Scene 義手とコーヒーと毒
中学校にある機械工作部の立地は、校舎の西側にあたる三等地だ。校庭からの喧騒も遠くて、声は意味のある音にはならない。教師の目が届かないのを良いことに、直近は仄火たちのたまり場になっていた。
仄火はオリーブグリーンのコンテナに腰掛け、手元のスマートフォンでゲームに没頭している。その傍らで奏は作業机に向かって、丁寧な手つきで精密ドライバーを回していた。
奏が慣れた様子で分解しているのは、高度に機械化した右手の義手である。緻密な網目構造を持つ、黒いカーボンの骨格がむき出しだ。本物の人体とまったく同じ配置で、白い人工筋肉が貼りついている。
同じ机に付いている陽織が、好奇心に満ちた眼差しを向けていた。取り外したパーツが整然と並んでいく様子を、邪魔をしないように静かに観察している。
「……雪ノ下君、これは?」
「友達の義手だよ。調子が悪いって言うから、メンテナンスを頼まれた」
作業が止まったので聞く。
「できるの?」
「たぶん世界で一番詳しいよ。僕が設計したものだから」
「え」
「父に設計図を見せたら、いつの間にか会社の商品になってた」
「すごい」
「売るために作ったんじゃないんだけどね。報酬はもらったから良いけど」
奏の家がやっている事業は、雪ノ下製作所という医療機械メーカーだ。とりわけ義手義足といった義肢装具の扱いは、国内では随一の専門家集団である。
奏が分解している義手にしても、雪ノ下製作所で出している売り物だ。整備中なのでパーツに分かれているが、本来はオペラグローブのように二の腕まである。
机に肘をついた陽織は、真面目な眼つきで覗き込む。
「……ところで雪ノ下君、とても大事なことを聞きたいのだけれど」
「なに? そんな改まって」
「女の子だよね? これの持ち主」
「……なんでわかるの?」
「そりゃねえ」
脇に取り外した外装が置いてあるが、ローズゴールドの華やかな塗装なのだ。金属質でありながら宝石のような質感で、繊細な植物の意匠まで彫り込まれている。一般的な男性が好むデザインではないし、小ぶりのサイズ感からしても同年代だ。
「年齢は?」
「同い年というか、同じ学年だよ。他のクラスにいる」
「ああ、そういえば」
陽織に面識はないが、義手の子がいるという噂は聞いた気がする。
「まさか恋人?」
「違う」
「どういう関係?」
「……幼馴染」
奏が言った瞬間、陽織の相好がいやらしく歪んだ。
体の一部ともいえる義手を預ける程度には、お互いに信頼感のある男女の幼馴染である。妄想がはかどる大好物を前にして、粘着質な関心が浮かび上がっていた。
「かわいい?」
「……まあ。前にモデルやったことがあるとか言ってたし」
「きゃー!」
静寂に満ちていたプレハブに、女子の甲高い歓声が響き渡った。
陽織が実に鬱陶しい感じになっている。
「お幸せに」
「……何でそうなるの?」
「邪魔はしないから。むしろ早く交際して? その方が見てて面白い」
「……女子ってどうしてみんな、そういう話が好きなの?」
深いため息をつく。
無責任な煽りなど無視して、奏は精密ドライバーを握り直す。陽織の中では二人の未来は決定したらしく、興味本位と野次馬根性で祝福するつもりらしい。
一般的に義肢装具の外装は、大別して二種類に分けられる。
ひとつは生身の肉体と見紛うほどに、本来の肌の質感を再現する。昨今のメタマテリアルシリコンの人工皮膚なら、外見からは判別できない偽物も作れる。
もうひとつは金属や樹脂の質感をむき出しにして、機械の特徴を隠さずに誇示するものだ。奏の幼馴染は明らかにこちらで、見せつけているようにすら思える。機能的には無駄ともいえる彫刻装飾など、所有欲と満足感のために施されたものだ。
「雪ノ下君、この義手ってどうやって動いてるの?」
「興味があるの? 解説するけど?」
「私、将来はお医者様か看護師になりたいの」
「ならうちの家業にも関係するね」
旧時代的なモーターや歯車など、近年の義肢装具では使われない。高弾性カーボンで作った軽量の骨格を、誘電エラストマーという人工筋肉で動かすのが主流だ。電源は空間グリッドからの無線給電と、構造体フッ化物イオン電池を併用している。
「練習するとピアノも弾けるよ。最近の義手は高性能だから」
「そんなに動くんだ」
「あとこの義手だったから、格闘技も出来るよ」
「壊れないの?」
「胴体にコルセットみたいな装備を付けて、そこにこの義手を接続するんだ。ものすごく頑丈に作ってあるから、腕力で殴ったくらいなら絶対に大丈夫」
