Scene 壊人鳥と兄の苦悩
「日本の皆様、あなた方は運がいい。あれほどたぐいまれな絶景を、その目で見る機会に恵まれたのだかぁら」
ジャックされたすべてのスマートフォン、街頭ビジョン、家電量販店に並ぶテレビに至るまで、悪趣味なスーツを着た道化が腕を広げている。
「ボクゥの名は壊人鳥。ふざけた名前だと思ったよぉね? まさにその通り、そう思ってもらうために名乗っている」
粘りつくような声にはノイズ一つなく、映像も毛穴まで見えるほど鮮明だ。通信制限が解除された回線に乗って、道化師の熱が世界にまで拡散していく。
「好きなことは人殺し、嫌いなことは地味なやり方。水を吸ったサンドイッチは許せない。そんなどこぉにでもいる、親切なエンターテイナーです」
道化師は舞台俳優のように、大仰に胸へ手を当てる。
「夕方の光、見てくれたよぉね? もし寝惚けている君がいたら、今すぐインターネットを見よう。SNSでもニュースでも、トップに映像があるかぁら」
道化師は踊る。
まさに見る者を嘲笑するかのような、軽やかな身のこなしだった。
「あれはボクゥからの、日本の皆様へのプレゼントだ。舐め腐った平和好きの日本人でも、名前くらいは知ってるよぉね? 戦略核、200キロトンだ」
核兵器。
その単語が出た瞬間に、SNSのタイムラインが爆発的に加速していく。誰もが確信に近い想像をしていた悪夢が、確かな恐怖として具現化したのだ。
「日本は世界で唯一の被爆国だってね? 驚いたかい? 怒ったかい? ボクゥの動機は何か、あるいは思想は何だって、くだらない妄想を垂れ流すよぉね?」
奇怪な姿をした壊人鳥の口から、人の神経を逆撫でする言葉ばかりが放たれる。その異様な毒気に当てられ、誰もが画面から目を離せずにいた。
道化師はカメラに顔を近づけ、大げさに首を振る。
その瞳には確かな知性と、底が抜けたような狂気が同居している。
「理由なんてないよ。……強いて言うなぁら、ボクゥは君たちのことが、生理的に大嫌いなんだ」
光に照らされた道化師が、心底吐き気を催すような顔をした。まるで汚物を見るような冷酷な目で、この劇場を注視している日本人を見据えている。
「その平たい顔も、島国根性の愛想笑いも、平和ボケした態度も、何もかもが虫唾が走る。ああ、汚らわしい。同じ空気を吸っていると思うだけぇで、蕁麻疹が出そうになる。だから減らそうと思ってね、熱消毒で」
道化師は満面の笑顔で、あまりにも空虚な動機を開陳する。
「つまりね――ただの人種差別だ」
政治的な思想犯でもなければ、宗教的な狂信で動いているわけでもない。極端な人種差別の信奉者が、核兵器を持ってしまっただけである。
ただただ日本人を苦しめたいのだ。
要求がないということは、交渉の余地も存在しないことを意味している。
「でも安心して欲しい。ボクゥは野蛮人ではない。白人様は大好きだ」
壊人鳥の表情が一転して、媚びるような笑顔に変わる。彼は画面の向こうで必ず見ているであろう、ある人物に向かってウインクをした。
「親愛なるロールス大統領。いま日本にいらっしゃることは存じております。そして偉大なるアメリカ合衆国の皆様、これはボクゥと、この国の黄色い猿たちの、プライベートなショーなのです。どうか、どうか、邪魔をしないでいただきたい」
壊人鳥の声色が、ふいに低く沈んだ。
そこには国家など歯牙にもかけていない、無慈悲な残虐性が現れている。
「もしアメリカが軍隊を動かしたぁら、もし偵察機のひとつでも飛ばしたぁら、ボクゥは悲しいけれど、残りの核兵器を使わなければならなくなる。アメリカの皆様を悲しませるのは、決して本意ではないのぉです。もし米軍が助力したことで、東京が焼け野原に変わったら、アメリカの皆様方は、とても心を痛めるでしょう?」
