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シェルズ・ヴィトル



「な、ルバス」


 俺は不安げに辺りを見回しながら、問う。

 先に行っている、フードを被った少年へだ。


「何かね?」


「本当にこっちであってるのか? どんどん、変なところへ踏み入っているような……」


 俺の視線は、古びた赤レンガの壁を漂う。

 路地裏という程ではないが、かなり狭い道を歩んでいる。

 まだ真昼を少し過ぎた時刻なのに、この薄暗がりでは、まるで夕刻みたいだ。


「ふっ、心配性なんだね。オレが道に迷うはずがないよ」


 言いながら、ルバスは振り向いた。

 フードのせいで見えるのは下に現れた口と顎だけだ。

 そこには、自信の笑みが浮かんでいる。


「それともロゴス……キミはオレのことを信じないとでもいうのかね?」


「……え、うん。普通に、信じてないんだけど」


 意外にも、俺の受け答えはルバスに少なからず打撃を与えたようだ。


「……キミは、ネラを信じないのか?」


 ちょっと薄れた笑みと共に、ルバスは質問する。


「いや、あいつは信じる」


「じゃ、オレのことも信じろ」


 決めつけるように、ルバスは言う。


「オレはネラの兄なんだぞ? ネラはオレのことを誰よりも愛して信頼しているのだぞ? 妹はやらんぞ?」


 一々ざれごとをちょいと混ぜるから、もっと信頼できないんだよな……。


 俺は眉根を寄せて、


「でもお前、あのフード被っていると怪しさが百倍くらい増すんだよな……。せめてそれだけ外せば、もうちょっと信じれるかも知れないけど」


「ちっ、キミは、本当に眼識がないのだな」


 舌打ちされた。

 あれ、もしかして本気でムカついてる?


