Scene 白い死神
十分前。
四月の富士山麓は、季節の境界線上に当たる。麓の街まで下山すれば、観光客が桜の開花に浮かれているころだ。だが標高1440メートルの御殿場口新五合目は、なおも色濃い冬の支配下にあった。湿った黒土には斑状の残雪がへばりつき、吹き抜ける寒風が肌を突き刺す。
本来であれば冬季閉鎖中であり、一般車両は立ち入れない区域である。しかし物理的な鎖での封鎖など、先行したアイスマンが引き千切るだけだ。
法も柵も強引に押し広げられて、五合目の駐車場は事実上の貸し切りである。
人の往来が途絶えた駐車場には、積もったばかりの雪が薄く残っていた。そこに巨大タイヤのわだちを刻み込み、三台ものアルバトロスが停車している。
一台目は高度な情報処理能力を搭載した、エイハブを管制する移動式の前線基地である。続く二台目と三台目は、ドローンなどの支援機材を運搬する車両だ。
アルファは車体の底面から固定脚を降ろして、側溝を流れる雪解け水に先端を浸していた。不自然に周囲の雪が融けて、側溝から白い湯気が上がっていた。車載された演算機が発した熱を、固定脚を通じて逃がしているのだ。
ウィングボディを開放したガンマから、無数のシーガルが飛び立っている。群れるカモメのように羽ばたいて、本物の鳥のように舞い上がっていく。筋雲の流れる夕焼け空に散会すると、光学迷彩を起動して茜色に溶け込んでしまった。
「お嬢様。お召し物はお気に召しましたでしょうか」
「完璧。やっぱ新型はかわいい」
固定脚から立ち昇る水蒸気を切り裂き、更衣室のあるアルファから仄火が降りてきた。雪と大地が織りなすモノトーンの景色の中で、なお白い乗馬服のようなオムニスーツを着ている。
真珠のような光沢がある表面に、ときおりメカニカルな緑青色の光脈が走る。胸から腰までのバイタルエリアは、コルセットのような装甲が保護していた。鎧のような質感のブーツが、水っぽい残雪を踏みしめている。顎のラインを保護する細い金属から、顔面を覆うように曲面バイザーが伸びていた。
「三次元マトリクスの進捗率は63%でございます。残り180秒で戦域の構築が完了いたします。現状の監視エリアにおきまして、異状は検知されてございません」
「おっけー、そのまま進めて」
仄火は軽く首を回しながら、側面装甲を開放したベータに歩み寄った。床面ごと車体側面にスライド降下した荷台から、エイハブを固定する寝台も降りている。
寝台には全高8メートルもの巨人が、ロックを解除されて仰臥していた。身軽に備え付けの梯子を登ると、下腹部に位置するメインハッチを開く。重厚な装甲扉が開放されると、飛び込むように内部に滑り込んだ。
高密度のクッションで覆われた内壁が、ハッチから落ちてきた仄火の尻を受け止める。搭乗席は完全な球体構造で、外部を視認する窓すらない。操縦するための計器はおろか、着座するための椅子すら見当たらなかった。
全ての壁に弾力があって柔らかく、手を突くと真綿のように沈み込む。頭上のハッチが気密音を立てて閉鎖すると、薄暗い赤色の非常灯へと切り替わった。
子宮のように密封された暗がりに、へその緒のような一本のケーブルだけが伸びている。生命の維持に使われるチューブと、情報をやり取りする光ファイバーを束ねたものだ。仄火は慣れた手つきで、オムニスーツの腹部ポートへ接続する。金属が噛み合う硬質な音がすると、搭乗者とエイハブのシステムが直結される。
「バイタルの接続を確認いたしました。緩衝液の注入を開始いたします」
スターバックの声に続いて、足元の注入弁が開放された。
まるで水責めでもされるように、無色透明の液体が入り込んでくる。これはダイラタンシー流体というもので、搭乗者を守るための保護溶液である。衝撃を受けると一瞬で硬化し、すぐさま水に戻りながら人体を保護する。
みるみるうちに水位を上げると、潜るように頭頂まで水没した。スーツの防水性能で胸元までは何も感じなかったが、むき出しの襟首に触れた水温が温かい。
顔に張り付いている曲面バイザーは、水中メガネのように水が入らない。周辺の空気と遮断されたため、ポート経由で高濃度酸素が循環を始める。
「全システム、正常値を推移。すべての管制は同期されております」
