世界を救った大英雄、ハレノ・ロゴス
日が消えたテムプス・ノヴムの校庭に、冷たい夜闇が這い寄ってくる。
その中には、絶望と死の臭いが充満している。
廃墟と化した学園の隅っこ、俺だけが生き残っていた。
既に冷たくなったフォリアの体を抱きしめたままだ。
どれほど時間が過ぎたのだろうか。
俺の後ろで、誰かが現れた。
「……」
何となく、それが誰なのか確認した。
「なるほど、そういうことだでございましたか」
冷静な声音がそう呟く。
黒いドレス、白髪、ボブヘアの女だ。
王の召使い、ラヴィエだった。
相変わらず、彼女の青い瞳はひどく冷たい。
「『預言』とは、度し難いほど頼りないものですが、過ぎてみれば納得がいってしまうものですね。本当に、厄介な概念でございます。……既に知っていたつもりでしたが、感嘆せざるを得ませんね」
奴の戯言が理解できなかった。
今さら現れて、何のつもりだ?
「……なにを、言って」
「周りを見渡してください。少年さま」
ラヴィエは言う。
思わずそれに従ってしまった。
すると、壊滅されたテムプス・ノヴムがある。
もっと遠景には、ひどく損傷された学園の周りの街がある。
死体が山積みになっている。
しかもその殆どは損傷されて、身体の一部を無くしている。
どんな惨たらしい戦場だとしても、これよりはマシだろうと思った。
「ひどい、とお思いになりましたか?」
言いながら、ラヴィエは小さく頷いている。
「ソルダネラ・フォリアモメンタネアの潜在性は、確かに恐るべきものでございました。ですが実は、これは彼女の本当の力の一部に過ぎないのです。なにせ、未来の事象をエネルギーに替える『象能替』の変種の持ち主……」
心なしか、『象能替』を口にするラヴィエが軽く身震いをしたような気がした。
「どんな優秀な魔術師であっても、それを防げる者はございません。本来なら、もしや、イリスバラ全て、いや……エイギヴェル国全てを、海の底へ沈ませたかも知れません」
語りにどんどん熱が入る。
非人間的に冷静だった彼女の声音に、変化の前触れが垣間見える。
「なのに、ソルダネラが暴走してなおその破壊力は、学園テムプス・ノヴムの領域の中で限られた。しかも、二度と被害がないように、彼女を完全に制圧することが出来た」
ラヴィエは、人差し指でフォリアの死体を指した。
「これは、ある意味、大成功だと言えるでしょう。そして少年さま。貴方は、イリスバラを救った英雄でございます。──おめでとうございます」
「──ふざけるな」
歯ぎしりをしながら、答えた。
「今すぐここから失せろ。じゃないと、殺してやる」
「……どうやって、でございますか?」
俺の脅しに、彼女は即時に応じた。
ひどく理解できない表情で、ラヴィエは首をかしげた。
彼女の変化は歴然だった。
その声音に、異質的な狂乱的歓喜が溢れ出る。
その表情に、不気味に歪曲した笑みが浮かび上がる。
「貴方が『瞬きの乙女』を抑えたのは、貴方個人の力によるものではなく、預言が成し遂げられたことに過ぎません。それこそ魔術でなく『魔法』に近い何かの不思議な力が作用していたのでございましょう」
人形のような顔に、歪な影がさす。
侮蔑の顔色がその上に現れた。
「しかし、『乙女』の命が果てた時点で、貴方は無力です。ただの役立たずのクズに成り果てたのです。それがどうやってわたくしを殺せるのでしょうか?」
彼女はにっこりとした顔になる。
「ふっ、失礼しました。いくら事実とは言え、『預言』が終わったのが嬉しすぎて、つい良からぬ口出しをしてしまいました。……でも、嬉しいのは、この湧き上がる感情は、どうしようもないです。ええ、そうです。そうでございます。……ふふ、ふ、ふふふふ……は、ははは」
やがて、笑みは狂った笑い声に変わる。
恍惚とした表情で、ラヴィエは空を仰いだ。
「信じられないです……。でも、ああ、本当に、そう、そうなんです、ね──『預言』は、終了しました。もうこれ以上、不愉快な胸騒ぎをする必要もない。もうこれ以上、次の瞬間に迫ってくるかも知れないことに恐れる必要もない──そうです、そうなんです! もう何もかも、終りなんです!!」
上げられた声がひっそりとした廃墟に響き渡った。
それは、軽いこだまをなしてしまうほどだった。
「ああ、これで、陛下も、やっと……!! 預言という呪縛から、放たれる!!!」
一度堰が切れた感情は、どうしようもなく爆発する。
頬には歓喜の涙液が流されていた。
