↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
グリムリーパー・パレード  作者: 水銀
Phase.04 マッシヴ・エグゼクティブ・オーダー

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

24/35

Scene 訪問お断り。撃ちます

 東京都港区に位置する赤坂の街は、急に降り出した雨により煙っていた。自動車がかき乱した空気が、仄火の肌を冷たく撫でていく。

 地面と雨の匂いが混ざり合う中を、色とりどりの花のような傘が移動している。ブラックアイアン社への会社訪問のために、連れ立ってやってきた仄火たちだ。

 車道に沿って続くのは、高さ三メートルものコンクリートの壁である。冷たい雨水を吸って鈍く変色し、苔の生えた下部にはカタツムリが這っていた。

 壁の向こう側には繁茂する樹木が重なり合い、曇天を覆い隠している。外界からの視線をかたくなに拒み、敷地の奥にある建物を隠蔽していた。


 ほどなくして壁が途切れると、堅牢な鋳鉄製の門扉が現れた。内部を全く見せない黒鉄の板が、来客を拒むように静かにたたずんでいる。

「仄火ちゃん、おじさまの会社ってここなの?」

「そうだよ。ブラックアイアンの日本支社」

 学校帰りの制服のまま、陽織が気後れしたように門を見上げている。彼女の反応も無理もないことで、どう見ても堅気のオフィスではない。

 門扉にある表札は控えめで、意図的に目立たないようにしている節さえある。葉書ほどの大きさの真鍮製のプレートには、飾り気のないローマン体で社名のみが刻まれていた。


『Black Iron Heavy Industries Pte. Ltd. Tokyo Office』


 日本語での表記は一切なく、訪問を拒絶する意思が透けている。通行人が目にしたとしても、企業のオフィスだとはとても思うまい。世俗を嫌う富豪の個人宅か、秘密めいた会員制クラブのようだ。

 排他的な貴族の美意識だが、どういうわけか場違いなものがある。

 厳格な威圧感をぶち壊すように、妙にポップなステッカーが貼ってあるのだ。けばけばしい蛍光色は泡沫じみて軽薄に、子供っぽい丸文字でこう記されていた。


『Solicitors will be shot.』


「……弁護士お断り、撃ちますかな?」

 受験英語は完璧な奏が読み上げると、英語を話せる仄火が補足する。

「セールスお断りだね。じゃなきゃ訪問お断り」

 陽織が首をかしげた。

「……撃ちます?」

「警告看板の定番フレーズ。勝手に入ったら撃つって言ってる」

「撃つの?」

「ここ日本ですよ? テキサスあたりじゃあるまいし」

「冗談だと良いのだけど。私はしーらない」

 陽織の困惑をよそに、仄火は雨傘を軽く回した。

「でもお約束もしてないのに、いきなり訪問してご迷惑ではないかしら?」

「率先して行くつもりだったのは誰?」

「私も多少落ち着いたわ」

「暴走している自覚はあるの?」

「おじさま、お仕事中でしょう? 邪魔にならないかしら?」

「大丈夫でしょ、どうせパパだって暇だよ」

 仄火は無責任に放言したが、実際にはヴィクトルの都合など関係がない。ブラックアイアン社は上場しておらず、仄火は株式の100%を持っているオーナーだ。会社が丸ごと仄火の私物であって、雇われ社長のヴィクトルが断れるはずもない。


 仄火が操作パネルに近づくと、生体認証でセキュリティが解除された。通用門から足を踏み入れても、目指す建物は影も形もない。

 ただ一本の車道が奥へと伸びて、雨模様の森に消えているだけだ。柔らかな雨がアスファルトを濡らし、木の葉を叩く静かな雨音がする。

 空を見上げた奏が、感心して目を見開いた。

「完全に森ですね」

「すごい。ここ都心なのに。代々木公園みたい」

 都心赤坂にありながら、周囲の喧騒は完全に遮断されている。一等地を丸ごと埋め尽くした人工の森には、整然と設計された工芸品のような美しさがあった。


 鬱蒼とした並木を抜けると、唐突に視界が開けた。目の前に広がったのは、丁寧に手入れされたイングリッシュガーデンである。

 雨に打たれる花壇のあちこちで、真紅のバラが重たい頭をもたげていた。無数の雨粒を花弁にたたえながら、微かな香りを惜しみなく振りまいている。

 木々が茂る外周の向こう側には、都心のビル群が天高くそびえ立っていた。花と緑が織りなす庭園の柔らかさに、都会の冷徹なシルエットが重なっている。


 そして庭園の奥にたたずむのは、小ぶりながらも前衛的な白亜の洋館だ。全ての窓が構造化偏光ガラスのため、白大理石で作られた美術館のようである。表面のナノラメラ構造が水の膜と干渉し、透き通るような艶を放っていた。