 ……どうやら、ルバスにフードの悪口はしない方が良さそうだな。


「もったいないなぁ」


 思わず、俺は呟いた。

 それが俺の正直な感想だった。


 ソルダネラと似ていて、あんなに綺麗な顔なのに。

 変な厨二に影響されてフードで隠しているだなんて、もったいない。

 出来るなら、この街で一番日の当たる所で展示したいと思うぐらいだ。

 もちろん、兄妹ともに。





 昼休みの終りに近づいて、午後1時ごろ。

 俺とルバスは、学園から出た。


 流石に正門からは通れないと俺は予想していた。

 だから、どうやって抜け出すのか気になっていたのだが、それが意外と見ものだった。


 ルバスはまず、俺を体育倉庫の後ろ側に案内した。

 そのあたりで、もう使われない排水溝のマンホールがある。

 それは位置さえ既知していれば開けるのは容易くて、俺たちはそこに入り、梯子を降りた。


 すると、涸びたレンガで埋められた通路があった。

 何となく、昔どこかで見たパリのカタコンベの画像を思い出した。

 幸い、ここはされこうべなどはなかったのだが。


 そこから勾配が急な道を歩いて行った。

 ルバスが魔術を使って光を点していたので、照明には問題がなかった。


 20分ぐらい経つと、行き止まりの壁だった。

 これからどうするのかと思いルバスを見ると、彼は壁の右の隅っこあたりを指でなぞり、いきなりレンガの一個を強く叩いたのである。

 正確に、五度、一定な時間差で。

 すると、壁が動き出した。


 新しい通路が出来、俺たちはそこへ入った。

 間もなく、俺は新鮮な空気が肌に届くことを感じた。

 階段を成した所が見えて、それを上がり、やっと外に出た。


 そこは、大きなナラの木の根本だった。

 地上へ現れた根っこのあたりで、外部からは良く見えない出入口が設けられていた。

 出てみてやっと分かったのだが、何と、ナラが植えられた所は、大きい墓地の中だった。

 だから地下から出た俺たちを真っ先に迎えたのは、数え切れない墓碑の連なりだったのだ。


 ルバスの説明を聞くと、ここはイリスバラで一番大規模の墓地らしい。

 少し不気味だと思ったが、ルバスは一向に構わず、歩き出した。





 墓地から出ると、ルバスは俺を汚らしい街並みに案内した。

 レンガ造りの建物や、石畳舗装の道路や、定番のファンタジーのイメージに近い。

 イリスバラの中心地の現代風の雰囲気とは、かなりかけ離れている。

 その生々しさには少し驚いたが、同時に親近感が湧いたというか。

 だって、ゲームなどで似たような景色を良く見てきたから。


「分かるよ。異質感を感じたんだろう?」


 街を見物する俺に、ルバスは言う。


「『グレイギル』に初めて足を運んだ若者がそう感じてしまうのは、とても自然なことなんだよ。なにせ、ここはイリスバラで開発が最も遅れている地域の一つだからね。

 それは逆に、ここがイリスバラの元の姿を最も温存しているということでもなるが、ね」


 どうやら、『グレイギル』はこの街の名前らしい。


 レンガ造りの建物を見渡すと、覗き穴のような窓の数々がある。

 それらには、ほぼ全部カーテンが引かれている。

 心なしか、向こうに影が揺らめいているような感じがする。

 それに、突慳貪な顔をした通行人からの視線が気になる。

 彼らは興味なさげに過ぎ去りながらも、俺とルバスの格好をしきりにちらちらと見ている。


 俺は少し不安になって、ルバスに質問した。


「な、もう相当遠くまで来てないか? いつまで行くんだよ?」


「安心しろ。もうすぐだ」


 言い残して、曲がり角を右折する。

 すると、一層狭くなった道を歩く。

 だが、それは長引かなかった。


 ルバスは、今まで見た中で最も怪しそうな建物の前で止まった。

 それは木組みのボロ屋だった。

 整備されていない老朽化した建物だが、三層もあって、規模はかなりデカい。


 ひどく汚れた看板には、こう書かれていた。


《Shell’s Victual》


 この世界で来て初めて見るローマ字である。

 これは……英語なのか?

 こっちには存在しない言語だと思っていたので、驚いた。


「あーと……しぇるず、ゔぃくちゅある?」


 首をかしげながら、読んでみた。


「驚いた。キミは消失言語の残滓が少しは読めるんだね」


 右隣で俺を見つめながら、ルバスは言った。


「でも正確ではないな。あれは、シェルズ・ヴィトルと読むんだよ。オレも、ただここの主に言われたから知ってるだけだが」


 ルバスは訂正してくれる。


「……?」


 言っている意味が理解できなかった。

 が、一々聞くのも億劫だったので、黙る。


 ルバスは階段を上がって、扉を力強くノックした。

 しかし、反応がない。


「ブラチアリスさん! オレですよ! ルバスです!」


 ルバスはあまり待たず、叫びに近い声を上げた。


「中に居るの知ってるから、早く開けてください!」


 張りの良い大きい声が道中に鳴り響く。

 すると、しばらくして、


「──まったく、そもそも……」


 ボロ屋の中からぶつぶつ、しゃがれた声が聞こえる。

 人語では間違いなさそうだが、それでも、響きにひどくズレがある。

 どう聞いても、人間の喉元から出ている音じゃなさそうな……。


 次の瞬間、扉が開けられた。


 ルバスはまだ道の上に棒立ちしている俺に振り向く。

 満面の笑みと共に、俺に手招きながら、


「ほら! 早く入ろう!」


 その姿はまるではしゃいでいる子供みたいだ。

 意識しているからか、ソルダネラを思い出してしまう。

 日曜日、演劇を見せることで期待していた彼女と似ている。


 俺は階段を上がって、中に入った。





 まず、顔をしかめるしかなかった。

 強く鼻先を刺激する、薬品臭がする。

 強烈な酸性の臭いだ。


「……」


 見回すと、中は五月の碧さがまるで伝達されない暗がりである。


 山になっている分厚い本の数々が、まず見物人を圧倒する。

 紋様が書かれた羊皮紙の積みや、自販機に似た正体不明の機械仕掛けが見える。

 その他にも色々、多様なガラクタで満杯になったところだった。


 何より視線を引くのは、入口と斜めに向き合っている机の向こうにある。

 それは──巨大なサザエの貝殻だ。

 大きさだけでも驚きに値するのだが、もっとおかしなことが見える。

 貝殻の後ろ側に8本の機械腕が付けられているのだ。

 それは伸縮性があるようで、一個だけが机の上に伸ばされている。


 ……気のせいか、指がビクッとしたような。

 ひょっとして、これが扉を開けてくれた?


「こんにちは、ブラチアリスさん、お久しぶりですね!」


 元気いっぱいのルバスの挨拶が、部屋の向こうに届く。

 でも、あっちには誰もいない。

 あるのは、ただ巨大な貝殻だけ。


「……お前、誰に向かって言ってるんだよ?」


 ルバスの後ろで、俺はそう聞くしかなかった。

 すると、彼はフードを外しながら、振り向く。

 目を見開いたのが、まるで俺が瞭然なことを質問したとでも言うような表情だ。


「この店、『シェルズ・ヴィトル』の主で決まってるじゃないか。ブラチアリスさんだよ」


 彼は、右手で机の向こうを指す。

 やはりそこにあるのは、巨大なサザエだけだ。


「……は?」


 俺は何度もサザエとルバスの顔を順番に見渡した。

 こいつ、やはり頭がヤバい奴だったのか?


