終りを急かす、強欲な女
授業が始まる前のテムプス・ノヴム。
人だかりからちょっと外れた廊下。
緑サイドテールのギャル、プレストトノス・ベル──通称トトノは立っていた。
周りを見渡して何かを探しているようだ。
しかしそれが見つからず、多少苛立たしくなっているらしい。
可愛らしい少女には似つかわしからぬ深刻な表情だ。
その時、
「────ッッ」
悪寒がトトノを襲来した。
彼女は振り返る。
すると廊下の向こう、いつの間にか、ある人物が現れていた。
長い青銀髪を靡かせて、縦割れの赤目を輝かせて。
ファインオルド・シューランペだ。
彼女は静かにトトノを睥睨している。
「……っ、な、なんなの、ファインちゃんったら、いきなり驚かさないでよー」
トトノは平然を装った言葉を発する。
しかし、そこには隠しきれない焦燥が込められている。
彼女は確実に気付いたのだ。
何か、異変が起こった、と。
「────ッ!」
呻吟を漏らして、一瞬にして表情を変えるトトノ。
何のつもりか、彼女は右手を出してファインオルドへ伸ばそうとした。
しかし、
「は──?」
文字通り瞬く間に、ファインオルドは近づいていた。
そして、左手だけでトトノの両腕を完全に封した。
──振り払えない。
人間の力ではない。
少女はそれを実感するしかなかった。
トトノは悔しい顔をして、ファインオルドの目を睨み返す。
身長差のせいでトトノから見上げる形になった。
「──『蔵』を開けよう」
ファインオルドの言葉だった。
それが響くと同時に、彼女は上着のボタンを外して、自分の胸元を出した。
すると、下に現れたのは真っ白な肌──そして、喉元のあたりの真っ赤な章。
それは何かの字なのか、或いは紋様なのか、分からない。
章と瞳が、同じ赤色を発して光りだした。
そして神秘な魔力がファインオルドから滲み出た。
その色は彼女の髪に似ている。
力は二人を包んだ。
トトノは抵抗が無駄だと理解した。
だから彼女は、
「っ! はな、はなして、放せ! だれか、誰かぁ!」
そんな声を上げて、困窮を凌ごうとした。
しかし、
「──なるほど、分かったわ」
ファインオルドの結論が、悲鳴が誰かに聞かれるよりずっと早かった。
「これはある種の『憑依魔術』だね。つまりあなた、ベルさんを遠くから操っていたわよね?」
そう言うファインオルドの視線は、トトノの瞳の彼方を覗いている。
少女は驚愕した表情になった。
それも一瞬で、
「っ、ちくしょう!」
彼女はその細かな唇には似合わない言葉を吐く。
何か心を決めたらしい。
何か、状況を打破するすべを考え出したようだ。
しかし、
「……っ、か、解除が利かない……!?」
ようやく、トトノは自分が束縛された状態だと気づいた。
「無駄よ、そんな小細工のようなこと」
ファインオルドは冷静な声で告げた。
「あなたは既に天這いの『蔵』と接続している。それを解除してあなたを放すかしないかは、私の権限。そう、その僅かな力さえも──全て、私のもの」
一瞬、彼女の瞳孔に写った光は何か違っていた。
今までの正義執行者の潔さはなく──強欲な女の眼光だった。
しかし、それはすぐ姿を隠す。
「……今からあなたの居場所を探すわ」
ファインオルドは再度目と喉元の章を光らせる。
「っ、いや、い、いや──」
顔を青白くして、トトノは必死になって解放を試みるが、出来るはずもない。
彼女は無力で、天這いの魔力が自分の中を手繰るのを受け容れるしかなかった。
それは長引かなかった。
「見つけたわ」
ファインオルドの魔力が遠隔操作の根源を探した。
彼女の瞳に写ったのは──
散々散らばった薄暗い室内の中。
ある小さな、子どものような面影が、冷や汗を流している姿。
「北東の方角、イリスバラ湾近く……廃墟? いや、倉庫に潜んでいるのね」
「────」
トトノは驚愕を超えて、恐怖していた。