 本館の脇にはそれ自体が独立した、三階建ての白い塔がそびえていた。石積みの入口にはアイビーの蔦が這い、屋上のガーゴイルが雨水を吐いている。


 車寄せを通り木製のドアの前に立つと、陽織はインターホンを探した。しかし電子的な仕掛けが見当たらないため、死神を模した鋳鉄製のドアノッカーを叩く。

「ごめんください!」

 金属が木を叩く硬質な音が、雨の庭に響き渡った。やがて内側から掛け金が外れる音がして、分厚い扉が音もなく開く。

 じきに姿を現したのは、漆黒のスーツを着込んだ黒人の青年である。まだ二十歳を過ぎたほどにしか見えないが、鍛え上げられた細身の筋肉質が美しい。

「どなたでございましょう」

 青年は流暢な日本語を話したが、困惑しているのか次の言葉が出てこない。正門のセキュリティをパスして、本館に到達できた経緯を理解できないのだ。部外者が入れる場所ではなく、陽織はどう見てもただの子供である。

 この青年は警備の担当者でもあるため、本来なら即座に追い返すところだ。しかし彼の視線が陽織を通り過ぎて、その後ろに立っている仄火で止まった。

 そこにあった顔は紛れもなく、青年が女神と崇拝する会社のオーナーだ。

 男性の片眉がわずかに上がる。

 仄火は無言でうなずく。

『空気を読め。もてなせ。余計なことは言うな』

 その一瞬の沈黙だけで、優秀な男は全てを理解した。

 動揺を一切顔に出さないまま、訓練された執事のように優雅に辞儀をする。流れるようにドアを開け放ち、最上級の賓客を遇するように迎え入れた。

「ようこそお越しくださいました。お嬢様がた」


     §


 一方その頃。ブラックアイアン日本支社。

 一階の角部屋に位置する社長室では、ヴィクトルが魂の抜けたような顔で麺をすすっていた。

 外は生憎の雨だが、大窓からは英国庭園を一望できる。調度品はどれも厳選された特注品であり、巧みに配置された間接照明がグラデーションを描いていた。

 その贅を尽くした空間に、場違いに安っぽい醤油の香りが満ちている。立派な革椅子の匂いと混ざり合って、奇妙なほどの生活感と哀愁を漂わせていた。

「……ああ、頭が痛てー」

 見事な木目が走るマホガニーのデスクでは、近所のコンビニで買ったカップラーメンが湯気を立てている。革椅子に深く沈みこんでいるヴィクトルは、いつもの隙のないスーツの姿ではない。

 服装は皺のよった白いTシャツが一枚と、派手な柄のトランクスだけである。蛍光グリーンのパンツの臀部には、極太の毛筆で『一番』とプリントされていた。

 どう見ても疲れたオッサンである。

 この日本支社は彼の城とはいえ、いくらなんでも油断しすぎだ。

 昨晩は会社の業務という名目で、浅草の料亭で日本の財界人を接待していた。古狸たちと腹の探り合いをしながら、日本酒を浴びるほど飲まされたのだ。今日は朝から二日酔いの機能不全で、午後になってやっと食事ができる程度まで回復した。


 来日してから半年近くが経ち、箸の使い方もずいぶんと手慣れた。漆塗りの箸先でナルト巻きをつまみ上げて、口に運ぼうとしたときである。社長室のドアが勢いよく開くと、血相を変えた女性秘書が飛び込んできた。

