Scene 死神の脅威
日本国の首相官邸。三階の小会議室は、苦々しい空気が満ちていた。
壁の一面は防弾ガラスの大窓で、太陽光が白く差し込んでいる。複数のガラスを重ね合わせることで、透明な層の中で複雑に屈折していた。まるで硬質な芸術作品のように、室内に光の陰影を描き出している。
小会議室の長机を囲んでいるのは、スーツを着込んだ年輩の男たちだ。
内閣危機管理監。警察庁長官。警視総監など……。
そんな居並ぶ重鎮たちの中に、ひとりだけ紫紺の制服を着た人物がいる。
自衛隊の統合幕僚長――深山宗近だ。
名目は国家安全保障会議の定例に先立つ、国内テロ対策の非公式会合だ。だがその実態は同盟国から投げつけられた、爆弾処理のような厄介ごとの席である。
会議のブリーフィングを務める、警察庁の外事課長が口を開く。
「お手元の書類をご覧ください」
事の発端は、つい昨日のことだ。
アメリカの中央情報局から、国家情報局に唐突な連絡があった。
『死神が日本に入った』
にわかには信じがたいが、CIAは大真面目に警告してきた。アスフォデロスという犯罪組織の一員が、日本へと密かに入国した可能性が高い。
裏社会では死神と呼ばれる凶悪犯で、史上最悪とも言われる死の商人である。間接的な犠牲者まで含めれば、大国を皆殺しにしたほどの血を流しているそうだ。
「……それがこいつか」
出席者たちの手元にあるのは、A4のコピー用紙がたった一枚である。CIAから送られてきた、死神と目される人物のプロフィールだ。
通称:アスフォデロスの死神
所属:アスフォデロス(推定)
性別:女性(推定)
年齢:12~15歳(骨格解析による推定)
身長:150~160センチメートル
体重:45~50キログラム
使用言語:英語
それ以下の項目には、無機質な英単語が延々と並んでいる。
不明
不明
不明
名前も、国籍も、人種も、指紋も、DNAも、一切の記載がない。
まさに死神の経歴書だ。
警察庁長官が吐き捨てる。
「CIAはふざけているのか? 何もわからないと言っているのと同義だぞ」
「……これだけか?」
「これだけです。CIAからは『東京にいる。死にたくなければ探せ』と」
「馬鹿にしている」
不快感を隠しもせず、警視総監が書類を置いた。
「この体型に該当する女が、東京に何十万人いると思っている? 入国経路すら不明だぞ。わかっているのは『危険』というだけ。たったこれだけの情報で、一体なにを捜索しろというのだ? 砂漠に落ちた砂金でも探すつもりか?」
宗近が資料をめくった。
「この写真がその死神か?」
数少ない添付資料の中には、不鮮明な写真が一枚だけ添えられていた。
「……酷い写真だ」
画質の粒子が粗いだけではなく、像全体が光学的に歪んでいる。熱源の近くにいるせいで、空気が揺らいで焦点を結べないのだ。
場所はどこかの紛争地帯のようで、無残に大破した装甲車の残骸がある。赤々と燃える炎を背景にして、骨のように白い装束の人物がいた。
純白の乗馬服のような、未来を感じさせる不思議な服装だ。顎のラインを保護する白い装甲から、頭の前面を覆うように曲面バイザーが伸びている。バイザーには視界を確保するためのスリットすらなく、白一色の面は無貌の怪人のようだ。
資料には女性だと記載があるが、写真からは性別を読み取れない。ショートの黒髪は中性的で、体つきは少年だとしても充分に通る。肌の色は黒人でないことだけは確かだが、それ以外のあらゆる人種に当てはまりそうだ。
しかも盗撮を察知しているらしく、挑発するようなカメラ目線である。
「撮影距離は? 5キロ? 7キロ? もっと遠いか?」
「推定11キロメートル地点からの、ドローンによる超望遠撮影です。これ以上接近した機体は、全て通信が途絶して墜落しました。途絶の原因は不明です」
宗近は不可解な技術に納得できず、書類の特記事項に視線を走らせる。備考欄にはCIAの分析官による、正気を疑うような評価が書き連ねてあった。
脅威レベル:一級(国家安全保障に対する重大な脅威)
推定戦力:機械化歩兵連隊に相当
警告:従来の法執行機関による、接触および確保は推奨しない
連隊規模の機械化歩兵――。
すなわち1500~3000人程度の、軍用車両で武装した軍隊である。指揮官の腕前にもよるが、東京の中枢くらいなら制圧できる戦力だ。
つまりCIAは『手に負えないから警察は手を出すな』と言っている。
「公安の監視網を再確認しましたが、該当するような記録はありません。武装組織の入国はもちろん、軍事水準の装甲車両が、税関を抜けるなど不可能です」
「連隊規模ね」
宗近は呆れた顔をしている。CIAの報告書を信じていないのだ。
……無理もない。
たかが十五歳弱の小娘ひとりが、軍隊と同等のはずがないのである。
「この少女が連隊に匹敵すると? CIAはマーベルの映画にでも毒されたのか?」
「ですが幕僚長、実際に現地では……」
「戦場の噂話でしょう。塹壕に死んだ仲間の幽霊がいるとか、満月の夜に悪魔が来るとか、そういう類のものです。良い大人がまともに取り合うものではない」
宗近が冷ややかに一蹴すると、場の空気はさらに温度を下げた。
CIAからの警告が真剣だったため、念のために本日の会議こそ設けた。しかし彼らの常識に照らせば、荒唐無稽で一笑に付す内容だ。
中学生程度の幼い少女が、国家を転覆しうる力を持っている。
幼稚な願望そのものだ。
