明日で、全て終わらせる
晴野言は罪を犯した。
どうしても償いきれない、深く、大きい、罪を。
彼はそんなつもりじゃなかった。
でも、それだけでは弁明にならない。
重要なのは意図じゃなく、現れた現実だ。
晴野言は、ソルダネラ・フォリアモメンタネアを殺した。
例え彼がこの現実を反転させ、再び彼女の生きた顔を見ても、
犯罪の記憶を覚えているのが彼だけだとしても、
晴野言は罪人だ。
それが真実なのだ。
*
死体の山の上。
一時は青春の舞台だった荒れ場の真ん中。
晴野言はソルダネラの死体を抱きしめた。
やがて彼が彼女から離れた時。
疲れた目で、横たえている彼女を見下ろした。
憂愁を含んだ視線で、綺麗だったその顔を見つめる。
「お前に誓う、フォリア──ソルダネラ・フォリアモメンタネア。俺の全てを、お前に捧げる」
少年はしゃがれた声で、宣言した。
「分かっている。それでも、この罪は償えない。でも、それが俺が出来る全てなのだ。どうか、受け取ってくれ。……そして一つだけ、約束するよ」
苦しい表情で、彼は言葉を繋ぐ。
「最後に選ばれる世界では、お前を笑わせてみせる。たとえその過程で幾百、幾千の涙を見ることになるとしても。俺がそれをことごとく反転させてみせる」
少年はポケットの中から、やぼったい機械仕掛けを出した。
人生の選択肢を登録し、後から切り替えることが出来る不思議な装置。
──『否応移し』だ。
その上端のディスプレイには、次の通りに表示されている。
『陸暦1554年5月8日午後0時46分ごろ:
瞬きの乙女のそばに留まりますか?』
最初、晴野言がその質問を目にした時。
彼はそれに情報量がひどく足りないと思った。
しかし、今なら分かる。
それこそが、この瞬間に晴野言が最も確言するべき問いである。
言は口を開いて、
「──ああ、俺はソルダネラのそばに留まる」
少年はノブをつまんだ。
「彼女を幸せにするためなら、なんだってする」
そして、ノブは『はい』の方へ。
そして、渡る。
❖ ❖ ❖
「……」
俺は見回した。
息を呑んだ。
「──ロゴス、どした? いきなりぼーっとして」
俺の右隣。
ソルダネラは、いた。
微かな笑みが眩しい。
何ごともなかったかのように、笑っている。
彼女を構成する全てが、都市の夜の光を受ける。
とても輝いていた。
息をして、生きている。
丸い目をして、俺を見つめる。
俺の顔がそんなにおかしかったのか。
「……ロゴスって、たまにそんな顔するよね。ウケる」
しかし、彼女の笑みは相当薄れている。
俺のことを心配している様子だ。
彼女の温かさで心が一杯になる。
……でも、俺にそれを受ける資格は、
「……」
少し彼女から目を離して、周りを見回した。
夕刻を過ぎた時間だと分かる。
周辺はかなり暗くなっている。
眼の前にはイリスバラの夜景がある。
それが俯瞰できる良い場所のベンチに、俺たちは腰掛けていた。
どうやらどこかの公園に来ているようだ。
ただ、正確にどこなのかは分からない。
しかし、今はそんなことより、
「ソルダネラ」
俺は彼女の名前を呼んだ。
「……へ?」
彼女はきょとんとした顔で、目を見開く。
「……ああ、そうか」
気付いて呟いた。
今まではずっと、『フォリア』と呼んでいたな。
俺は再度口を開いて、
「一つ、質問がある」
「な、なによ、そんなマジな顔で……。やだ、こっち見ないで」
それは、今までソルダネラから見たことのない反応だった。
少し顔を赤らめて、俺の視線を避けている。
でも俺は構わず、言い続けた。
声の震えを抑えようとしながら、
「……学園は、テムプス・ノヴムは、無事なのか? 誰か死人とか出てないのか?」
そう、問うた。
「……は?」
それを聞いたソルダネラは顔を顰める。
今度は俺を真正面から睨んで、