「社長、大変です!」

「何だよアンナ。大声を出すな。頭に響く」

 ブロンドの髪をシニヨンにまとめた、三十歳ほどの知的な白人だ。

 元連邦捜査局(FBI)という大層な肩書を持つが、捜査が暴力的すぎて首になった札付きである。彼女はこの会社の裏の顔も、ヴィクトルの正体も知っている腹心だ。

「ラーメンくらい静かに食わしてくれ」

「そんな場合ではありません! 玄関にオーナーがいらしてます!」

 ヴィクトルは食べていたラーメンを、机に盛大に吹き出しかけた。鼻腔に入ったスープの痛みに顔をしかめながら、椅子を蹴立てるようにして立ち上がる。

「はあ!? オーナー!? 俺の愛しの娘か!?」

「はい! 制服姿のご友人が、二人ほどご同行なさっています!」

「ジーザス!」

「すでにロビーを通過して、こちらに向かっています!」

 ヴィクトルの背筋を、強烈な悪寒が走り抜けた。二日酔いの気だるさは一瞬で消し飛び、冷や汗が全身から噴き出す。

 あろうことかこんな悪辣な会社に、事情を知らない一般人を招いた。ここは国際的な犯罪者と殺し屋の巣窟であって、決して善良な子供が来ていい場所ではない。

「私が足止めします! その間に社長はお支度を!」


 叫んだアンナが飛び出していくと、ヴィクトルはパニックで部屋を見回した。ヴィクトルは人前に出るときは、重厚な大物として振る舞う義務がある。

 目についたカップ麺を鷲掴みにすると、隣接するバックルームへ駆け込んだ。残っていたので少々惜しいが、丸ごとシンクの三角コーナーに投げ捨てる。暗黒街を牛耳るフィクサーが、庶民の食事に興じる姿は見せられない。

 続いてハンガーから高級なワイシャツをひったくると、大急ぎで袖を通して格好を整える。白蝶貝のボタンを留めようとするが、動揺しているせいで掛け合わせの段を間違えた。

「くそっ!」

 今からやり直す猶予はなく、どのみち上着を羽織れば隠れる場所だ。仕立ての良いスリーピースのスーツを、歪んだワイシャツを隠すように強引に着る。

 ネクタイを結んでいる時間は厳しく、胸元が開いた不格好な有様だ。最悪の場合は日本のクールビズという、外国人には謎の文化で押し通すしかない。

「あ!」

 次の服に手を伸ばしたとき、急に思い出した事実に蒼白になった。社長室ではパソコンが稼働したままで、モニターには社外秘の機密資料が映っていた。ステルス巡航ミサイルの詳細な分解図と、完璧な透明化を果たした新型光学迷彩の報告書だ。中東へ武器を不正輸出するルートなど、見られたら太平洋に沈んでもらうしかない。いたいけな子供を口封じなど、ヴィクトルの良心は到底許さない。

 ハンガーから残りの服をひったくり、大急ぎで社長室に取って返した。

 震える手でマウスを操作して、パソコンの主電源ごとモニターを消す。デスクの上にあったタブレットや、他の電子端末も鍵付きの引き出しに放り込んだ。


「パパー、遊びに来たよー」

 無慈悲な子供の声が響くと同時に、事前のノックすらなくドアが開いた。まだ機密の処理が終わっておらず、タイミングとしては最悪である。

 バックルームに逃げる暇もなく、持っていた服をデスクの足元に押し込んだ。ヴィクトルも間一髪で革椅子に座ると、息を整えながら鷹揚に出迎える。

「よく来た、歓迎しよう」

「お邪魔いたします」

 先頭で入ってきた仄火に続いて、ヴィクトルとも面識がある陽織がいた。その後ろにいた学生服の男子は奏だが、初対面のため身元調査をしようと心に留める。

『止められませんでした』

 最後尾のアンナは無力な笑みを浮かべて、無言の死に顔を晒していた。

「ゆっくりしていくと良い」

 ヴィクトルは引きつりそうになる頬を抑えながら、喉の奥から絞り出すような声を響かせた。デスクを挟んで正面から対峙する限り、その端正な容貌に非の打ちどころはない。

 高級スーツをカジュアルに着込み、整えた銀髪はまさに美丈夫である。一流の社交場ですらなお輝きを放つほどの、冷たい気品に満ちた若き社長の姿があった。

 しかし巨大なマホガニーデスクを回り込んだ途端、その虚栄に満ちた輝きは残酷なほどに崩壊する。いつ露見するかわからない緊張感の中で、ヴィクトルの下半身は無残な現実を晒していた。スラックスを穿く時間がなかったため、下半身は派手な柄のトランクスが一丁きりである。