比重を調整されたダイラタンシー流体は、水中にいるように人体を浮かせる。液中に揺らぐ仄火の瞳は閉じられて、赤い非常灯も網膜まで届いていない。腹部から伸びる一本のケーブルで繋がれて、母体で眠る胎児のように脱力して丸くなる。
「起動。A-Hub Type-01 "Fedallah" ――拝火教徒」
子宮のような静寂の中で呟くと、仄火の五感が全方位に拡張された。
オムニシステムが脳の神経パルスに割り込みをかけて、仄火の身体図式を全高8メートルの巨人へと入れ替える。球状コクピットの閉塞感など綺麗に霧散し、仄火の自意識は全高8メートルの機械に移行した。
脆弱な少女の肉体を捨て去り、屈強なエイハブの手足こそ今の仄火だ。エイハブの頭脳であるフェルミ素子と接続したことで、量子コンピューターの超認知空間へと解き放たれる。三次元マトリクスが全方位に広がり、自らの背中すら目視できる。
草木を揺らす風のざわめきが、音響センサーを経由して耳朶に触れる。遠くカラマツの針葉から滴り落ちる、一滴の雫すら鮮明に見えていた。吸気システムが検知した大気中の微粒子は、濡れた土のような匂いとして知覚される。
光学観測ユニットは大気の密度や、風の流れすら肌感覚に変換していた。人間では捕捉できない光の円偏光までも、三次元マトリクスの補助があれば目に見える。
「お嬢様、光学迷彩は起動いたしますか?」
「いらない。せっかくの戦争じゃん、堂々と行こう」
目覚めたフェダラーが立ち上がると、夕焼けの中で全貌が露になる。機械のぎこちなさなどまるでなく、血肉を持った人間のように生々しい。
拝火教徒。
それは漂白された死神か、白骨化した騎士のような異形だった。
頭部は重厚な騎士兜を模倣しているが、フェイスガードの隙間から覗く暗がりに命の気配はない。白い頭蓋骨が祈るようにうつむいて、虚ろな眼窩は慈悲と残酷を宿していた。
夕日の斜光を浴びた純白の装甲は、光の角度によっては虹色の光沢を放つ。だが神聖な白騎士のような甲冑は、内側からあふれる暴力によって歪んでいた。装甲の隙間からは、高密度に束ねた黒い人工筋肉が露出する。赤い網目が縦横に走り、脈打つ血管のように震えていた。はち切れんばかりに膨張した黒い筋肉を、骨のような装甲で無理やり拘束しているような異形だ。
どこまでも美麗であり、同時に悍ましくも禍々しい。
これこそ仄火が趣味だけでデザインした、世界に一機しかない愛機だ。
アルバトロスの荷台に手を伸ばすと、可変式対戦車大太刀を手に取る。手元で軽やかな金属音を鳴らすと、身の丈よりも長い大鎌へと変形した。
ナノ結晶タングステン・レニウム合金で作られた、重量1トンを超える大業物である。研ぎ澄まされた刃は茜色を反射して、血に濡れたように輝いていた。
「スターバック、邪魔すんなよ」
「心得ております」
大鎌を片手で素振りしただけで、切っ先は音速を超えて衝撃波を発した。爆発するような甲高い音がして、足元の雪が鋭角に吹き飛ぶ。
足裏のアクティブスパイクが地面に食い込み、ただ歩くだけでアスファルトが砕ける。重量を支え切れずに水飴のように歪み、スパイクの硬さで乾いた砂のように割れていた。
アルバトロスが荷台を閉じると、光学迷彩を起動して透明化する。三台の巨体が丸ごと消失すると、駐車場に残るのはフェダラーだけだ。
ときおり吹き付ける春の西風が、富士山の麓から桜の花びらを運んでいた。花弁はフェダラーの白い甲冑を流れて、大地に残る雪の中に舞い落ちていく。冠雪した富士山の水墨画のような山肌に、つかの間の柔らかな色彩をそっと添えていた。
§
三次元マトリクスからの警告音を切り、大統領は火器管制を再点検する。
「全兵装の最終シークエンスを回せ」
「全システム、ホット・ステータス。いつでも火力を投入可能です」
「上空の鳥はどうなっている?」
「高度3,000フィートでステーション待機を維持しています。即時投下プロトコルへ移行可能です」
「CAPの護衛機にウェポン・フリーを出せ。不審な影があれば即座に撃墜しろ」
「コピー。交戦規定のレベルを移行。全機にROEコード3を伝達します」
三次元マトリクスが演算した光景は、もはや陸戦兵器の挙動を逸脱していた。まるで山肌を崩れ落ちる巨石や、すべてを呑み込んで加速する雪崩のようだ。