奏が自分の片耳を指さす。
例のイヤーカフのような機械が、艶消しの黒で存在感を放っていた。
「これがパルスシンカー。脳波で機械を操作する道具。最初はこういう義手とかを動かすために開発されたもの。昔はもっと大きかったんだけど、うちのお父さんがすごい執念で小型化したの」
人間が『指を動かそう』と考えると、脳から神経を伝って電気信号が流れる。パルスシンカーはその脳波を読み取って、電波に変換して義手に送っている。
「それでこれを応用すると、師匠がやってるみたいな機械の遠隔操作になる。テレパシーっぽく思考しただけで、触れなくても対応した機材が動くの」
§
奏が義手のメンテナンスを完了させると、椅子から立ち上がって伸びをした。作業机にはパーツが組み直されて、硬質ポリマー保護剤を塗り直した義手がある。メタリックなローズゴールドが、顔が映るほど艶やかに光っていた。
シンクの水道で手を洗うと、ついでに電気ケトルに水をくむ。コンセントに繋いでからスイッチを入れると、部室にいる女の子たちに視線を巡らせた。
「師匠、お茶を淹れますけど飲みますか?」
「のむー」
「深山さんは?」
「あ、ごめんなさい。じゃあ、いただこうかしら」
仄火が気の抜けた声で返事をして、陽織は恐縮したように肩をすくめた。
奏は緑茶のティーバッグを出そうとして、専用の容器に手を伸ばした。しかし蓋を開けて確認すると、在庫が切れて空っぽである。
だったらと別の戸棚をあさると、奥からガラス瓶を引き出した。
隅っこに半ば隠してあったのは、退部した先輩が持ち込んだインスタントコーヒーである。かつてロボコンを目指して躍起になっていた頃に、先生には内緒で飲んでいた私物だ。好きにしていい物のため、遠慮なく飲んでしまうことにする。
奏は不揃いのマグカップを用意すると、三人分のコーヒーを淹れた。さらに追加のガラス瓶を取り出すと、カップと一緒にトレイに載せる。
女子に飲み物を差し出してから、奏は定位置に戻ってガラス瓶を開けた。ティースプーンにごく少量をすくい取り、自分のコーヒーに入れてかき混ぜる。黒い液体に速やかに溶けたのは、グラニュー糖に酷似した白い結晶だ。
縁の欠けたカップを見つめて、仄火は不満そうに顔を曇らせた。
「コーヒー? あんまり好きじゃない。カフェオレにしないと飲めない」
「さすがに牛乳はありません」
「今度、部室に冷蔵庫を導入しといて」
「わかりました」
仄火は試しに一口だけ飲むと、あからさまに顔をしかめた。インスタントの粗雑な苦みばかりで、どうしても美味しいとは思えないのだ。
その様子を観察していた陽織が、得意げな表情で髪の毛をかき上げる。
「仄火ちゃんは子供ね」
「陽織は飲めるの? こんなまずいもの」
「私は大好き。家でも淹れるのよ」
女子中学生としては珍しい趣味だが、陽織はかなりの美食家である。会社経営者の母親に連れ回されて、多数のレストランを経験してきた。舌も年齢に不相応なほど肥えていて、味覚の好みも大人びている。
「私、コーヒーにはこだわるのよ? 新宿に生の豆を売ってるお店があって、最近は自分で焙煎してるの」
趣味人のこだわりを披露しながら、優雅な仕草でカップに口を付けた。
陽織の表情がわずかに強張る。
「……苦い」
「自分だってお子様じゃん」
仄火が笑う。
本気で淹れた高級豆と、安物のインスタントでは勝手が違った。家庭やレストランで嗜む豆は、当然もっと透明感のある味がする。インスタントは別物と言っていいほどに、雑味と焦げたような臭さの塊だった。
ここで廃棄しないのが陽織の育ちだが、不快感を誤魔化すために砂糖を探す。
作業机で目に留まったのは、奏が使っていたガラス瓶だ。封入されている白い粉末は、外見上はどう見てもグラニュー糖である。
しかも運悪く席を立っていた奏は、陽織の様子を見ていなかった。
当然、卓上砂糖だと思い込んだ陽織は、一切の不審を抱くことなくガラス瓶の蓋を開ける。スプーンで白い粉末をすくうと、カップに投入してかきまぜた。金属のスプーンが陶器の表面に触れて、鈴のような軽やかな音色を立てる。
「では……」
しかしカップを口に運んだ瞬間、陽織の顔色が激変した。
「ん!」
期待していた砂糖の甘さなど一切なく、味蕾をむしばむほどに苦い。コーヒーの味では断じてないほどに、神経を破壊するような化学的な刺激だけがある。
陽織は椅子を蹴るように立ち上がり、プレハブの隅にあるシンクへ駆け込む。一切の迷いなく吐き出すと、蛇口をひねって大量の水を流した。何度も激しく水を入れ替えて、しつこいほどうがいを繰り返す。