 すね毛が見えていた。

 もし立ち上がれば社会的に死ぬし、陽織に変態として通報されてしまう。


 陽織が開口一番に頭を下げる。

「お仕事中なのに、急にお邪魔してしまって申し訳ありません」

 彼女の丁寧な所作からは、育ちの良さがにじみ出ている。血塗れの悪党の部屋には似つかわしくないほどの、桔梗の花のように清廉な少女だった。

 ヴィクトルは頼むから近づかないでくれと、内心で神に祈るばかりである。もし陽織が好奇心に駆られて、デスクの裏側へ回り込んだとしよう。これまで命懸けで築き上げてきた、ヴィクトルの評判が吹き飛んでしまう。ハードボイルドの仮面を失ったら、仄火に不良資産として処分されかねない。

 しかもヴィクトルの脅威は陽織だけではなく、もう一人の奏こそが室内の隅々にまで観察眼を走らせていた。

「……この建物、凄いですね。見た限りすべての窓が、防弾仕様の構造化偏光ガラスです。玄関にあった固定窓なんて、ガラスの厚さが10センチもありましたよ。あれなら大口径ライフルの狙撃も防げる」

 奏はなおも鋭く指摘する。

「玄関から社長室に来るまで、盗聴マイクのジャマーがいくつもありました。民間企業のオフィスとしては、ちょっと過剰なほどの防諜設備です」

 ヴィクトルは内心で息を飲む。

 奏はエントランスからこの部屋まで、案内されて歩いたに過ぎない。たった数分ほど観察しただけで、隠してあるセキュリティまで正確に見抜いたのだ。

「申し遅れました、雪ノ下奏です。仄火さんとは同じクラスです」

「これって防弾ガラスなの?」

 陽織が興味を惹かれたように、窓際へと足を向けようとする。

「この窓ガラスも我が社の製品だ。来客への宣伝として意図して使っている」

「お仕事なんですね」

「皆で応接室に行くといい。甘い物でも用意させよう」

 社長室にある大窓からは、外の英国庭園を広く見渡せる。ヴィクトルが気に入っている景色だが、同時にデスクの裏側も視界に入る。どうにかして彼女たちの意識を逸らして、この部屋から追い出したかった。

 だが奏の旺盛な探究心は、ヴィクトルの浅薄な目論見など踏み越える。

「では机から伸びたケーブルは、何かの秘匿回線ですか? もしよろしければ、配線を見せていただけませんか?」

 興味津々といった様子の奏が、ヴィクトルの足元を覗き込もうとした。しかしその配線は社内機密ではなく、ただのフットウォーマーの電源コードだ。机の下ではスラックスがでたらめな皺を刻んで、散らかった革靴はラグビー部のロッカールームを思わせる。本革のベルトが蛇のようにのたうち、電源コードと乱雑に絡んでいた。


「さあさあ、子供たち」

 ヴィクトルの心労が限界を超えそうになったとき、絶妙な間合いでアンナが救いの手を差し伸べた。直属の上司が社会的に死ぬのは、自分のキャリアにも不利益だと思ったのだろう。訓練された保育士のように、小気味よく両手を打ち鳴らした。

「お茶とお菓子を用意します。どうぞ別室の応接ルームへ」

「パパの部屋にあるので良いよ? 冷蔵庫にジュースあるでしょ?」

 空気を読まない仄火が、バックルームの台所に行こうとする。しかし冷蔵庫にあるのは、主にヴィクトルの液体胃薬だ。他にはいつの物かも覚えていない、食べかけのフライドチキンだけである。

「そうおっしゃらずに。ちょうど昨日、美味しいケーキをいただきました」

「ケーキ?」

「ええ。銀座のフルーツパーラーのものです」

 アンナは仮面のような笑顔を崩さないまま、鮮やかな手際で子供たちの視線を誘導する。ちなみに日本支社のどこを探しても、銀座のケーキなど存在しない。今から店舗へと走らせる部下を、張り付いた表情の下で冷徹に選定していた。

「ねえねえ、アンナさん。こないだみんなで試飲した、アフリカのコーヒーは残ってる? CARの大統領と会ったとき、ついでにパパが買い付けてきたやつ」

「ヴィンケレ・コーヒーですか?」

「そう、それ」

「あったと思います」

「学校でそのコーヒーの話になって、みんなで飲みに来ることになったの」

「わかりました。ではケーキと一緒に用意させましょう」

「私のはカフェオレにして。苦いと飲めないから」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。