Scene ハードボイルドな死神
宗近が鋭い視線を向けた。
「だがそうなると……そのCIAからの情報、信用できるのか?」
外事課長が言葉に詰まる。
「……幕僚長、問題発言です。仮にも同盟国ですよ」
「くだらん」
宗近は一喝した。
「仮想敵と戦うだけなら無能でもできる。真に国益を考えるなら、仲間との戦争くらいは考えておけ」
とんでもない台詞である。
自衛隊の制服組トップによる、同盟国への敵対表明に等しい。日本の国益のためならば、アメリカとの開戦も辞さないと言っている。発言が表に出れば内閣が吹っ飛ぶどころか、日米安保条約の根幹すら揺るがしかねない。
だが誤解しないで欲しいのだが、宗近は反米感情で言っているのではない。個人的な好悪の話なら、宗近はアメリカが好きである。ブラントンのバーボンは嗜むし、米軍には気が置けない友人も多い。
だが対象が『アメリカ政府』になった途端、前提が変わってしまうのだ。
軍事インテリジェンスの世界において、『同盟国からもたらされた情報は、その同盟国のために加工されている』のは常識だ。
もし裏取りをせずに鵜呑みにしたら、いずれ騙されることになる。
「良いですか。CIAが警告してきたということは、『米国は公式には動かない』という意思表示です。やつらは飼い慣らせなかった怪物を、極東の俺たちに押し付けたんですよ。尻拭いをさせられる身にもなってみろ、信用などできるものか」
一度口火を切ってしまえば、悲観的な仮説はいくつも立てられる。
「CIAがあえて情報を流したのであれば、米国政府にとって『日本にその情報を流すメリットがある』ということでは?」
「アメリカは何かの意図があって、日本を観察するつもりではないか? わざと情報を小出しにして、僕たち警察がどういう動きをするのか、データを取ろうとしているのでは?」
疑心暗鬼は連鎖する。
そして宗近にはさらに踏み込んだ、根本的な疑問があるのだ。
「そもそも死神なる人物、実在するのか?」
テーブルの写真を指で弾く。
「こんな写真は何の証拠にもならない。AIでの画像生成などするまでもない。マネキンにスーツを着せて、写真を撮るだけで良い」
つまり死神とはブラックアイアン社がでっち上げた、架空のスケープゴートなのである。軍需産業に世論の批判が集中するのは常で、矛先を逸らすために死神という設定を自ら作り上げた。
そういう視点で考えれば、CIAのプロファイルが不明で埋まるのも納得だ。最初から存在しない人間なのだから、いくら調べても詳細が出てくるはずがない。
宗近は声を落とす。
「もっとも事の真偽性はどうであれ、備えを怠るわけにはいかない。カタログスペックは誇張だとしても、軍事兵器を名乗れるだけの性能はあるのでしょう。自衛隊にとっては玩具でも、一般市民にはそうもいかない」
「……深山幕僚長、実際のところ、勝てますか?」
「愚問だな」
宗近は不敵に笑うと、自信ありげに足を組んだ。
断言する。
「所詮は金持ちの道楽ですよ。市街地で暴れれば多少の被害は出るでしょうが、軍事的な脅威にはなりえない。もしアイスマンが出たら、我々にお任せください。ロボットだろうが何だろうが歩兵は歩兵、習志野から空挺団を出せば終わりです」
宗近の冷徹な指摘に対して、室内の空気は納得へと傾きかけた。
「しかし」
沈黙を破ったのは、進行役である外事課長だった。彼は何かの事実を掴んでいるのか、確信に満ちた視線で手元のタブレットを操作する。
中央のスクリーンに画像が表示されると、出席者たちの顔を照らし出す。
「死神という看板が実在して、天文学的な金を動かしているのは事実です。であるならば、その『架空の伝説』を隠れ蓑にして、世界中に兵器を売りさばき、莫大な金を還流させている、本物の怪物が必ずいます」
大画面に表示されたのは、隠し撮りと思われる写真だ。並木道の陰から望遠レンズで射抜いているのは、銀座のカフェでコーヒーを飲んでいる男である。
アイスブルーの瞳は物憂げに、こんな雑な写真でもモデルのようだ。最高級のスリーピースを隙なく着込み、指には火の点いていない煙草が挟まれていた。
「この男は?」