「当たり前じゃん、そんなの。てか自分で何時間前下校する時見たっしょ? わざわざ聞く意味、ある?」
何か、がっかりした顔だった。
でも俺はその答えに満足できなかった。
もう一度、確認したかった。
「本当だな? 何か負傷者が出たりもしないよな? 建物が崩れたとかもないんだよな?」
「しつこいっつーの。何も、全然、全く、これっぽっちも、変なことは起こってない!」
ぷんぷんと怒り顔をしながら、ソルダネラは言う。
「…………はぁ、良かった、本当に」
でも、俺はほっとした。
胸をすりおろしながら、長い息を吐いた。
──ありがとう、否応移し。
真心から感謝した。
凄まじい脱力感が襲ってきたので、俺は背もたれに身を委ねた。
「てか、いきなりなに? 『ソルダネラ』って」
俺に向かって、ソルダネラはそんなことを言う。
どうも呼び方のことが気にかかるらしい。
「他の人からそう呼ばれることあんまりないんだよね。何か、ムズムズするってか」
まあ、いきなりだったので、慣れないのも理解できる。
でも、俺にも言い訳はあるのだ。
「……だって、フォリアと呼んだら、兄妹区別ができねぇだろ」
「ああっ、まさかロゴス、うちのバカ兄とあったの?!」
『兄妹』と聞いた途端、彼女は興奮しだした。
「信じらんない!! いつの間に?! あのアホに何か変なこと聞かれたんっしょ?!」
何で怒るのか、ちょっと分からない。
普通に妹思いの良い兄だと思うんだけど。
……いや、普通ではないか。
ていうか、ルバスあいつ、なにが『ネラはオレのことを誰よりも愛して信頼している』だ? 全然信頼されていねぇじゃねぇか。
愛されているかは知らんが。
「とにかく、これからはそう呼ぶ。改めてよろしくな、ソルダネラ」
「だから、むしろフォリアよりそっちの方が硬いって! うちはロゴスにそう呼ばれるの嫌い!」
「じゃ、ネラちゃんで」
「それはマジでやめろ。ちゃん付けはマジでない、ガチでない」
そんなに嫌だったのか、彼女の目元には不機嫌な影が差している。
初日にへんたい呼ばわりしていたときの顔を思い出した。
何か懐かしくなったので、少し調子に乗ってしまう。
「じゃ、ネラネラとか?」
「……次はぶっ叩くよ?」
目がマジだ。怖い。
「分かったよ。普通にネラって呼べば良いだろ?」
「……まっ、いいじゃん、それで。好きにすれば?」
ネラは縮れ毛の先を更にぐるぐる巻いている。
目はそっぽを向いたままだった。
「……」
鼓動が上がっていることを隠したかった。
「……ふ……」
落ち着こうと、俺は息を吐いた。
どきめきの理由は極めて単純だった。
彼女の動作。
彼女の輪郭。
彼女の色彩。
その一つ一つがありがたくて、しょうがなかったんだ。
☆
鼓動が少しは鎮まってきたころ、
「で、結局、ここはどこだ?」
再び見渡しながら、俺は質問した。
「一緒に来ておいて、何いってんの?」
少し眉根を寄せながら、ネラは答えてくれる。
「第14緑色ゾーンだよ? 最初に説明したっしょ? うちのアパートから一番近い緑色ゾーンがここだって」
「緑色ゾーン?」
「だから、イリスバラで唯一本物の植物が見られるところ」
「本物の植物って……」
彼女の言ってることが理解できない。
だが、問い質したりはしなかった。
「ちょっとアパートに閉じこもるのもあれだから風浴びたいって、言ったじゃん。暑かったし」
確かに、言われてみると、今日は今までの夜に比べて気温が少し高い気がする。
そこまで言うと、彼女は視線を前へ戻した。
しばらく、彼女は黙って、イリスバラの夜景を眺める。
「……」
しかし、俺はずっとネラを見つめたままだ。
夜風が吹いてくると、彼女のふわふわとした金髪が靡く。
さらさらと、微かに摩擦音が聞こえる。
思わず触れたいと思うくらい魅力的だ。
彼女のなにもかもが、生命で満ち溢れている。
「なんか、新しい星が現れたって」
