Scene 魔術師の真実
仄火の眼前に広がる英国庭園は、白銀の世界へと変貌を遂げていた。極寒の冷気が地表を覆い尽くして、マスクの保護が無ければ肺まで凍り付くようだ。
遠くから一瞥する限り、庭園にいるのは仄火ひとりだ。しかし建物の陰や木立の裏側に、陽炎のような揺らめきが無数にある。
不可視のアイスマンが幾重にも蠢いて、全方位からの包囲を完了していた。背後にそびえる支社からも、多数の銃眼が開いて銃口を向けている。空には透明化したドローンが鳥のように滞空し、付近のビルには狙撃兵まで配置されていた。
凍てついた沈黙が支配する庭園には、氷の牙のような魔術師がひとりいる。満身創痍で呆然と立ち尽くし、サングラスも蜘蛛の巣のように砕けていた。
極低温の死界で戦った結果として、吐き出す息すらも凍てついている。伏せられたまつ毛の先は、霜の花が咲くように凍りついていた。
信じがたい戦果だが、魔術師は単独でアイスマン10機を殲滅した。
偉業と言っていい結果だが、明らかに彼の肉体も限界を迎えている。割れたサングラスの奥に見える右目は、すでに焦点を失って虚空を見ていた。
足元には折れたクライオエッジが、戦士の墓標のように突き立っている。
剣を手放した男が代わりに持つのは、酷く損傷した一枚の大判封筒だ。破れた封筒は極低温の冷気を浴びて、硬質な板のように凍り付いている。
死闘によって大きく破れているのに、指先で千切れんばかりに握りしめていた。これこそ吹き荒れる暴力の嵐から、身を挺して守るべきものだったのだ。
「……女王陛下」
酷くかすれた声だった。
すでに魔術師の瞳からは生気が失われており、眼前にいる仄火の姿さえも捉えていない。限界を超えて摩耗した心身が、あるはずもない王宮の幻覚を見せていた。
「我が氷の魔術……お眼鏡にかなったでしょうか……」
ふらつく足取りで仄火に近づくと、まるで君主に拝するように膝をつく。魔術師は小刻みに震える手で、恭しく封筒を差し出した。
「面接に……参りました……。御社で、働かせて……いただきたい」
肺に残るぬくもりを吐き出すように、魔術師は最後の言葉を絞り出した。彼の体温は氷点下の空気に即座に溶けて、白銀に凍てつく大地に体ごとくずおれる。
仄火は何となく受け取ってしまった。
封筒から出てきたのは、見間違いようもない一枚の書類である。魔術師が至宝とする乙女のパンツと比べても、勝るとも劣らない価値を秘めたものだ。ひとりの男の人生を記した秘密であり、今日という運命の日のために持参したものでもある。
すなわち、市販の履歴書。
氷の魔術師を自称する男は、これまで社会に適応できなかった。有り余る天才ゆえに周囲の理解を得られず、社会の荒波から逃避して自宅に引きこもっていた。
つまりは、ただのニート。
「……なんなのこれ」
氷結して湿度を失った空気に、仄火の乾き切った声が重なる。足元で石畳に突っ伏している男と、びっしりと霜が付いている履歴書を見比べる。
「私が武装して出てきた意味は、どこにあるわけ?」
心底あきれ果てた様子に、答えを返すものは誰もいない。もはやかける言葉すらないのか、あのスターバックすら沈黙していた。
肌に触れる大気は刃のように鋭く、肉体的にも文句なしに寒い。ただそれ以上に心理的な冷え込みが、静まり返った庭園を包み込んでいた。
§
ブラックアイアンの日本支社には、本館とは独立した石造りの塔がある。中にはオーナー専用の宿泊施設があり、仄火が来社したときだけ使われる貴賓室だ。
企業の執務室というよりも、王侯貴族の書斎を思わせる内装である。黒檀のデスクと革張りの椅子が鎮座し、窓からは英国庭園が一望できる。庭では透明化を解いた無数のアイスマンが動き回り、スターバックの監督下で後片付けを始めていた。
デスクについた仄火の正面には、高精細のホログラムが空中投影されている。スターバックの落ち着いた声が、デジタル化した履歴書を解説していた。
「この度、捕縛いたしましたのは、鈴木我路と名乗る男でございます。特定の組織などには所属しておらず、肩書としては発明家を自称いたしてございます」
発明家。
職業としては少々いかがわしい響きだが、魔術師改め我路の実績は本物だ。
『多層式ペルティエ素子を用いた、極低温瞬間冷却サイクル』
『産業用配管における、非ニュートン流体の相転移制御プロトコル』
こういった産業分野において、極めて重要な特許をいくつも保有していた。それらのライセンス収入のみで、裕福な暮らしをしている男である。
生活のために働く必要はないのに、一念発起して就職面接に来たのだ。仄火が作ったティムに負けたのが、我路にとってはそれほどの衝撃だった。
なお気絶した我路はアイスマンに回収されて、スターバックによる手当をすでに終えている。現在は施錠された地下施設にいて、まだ眠りから目覚めていない。
「で、どうしてこいつは、うちの警備部隊と戦ったわけ? 面接の希望者なら、普通に通せばいいじゃない?」
ため息をつきながら、仄火が当然の疑問を口にする。
当然ながらオーナーである彼女は、末端の採用希望者など把握していない。
「鈴木氏より本日の午後、当社に面接に参る旨の、事前のアポイントメントは拝受いたしてございました」
「ではあの有様はなに?」
「同氏は自作の滑空装置を用いて、ミッドタウン・タワーの屋上より、当社の上空まで飛来してまいりました。正規のお客様としてお通しすることは、保安上の観点から決して容認いたしかねます」
呆れて天を仰ぐ。