「ヴィクトル・リンドベリ。ブラックアイアン社の日本支社長です。半年前に軍需産業の役員として来日しまして、念のために外事警察でマークしていた男です。オックスフォード大学を最優秀で卒業した、デンマークのインテリ富豪です」
「えらく男前だな」
「先ごろ結婚しているのですが、その相手がイギリスの貴族です。シンクレア伯爵家という名門から、令嬢を妻として迎え入れました」
「由緒ある英国貴族と結婚か。典型的な身元洗浄だな。きな臭い成り上がりの、武器商人がやりそうなことだ。妻の家格を威光として背負ったわけだ」
危機管理監が皮肉げに口を歪めるが、外事課長の顔に余裕はない。
「CIAからの一報を聞いて、すぐにピンときました。部下に最優先で再分析させていますが、おそらくこの男が死神の正体です。死神が現れたとされる場所に、リンドベリも高い確率で滞在しています」
「ほう」
宗近が身を乗り出す。
「ではCIAが持ってきた、『十代の少女』という警告はどう捉える?」
「各国の諜報機関を攪乱するために、リンドベリが流した偽装工作でしょう。少々情けない話ですが、CIAはリンドベリに踊らされています」
CIAから『死神が東京にいる』との情報が届き、その正体と目される男も半年前に同地に赴任してきた。
真面目で優秀な官僚が常識的に判断して、パズルのピースを当てはめていく。小娘が死神のような荒唐無稽ではなく、もっと完璧なほど相応しい男がいるのだ。
「やつの周辺を洗い直しました」
「時間がなかったので大まかにですが、不可解なほどに身元が奇麗なのです。一切の犯罪歴はおろか、微細な交通違反や、税金の滞納記録すらありません」
「前科がない?」
「それは何を意味する?」
その問いに対して、誰もとっさには答えられない。
ヴィクトルの冷たい瞳を凝視したまま、宗近はひとつの結論に達した。
「……自らは一切の泥をかぶらず、あらゆる法を完璧にすり抜ける。なるほど、この男が死神か。現場で引き金を引くような、三流の悪党とは違うようだ」
外事課長が深く頷く。
つまりヴィクトルの身辺が過剰に潔白なのは、後ろ暗いことを隠すためだ。自らの手を汚すことは絶対になく、裏社会の黒幕として君臨している。
「それを裏付けるデータが、麻布税務署にありました。リンドベリは港区元麻布の高級レジデンスに、住民登録を行っています。納税データを確認したところ、一円の狂いもなく処理されて、過不足なく納められていました」
「……ご覧ください、この完璧な帳簿を」
部下が続ける。
「整い過ぎて不自然です。絶対に尻尾を掴ませないように、税制システムを熟知している証拠です。これほど計算し尽くした『白さ』を偽装できる男が、ただのビジネスマンのはずがありません」
中身を確認していた警察庁長官が、ある数字に目を止めて眉を動かす。
「何だこの資産額が一億円というのは? いくら何でも低すぎないか?」
「もちろんです。やつが世界中で動かしている富からすれば、その程度の金額で収まるはずがありません」
「繋がったな」
宗近が愉快そうな笑みを浮かべ、椅子の肘掛けを叩いた。
「資産を隠しているのだろう? 世界中のタックスヘイブンを使って」
「その通りです」
「やつは日本では『クリーンな富豪』に徹して、その裏では『死神』を名乗って武器をばらまいている。国際的な金融情報網など、欺くだけで相当なものだ」
「最高峰のマネーロンダリング・システムを、独力で運用しているわけか。まさに資本の怪物だな、ヴィクトル・リンドベリ」
誰もがスクリーンで沈黙する、圧倒的な美丈夫に威圧感を覚えていた。美しい双眸は万里を透徹するように、知的でありながら暗黒街の暴力を秘めている。
「CIAの言う小娘のノイズは忘れろ」
警視総監がまとめる。
「我々が警戒すべきはこの男──ヴィクトル・リンドベリだ。証拠が無いのなら、まずは泳がせる。我が国を土足で踏みにじる前に、必ず手錠をかけてやる」
§
都内にそびえる高級ホテルの上階に、一日の日程を終えた大統領がいた。角部屋に位置する二面のガラス窓からは、煌びやかな東京の夜景が広がる。東京タワーを見下ろしながら長椅子に座り、クリスタルのグラスでウイスキーを舐めた。
「……この酒は美味いな」
江戸切子の繊細なグラスに、バーテンダーが削った丸氷が浮かぶ。銀のトレイに載せた枝付きのレーズンをつまみに、山崎18年の白檀のような香りを楽しむ。
