事象には、エネルギーがある
午後授業の間、休み時間。
テムプス・ノヴムの一隅の廊下。
ソルダネラ・フォリアモメンタネアは周りを見回した。
しかし、やはり探している人は見当たらない。
「ロゴス、マジでどこ行っちゃったの」
ちょっとした焦燥と共に金髪の少女は呟く。
いつの間にか、心配で心が一杯になっていた。
「……嘘つき」
不満げに呟く。
「いつもつきっきりで、うちのこと守ってくれるって言ったじゃん。……言ったそばから逃げんなし」
少女は火曜日の出来事を思い出した。
保健室で、五月のそよ風に撫でられて。
少年は約束してくれた。
ヤバい時には守ってくれるって、言った。
「……あれっ、そういえば」
ソルダネラはちょっと首を傾げながら思う。
「いつもつきっきり、とは言ってなかった?」
しかしそんなのどうでも良いと思った。
「っ、とにかく、一人で何もいわないで勝手にどっか行くな! せめて、トンボぐらい残してもいいじゃん」
ふくれっ面で、ソルダネラは愚痴を言う。
何て薄情者なのか? ハレノ・ロゴスは。
そのために初日からトンボを登録してやったのに。
何も言い残せず、授業もサボって、どこへ行ったのやら。
とはいえ、教室の中では基本的にトンボをオフにすることが校則だ。
だから急務でどこかへ行ったとしても、メモを残すのが困難だったかも知れない。
「……」
歩き回していたら、いつの間にか馴染みの渡り廊下についていた。
ソルダネラが最後にロゴスを見かけたのがここでだった。
向こうの中庭のベンチに座って、こっちを注視していた。
「……どうせスカートの下とか覗いていたっしょ? ムッツリへんたいくん」
窓辺で頬杖をついて、小さく呟いた。
実はそんなことなど思っていない。
ただ彼の悪口が言いたい気分だっただけだ。
……この感情は何なんだろうか。
少女は答えが出せず、困っていた。
腹の中で何かがうねるような。
名状しがたい不安にかられている。
ロゴスに対する気がかりだけ、だろうか?
「……これじゃ、うちの方が全然保護者してるじゃん。ロゴス、カッコ悪い」
あの少年に会ってからまだ二週間も経っていない。
なのに、もう彼が周辺にいるのが当たり前になりすぎた。
だからたったの二時間ぐらいの間だけで、こうも不安になってしまう。
「マジ、調子くるうわ……」
珍しくソルダネラは少し落ち込んだ。
だから元気なく、窓辺で項垂れていた。
☆
「やあ、フォリア。奇遇だね」
いきなり話かけられる。
少女は顔をしかめた。
嫌味が感じられるような声音から、既に誰なのか分かったのだ。
──シリルス・ラムポートである。
「……」
何も答えず、ソルダネラは窓から離れて帰ろうとした。
彼がその辺に立っているのは分かるが、顔にまでは視線をやらない。
しかし、
「さっき見たのさ。あのロゴスとやらを、あそこのベンチで」
ラムポートの真横を過ぎる頃、言われた。
だから止まってしまう。
「なんと、あいつはシューランペの末っ子とかなり仲が良さそうだったんだ。ほら、君も知っているだろう? ファインオルドの妹の、巴の次代門番と呼ばれる、彼女だ」
「……」
しかし止まっているだけで、何も言わない。
それに未だラムポートには視線を向けない。
「君だって聞いていると思う。あの子に関しては、良くない噂が多いな。容貌は良いし、家柄も確かに群を抜いているが、あんな良からぬことを起こしていては、な」
その語りを聞くだけでラムポートのニヤケ面を思い出してしまう。
そして、何で彼がこれを言うのかも分かった気がした。
「……アンタ、聞きたいことがあんだけど」
やっとソルダネラはラムポートと対面した。
「──何だい? 君の質問なら、何だって答えるよ」
嬉しい心持ちをどうにか隠そうとするのが見え見えだった。
振り向かれただけでそんなに良いのか。
正直、呆れてしまう。
「そんなことしてて、うちに好かれると思ってんの? マジで?」
真摯な少女の顔は、普段の明るさとは違う。
「……」
ラムポートは何も言わなかった。
目をしばたたきながらソルダネラの顔を見つめていた。
しかし、笑みを浮かべた。
「……っ」
ソルダネラは視線を逸らして、そこから逃げた。
やっと自覚する──ラムポートからの話を聞かされ、彼女はかなり苛ついていたのだ。
彼もそれに気がづいた。