背後に合成されていた光景が、都心の映像へと切り替わる。日本銀行、スカイツリー、国会議事堂、皇居などの重要施設ばかりが次々に映し出された。
「次は海の上ではありません。新宿、渋谷、六本木――。日本人が大好きな東京のど真ん中で、キノコ雲の花火を打ち上げます」
息もできない重圧が、画面の向こう側にまで届いていた。
壊人鳥の言葉は明白な脅迫であり、同時に日本を孤立化させる宣言である。東京都民の1,400万人を人質に取って、アメリカまでも威圧しているのだ。
もしアメリカが動けば、東京を消すと言っている。
つまり日本は救援を当てにできず、独力で戦うことを強いられていた。
「というわけで、誰も助けには来ないよ」
壊人鳥は画面の向こうで冷笑を浮かべる。
「さあ、日本の諸君。殺し合いをしよう。警察でも、自衛隊でも、竹槍でもいい。ボクゥを殺しにおいで。期限は三日。三日後にボクゥが生きていたら、残りの核を都心で起爆するよ。ボクゥに世界征服ができるほどの能力はなぃが、一国を亡ぼすくらいならやれるぅぜ?」
不気味な笑みを残し、唐突に映像が途切れた。再びわずかなノイズが走ると、テレビの画面がニュース番組へと戻る。司会者が取り繕うように再開をするが、もう誰も聞いていなかった。
このとき東京のいたる所から、怒号と悲鳴が同時に上がっていた。
§
東京。米軍横田基地。地下三階。
核攻撃にも耐えうる特別指揮所の空気は、ピアノ線が切れそうなほど張りつめていた。無数のモニターの前では、オペレーターたちが情報と格闘している。
彼らが脇目も振らずに作業を続けているのは、すぐ後ろで怒鳴り散らしている大男が怖いからだ。自分へ累が及ばないように、必死に画面へかじりついている。だが突如として響いた強烈な破砕音が、張り詰めた彼らの意識ごと粉砕した。
プラスチック製の受話器が、コンソールに叩きつけられて砕け散ったのだ。
大統領である。
日本国総理大臣との口論の果てに、たった今ホットラインを終えたところだ。大統領の顔は怒りで紅潮し、首の血管まで浮かび上がっている。ボディビルを始めてから止めていた煙草は、もはや噛み切られる寸前だった。
「臆病者が! あれは宰相の器ではない!」
大統領は吐き捨てるように唸るが、不機嫌から生じたものではない。理解不能な自傷行為を行おうとする弟への、兄としての純粋な義憤が発露していた。
「壊人鳥の対処に、自衛隊を出す? 大変に結構。当然の判断だ。だが治安出動だと? 軍隊を出すのに、警察のお守りをさせる気か!」
すぐそばで気をもんでいた側近たちが、凍りついたように顔を見合わせる。大統領は日本の総理大臣と話をして、防衛出動を発令するように説得していたのだ。
日本の法律の話になるため、極めて噛み砕いて説明する。
壊人鳥は核兵器を所有するテロリストであり、大統領の感覚なら国家の総力を挙げて殲滅するべきだ。
だが壊人鳥は個人のテロリストであって、日本としては防衛出動を発令して戦争をするわけにはいかない。
自衛隊の『防衛出動』とは、日本が戦争を行うという意味だ。
これに対して『治安出動』とは、警察のお手伝いとして派遣することである。治安出動だと強力な武器は使えないため、自衛隊はただの雑用係と言っていい。不思議に感じるだろうが、日本の法律はそういう建付けになっている。
政治家は保身が大好きで、平時の慣例主義に固執している。自らの意思で法を破って責任を負う決断など、事なかれ主義の永田町に背負えるわけがない。
「相手は核を持っているのだぞ! 戦車もミサイルも使えずに、どうやってあの悪魔を祓うつもりだ! 本当に竹槍でも持たせるつもりか?」
「……ミスター・プレジデント」
