Scene 深山邸の魔法少女
夕暮れの空が西日を投げかけ、路地に長い影が落ちている。ランドセルに黄色いカバーをつけた小学生が、前門に立っている警備員に挨拶していた。
陽織の自宅は西麻布という、近所に大使館が点在する一角にある。瓦屋根が付いた立派な前門を抜けると、整然と手入れされた日本庭園に出た。建物は平屋造りの日本家屋のため、外にいたときよりも明らかに空が広い。
外から見ると純和風の建物だが、さすがに中は和洋折衷である。仄火が通された応接間は、和洋が混在したようなモダンな和室だった。窓からは家主の性格を体現したような、見事な枝ぶりの黒松が見えている。
造作された飾り棚には、歴代の総理や各国元首との記念写真が並ぶ。中には大使館のパーティーだろうか、陽織と大統領が一緒に写っている写真まであった。
「仄火ちゃん、お父様が来るって」
様子を見に行っていた陽織が、父親の了解が取れたことを報告する。意外かもしれないが彼女は強い色彩が好きで、私服のスカートもシャインオレンジだ。
「もう来るの?」
「うん」
仄火の服装は黒鉄色のワンピースで、リトルブラックドレスの亜種だ。襟と袖口に白いレースがあしらわれ、透け感のあるジョーゼットの生地が揺れている。
二人で話しているわずかな時間に、入り口から大人の男性が現れた。
深山宗近。
白髪の混じった短髪に、岩を削り出したような武骨な男だった。服装は渋い色合いの着流しで、自衛官よりも侍と称するに相応しい。
自衛隊の統合幕僚長。階級は陸将。つまりは自衛隊で一番偉い人だ。
戦国武将。スーパーエリート。鬼深山。
彼を表すような異名は数あれど、一言で表せば『諸葛孔明』で事足りる。五十五歳という驚異的な若さで、統合幕僚長に就任している時点で伝説的だ。
仄火は座椅子から畳に降りると、正座の姿勢で軽く会釈をする。宗近が上座に向かって横切り、着席するのを待ってから相対した。
「ごきげんよう、おじさま」
しっかりと相手の目を見る。
「お目通りを願いまして光栄でございます。久世仄火と申します。陽織さんとは席を並べまして、親しくさせていただいております」
指先をそろえて膝の前で重ね、第二関節までを畳に付けて礼をする。あえて上体を倒し過ぎないように、視線は自分の指先から動かさない。伏せていた顔を丁寧に上げると、最後に宗近の目をもう一度見た。
高貴な出自を証明するような、社交の訓練を受けた礼法である。つい先ほどまでリムジンの座席で、下着が見えそうな胡坐でゲームをしていたとは思えない。
宗近も感心したような吐息を漏らす。
「丁寧な挨拶、痛み入る。深山だ。娘がお世話になっている」
「とんでもないことでございます」
陽織と並んで座椅子に座ると、まずは型通りの雑談である。
「陽織は学校でどうだ? この通りせわしない性格なもので、君のような落ち着いたご友人に、迷惑をかけていないか心配でならない」
「滅相もございません。陽織さんの行動力には、いつも驚かされることばかりでございます。クラスの皆を引っ張っていく、天性のリーダーシップがおありです」
「リーダーと言えば聞こえはいいが、単に暴走しているだけだろう?」
「もう、お父様! 変なこと言わないでよ!」
陽織が頬を膨らませて抗議する。
宗近は事実を言ったまでだが、仄火は表情の変化を見逃さない。岩盤のような厳つい雰囲気が、娘と会話しているときだけ柔らかくなる。
事前に仕入れた情報によると、宗近はキャリア形成を優先して結婚が遅かった。四十を過ぎてから授かった一人娘のため、陽織のことが可愛くて仕方がない。
予想は充分にしていたが、想像以上の溺愛ぶりだ。
陽織と今後も仲良くしていれば、宗近と密接なコネを作ることも可能だろう。
「あ、大変。時間だわ」