微かに足ががくがくしているのが見える。
「そこで待っていなさい」
淡々と、だけどしっかとした口ぶりで、ファインオルドは言いつけた。
「私の生徒の体を勝手に使った罰、しっかり与えに行くから」
「──い、いやッ!!」
しかし、その悲鳴は長くは続かなかった。
ファインオルドの瞳と首の章の発光が止んだ。
彼女の方から何かの術を中断したようだった。
すると、トトノは意識を失う。
力を消失して倒れようとする彼女の体を、ファインオルドが抱き上げた。
そして、彼女は後ろの方を向いた。
「二人とも、出て来てもいいわよ」
それを聞かれて、向こうから現れたのは──
もちろん晴野言とソルダネラである。
「聞いてた通り、ベルさんの中に何か良からぬ者が入っていたわ。ベルさん自身は何も知らず利用されただけよ。つまり──」
「──彼女は潔白だったんですね」
安心した言の言葉だった。
その時思い出したのは、前々回の『切り替え』の直前。
死んでゆくプレストトノス・ベルとの会話。
彼女は自分がなんでそこに立っているのかさえも理解できない様子だった。
今からの情報から推測すると──犯人は『憑依』を使い、何かのわざでソルダネラを暴走へ誘った後、直後に『憑依』を解除したのだろう。
だからトトノとしては、気付いてみたら右手を失い、死亡へ投げ捨てられたのである。
──本当に、残虐な奴だ。
言は歯を食いしばりながら、犯人を憎んだ。
一方、ソルダネラは相変わらず不安げだ。
彼女はファインオルドに抱え上げられたトトノを指差す。
「先生、トトノは大丈夫なの?」
ソルダネラの顔には、心配がたっぷり浮かんでいる。
「ええ、別状はなさそうだよ。意外と彼……いや、彼女の憑依術は綺麗なものだったわ。私じゃなければ、多分気づくことも難しかっただろうね」
ファインオルドはトトノの顔を見下ろして、言い続ける。
「でも万が一があるから、今から保健室へ彼女を託してくるわ。すぐ帰ってくるから、それまでここで30秒ほど待機していてくれる?」
「え? 待機ってなんのために──」
言は愚問を口にした。
しかし、遮られてしまう。
「────」
ファインオルドの背中から、両翼が現れた。
紛れもない、翼だった。
しかし羽毛に覆われたものではない。
連想するのは、コウモリの翼だ。
それと似た感じで、飛膜と骨で出来ている翼である。
表面には鱗みたいなのが象嵌のように込められている。
目撃した途端、言は既視感に苛まれた。
この正体は──
「今から一緒に行くわよ。真犯人を制しに。だから少しだけ待っていなさい」
ファインオルドは泰然と答えた。
そして、跳ね上がる。
言たち二人を過ぎて、廊下の向こうへ飛んでいってしまった。
「……ファイン先生は──」
彼女が見えなくなってから、言は呟いた。
同時に思い出した映像は、
コウモリのような両翼。
鱗で覆われた表面。
天這いという名前。
喉元に現れた赤い章。
──きのこ雲が消えたテムプス・ノヴムから飛び出したドラゴンのこと。
「シューランペ一族は、『天這い』の種族が人間化した人たちなの」
隣で、ソルダネラがそう説明してくれた。
言はそれに頷いた。
「天這い──ドラゴンのことだったか」
ソルダネラに聞こえないぐらいの声で、彼は呟いた。
☆
30秒たらずして、天這いは戻ってきた。
「さあ、行きましょう!」
そう言うと、彼女の両腕は化けた。
大きくゴツい、爬虫類の手と化した。
それがそれぞれ、言とソルダネラを強く掴んだ。
すると、彼女は廊下の窓の方へ跳躍する。
気がつくと、三人は空中にいた。
すぐ重力の作用で引っ張られ、地上へ落ち始める。
すると、またしても跳ね上がる。
天這いの翼が羽ばたきしたのだった。
「────ッッッ!!!」
言は人生初めての、生身の飛行の激しさに襲われた。
体感でローラーコースターの10倍以上の圧倒的激烈さに、へし折られるようになる。
