまり……演劇の一度の公演がそのまま固まって、ずっとずっと、何度も何度も繰り返される、ということ?」


 正直、驚いた。

 どうやら、完璧に伝わったようだ。

 ここはネラの理解力に感嘆すべきかな。


「そう、そんな感じなんだよ。それが大きい画面に掲げられて、人々はそれを観覧しに映画館に行ったりするんだ」


「……」


 しかし、ネラの顰める表情はそのままだ。

 理解できなくてそんな顔をするんじゃなければ、何でだろうか。


「どうした? 俺の説明、何かおかしかった?」


「ううん、そうじゃない、ただ」


 ネラは俺をちらっと見た。

 そこには僅かな遠慮が感じられる。

 普段のネラからはあんまり見えない様子だから、変だ。


 彼女は再度口を開けた。


「──それじゃ、何もかも、決まってしまうじゃん」





 ネラの言葉がちょっと理解できなかった。

 俺の表情から疑問を看取ったのか、彼女は言い足す。


「だから、エイガがそんなものなら、つまり……」


 どうやら正しい語彙を選んでいるようだった。


「一つの形になって、二度と変わらなくなって、完成されて、終わってしまうじゃん」


 それで、ちょっとはネラの言うことが分かった。


 ──作家とは、終わらせるものだ。

 つまり、いつだって彼らは完成させ、一つの完結された形に釘付ける。

 その役割を担うのが作家というものだ。

 確定されず、浮遊する美しさの数多くの可能性は、それで全て死んでしまう。

 だから、作家は成し遂げるものである同時に、殺すものなのだ。


 多分、ネラはそれと同じ残酷の片鱗を、映画の説明から聞いたんだろう。


 俺は、


「そうだな……。しかし、それが映画というジャンルの宿命なんだ。たとえ嫌でも、そうなるしかない。俺はそう思うよ」


 淡々と感想を述べた。

 別に大したことでもないと感じたからだ。


 しかしネラは多少ムッとなったように見える。


「でも、演劇はそんなものじゃないし」


 彼女は俺に向かってもなさそうに、言い続ける。


「演劇は、いつまでも新しいものが見えていくの。一瞬だけだけど、舞台の上で確かに新しく、生きているものが生まれてくるの。決まってはないけど、緩やかな方向は示されていて、その道の上で踊るのが俳優の役割だから」


 ネラは話を繋ぐ。 


「すると、いつも曖昧なままでいたものが一瞬だけきらめいて、そして消えてゆく。作家さんが終わらせた物語を一瞬だけ復活させるのが、俳優の仕事だから」


 熱の入った語りを、俺は目を見開いて聞いていた。


 しかし、なんとなく彼女の興奮が伝われた。

 そして、分かった気分になる。


「それって、まるで……」


 俺は演奏者の演奏を思い出した。

 オーケストラの合奏を思い出した。


 作曲家が終わらせた調べにもう一度命を与える。

 もう一度だけ、瞬かせる。

 それが彼らの役割だったのだ。


 何で今まで気が付かなかったんだろう。

 何で、今になって、全然違うところで、ネラの言葉から気づくようになるのだろう。


 それがふしぎで、俺はたまらなかった。


「ネラ、俺さ──」





 ──その時だった。


 俺たちの腰掛けるベンチのあたりで、夥しい灯りが点けられたのは。

 見回すと、そこにはさっきの精霊と似たような色合いの羽ばたきが見えた。

 まるで俺たちを囲むつもりのようで、灯籠みたいなものでいっぱいになっていた。


「これは……」


 驚いて、俺はその光の群れを見渡した。



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