時計を目にした陽織が急に立ち上がると、壁際の大型テレビの電源を入れた。お天気お姉さんが予報を読み上げる画面に、宗近は不愉快そうに顔をしかめる。
「陽織、何をしている」
「アニメが始まるの。リアタイが大事」
「ならん。お客様の前で、テレビなど失礼だろう。消しなさい」
親として常識的な叱責だが、陽織は一歩も引かない。
「今日は魔法少女の新フォームなのよ? 見逃すなんてありえないよ」
「魔法少女だと? 中学生にもなって、まだそんなものを見ているのか」
「そんなものって何よ!」
口を尖らす。
「魔法は世界を笑顔にするの! これ以上に大事なことなんて、他にないよ!」
「ひ、ひおり……」
大好きなものを否定された陽織は、完全に怒ってしまっている。娘の躾はしても嫌われたくない宗近は、言葉を選んだ反論しかできない。日本の国防を背負っている偉い人が、魔法少女アニメの話題ごときで、娘に言い負かされそうになっている。
仄火は口元に手を当てて、透明な金属のように笑っていた。
「おじさま、お気になさいませんよう。私も興味がございますから」
「……む。久世さんがそう言うのなら」
宗近は咳払いをして矛を収めた。
仄火が許可したからではなく、陽織の機嫌を損ねたくないのが透けている。
「やったー!」
周囲の許しを得た陽織は、満面の笑顔でリモコンを操作する。しかし画面に映し出されたのは、始まっているはずのアニメのオープニングではない。
ニュースの特番である。
陽織が絶望的な表情で見てるのは、リベレーターを背景にした大統領だ。あの発表の興奮は日本中で冷めやらず、あおりを食った魔法少女は中止になっていた。
§
『果たして黒船の再来か、あるいは日本の守護神になるのでしょうか。アメリカ大統領が持ち込んだ巨大ロボットに、いま世界が注目しています』
テレビでは大統領が濃い笑顔で、極彩色のフェスティバルを開催していた。日米の国旗を背景にして、大統領がボディビルのサイドチェストを決めている。上腕と大腿部の筋肉が膨らんで、スーツの縫製が弾け飛びそうだ。
『これが筋肉だ! これこそが力だ!』
暑苦しい絶叫が何度もリピートされて、夢に出そうなほど強烈な絵面だ。
番組では軍事評論家をゲストに呼んで、エイハブの有用性を検討していた。
司会は局の女性アナウンサーだ。
『先生、この人型ロボットですが、実際のところどうなのでしょうか?』
『はは! ナンセンスですよ!』
ゲスト席にいる評論家は、頭から小馬鹿にしている態度だ。
『断言します、使い物になりません。あんなものただの的です。戦車がなぜ平べったいか、ご存じですか? あれは横から見たとき、的になる面積を減らすためです。十メートルもの巨人なんて、狙ってくださいと言ってるようなものですよ』
『では先生は否定的だと?』
『もちろんです。二足歩行なんて不安定ですし、可動部が多くなれば、どうしても装甲は薄くなる。現代戦で使うなら、間違いなく戦車のほうが優秀です。あれはアメリカ流の、派手なパフォーマンスでしょう』
女性アナが脇に置かれていた、実物のペーパーを紹介する。
『アメリカ側が記者会見の後に、この資料を配布しました。エイハブの販売元は、ブラックアイアン社という企業だそうです。どういう会社なのでしょう?』
『シンガポールの重工業メーカーですね。軍需産業としても有名です』
『恥ずかしながら初耳の会社でしたが、有名なのですか?』
『アジアだと最大級です。主幹事業がインフラなので、目に触れないだけです。シンガポールの現地では、例えるなら東京電力とか三菱みたいなレベルです』
『国家規模じゃないですか』
『そうです。だからエイハブなんて、馬鹿げた代物を出してきて驚きました』
台本をめくって続ける。