「く、っ……!」
しかし、飛行は徐々に安定されて行く。
周りを観察できる余裕もできた。
言が下を見ると、イリスバラの全てが俯瞰できる。
とてつもない高さまで上がっていると分かる。
きっと、こんな状況じゃなければ、嘆息を漏らしたはずの絶景だ。
しかし、今はそれより重要なのがある。
言はやっと自分がどこへ向かって行くのかは確認できた。
ファインオルドは北東へ向かって飛んでいた。
言が今まで遠景だけで眺めていた──湾の方へ。
◇ ◇ ◇
「っ、クソ、クソ、クソッッ!!」
薄暗がりの倉庫の中、そんな罵詈の言葉が響き渡った。
それを発したのは、青色ツインテールのちっちゃい女の子だ。
頭を除いた全身を覆うジャケットを着ている。
アンバランスにツインテールの片方だけ飾られているデカいリボンが目立つ。
可愛らしい外見に相反して、表情は死に際が近づいた人のようだ。
必死になって、大慌てのようである。
彼女は今まで座っていた倉庫の隅っこの事務室から飛び出てきた。
出口へ急いでいるようである。
しかし、倉庫はなかなかの大きさで、彼女の小さい歩幅では走ってもある程度は時間がかかる。
それでも出口へ向かって、走り出した。
彼女にその後の計画などない。
ただ、ここで滞っていては駄目だと分かっただけだ。
しかし、
──ドガァァン──
一瞬、ツインテールの女の子は何が起こったのか理解できなかった。
轟音と粉塵が彼女の視聴覚を完全に遮断してしまう。
そして、少しは埃が収まった時、空から眩しい日光が侵入していることに気づく。
……それはおかしい。
倉庫の屋根が外光を遮っていたはず。
倉庫は窓の数も少なく、室内は常に薄暗がりが維持されていたはず。
状況の把握に至るまで、10秒ほどがかかった。
「──あっ」
やっと、幼女は目の前に現れた場面を完全に目撃した。
──屋根が壊されていた。
崩壊した構造が破片の山積みを成した。
その上で、立っている姿がいる。
堂々とした女。
大きい翼を広げて。
青銀髪を靡かせ、赤目を輝かせて。
背は高く、容貌は麗しい。
喉元の奇妙な章と瞳が、同じ紅で光っていた。
天這いの一族、『蔵』の門番──ファインオルド・シューランペだった。
「──憑依師、見つけたわ」
朗らかな声音が、鳴り響いた。
☆
「後ろで少し待っていて」
ファインオルドは両手で抱えていた言とソルダネラを下ろして、そう言った。
彼らは指示に従い、退いた。
一方、ツインテールの少女の方は、
「っ────」
悔しそうな顔で周りを見渡している。
「逃げ場を探しているようだけど」
ファインオルドはおもむろに近づきながら、言う。
「残念ながら、あなたはもう詰んでいるのよ。諦めて、処罰を受けなさい」
廊下でそうしたように、ファインオルドの周りに彼女の髪色に似たオーラが集まっていた。
それは周りに凄まじい圧迫を放つ。
相手の女児は、それだけでも窒息するような恐怖に襲われてしまう。
しかし、
「く、っ!!!」
どうも静かに捕まえられるとは見えない。
どうにか、立ち向かおうとしているようである。
幼女は右手を上げて、独特な形を作ってみせた。
それはまるで──母が子供のために影絵を作らせる時のように。
キツネを真似た形になっている。
そのキツネが口を開けようとした瞬間、
「二人とも、目を閉じて!」
ファインオルドは後ろの方へ叫ぶ。
聞いた二人は、即刻それに従った。
ファインオルドは生徒たちが無事だと確認して、
「なるほど、そうだったわけね」
燃えているような赤目を、敵へ向けた。
そして再度口を開いて、
「ロゴスくん」
破片の山の後ろに隠した少年へ、ファインオルドは話しかける。
「目は閉じたままで良いから、答えて。犯人はフォリアモメンタネアさんの能力を暴走させようとする、しかしその術は知らない、と言ったわよね?」
「……は、はい」