「それにしても……」
大統領の手元にあるのは、CIAが日本政府に送った書類の写しだ。私的な時間に仕事をしなくてもよさそうだが、この書類は側近にもあまり見せたくない。書類の中身ではなく、アスフォデロスを詮索されたくないのだ。
万が一でも白百合にたどり着くようなら、大統領の立場も危うくなる。アメリカとアスフォデロスの関係は、ホワイトハウスでは最高機密に属するものだ。
信じられないかもしれないが、白百合とは『アメリカを私物化した女』である。白百合がアメリカの所有者だとするのなら、大統領など交代制の雇われ社長くらいの立場でしかない。
アメリカの動向とは白百合の意思であり、白百合の意思とはアスフォデロスの方針だ。アメリカ合衆国という国は、ある意味でアスフォデロスの一部である。
もう二年ほど前の話になるが、先代の死神が引退したと報告を受けた。ほどなく白百合から紹介されたのが、今代の死神にあたる仄火である。
「この子、すごいのよ」
白百合はこう言って笑った。
初対面での仄火の印象は、ひたすらに幼いという一言に尽きた。しかし不凋花と呼ばれる少女たちの外見が、いかに無意味なものであるか、大統領は世界の誰よりもよく知っている。
仄火を紹介された直後には、直轄の『政策立案グループ』に分析させた。
意外に思われるかもしれないが、仄火は話が通じる相手である。法律などのルールではなく、極めて個人的な美学で動いている。善悪と共感を美徳とする奴隷道徳ではなく、上に立つ者の君主の美学とすら言っていい。
理解しにくいので最初は戸惑うかもしれないが、分析するとその大部分は理屈と数字だ。歯車のような精緻なリアリストで、感情を排したドライな対応をする。理屈の通らない行動を取らないし、計算高いせいで逆に予測をしやすい。
仄火のA-Hub計画にしても、以前に本人から説明を受けている。
驚きは二点。
一点目はあれほど壮大な計画を立てたのが、十歳そこそこの子供であること。二点目はその動機として、『ガンダムに乗りたい』が出てきたことだ。
子供らしい無邪気な願望を、大人を凌駕する知恵で実行する。大人のような体面がないので恥を知らず、傍若無人な無軌道で世界をかき回す。恐ろしいほど老獪だと感じさせる一方で、酷く幼稚な部分も同居している。
このような両極端の特性の共存こそ、不凋花の娘たちに共通する特徴だろう。
良くも悪くも先代の死神は、武器商人としては正統派だった。ある国に武器を援助すると同時に、その国と敵対している陣営にも協力する。そしてマッチポンプで第三極を作り、地域に三つ巴の軍事的緊張を生む。三つの勢力で軍事力が拮抗すれば、恐怖の均衡が働いて戦争が減る。
このようなことを各地で行い、先代は世界のパワーバランスを操った。国家や人間の理性と善性を信じて、既存のルールの中で健気に三つ巴を描いていた。
ブラックアイアン社にしても、先代の頃はもっと目立たない存在だった。死神のフロント企業らしく裏方に徹して、一般にまで名前が知られたのは近年の話だ。
対称戦を前提とする20世紀までなら、武器商人としての完成形だろう。少し発想が古いし外連味も足らないが、誠実で一途な『清純派の世界平和』である。
だが仄火が就任してからの死神は、先代とは違う形の世界平和を目指した。兵器の無人化に全力投球をして、ロボット技術を急発展させたのだ。
仄火は多数の本や論文を出しているが、本名ではなく筆名で書いている。よって本名はまったくの無名だが、間違いなく世界一のロボットエンジニアだ。
ブラックアイアン社を矢面に出して、革新的な技術を次々に発表する。たった数年で世界の技術レベルを、百年も推し進めたと言わしめるほどだ。しかもそれら技術革新のほぼすべてを、仄火ひとりの才能がもたらしたと言うから恐れ入る。
ほんの昨日までの常識が、寝て起きたら過去のものになっていた。技術革新の速度が速すぎて、専門家ですら付いていけない。科学者ですら目を回すのだから、軍事畑の人間では無理である。
今のブラックアイアン社が持つ技術は、アメリカですら模倣できない一種のオーパーツだ。仄火は世界の技術レベルを、百年も未来に跳躍させてしまった。