「……へ?」
うっとりして彼女の横顔を眺めていた。
だから、ちょっと間抜けな音で応じてしまう。
「雑誌で言ってた。今から探してみる?」
ネラが天空を指差す。
つられて、見上げる。
──そこには、数え切れない星々が輝いている。
東京の空よりも、青森のお爺ちゃんっちで見た空に近い。
多分、元の世界の星座とは違うと思う。
詳しくないから確信はできないが。
しかし、確実に違うと言えるものが一つだけある。
北東の湾の上の空に掲げられた、アレだ。
そこには傷跡みたいな大きな亀裂が見える。
その狭間から、紺色の光がこぼれている。
月はない。
昔、ここの世界の空は月を喪失したらしい。
最初の夜に、ネラが教えてくれた。
「……やっぱ、分かんないや。うち星とかあんま知らないし」
彼女は呟いて、空から目を下ろした。
さっぱり諦める姿勢が清々しい。
☆
「ロゴス。金曜日とか、ここ、また来よ?」
「……良いけど、なんで?」
「精霊ちゃん、ここに放したくて。……ほら、クルクスくんのために買った、あれ」
「ああ、あれか。放すんだな」
日曜日、初めて街に出た時。
ネラがクルクスの誕生日プレゼントとして買った精霊の標本だ。
そういえばあれは生きているものだと言ったな。
「でも、良いのか?」
俺はそう聞いた。
「……どうせもう渡せないし」
淡々とした口調で、ネラは話を繋ぐ。
「精霊ちゃんもうちのアパートの中にこもるより、もとの自然に戻りたいと思うっしょ? でもイリスバラで自然に近いところは緑色ゾーンしかないし」
別に強がりを言っているようには見えない。
「……そうだな」
呟くように、俺は言った。
金曜日なら、これから明後日の5月10日だ。
「そう、金曜日、一緒に……」
☆
こっちの選択肢へ渡る前に、俺は一つを決めた。
──明日で、全て終わらせる。
5月9日、木曜日の内、全てに終止符を打つ。
ソルダネラとイリスバラを脅かすモノを、全部駆逐するのだ。
未だ正体は知らないが、今まで散々あいつのやりたい放題にさせた。
もう思う通りにはさせない。
今からは、こっちから反撃に出る時だ。
そして俺は、ソルダネラをハッピーエンドへ導く。
そして、それが終わったら。
俺はソルダネラのそばから離れて行くのだ。
もうこれ以上、彼女のそばにはいられない。
俺にハッピーエンドを迎える資格なんか、ない。
俺はソルダネラを何度も死なせた。
いや……俺は彼女を、この手で直接、殺した。
人殺しが殺した人と一緒に幸せになるだなんて、間違っている。
俺に彼女の温もりを感じる資格などないのだ。
☆
でも、どうやって終われせるのか。
元凶の正体は謎に包まれている。
俺は相変わらず無力だ。
これから俺に出来ることなど、僅かしかない。
しかし、ネラは教えてくれた。
──世界は正面だけじゃない。
そういうことも、あるんだよな。
ある人には一世一代の問題で、失敗確率がクソほど高いのに。
また他の人には指一本動かすのと同然なことが。
今までソルダネラを守れなかったのが俺の無力のせいだとすれば。
しっかり力を持つ人に任せれば、乗り越えるんじゃないか?
情けない、かも知れない。
しかしソルダネラを助けるなら、俺はどんな手だって掴む。
別に俺が英雄になる必要など、全くないのだ。
だから、俺は口を開いた。
「ネラ、一つ聞くけど」
「なに?」
「……この街で一番強くて、頼りになって、正義の味方な人がいるなら、それは誰だと思う?」
「んーっ?」
質問の意図が良くわからない顔だった。
彼女は少し考え込む。
でも、長引かなかった。
「ファイン先生っしょ」
「……ファイン?」
「ほら、ファインオルド先生っ。うちの担任の」
「──あ」
思い出した。
青銀髪赤目長身の、堂々とした女性。
──ファインオルド・シューランペ。