『私どもでブラックアイアン社に連絡しまして、広報にコメントを求めました。彼らによればエイハブが一機あれば、千台の戦車を倒せるそうですが?』
『馬鹿言っちゃいけません! そんな与太話を信じる軍事関係者など、世界中を探してもひとりもいませんよ!』
ついに評論家は我慢しきれなくなったのか、声を上げて笑っていた。
§
「……その通りだ。まったくの正論だな」
評論家の批評に、宗近が深く頷いていた。不愉快そうにしかめた顔つきから、色物に対する嫌悪感を読み取れる。女子中学生に軍事の話題など振るはずがないので、テレビに対するただの独白だ。
「戦争はゲームではない。あんな巨体で戦場を歩けば、即座に砲撃の餌食だ。被弾面積を減らし、あるいは隠れ、確実に敵を排除する。これが兵器の基本だ」
従来の軍事合理性に基づいて、宗近の言葉は完全に正論である。
軍事リアリズムの文脈では、人型兵器は否定される運命だ。アニメで有名なため専門家レベルでも何度も考察されたが、どれひとつとして成立していない。
『的がデカい、整備が大変、戦車で良い』
単純な三段論法で、論破されて終わってしまう。
仄火は無知な少女の仮面をかぶると、好奇心を装って小首をかしげた。
「おじさまは、お嫌いなのでしょうか? 私のような子供から見れば、大きくて頼もしく感じられますけれど」
「嫌いというか、嘆かわしいのだよ」
宗近は茶をすする。
「命のやり取りをする戦場に、あのような玩具を持ち込むことがね。近年のやれ無人化だの、ドローンだの、こういう風潮はどうにも肌に合わん」
事前に調査した人物像からすると、大変に宗近らしい発言だ。彼の哲学は『戦争は男が血を流すもの、女子供は守るもの』である。日本男児として剛健質朴な思想ではあるが、同時に古色蒼然から抜けられずにカビが生えている。
職業軍人である宗近にすれば、常識的な解釈ではある。だが今孔明と評される宗近であろうと、世界が激変するほどの大津波には無力だ。
孔明の天才性に異論などあるはずもないが、彼など所詮は主君に仕えた現場指揮官でしかない。もっと上から巨大な構造を変えれば、現場での対処しかできない孔明では抗えるものではないのだ。
孔明は戦で大敗したことはないが、戦を止めることも出来なかったように。
この辺りが孔明の限界なのだ。
エイハブは全高が高いから、戦場では砲弾の的になる? こんな初歩的な問題、真っ先に考えて解決済みだ。
エイハブの三次元マトリクスと、操縦系のオムニシステムは、これまでの常識とは次元が違う。条件さえ整えれば、地平線の先で針が落ちた座標がわかるのだ。戦車や迫撃砲のような鈍重な攻撃など、当たるわけがないだろう。適当な子供をいきなり乗せても、発射される前に余裕で回避できる。
少なくとも市街地戦において、エイハブは史上最強の戦車キラーだ。そう断言できるだけの性能を与えたし、実戦レベルでの有用性も確認済みだ。仄火自らが内戦の最前線に立って、もう数百台の戦車を斬り刻んでいる。
仄火は嗤う。宗近に気に入られるための、計算ずくの令嬢の仮面の下で。
おじさまにも、すぐにわかるよ。
逆らいようのない大津波に襲われて、古臭い常識もろとも溺死するといい。
仄火が酷薄に冷笑していると、黙って聞いていた陽織が口を開いた。テレビに映るリベレーターを指さして、無邪気に突拍子もないことを言い出す。
「お父様、あれ弱いの? あんなに可愛いのに?」
「か、可愛い?」
「私、あれ欲しい。買って?」
二の句が継げない。
大型兵器を可愛いとする感性は、歴戦の自衛官には共感しがたいものだ。
ついでに仄火も理解できない。
「うん、なんか強そうだし。お庭に置いたら番犬の代わりにならない?」
「ば、番犬!?」
ガーデニングの置物ではなかった。まさか犬小屋に住まわせるつもりとは。