つまり我路は指定した日時に現れたものの、あまりにも非常識なことに空路からの侵入を図ったのだ。もちろんスターバックが統括する防衛システムは、敵対勢力と判断して迎撃態勢に入った。
我路にすれば面接に遅れないように最短距離を選んだだけだが、スターバックにすれば自爆テロや航空スパイそのものである。航空法に基づかない未確認の飛行物体など、防空圏内に入った時点で例外なく撃墜対象だ。
我路は来社の時間を告げていたため、スターバックの歓迎を『入社試験』だと思い込んだのだ。実技試験だと勘違いして、自分ができることを披露していた。
「……文句なしに優秀ではあるけれど」
仄火が見ているホログラムには、我路の戦闘記録が映っている。監視カメラとアイスマンのセンサーを統合して、スターバックが立体映像に合成したものだ。
我路は滑るような高速移動と、床運動のような機動力で縦横無尽に動いている。十字砲火を易々と回避しているのは、何度見ても人間業とは思えない。
レールガンの出力を絞っていたとはいえ、それでも秒速400メートル超で飛来する銃弾である。いったい何をどうすれば、こんな化け物じみたことができるのだ。我路にとって有利な条件がそろっていたとはいえ、米軍の特殊部隊と戦っても勝てるほどに強い。
我路の戦闘能力と、ガジェットの開発力は、完全に一個人の枠を超えている。
「この方、本物の魔術師さんだったの?」
貴賓室には陽織の姿もあり、長椅子に座って同じ映像を見ていた。魔術師アニメでも通用しそうな超人に、下着泥棒だったことも忘れて興味津々だ。
なお我路を攻撃していた銃撃は、陽織には非殺傷性のゴム弾だと説明した。
「そんなわけがないでしょう」
すかさず否定したのは、貴賓室の床に座り込んでいる奏である。
「師匠、これすごいですよ」
奏が絨毯に広げているのは、鹵獲した我路のフローズンコートである。精密ドライバーを片手に、嬉々として分解にいそしんでいた。
だがコートの構造が複雑奇怪で、手持ちの工具では分解しきれない。奏がバラせない工業製品など、常識では考えられないほどの完成度である。
「仕組みとしてはペルティエ素子と、吸熱性の化学反応を組み合わせた、自作のポータブル冷却器ですね。こんな異常な冷却機構を個人で、しかも戦闘服として仕上げるなんて、正気の沙汰じゃないです」
続けて奏が手に取ったのは、我路が極低温単分子剣と呼んでいた短剣だ。刀身の半ばから真っ二つに折れて、すでに冷却機能は失われている。
「これも自作ですよ。こんなもの買えるわけがない」
刀身に低温の溶媒を循環させて、強制的に分子活動を抑え込む。冷やすことで刃先を強制的に固定して、折れやすい単分子ブレードの弱点を克服したものだ。
「あの速さで動き回りながら、アイスマンの装甲の隙間に、ブレードを差し込んで人工筋肉を切断してます」
基本的な前提として、アイスマンに刃物は通らない。厚さ1センチの防弾鋼板を両断できるなら話は別だが、物理の常識をだいぶ無視することになる。
仄火が設計したアイスマンに、それほど分かりやすい弱点はない。全身を曲面のゲーサイト装甲が覆い尽くして、傾斜装甲の極致は全ての攻撃を受け流す。
可動域を確保するために、関節部に柔軟性があるのは事実だ。無論、関節の表面には金属が重なっているし、隙間を繊維状ゲーサイトが緻密に埋めている。刺すだけで貫通するはずがないのだが、我路は冷却という魔術で突破した。
斬撃と同時にアイスマンを冷やすことで、金属収縮と低温脆性を起こしている。金属の隙間を強引に押し広げて、繊維状ゲーサイトを砕いているのだ。
戦闘中のアイスマンはほとんど透明であって、細部の構造など肉眼で見えるものではない。だが我路は知識と勘だけを頼りにして、無理やりアイスマンに弱点を作って攻撃している。互いに致命的な速度で動き回りながら、髪の毛のような隙間に刃先を通しているのだ。
凄腕どころの話ではなく、もはや人外の所業である。同じことをやれと言われても仄火には無理だし、人間という種の限界すら超えているようだ。
「……やっぱこいつ、米軍が極秘開発した、遺伝子強化兵とかじゃないの?」
「師匠ともあろう方が、なに意味不明なこと言ってるんですか? そんな変なものにお金を使うくらいなら、普通に自爆ドローンでも作ったほうが、よっぽど費用対効果は高いと思いますよ」
「それはそう」
「個人的な意見ですが、あの様子は頭のネジが吹き飛んでるだけかと」
仄火は履歴書に視線を戻す。
性癖と人格はまごうことなく変態変人だが、このまま警察に突き出してしまうのは惜しい逸材ではある。
扱いはヴィクトルに丸投げして、雇い入れてしまってもいいかもしれない。地下にあるワインセラーの温度管理か、メインサーバーの冷却係でもやらせればいい。
しかし一点だけ。
仄火には到底拭いきれない疑問が残る。
「……どうしてうちの会社って、こう変な方向にステータスを極振りしたような、おかしなやつしか来ないの?」
スターバックは一瞬で演算する。
『それは頂点に君臨なさる仄火お嬢様ご自身が、誰よりも狂気の極北にいらっしゃるからでございます』
類は友を呼んだから――。仄火が最も常軌を逸しているからこそ、異常者ばかりが引き寄せられている。
もちろん優秀かつ忠実な下僕であるスターバックが、主人の不名誉となる結果を出力するはずもない。今回も仄火の疑問に答えはなく、楽しそうに分解する奏の鼻歌だけがある。AIが導き出した完璧な回答は、誰にも届かずにメモリに揮発した。




