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世界は正面だけじゃない!



 俺の名前は晴野はれのろごす

 元の世界では一般高校生だった。

 異世界でも、多分それは変っていない。


 今日は5月9日、木曜日。


 異世界初の5月は、怒涛だった。

 まだ半分も経っていないのが信じられないぐらい狂っていた。


 でも、それも今日で終わる。

 俺が終わらせる。

 そう、決めた。





◇   ◇   ◇





 朝、もう見慣れた坂道の途中。

 俺とネラはいつも通り、登校していた。


「なあ、ネラ」


 話しかけると、隣のギャルが俺の方を見る。


「お前に言わなきゃいけないことがあるんだ」


「……なに?」


 昨夜から今朝まで、ずっと悩んでいた。

 どうやって言えば良いのか。

 どうやったら伝えられるのか。

 ある程度は、整頓できたと思う。


 だから、今言うべきことは既に決まっている。


「お前、今週の内に──」





 朝のテムプス・ノヴム。

 馴染みの中庭──渡り廊下が見上げられるベンチ。

 俺はそこへ座っていた。

 早めに登校したので、まだ授業開始まで時間がある。


 右隣には金髪碧眼のギャルがいる。

 ソルダネラ・フォリアモメンタネアだ。

 珍しく深刻な顔で、俺を見つめている。


 左隣には青銀髪赤目の女性がいる。

 ファインオルド・シューランペだ。

 磊落な余裕が感じられる表情だ。

 そこに不愉快な傲慢さはない。

 むしろ宿っているのは、相手をリラックスさせる爽やかさだ。


「先生、いきなり呼び出してすみません」


 俺が話を始めた。


「いいわよ。かなり大事な相談があるみたいだね」


 ファインオルドはそう言い、俺の方を観察するように見つめる。

 縦に裂かれた瞳孔がこちらの瞳と遭う。


 俺は口を開いた。

 そして、


「……このままじゃ、学園の皆が死ぬかも知れないのです」


 そう告げた。


 それを聞くと、ファインオルドの瞳が少し大きくなった。

 それでも、ひどく動揺したようには見えない。


「先生。先生もネラ──ソルダネラの能力は知ってますね?」


「ええ。……まさか、それが皆を死なせると言うの?」


「そうです」


 きっぱりと言うと、右の方から気配がした。

 ネラだった。

 多分、今の彼女は辛い表情をしている。


 だからちょっと焦って、次の言葉を思い浮かべた。


「でも、決してネラの本意でそうなるわけではないのです! それを企んだヤツが学園内に潜んでます」


 俺は言葉を繋ぐ。


「犯人はわざと彼女の能力を暴走させると思います。正確にどうやってそれをするのかは、まだ知りませんが」


 すると、ファインオルドは唇に指を当てて、ちょっと考え込む。


「つまり、私にその犯人を制圧して欲しいというわけね?」


 俺に視線を注いで、彼女は言い続ける。


「でもその話は曖昧すぎるわよ。いくら私でも、エイギヴェル随一の教育機関で誰なのかも分からない一人を制圧するだなんて、無理だから」


「……」


 そこで、俺は躊躇した。

 言い足すべきことが一つだけある。

 でもどうしても、ネラの気持ちが気になってしまう。


 その時、背中に温かいものが触れた。

 ネラの柔らかい掌。


「……大丈夫だから、言ってあげて?」


 耳元でそう囁かれた。

 びっくりするほど優しい声音だ。

 少しは勇気を得る。


 俺は、


「実は最も疑わしいと思うヤツが一人、います」


「へえ、それは誰?」


 鋭い目をして、ファインオルドは答えを促す。


「プレストトノス・ベルです」


 それを聞くと、彼女はさっきよりずっと驚いた表情になった。


 その気持ちは分かる。

 でも、それが事実なんだ。


 前回の切り替え直前、廃墟と化した校庭の中。

 クリスは息絶える前、俺に教えてくれた。

 ──この全てを招いたのは、プレストトノス・ベルだと。


 それだけではない。

 二回目の切り替えの直前、体育倉庫の出来事だってそうだ。

 もし本当に俺が見たラムポートが虚影だとすれば。

 ──ネラの『象能替』が暴走した時、彼女の隣にいたのはプレストトノス・ベルしかいないのだ。


「……話は分かったわ」


 ファインオルドは頷いた。

 しかし、それで終りではなかった。


「では、ロゴスくん、君がそう思う根拠を聞きたいんだけど」


「……それは」


「それなりの理由があるんでしょう? 私だってそれくらいは聞きたいと思うわ」


 困ってしまう。

 だって、根拠など、自分の経験しかないのだ。


 そう、この世界の誰も見たことのない、俺だけが知っている経験。

 今はまるごと削除されてしまった、現実だった非現実の経験。

 それが唯一の根拠だ。

 それはある意味、俺の妄想が根拠だと言うのと違いないだろう。


「どうしたの? 何で言えないのかしら?」


 ファインオルドの赤い目が俺を直視し続ける。


 ──俺の左手はずっとポケットの中に入っていた。

 そこには『否応移し』がある。

 実は、校門の敷居を超えた直後、新しく登録をしたのだ。

 今回の『選択質問』は──


『陸暦1554年5月9日午前7時36分ごろ:

 最強の雌天這いに助けを求めますか?』


天這あまばい』という表現はちょっと気にかかる。

 しかし、登録はちゃんと済ませた。

 脈絡上、ファインオルドのことだと看做すしかない。

 とにかく、重要なのはそっちではない。


 俺はなぜ『否応移し』を使ったのか?