「い、いや。しかしだな陽織。あれは必ずご近所迷惑に……」
「えー、けちー。お庭に置けば有名になれるのにー。東京でロボットを飼っている家なんて、きっとうちくらいだよ? テレビの取材とか、絶対に来るのに」
「う、あ……。そ、そうか。陽織がそう言うなら……」
宗近の視線がさまよう。
「い、いや、しかしだな……。前向きに検討は……しないが……。ま、まあ、よく見れば可愛いと、言えなくもない……ような?」
娘に追い詰められてしどろもどろの宗近など、部下には見せられない姿だ。
§
豪華な一枚板のテーブルに、夕食の支度が滞りなく調えられていた。今夜の献立は特製のすき焼きであるらしく、陽織の母親の手によって運ばれている。重厚な光沢を放つ南部鉄器の鍋が、卓上コンロと共に設置されていた。
応接間のモダンな障子を開け放つと、隣接する部屋が洋間になっていた。陽織がアップライトピアノの前に座り、流麗な指使いで鍵盤を奏でている。高揚感に満ちた旋律に、陽織の目を見張るほどの声量が重なっていた。
陽織が作詞作曲した『笑顔の魔法』という楽曲だ。魔法少女アニメの主題歌を意識したそうで、ジャンルはいわゆる『キラキラポップ』に分類される。
歌は才能のある子供だと、幼くとも大人を凌駕するほど上手い。陽織も実に大したもので、心を鷲掴みにするほどの美声だ。難しいとされるピアノの弾き語りを、苦も無くこなしているのも見事だ。
「さすが。お金取れるよ」
長椅子で拝聴していた仄火は、満足度の高い演奏に拍手を送っていた。
観客を決め込んでいる仄火を横目に、陽織は手元のスマートフォンを操作する。即座に部屋に設置されたスピーカーから、シンセサイザーで装飾音を増やした『笑顔の魔法』が流れ出した。
仄火はリミックス版の音源を耳にした瞬間、陽織の思惑を悟って硬直する。
「仄火ちゃんも踊ろ!」
「え、ちょっと! やっぱりー!」
有無を言わさぬ勢いで手を引かれ、仄火は部屋の中央へと連れ出される。
「埃が立つではないか。食事の準備中だぞ」
宗近が不機嫌そうに、厳格な父親としての苦言を呈した。
しかし流れるような所作で懐に手を入れると、黒革のケースに収まったスマートフォンを取り出す。しっかりとレンズを向けて録画ボタンを押したあたり、言動の矛盾が甚だしいと言うほかない。
無数の星屑が流れるような、イントロのピアノが流れ出す。乗り気ではなかった仄火ですら、旋律に触れた瞬間に体が動いた。陽織が右手を掲げて静止すると、仄火は鏡像のように受け止めるポーズをとる。
「やだー。体が勝手に動いたー」
「いっぱい練習したもんね」
指先の第一関節まで微動だにせず、完全に開幕を待つダンサーの所作だ。
即興では不可能なこの練度は、単純に長時間の練習をした成果である。体育の授業にダンスが導入されて久しいが、陽織の『笑顔の魔法』が教材として使われているのだ。陽織が学校で披露したら、評判が良かったのでそのまま採用された。
伴奏のリズム体が一瞬の空白を示したとき、並んだ二人の体が一気に弾けた。
陽織が右足を軸に回転すれば、寸分の狂いもなく仄火も追随する。スカートが花びらのようにひるがえり、柔らかな布地が空気を孕んで膨らんだ。
社交ダンスのように手を取ると、背中合わせになって両手を広げる。ポップなリズムに合わせてジャンプすると、圧巻のシンクロニシティを見せつけた。
重心の移動、指先の逸らし方。
劇場の観客を前にしたように、視線送りまで寒気がするほど完璧だ。日常の一風景としては、あまりに完成度が高く、あざといまでの可憐さである。
陽織の日溜りのような熱量と、仄火の凍るような冷気が混ざり合う。温度の双極は反発と融合を繰り返して、高まり合いながらねじり合って昇華していく。