「なにあれ、酷い!」
陽織が水を吐き出した後も、口内には薬物めいた不快感がある。舌の表面が軽く痺れているし、えずくほど気持ちの悪い苦みが消えない。
「深山さん!? どうしたの!?」
「雪ノ下君、あの砂糖みたいのなに!?」
陽織が卓上のガラス瓶を指さすと、事態を直感した奏は狼狽する。
「え!? あれ飲んじゃったの? ダメだよ! 吐き出したよね?」
「うん」
「良かった。飲み込んでたら救急車だったよ」
陽織が青ざめた顔で頷くと、奏は大きく安堵の息を漏らした。
あの白い粉末はグラニュー糖ではなく、高純度のカフェインの結晶である。奏が眠気を追い払うために、有機溶剤を使って自分で抽出したものだ。
§
陽織が落ち着いたので自席に戻ると、奏はカップに口を付ける。陽織が一瞬で吐き出した黒い薬液を、何事もないかのように飲んでいた。
信じられないものを見たように、陽織の目は大きく見開かれている。
「……それ味は?」
「最悪。苦いだけ」
「……毒じゃないの?」
「これは毒かな」
あまりにも素っ気ない返答に、陽織の顔が引きつる。健康を害する可能性があると知りながら、摂取している意図を理解できない。
奏は中毒の量を承知しているため、砂糖と勘違いした陽織よりは少量だ。それでもドリップコーヒーに換算すると、カフェインとしては10杯分を超えていた。奏の体格だと、過呼吸や猛烈な動悸、胃痛を引き起こす寸前である。
薄い毒液なのを承知しているのに、水分補給のように飲んでいるのだ。
「僕は眠気覚ましにカフェインを取りたいだけで、別にコーヒーを飲みたいわけじゃないんだ。ただ溶媒として手ごろだから、コーヒーに入れているだけで」
溶媒。
大衆に愛されている嗜好品を、最悪の単語で表現したものだ。コーヒーに心血を注ぐ愛好家が聞いたら、ショックで天を仰ぎそうな物言いである。
「ごちそうさま」
コーヒーの風味など失った毒液を、奏はまずそうな顔で飲み干した。
「えぇ……」
異様な光景を目の当たりにした陽織には、深い困惑と拒絶の念しかない。食事に娯楽性を見出している彼女にとって、奏と分かり合える日は来そうになかった。
仄火は二人の騒動を静観しつつ、インスタントをすすっていた。最近飲んだ別のコーヒーはもっと美味しかったのに、安価な粉末は尖った苦みばかりである。
「コーヒーと言えば、うちのパパがすごい好きなんだよね」
「ヴィクトルおじさま?」
「日本支社長ですか?」
「たぶん陽織よりも情熱的だよ。産地まで自分で買い付けに行くもん」
「それは大人の本気ですね」
「今度うちの会社で、珍しいコーヒーを売りに出すことになってさ」
毒コーヒーから距離を取っていた陽織は、何気ない仄火の言葉に反応した。カフェインで痺れていた舌の違和感も、ある程度まで回復したようである。
「珍しいコーヒーなの? 詳しく知りたい」
「興味がないから聞き流しちゃったけど、かなり貴重な豆だって言ってた」
「産地はわかる?」
「アフリカの『中央アフリカ共和国』っていうとこ」
「味は?」
「しっかりした感じ。同じ農園のチョコレートとペアリングするの」
「なにそれ素敵」
同国を原産とするロブスタ豆の希少品種で、土地の住人だけで細々と消費されてきたものだ。濃厚なコクと深みがあるため、カプチーノなどとの相性が抜群である。近代農業を導入したことで、大規模な商業栽培に成功した。
このたび『ヴィンケレ』というブランド名を冠して、ブラックアイアンの日本支社で輸出する運びとなった。
「パパがやたらと張り切っててさ、直轄の食品ブランドまで新設したの。あちこちで偉い人に会うたびに、トップダウンで売り込んでるみたい」
「……仄火ちゃん、その豆は手に入るの?」
「今のとこ一般流通はしてない」
「あら残念」
「でもこないだ日本支社で試飲した。まだ残ってるんじゃないかな?」
「行きましょう」
陽織は即断即決を固めると、立ち上がって荷物をまとめた。力強い足取りで出て行こうとする背中を、仄火は慌てて追いすがってつかまえる。
「待って陽織。どこへ行くつもりなの?」
「おじさまの会社。ブラックアイアンの日本支社」
無駄なほど高い行動力と決断力を発揮して、いつもの暴走が始まったのだ。
「午後の授業は?」
「そんなものは後回し」
「後に回さないで。今日の授業は今しかない」
「食事は命を繋ぐもの。ならいただく私も、命をかけるべきだと思うの」
「食に前のめり過ぎるよ。付いていけないから」
とりあえず無断早退にならない程度には、陽織を翻意させたいところだ。