エイハブの巨躯が大地を蹴り立てるたびに、地鳴りのような轟音が大気を振るわせる。巨木すらも衝撃に耐えきれず、幹からへし折れて枝葉が爆散している。蹴り上げた火山砂利が森に降り注ぎ、立ち上る土煙が景色を塗り潰していた。
大地を粉砕しながら突進する黒竜には、一筋の流星のような白い頭がある。
フェダラー。
アスフォデロスの白い死神。
「出来の悪い悪夢だな、リトルガール!」
仁王立ちのリベレーターが、50mmガトリング砲を水平に構えた。躊躇なく引き金を絞ると、劣化ウラン弾の暴風雨が空間を埋め尽くす。
マズルフラッシュの閃光から、曳光弾の軌跡が夕暮れを裂いている。凄まじい発射レートが生み出す重低音は、重油バーナーの咆哮のように大気を震わせている。直撃した火山砂利は瞬時に爆砕し、飛び散った石材だけで低木が弾け飛んでいた。
避けようがない密度の弾幕だが、発砲したときにはもうすでに、フェダラーは射線から消えていた。
瞬間移動のような速度で横移動すると、追撃も重心を落としてやり過ごす。膝下よりも低い位置に滑り込むと、まるで獲物を狙うトカゲのように大地を舐める。超低空を飛ぶツバメのように、地面によどむ白い影が高速移動していた。
「それが人間に可能な動きかね!」
大統領の咆哮に応えて、共通帯域の無線から仄火の楽しげな声が届く。
「ごめーん! 待ったー!?」
「いいや、私も今来たところだ!」
地面と一体化したような低さから、飛び立つように天高く跳躍する。夕日を背にして黒い影となった死神が、身の丈を超える大鎌を大上段に振りかぶった。
フェダラーが全力で振り切った切っ先は、人間では目視すら不可能な超音速の領域に達する。主力戦車の複合装甲すら、運動エネルギーだけで断ち切る斬撃だ。
「ハグをご所望かね!」
「日本ではお辞儀にしときなよ!」
リベレーターは回避を選択せず、機体が重すぎるため小回りも利かない。大統領は左腕を掲げると、籠手の装甲で受け止める姿勢を取った。
リベレーターの装甲は、薄い部分でも厚さ50センチを超える。フェダラーが振り切った大鎌が直角に突入すれば、理論上では耐えられる物質は存在しない。だが傾斜を付けた装甲で角度をずらせば、受け流すことなら可能だった。
ゲーサイト装甲を削り取る、耳障りな金属音が絶叫する。弾き飛ばすように腕を動かすと、斬撃が削り取った表面から火花が散る。前腕の装甲がごっそりとえぐり取られて、融解したゲーサイトがマグマのように飛散した。
「うわ硬っ! その腕、なにで出来てるの!?」
「筋肉に決まっている!」
大統領が突き放そうとするが、フェダラーは踏み込んでさらに肉薄する。掴める間合いに入り込んでいるのに、長大な大鎌をまるで苦にしない。持ち手を滑らせて柄の終端を跳ね上げると、鋭利な石突きでリベレーターの頭部センサーを狙った。
鼻先に迫った石突きに意識を持っていかれた瞬間、大鎌が回転して真下からの斬撃に変わる。装甲が薄い股下を狙った、股間から下腹部を斬り上げる斬撃だ。
「くっ!」
とっさに腰を引いて身を捻ると、太ももの装甲を切っ先がかすめる。人間ならば大腿動脈を切断の致命傷だが、大鎌が加速していなかったので装甲で防げた。
すかさず反撃として、ガトリング砲の分厚い機関部を叩きつける。まさに鉄塊そのものの鈍器だが、初動の時点で当たらないことを確信した。
フェダラーは両脚の踵を一瞬だけ合わせると、独楽のように回転する歩法で素早く距離を取る。機関部が虚しく空を切り、フェダラーは安全圏に離脱していた。
兵器が人型であることの利点は、汎用性や走破性ではない。走破性なら戦車は十分に高いし、汎用性などそれこそ戦車に腕を付ければいい。巨大な砲を撃つだけなら車両でよく、制御の難しい二足歩行でやることではないのだ。
人型であることの利点は一点。
そしてその一つの理由だけで、エイハブは最強の陸戦兵器として君臨する。
柔道。
レスリング。
剣術。
古武術。
人類が紀元前から積み上げてきた、白兵戦の技法を丸ごと転用できるのだ。洗練の極みに達した人が人を殺すための技術が、数万倍ものパワーで出力される。人類数千年の殺人芸術を継承することで、エイハブはあらゆる兵器を過去に追いやる。
総重量20トンを超える機械の巨人は、まさに現代戦に革命を起こす。人工筋肉による莫大な瞬発力と、作用反作用をねじ伏せる骨格が両立したとき――。
現代に騎士が蘇る。