さっきの笑みは、自分の語りの効果を確認して浮かべた満足の微笑だったのである。
「……きらい」
廊下を早足で歩きながら、ソルダネラは呟く。
ロゴスに対することである。
彼じゃなければ、こんなに動揺する必要もなかった。
彼が一人でどこかへ行ってなければ、こんな不安を感じることもなかった。
……彼が他の女の子、しかもシューランペの末っ子と話していなければ。
こんな変な不快感を覚える必要もなかった。
「ロゴスの、バカ」
乙女の囁きは、誰かに聞かれることもなく、消えた。
☆
「ネラちゃん!」
いきなり横から話しかけられた。
颯々とした声の主を、ソルダネラは知っている。
だから彼女の顔は一気に明るくなる。
そっちへ向かって、ソルダネラは、
「トトノ、どしたの?」
立っているのは、緑色サイドテールのちっちゃい女の子。
まるで青リンゴのような色合いの、プレストトノス・ベルだった。
◇ ◇ ◇
そろそろ西の方に太陽が傾き始める頃だ。
俺はシェルズ・ヴィトルの屋上にいる。
ここは意外と眺めが良い。
市街地がパノラマで俯瞰できる。
南の方にはテムプス・ノヴムの校庭がかすかに見える。
学園が丘の上にあるので、遠くからでも確認できるのである。
俺は屋上の一隅の椅子に腰掛けていた。
焦りながら、向こうに視線をやった。
そこには小汚い子供たちが集まっていた。
彼らが注視する方向には、黒板が置かれている。
その前で巨大なサザエの貝殻がある。
蒼白な男の上半身がそこから出ていた。
ブラチアリスは指を立てて言う。
「事象には、エネルギーがある」
彼は言葉を繋ぐ。
「『事象』とは何か? 言い換えれば、それは『事件』とほぼ同じ概念だ。私が今、諸君に向かって喋っている──これも事件だ。諸君の一人が街の子どもと喧嘩をした──これも事件だ。戦の最中、陛下が腹を崩して、戦場から逃げ出してしまった──これもまた、事件だ」
さっき俺に対していた時とはかなり違う声音である。
優しいとまでは言えないが、ぞんざいな感じが消えて真摯になっている。
サザエの下部、4つの足は静かに動いた。
ブラチアリスはそぞろ歩きするように、黒板の両端の間を行き来している。
「さて、その事象にエネルギーがあるとは、どういう意味なのか。言葉通りだ。例えば燃料にはエネルギーが秘められている。それと同じく、各々の事象にもエネルギーが秘められているということだ。
ならば、エネルギーの計算はどうやって行われるか。比例関係から誘導できる。つまり、事象によって生じる世界の状態の変化量と、事象のエネルギーとは、比例関係が成立するようである。
だから、事象のエネルギーが莫大ということは、すなわち事象による世界の変化が大きいという意味になる」
語りの最中、8本の機械腕の中の一つが黒板に比例関係を示した。
サザエの男は言い続ける。
「さて、それではさっきの例に戻ろう。掲げた三つの事象の中、一番エネルギーが大きいものは何であろうか?」
子どもの群れ、真っ先に座っていた男児が手を上げた。
「王さまが戦場でお漏らしした事象です」
「──正解だ。私は別にお漏らししたとまでは言ってなかったが、とにかく」
群れからちょっとしたクスクスする声が聞こえた。
俺はそれをただぼうっとして聞き流す。
「さて、今まで私が伝えたことは、とても偉大な発想であった。しかし、残念ながら、私が提唱した説ではない。昔、初めてそれを言った学者たちがいた。彼らは一つの名前によって一括される。
それこそ、かの有名なフォリアモメンタネア家の名前である」
しかし、その名前を聞くと、はっとなった。
「かつて由緒正しい魔術師の家系だった彼らは、過去のある時点で、事象とエネルギーの関係を明かし、それを応用した特有の魔術に到達した。それこそ、事象をエネルギーに変換させる魔術である。彼らはその魔術をこう名付けた──『象能替』とな。分かりやすい名前だよな」
機械腕が黒板に書いた名前を指して、ブラチアリスは言う。
「象能替の始祖の一人は、やがてその術を体得するに至り、術式を自分らの血筋に残した──それは珍かなものではなく、歴史がある魔術師の家計では普通のことである。フォリアモメンタネア家の人々は皆優秀な術師で学者だったおかげで、その力は代を重ねるに連れて、増していった。