アメリカという国家としても、大統領の個人的な見解にしても、仄火と敵対する理由はどこにもない。
大統領は仄火を利用するつもりだし、仄火もアメリカを利用するつもりだ。お互いに「隙があればいつでも殺す」という、実に相思相愛の友人である。生真面目で融通の利かない面があった先代よりも、大統領は仄火のほうが付き合いやすい。
あの超越者じみた白百合が、自分を差し置いて『特別』と評した。
並大抵のはずがない。
実際、裏社会に現れてからの仄火は、大統領から見てさえも怪物である。掃討したゲリラは数知れず、多すぎて米国ですら把握しきれない。
世界中から暴力の総量を大幅に減らして、本来想定されていた死者数を激減させている。平和の定義が『暴力での死者が減ること』であれば、仄火は間違いなく平和の使者として機能しているのだ。やり方の悪辣さと徹底ぶりは凍り付くほどだが、殺した数以上の命を救ってしまっている。
そして事実上、仄火はシンガポールの女王だ。
王族のいない共和制の国に、法を超越して君臨している。この地位は先代からの置き土産とはいえ、ブラックアイアン社の躍進は紛れもなく仄火の功績だ。
「……しかし、この『連隊規模』はどこから出てきた?」
CIAが分析した書面には、仄火の戦力を『機械化歩兵連隊』と書いてある。分析官は仄火とは面識がないため、過去の行動から割り出したのだろう。
「過小評価がすぎる。叱責ものだぞ」
仄火の現有戦力が、歩兵連隊など笑えない冗談だ。もちろん大統領でも、仄火の戦力など正確には把握していない。しかしどれほど低く見積もっても、連隊で収まるはずがないのだ。
一年前。
アフリカ大陸の『中央アフリカ共和国』という国で、今では『白紙戦争』と呼ばれている内乱が起きた。開始からわずか72時間で終戦したのだが、この混乱を治めたのが死神だと言われている。
具体的には同国の首都であるバンギを、燃料気化爆弾の雨で吹き飛ばした。内乱の当事者だけではなく、民間人まで無差別に爆撃したのだ。死神の参戦からたった24時間で、バンギは地平線まで広がる瓦礫に変わった。
当時、バンギの人口は100万強だったが、一日で30万人もの命が失われた。もはや国家解体と言っても過言ではない、おぞましいまでの大虐殺である。
内乱を平定したのが『謎の第三勢力』だったため、世界中の諜報機関が大混乱に陥った。今でも公式見解としては『犯人不明』なのだが、主要な諜報機関は死神の犯行だと結論付けた。
国際法では紛れもなく『人道に対する罪』であり、凶悪犯として国際手配されるのも当然だ。なのに死神の軍事力が高すぎて、国際法が事実上機能していない。
法治主義の悪夢である。
仄火はたった一日で、地球上から国ひとつを消し去ったのだ。
もし大統領が真正面から戦うなら、米海兵隊の20万人を全軍投入する。このくらいの戦力はぶつけないと、返り討ちにされるのが関の山だ。
仄火は短期間の局地戦ならば、米軍とも真正面からやり合える。長期になれば持久力で差が出るだろうが、機動強襲なら米軍を超えている可能性すらあるのだ。
白紙戦争の以後、CARの現地政府は不在になった。戦争を平定したアスフォデロスが、軍事力を置いたまま居座っている。現地人による新政府は樹立されたが、完全なアスフォデロスの傀儡だ。仄火が『試したいことがある』と笑っていたので、どうせろくでもないことを考えている。
実は仄火から連絡を受けて、大統領も噛まないかと誘われた。まだホワイトハウスで検討中だが、CARの地下資源はアメリカとしても魅力的だ。
泥をすくえば金塊が混じり、投げた石ころがダイヤだった。ゴールドとダイヤモンドの大鉱床がある上に、世界でも珍しいウランの産出国だ。鉄鉱石や数々の希少金属など、国力の維持に欠かせないものばかりである。
またリン鉱石に至っては、『文明を数世紀は維持できる量』が近年発見された。リンは餓死に直結する生存資源で、需要が無くなることは絶対にない。
だからこそ、仄火が掌握しに行った。
CARが最貧国のひとつだったのは、国内情勢が不安定だったからである。治安が改善したのであれば、アメリカとしても国造りへの参画は大いに有りだ。効率的に採掘して精製する技術があれば、CARは世界でも有数の金持ち国家になれる。