 それはファインオルドが本当に信頼できるのか、確信はなかったからだ。

 いくら表面的には正義の味方で良い教師だとしても、裏側で何が隠れているか分からない。

 俺はそう思ったのである。


「……」


 左手の手先に、『否応移し』のノブが触れている。

 ノブはいつだって回せる。


 一方、心の中では今言うべき言葉を選んでいた。

 途中、ずっとファインオルドの視線を浴びる。

 その不気味な眼球のデザインが、やけに威嚇的に思われてしまう。


 やがて俺は再度口を開いた。

 そして、


「そう思うしかない理由があったのです」


 言いながら、笑顔を作らせた。


「先生。俺って『預言の少年』じゃないですか。危険が分かるふしぎな力の一つや二つくらい、持っていてもおかしくないかも知れませんよ」


「……」


 心臓は騒ぎはひどい。

 俺が緊張していることは、きっと誰から見ても歴然だ。


 しかし、どうでも良い。

 最初から余裕を装うつもりなどない。

 俺はただ、言うべきことを言っただけだ。

 これで納得してくれたらOKだ。

 もしそうならず、さらにマズい状態になると──即刻『否応移し』を使って、ファインオルドの助けを求める案は廃棄する。

 それだけなのだ。


「……」


 けっこう長い間、俺たちはにらめっこをしていた。

 冷や汗が項を流れることを感じた。


 そして、沈黙に終りが訪れた時、


「ふっ、ははっ」


『最強の雌天這い』がこぼしたのは、そんな笑い声だった。


「ロゴスくん、君は意外と肝っ玉が大きいわよね。それとも単に思慮深さに欠けているのかしら?」


 なじる口ぶりではない。

 むしろとても愉快そうだ。


 ファインオルドは可愛い子猫を見ている視線で、俺を注視した。


「本当、よく言うわね。魔術も使えないくせに」


「う、っ」


 返す言葉がない。

 俺がバカで無力なのは、事実なんだから。


「……でも、私は今まで君、いや……君たちを良く見てきたわ」


 ファインオルドの笑みはとても優しくなった。


「だから、ロゴスくんがフォリアモメンタネアさんのことを本気で思っているのが分かるわ」


 背中にネラの掌が置かれたままだった。

 それを聞かれて、背中から伝わる熱が少し増したような気がした。


 青銀髪の女性は、言葉を繋いだ。


「そして、私は赤心から人のためになる人が好きなんだよね」


「……じゃ、先生は……」


「今は、ロゴスくんを信じてみる」


 豪快な口調で、答える。


「私が力になってやるわよ」


 そして、ファインオルドは眩しい笑顔を見せてくれた。


 つられて、俺も笑顔になる。


「……っっ、やったっ!!」


 瞬時に心の靄が晴れた気分だった。

 嬉しすぎて、思わずベンチから立ち上がって両手をかかげる。


 まだ座ったままのファインオルドに振り向く。


「先生、先生って、超超超強いんですよね?」


「……え、ええ。自分で言うのもあれだけど」


「先生が本気を出せば、大陸全体が敵になっても勝てるんですよね?」


「そ、それは流石に誇張が過ぎる──」


 俺はファインオルドの両手を掴んた。

 すると、彼女はちょっとビクッとする。


「──本当にありがとうございます、先生。ファインオルド先生は俺の恩人ですよ。俺は先生を崇拝してます! 先生が大好きです! 先生こそがこの物語のヒロインです!!」


 もちろん、俺が言った『ヒロイン』の意味は、女性ヒーローのことだ。

『大好き』というのも、尊敬できる教師に対する敬愛のことだ。


「え、えっ……?」


 縦に裂かれた瞳孔が微かに振動していることが分かる。


 ……やべ、喜びのあまり興奮しすぎた。

 今、絶対引いてるよな。


「あ、す、すいません。嬉しすぎてつい」


 先生の手を離して、俺はちょっと後ずさった。