彼らの力が絶頂に達した時は、この王国の全盛期と被さっている。それこそ、まだ王都が沈まずに存在していた、あの頃のこと──エイギヴェル黄金期のことである。しかし、『大侵略』と『王都沈没』の後、この世にフォリアモメンタネアは数少ない希少種と化し、従って象能替の駆使者も少なくなった。
……実は、私は個人的にその一人を知っているのだがな」
ブラチアリスが誰を指しているのか、俺は即時に分かった。
「彼は、過去の事象をエネルギーに置換することが出来るのだ。それも、驚異の速さで。私がその詮術を聞いてみると──何と、自分でも適当にやっているだけだとか。
本来は厳格な論理過程だったはずの『象能替』は、世代を重ねながら、もはや感覚や肢体と同じもののレベルまで、フォリアモメンタネアの存在と同化したのだ。だから、それは鳥にどうやって飛ぶのかを聞くのとあまり違いのない、愚問だったのである。
あ、そうだな。実はもう一つ、彼との面白い逸話があったのだが──」
──その時、アラームが鳴った。
メトロノームのように秒を数えていた、黒板の上の独特な時計からだ。
「おや、もうこんな時間か? では、今日の授業はここまでにしようか」
☆
俺がなぜシェルズ・ヴィトルの屋上でブラチアリスの講義を聞いていたのか。
聞きたいからそうしたのではない。
俺はただ、新しい特撹弾の完成を待機していただけだ。
──それは特撹弾の試しが終わってからのこと。
ブラチアリスはたまげた表情で、いったい何が起こったのかを理解しようとした。
その後から彼の態度は妙に変った。
どうやらその試演は彼にしっかと興味をそそらせたようである。
ルバスは騒ぎ立てるブラチアリスから離れて、俺に囁いた。
「彼は金の臭いを感じ取った」、と。
しかし俺としては、実験体でも金蔓でも何でもよかった。
ただ『特撹弾』がもっと欲しかった。
その力を俺は直接見たのだ。
あれは武器というより、ジョーカーに成りうる兵器だった。
あれほどの強力な兵器があればソルダネラも守れる。
どんな敵が現れたとしてもそれを抑止できる力になる。
そう思い、その弾丸をもらいたかったのだ。
しかしそれからが問題だった。
残っていた特撹弾は、あの試しの一発が最後だったのである。
材料も不十分で、碌な工程もない。
ゆえに、仮に二発ぐらいを作るのが現在の限界だとブラチアリスは言った。
なので、それが終わるまで俺は待機しているのである。
途中、ルバスは他の所で用事があると言い先に行ってしまい、結局一人残ってこの奇妙なサザエの男の作業を見つめていたのだ。
地下室にてわけの分からない薬品を調合するブラチアリスを見ていると、いつの間にか一段落がついたらしかった。
それでようやく終わったのかと思ったら、あくまでも一段落だった。
出来上がりにはあと時間がもうちょっと要るという。
落胆していると、いきなりブラチアリスは言い出した。
「やべ、もうすぐ講義時間じゃねぇか」
それが理解できず注目していると、彼は急いで地上へ行くのだった。
それを追っていくとちょうど入口からノックの音が聞こえた。
ブラチアリスの機械腕が伸び扉を開けた。
すると、十弱の子供たちがにこにこした顔で、
「こんにちは、せんせー!!」
そんな挨拶をしてきたのだ。
それから早めに聞かされた事情によると──
ブラチアリスはグレイギルの貧しい子供たちのために、無料で講義をしているという。
魔術だけでなく、読み書き、算数、それに工学らしいものも教えていた。
正直それを聞かされて、彼を見直した。
たが俺とはあまり関係のない話なので、ちょっとだけ苛立ちを感じた。
しかし俺としてはなせることもない。
だから一緒に屋上まで上がって、講義を適当に聞いていたのである。
☆
ブラチアリスの講義はテムプス・ノヴムのものとあまり変わらない感じだった。
だが最後の部分で聞き逃がせない内容が出てきたので、俺はそこだけ集中した。
「せんせー、さよならー!」
そう言い、三つ編みがかわいらしい女の子が最後に屋上から降りる。
「さようなら」
明るい表情で、ブラチアリスは元の手と機械腕を全部使って挨拶をした。
やっぱり地下室でマッドサイエンティストみたいな雰囲気を纏っていた時とはまるで違う。
いかにも模範的教師という感じだ。
「……」
俺はブラチアリスに近づいた。
彼の方からも俺の顔を見返す。
「弾丸がそろそろ出来上がるころだな。ここで待ってろよ」