激昂する大統領に対し、通話中のスマートフォンを握った首席補佐官が、沈痛な面持ちで進言した。
「日本の法制度への懸念はごもっともです。ですが今は外国の話ではなく、ご自身の安全を最優先にしてください。大統領専用機のエンジンを回しました。直ちに本国へご帰還を」
「なんだと?」
「今の日本は危険です。あなたの安全を確信できない。相手は威嚇のためだけに、核を使うような狂人です。いつこの基地が標的になってもおかしくない」
補佐官の言葉は、護衛を担当するシークレットサービスの総意でもある。だが直言された大統領は、飢えた猛獣のような目つきで睨み返した。
「逃げろと言うのか? この私が? 弟が庭先で暴行を受けているのを見捨てて、尻尾をまいて逃げ帰れと!?」
「プレジデント、これは……」
「最強は逃げない! 弟は見捨てない! 今すぐに第七艦隊を東京湾へ展開させろ! 横須賀のドリス・ミラーを出せ! 海兵隊を動員しろ! あのふざけたピエロの体重を、鉛玉で三倍にしてくれる!」
大統領の怒号はパフォーマンスではない。家族である弟を守るための正義感と、より強い兄としての義務感から来ている。
壊人鳥は三日という期限を切ったが、こんなものを信じるのはもちろん馬鹿だけである。壊人鳥は追い詰められたら、期限など無視して起爆のスイッチを押す。だから圧倒的な暴力を投入して、抵抗の余地もなく殺すべきなのだ。
これはアメリカならば実現できる。
だが補佐官は一歩も引くことなく、無視できない現実を突きつけた。
「なりません! 軍事介入は不可能です!」
「なぜだ! 日米安保条約がある! 私のサインひとつで最強の軍隊が動く!」
「壊人鳥の犯行声明をお忘れですか!」
補佐官がモニターを指差すと、壊人鳥の姿が映し出されていた。
『アメリカが軍隊を動かしたら、次は手加減しないよ? 東京という膨れ上がったジャンクを、重たい熱量をもってこの地上から蒸発させる』
「やつは明確に警告しました。我々が介入すれば、東京の1,400万人を道連れにすると。絶対に嘘ではありません。やつは一度、既にやっているのです」
言葉を詰まらせた大統領の脳裏に、まざまざと千葉沖のキノコ雲がよぎる。もし表立って米軍を動かしたら、東京が消滅する引き金を引いてしまう。正義感だろうが義務感だろうが、1,400万人もの人口を、外国人のお節介で危険にはさらせない。
「Fxxk!」
巨大な拳をデスクに叩きつけると、金属製の天板が容易くひしゃげた。
圧倒的な軍事力と最強の筋肉を持ちながら、テロリストの脅迫一つでアメリカすらも封じられたのだ。アメリカが直接の標的にはなっていないため、どうしても当事者意識に欠ける。
日本にしてもアメリカにしても、最も嫌がる部分を正確に狙われていた。徹底的に弱点を突くそのやり口からして、壊人鳥は喧嘩の仕方をよく心得ている。
「……では、指をくわえて見ていろと言うのか? 手足を縛られた弟が、なぶり殺しにされるのを、黙って見ていろと言うのか?」
「今は耐えてください。我々は在日米国人の安全だけで手一杯です。同時に邦人の保護と、情報共有に徹するのが、アメリカにできる最大限の支援です」
補佐官の声も苦渋に満ちていた。
指揮所を重苦しい沈黙が支配し、大統領は息を吐き出して天井を仰ぐ。法律で自縄自縛になった日本は、狂気のピエロが演出した地獄へと突き進んでいく。
おそらく日本国民が考えている以上に、東京は悲惨な結末を迎えることになる。大統領は悲劇を予見していたからこそ、必死に総理大臣を説得しようとした。
「……すまない……日本。すまない、弟よ……」
アメリカですら何もできない。
世界最強の男が絞り出す謝罪は、分厚いシェルターの壁にむなしく消えた。