「今それが分かったわよ。──幻術だわ」
「────」
そのキーワードを聞いた途端。
言が思い出したのは、ラムポートの顔だった。
「まさか──」
「──確かに幻術師は稀有であるが、世界で一人だけではないのよ?」
まるで読心術でも使ったように、ファインオルドは答えた。
結論を出すには早い、ということだろう。
「普通、幻術は視覚的キューを引き金にして発動される。逆に言えば、それさえ見なければ、かかる可能性はゼロに近いということよ。だから、私がいいと言うまで、絶対に目を開いては駄目よ」
ファインオルドはそう説明して、目を閉じていることを重ね重ね強調した。
「はははっ、それが分かったのに、おねぇちゃんは堂々と目を開けたままなのぉ?」
自分に勝ち目を見出したと思ったのか、幼女は意気揚々となった。
右手でキツネの口を開閉している。
パッ、パッ、パッ、と。
それを確かに、ファインオルドは見ている。
「おねぇちゃん、もしかして力だけ強い大バカさんなのぉ??」
煽る口調で言いながら、それでも右手の動作は止めない。
しかしファインオルドは何ともなさそうだった。
「──『蔵』は開けられている」
彼女はそう言った。
だが、相手の幼女はその意味が良く分からないようだった。
「バカなおねぇちゃん。いくら天這いが武力に長けている種族だとしても、力だけでどうやって『幻見せ』に抗うと言うの? これでおねぇちゃんはもう動けないのよ! バカ、死ね、クソ女、ゴミカス!! キャハハハハッ!!」
しかし──
ファインオルドは全然影響されていない。
平気な態度で、彼女は更に幼女の所へ近寄る。
「……へ、へっ?」
ツインテール幼女は素っ頓狂な声を出した。
構わず、ファインオルドは、
「……全てまとめると、結局、こうね?」
そう言い出した。
「つまりあなたはベルさんへ憑依術をしかけて、自分の特技である幻術をベルさんの体を媒介として使っおうとしたわけね。フォリアモメンタネアさんに接近し、彼女に幻術を使って、彼女の能力を暴走させるつもりだった──ということね?」
幼女は驚愕した。
右手でお稲荷を真似るような動作を繰り返す。
しかし、効力は全くない。
「な、なんで?! なんで、私の幻術が利かないの?! さっきも、今も、何度も私の手を見ているのに!」
ファインオルドの赤目が光る。
「どうやら、理解力がよくない子のようね」
その声音は極めて落ち着いている。
「なら、この優しいファイン先生が教えてあげるわ。幻術はさらなる幻術で相殺できるのよ。そして、シューランペは色んな才能に恵まれた一族──幻術もその一つ」
縦に裂かれた瞳孔はとても威嚇的だ。
まるで、地獄の業火が燃えているみたいだった。
「ヒッッ」
幼女はそんな声を漏らした。
「私の場合、術の引き金となる視覚的キューは──この瞳。あなたと違って、小賢しい手品など、全く要らないの」
「っっっ」
幼女は逃げようとしたが、もう遅い。
釘付けになってしまい、相手の吸い込まれるような眼光に目を注ぎ続ける。
彼女は上げていた右手も下げて、脱力した姿勢になる。
「あなたには『蔵』を使う必要さえなかったわ。……ただの不躾な子供だったもの」
ファインオルドは幼女の足元を見た。
そこには黄色い水が溜まりを成している。
幼女の股から流れ出ているものだ。
彼女は、がくがくと身震いを起こしている。
「二人とも、目を開けていいわよ」
生徒たちに言い、ファインオルドは幼女に近づける。
彼女の手が幼女の頭に触れる。
すると一瞬にして、ツインテールの女の子は気を失った。
☆
ファインオルドは幼女の体を抱き上げる。
振り向いて、言とソルダネラの方を見た。
「──どうやら、終わったようだね」
その顔には、清々しい笑顔が浮かんでいた。
それを見た言は──開いた口が塞がらなかった。
「…………えっ?」
そんな声を出すしかなかった。