「……」


 ファインオルドは気まずそうにそっぽを向いた。

 ……何だ、この空気、俺のせいなのか?


「……は?」


 まだベンチに腰掛けていたネラがそんな声を出した。

 彼女は何かこっちをすごい眼光で睨んでいる。


 え? 何で? ホワイ?

 ただ歓喜を全身で表現しただけなのに。


 混乱する間、


「あ、あの、ロゴスくん?」


 妙に顔を赤らめて、ファインオルドが俺に言う。


「は、はい」


「あの、気持は嬉しいけど、一応、私たち教師と生徒だから、ね? そういうのは良くないと思う、わ……」


「……へ?」


 やっと自分の語彙の選択がややこしかったと、自覚した。





 三十秒ぐらいの追加説明を通じて、誤解は解けた。


「……コホン! とにかく」


 ファインオルドは咳払いをして、言い出した。

 まだ頬に上気した跡が残っているが。


「私が手伝ってあげるってだけで油断しては駄目だわ。予想を超える何かが起こる可能性だってあるんだもの。これからは気を引き締めて、皆協力して危機を乗り越えましょう」


 彼女は明るい表情をして、俺とネラに向かって言う。


「私も全力を尽くします。私の大事な生徒たちを守ることだもの」


「……はい! ありがとうございます」


 俺はやはり嬉しい気持ちで、頷いた。


「ありがと、ファイン先生」


 ちょっと元気ない態度で、ネラも感謝を言う。


 彼女の気がかりの正体は知っている。


 自分の能力が原因で、人命を殺めるかも知れない。

 しかもそのトリガーは、信じていた友だちなのかも知れない。


 彼女にこのことを告げた俺も、責任を感じる。


「ネラ」


 だから、話しかける。

 彼女はちょっと項垂れていたが、俺の呼びを聞いて顔を上げた。


「俺の言葉を信じてくれて、ありがとう」


 まず、言わなきゃいけないことを言った。


「……ネラ、不安なのも理解できる。でもまだ分からないものだらけなんだ。せめて真実が全部暴かれる前まで、もうちょっと俺と一緒に来てくれ。その後、もし俺のことを恨むことになるとしても、俺が責任を持って、お前の気持ちを全部受けるから」


 俺はベンチの方へ右手を伸ばした。


「だから、今はもう少し頑張って、ついてきてくれ」


 中庭に旭の光がさした。

 見慣れた五月のきらびやかさが、俺たちを包む。


 だから、ソルダネラの瞳の温かい青も深さを増した気がした。


「……ふふっ、ロゴスのくせに、何かっこつけてんの?」


 ……あれ、何かセリフが悪かった?

 急に不安になってしまい、挙動不審になりつつあった。

 が、


「分かった。うち、ロゴスのこと信じてみる!」


 明るい表情を取り戻して、彼女は俺の右手を取ってくれた。

 そしてベンチから立ち上がる。


「──世界は正面だけじゃない。だから」


 ふと、彼女は呟いた。


「うち、ロゴスが見る世界のこと、もっと知りたい」


 眩しい笑顔だった。


 つられて、俺も笑っちゃった。





 ──お前、どのツラ下げて彼女の前でヘラヘラしてるんだ?


 どこかで、そんな声が聞こえた気がした。


 ──あの眩しさを殺したくせに。


 ──彼女との約束を裏切ったくせに。


 ──恥知らずの犯罪者のくせに。


 ──気持ち悪い偽善者のくせに。


 ……ああ、分かっている。


 だから決めたんだ。


 ソルダネラは必ずハッピーエンドに導く。

 彼女はずっと笑っていて欲しい。

 でも、俺は彼女から立ち去る。

 俺がそれを見られるのも、多分、今週が最後だ。


 ……だから、せめて今だけは、目に焼き付けさせてくれ。


 もうすぐ、終りなんだから。



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