目玉には充血の色が現れ、本来の青に混じった。
「あの穢らわしいニセ預言者のざれごとも、これで全て終りッ!!! 全ての呪いは死んだ!!! 嘆くべき災いは殺された!!! この地上に、最も恐ろしい災厄が払われたのだ!!! 『預言』も『象能替』も、全部全部、くたばってしまったのです!!! ははははははは!!!」
笑いはしばらく続いた。
「──はははは!! ははは! ははは、はは。は、は、はぁ……」
しかし、すっと止んでしまう。
再び、ラヴィエは冷静な召使いの凛とした姿を取り戻した。
「……少年さま、誠に感謝いたします」
彼女は深々とお辞儀をした。
「貴方は、この街だけでなく、わたくしという個人をも救った。そして、陛下という、巨大な意志も。……そうなんです。貴方は二つの世界を救ってくださったのです。だから貴方は、世界を救った大英雄でございます」
ラヴィエはこちらへ、不気味な笑みを見せた。
「──おめでとうございます。世界を救った大英雄、ハレノ・ロゴスさま」
*
俺は静かに立ち上がった。
フォリアの遺体を一人にするのは心細い。
しかし、なるべく安楽な姿勢に寝かせた。
そして俺は、壊れた壁際の陰に行った。
「……?」
俺の動作をラヴィエが目で追っていることが分かる。
しかし構わなかった。
すると、
「……ちゃんと、あったか」
もっと時間がかかるかも知れないと思ったが、違った。
探していたものを、物陰の下で探した。
俺は『放出機』を拾い上げる。
ラッチを押して、シリンダーを開ける。
すると、空っぽになった薬莢が出てきた。
それを除外して、試しに引き金を引いてみた。
──ちゃんと作動している。
どうやら、思ったよりもずっと頑丈な作りになっているらしい。
俺はポケットから何かを出した。
──『特撹弾』だ。
最後の一発の弾丸だ。
弾丸の上端のボタンを押すと、針が出る。
それを右手に刺して、血液を取る。
再び、それは螺旋を描いて深い美麗の藍色に変わる。
それを確認して、俺は弾丸を『放出機』へ装填した。
装填が終わると、
「────」
構えた。
もちろん、撃つべきモノは一つしかいない。
あの醜い白い頭蓋へだ。
正確に、確実に、壊したいと思う。
それを殺したいと思う。
「──えっ? それは、何のおもちゃでございましょうか?」
ラヴィエはきょとんとしている。
全然、避けたり、近づいて俺を制圧したり、しない。
恐らく、ひどく舐めているからだろう。
どうでも良い。
俺としても、そっちの方が都合が良い。
迷いはなかった。
俺は、放出機を撃った。
*
「────」
容易く命中した。
彼女の右目に、特撹弾がぶち込まれた。
「────あ、あっ、えっ?」
すぐには死なない。
あれは、特殊な出来の身体なのか。
頭蓋に弾丸が込まれただけでは、死なないらしい。
「ぁ、ああ、あっ、だ、これ、なに、あ────」
しかし、『特撹弾』の威力は、最初の物理力だけではない。
第二波は、更に恐ろしい、必殺の一撃だ。
やがて明滅が始まった。
「あ、あ、あ、あ、あ、あ────」
醜く蠢く汚物が、そんな奇妙な声を上げている。
何が起こっているのか良く理解できなさそうだ。
混乱しているのか、或いは絶望的な苦痛で喘いでいるだけのか。
知らない。
知りたくもない。
「────あ、あ、いや、こんな風には、いや、あ、助けて、へいか────」
ただ、あいつの生命が果てることを、ちゃんと目に焼き付ける。
悪臭を放つ醜体がくたばって、この世から歿されて行く、その姿を。
「……ふ、ふふっ」
……それが、今の俺には、とてつもなく快かった。
自分の顔が歪んでいくのが分かる。
心の底から歓喜を感じている。
それは漲ってきて、やがて顔にまで現れるのだ。
「ふ、はははっ」
だから、どうしようもなく、笑っている。
たったの数時間の間だった。
なのに、最低の絶望と、最高の悦びを感じた。
俺は目の前で悶える汚物から、少し目を離した。
「なあ、神さま」
そして、天に向かって、呟いた。
「たまには良いこともするんだな、あんた」
❖ ❖ ❖
ちなみに、今度の選択肢の死人は全て、『切り替え』の後、よみがえります。
ソルダネラちゃんはもちろん、ラヴィエさんも、クリスも、全員です。
それに、この物語はハッピーエンドです。
こんなの言ってしまうのは無粋かもしれませんが、心配している人もいるかも知れないと、私も心配になったので、つい。
とにかく、これからもよろしくお願いしますね。