その口ぶりが元の無愛想な感じに戻ったことに気づいた。
俺から何かを言う暇もなく、サザエの巨躯は動き出した。
あの4つ足の移動速度は凄まじいもので、人間の歩行よりもずっと早い。
彼が階段の方へ消えてしばらくすると、また現れる。
そんなブラチアリスの掌には二発の『特撹弾』が収められていた。
彼は俺にそれを渡した。
「……ありがとうよ。サザエのおっさん」
弾丸をポケットにしまいながら感謝を言う。
ちなみに、もう俺のポケットは一杯になっていた。
左には否応移し、右には放出機。
左のほうがもうちょっと余裕があったので、弾丸は全てそっちへ入れた。
「くれぐれも本当に使うべきところでだけ使えよ」
サザエの男は心配げに言う。
「さっきお前さんの見てた通り、とんでもねぇ威力が出るんだから、つまんねぇとこで使ったりして表沙汰にでもなったら全部おしまいだぞ。お前さんも、私も」
「ああ、分かってる」
こっちだっていたずらに使うつもりなど毛頭ない。
「そして追加の弾丸だが、しばらくは制作できそうにねぇんだ」
顎を掻きながらブラチアリスは説明する。
「何よりももう材料がねぇんだよな……それが入手出来るしだいに取り組む予定だが、それがいつなのかは確言できねぇ。そのときになると俺からルバスを通じて連絡するぜ」
「ああ」
その報せは今回の面会の最後を告げていた。
しかし俺は屋上から足が離れなかった。
「……どうした? ここで居候するつもりか?」
きょとんとした顔でブラチアリスは聞く。
「あの、サザエのおっさん」
「その呼び方、気に入らねぇんだよな」
ちょっと渋い顔をするが、とにかく聞いてくれる。
俺は少し躊躇ったが、言った。
「もしかして、ルバスの妹のことを知ってるか?」
「────」
彼の表情が固まることが分かる。
しかし構わなかった。
俺は、
「ルバスの能力について言ってたよな。過去の事象をエネルギーに置換すると。それはもしかしてあいつの家族にも出来ることなのか?」
「……いや、あれは多分ルバス個人の能力だ。彼の家計に伝わる『象能替』が彼個人の特性として、いわばアレンジされて現れたものだろう」
「その『能力』というのは『魔術』なのか?」
「お前さん、本当に素人なのか?」
眉を顰めてブラチアリスは俺を注視する。
彼は、
「厳密に言って、ルバスの能力は魔術ではねぇんだ。魔術は、厳格な過程を踏んで現せた現象だけを指すぞ。ルバスだけでなく、滅ぶ前までのフォリアモメンタネア家の人たちは皆その過程を完全に無視していた。だから現代の『象能替』は魔術とは呼べねぇんだよ」
「でも別にそれだから魔術が使えられないではないんだよな」
俺は地下の道を行く時、ルバスが魔術で光を点してくれたのを思い出した。
しかし彼の妹の場合はどうだろうか。
前日、ソルダネラが言ったことを思い浮かべた。
『うちね……実は──魔術が、使えないの』
その後、何度かどういう意味なのかを聞いたが、彼女は答えてくれなかった。
それ以上深入りするのは失礼だと思い俺も追求はしなかった。
でもやっぱり気になる。
俺はブラチアリスに向かって、
「で、結局どうなんだよ。オッサンはルバスの妹、ソルダネラのことを知ってるのか?」
「ああ」
「もしかして、彼女にも『象能替』のヴァリエーションが使えたりするのか?」
「……ああ」
「だったら、それはどういう能力なんだ?」
「……超簡単に説明したら、まあ、ルバスの真逆の方向を走るヤツ、とでも言おうか」
理解があまり出来なかった。
俺の表情を見てブラチアリスは、
「つまり、過去の事象をエネルギーに置換できるというなら、逆に未来の事象でも同じことが────」
しかし──
俺たちの会話は、途切れた。
どうも続くことが出来なかった。
*
「────」
いきなり何もかもが明るくなりすぎた。
まるで時間を逆行して真昼になったような。
いや、違う。
それ以上の明度で包まれた。
都市全体が白くなりすぎた。
まるで、イリスバラのどこかで太陽が点されたような──
何秒か、何も聞こえなくなった。
ただ目の前のブラチアリスの驚愕した視線につられた。
彼の視線の先を追い、南の方を見る。
すると──
学園テムプス・ノヴムが建てられた丘の上。
「……は?」
きのこ雲だった。
大きいきのこ雲が、テムプス・ノヴムの校庭から上がっていた。