 そう思った瞬間、


「──店じゃねーよ! 研究所だって何度言ったら分かるんだ!」


 言い表し難い声音が、響き渡った。

 その音は、とにかくおかしい。

 まるで、誰かがオルガンのデカいパイプの中をよじ登りながら、子守唄を歌っているような響き。

 ……と言えば、伝わるだろうか。


「……へっ?」


 音が聞こえた方向へ視線を向けて、俺は驚愕するしかなかった。


 サザエの中から、蒼白な顔が現れている。

 人の皮膚とは思えないぐらい、真っ白だ。

 魚の腹部のような色合いだ。

 髪も眉も髭も、毛などは一毫も存在しない。


「──わあああああっっ!!!」


 俺は悲鳴を上げた。


「うわあああああっっ!!!!」


 すると、あっちからも恐怖の声を叫ぶ。


「な、なんだこいつ……?」


 息切れしながら、サザエの顔は言う。


「いきなり変な声上げたりして、この可哀想な爺を心臓麻痺で殺す気か!? 高齢者虐待だぞ!! どう責任取ってくれるんだよ!!」


「ブラチアリスさん、まだまだそんな年齢じゃないでしょ」


 なんともなさそうに、ルバスは泰然に応じる。

 顔には、面白そうな笑みで満ち溢れている。

 俺の反応をじっくり観察していると分かる。


 ……こいつ、最初から俺が驚くと知ってたな。

 わざと何も知らせず、ここまで連れてきたのだ。


「はぁ……」


 何秒かが経ち、俺の呼吸は安静した。


 あの怪物の存在は、納得できなくもない。

 ……ここ、異世界だもんな。

 あんなものがうろちょろしいても、『異世界だから』でまとめられる。


 俺が落ち着いたことを見て、ルバスは紹介を始める。


「ロゴス、こちらはブラチアリスさん、魚介類の一種が人間化した種族の人だよ。

 ブラチアリスさん、こちらはオレの学友、ハレノ・ロゴスと言います」


「……人であってるのか? アレ」


 ちらちらサザエを見ながら、俺は言う。

 どう見ても、ホラーゲーム実況動画のサムネにありそうな外見だ。

 いや、それ以上のインパクトがある。


「失礼なガキを連れてきたもんだ、全く」


 言いながら、ブラチアリスと呼ばれた男は、貝殻から身を伸ばした。

 すると、綺麗な坊主頭で、蒼白すぎる顔色だが、顔つき自体はただのオッサンだ。

 それにその上半身は、わりとダンディーな感じの服装を着ている。

 下半身は……見えないが、どんな感じなのか、想像もつかない。


 ブラチアリスは貝殻についている機械腕も動かした。

 元々あの種族にそんな腕が付いているのか、それとも義手みたいなものなのか。

 とにかく、操作はかなりスムーズに出来るらしい。


 腕の一本が遠くの棚まで伸びると、木箱の中を探る。

 そこからつまみ上げたものは、巻きたばこのような何かだった。

 そして、上半身のところまで運んできた。


 ブラチアリスは机の上のマッチをつけて、それを吸い出す。

 本当にタバコなのか、或いはそれに似た何かの嗜好品なのか、分からない。


「……それで、何の用だ?」


 緑青色の煙を吐きながら、ブラチアリスは問う。


 ルバスは机の方へ近づいて、


「興味深い標本が得られましたよ。ブラチアリスさん。こちら、ロゴスくんのことです」


 言いながら、俺の方を右手で指した。


「……」


 しかし、ブラチアリスは興味なさげだ。

 ただ半秒ほど、黒い眼を俺に向けるだけだった。


「あのガキが何なんだよ?」


「彼は、すごい資質を持っているんですよ。きっと、ブラチアリスの研究にも役に立つと思うし、後々には他にも助けになるかも知れません」


「……なあ、ルバス」


 サザエの男は吸い物を灰皿の上に置いて、ため息を吐く。


「今、本当に尻尾に火付いた状態なんだ。こないだの陸魚りくざかなからの依頼で、奴らに今週末まで調達せねばならんものが──」


「──その依頼、周旋してくれたの、オレですよね?」


 ルバスはニコニコとした顔で、言葉を繋ぐ。


「あの件で、ブラチアリスさんの懐事情もかなり改善したと思いますけど」


「……シェルズ・ヴィトルの研究の資金調達に糸口が出来た、な」


 ブラチアリスは婉曲的に言い換える。

 とにかく、ルバスに借りがあるのは確かなようだ。

 深いため息を吐いた後、彼は金髪の少年に問った。


「で、私に何をして欲しいんだ?」


 それを聞いたルバスは、一層笑みを強烈にし、


「彼に、『特撹弾とくかくだん』を見せてください」



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