アスフォデロスの名前自体は、国際刑事警察機構などで稀に見る。ただしイタリアのコーザノストラのようなもので、ただの犯罪者の集団でしかない。アスフォデロスの内情に至っては、都市伝説レベルの影の政府と同類である。少女ばかりを代理人に立てる悪党など、陰謀論にもなっていない愚劣な妄想だ。
この部屋にいる男たちは、実際に日本という国家を動かしている。国家運営など身近な話でしかなく、影の政府など存在しないと言い切れるものだ。
結局、死神に対する具体策など出るはずもない。
公安部は情報収集を強化して、自衛隊は万が一に備えて待機する。対象を特定できない以上、当たり障りのない結論でお茶を濁すしかない。
「……情報の共有は完了ということで」
外事課長が締めくくる。
「各自、担当部署へ持ち帰っていただき、対策をご検討ください」
これで形式的な会議はお開きだ。
中央にあったICレコーダーに手を伸ばすと、赤い録音ランプが消えた。壁際の椅子にいた書記官がノートパソコンを閉じて、静かに会議室から退出していく。
だがテーブルを囲む男たちは、誰ひとりとして席を立とうとはしなかった。
部屋に残ったのは沈黙と、粘度の高い共犯者の空気である。
「では、本題に入ります。ここからは記録には残らない『中年の世迷言』です」
内閣危機管理監が柔らかい声で告げた。
まずこの会議の主だったメンバーには、前提となる共通の失態がある。CIAが一級と警告するほどの危険人物を、のうのうと日本に入れたことだ。国家を転覆できる水準の軍事力が、東京のどこかで野放しになっている。
治安行政の大失態だ。
もし死神が何かの事件を起こして、一般市民に死者が出たとしよう。全員のキャリアが一発で終わるどころか、内閣の総辞職さえもあり得ることだ。万死に値する不始末であり、彼らは一種の運命共同体である。
ただ宗近だけは治安に責任はないため、軍事アドバイザーとして呼ばれた。軍事力を持つ死神に対抗するために、プロとして意見を言うために列席している。
外事課長が準備してあった冊子を出す。
「まずは次の資料をどうぞ」
CIAのそっけないペーパーとは違う、フルカラーの豪華な小冊子だ。いかにも予算のかかっている厚手の光沢紙で、表紙には『Black Iron Heavy Industries』とロゴが箔押しされている。
機密資料でもなんでもなく、ブラックアイアン社の公式カタログだ。
「冊子の18ページをご覧ください。『アイスマン』という自律兵器が記載されていると思いますが、件の死神がばら撒いているという情報があります」
世界の軍事業界には、公然となっているひとつの噂がある。
『死神とブラックアイアン社は組んでいる。死神こそが同社の宣伝役である』
ゴシップレベルの噂話で、裏付けとなる証拠はない。しかし死神が手当たり次第に売りさばいた結果として、アイスマンのシェアが急拡大しているようなのだ。
「お読みいただければわかりますが、小銃弾を無効化し、人間以上の反応速度を持つと書かれています。歩兵を完全に置き換える、万能の人型ドローンだそうです」
宗近が笑い飛ばす。
「課長。マンガの話はよしましょう」
胡散臭そうな視線でカタログを眺めると、まるで三流週刊誌を扱うようにテーブルに放り出した。
「カタログスペックとは、半分はユーザーを騙すための宣伝文句です」
一般的な歩兵が使う自動小銃は、5.56mmか7.62mmという弾丸を撃つ。至近距離から直角で突入すれば、7.62mmなら1cm前後の軟鋼板を貫通する。
よしんば小銃弾を防げたとしても、運動エネルギーまでは相殺できない。鉄板を貫通するほどの威力が一点にかかり、対象の内側にまでショックを与える。人間でも簡単に骨折する威力なのだから、精密機器の塊であるロボットならなおさらだ。
「アイスマンなどセンサーがズレるか、基板が割れて終わりですよ」
グラスの水を飲む。
「まず完全な自律駆動など、現場を知らない技術屋の妄想だ。戦場とは泥と瓦礫の山です。不整地を二足歩行で走破するには、極めて高い処理能力が必要になる。それを歩兵サイズに積む? 動力はどこから引っ張るつもりですか?」
走破にはリアルタイムで地形を計算する必要があるが、そんなことをしたら絶対に熱が問題になる。排熱をすれば赤外線センサーの的になるし、逆に内部に溜めれば高温になりすぎて自滅だ。
「今まで『万能兵器』を謳って、成功したものなどひとつもありませんよ。兵器とは状況に応じて使い分けるものです。名前に『万能』など付いたら、素人向けの詐欺だと思ってよろしい」
もっともな正論である。
ノートパソコンを開く警察庁長官が、少し安心したような顔で尋ねた。
「ではこの『米軍の特殊部隊を相手に、勝率86%』というデータは?」
「はっ! 傑作だ。八割六分だと?」
数字を聞いた瞬間、宗近は声を上げて冷笑した。
「長官、それが一番わかりやすい嘘の証拠です。アメリカのデルタフォースやシールズを相手に、そんな数字が出るわけがない。現役の頃は何度も合同訓練をした、俺はあいつらの強さを良く知っている」
「ならばこの数字は?」
「どうせブラックアイアン社に、有利な条件でテストしたんでしょう。賄賂をもらった学者が、よくやる副業ですよ」
「ブラックアイアン社の見解は?」
「もちろん、完全に否定しています。彼らの言い分はこうです」
『我々は正規のルートのみで、信頼できる相手に販売している。もし死神なる人物が持っているとするならば、現地軍から略奪されたものか、腐敗した軍人が横流ししたものである。我々も被害者である』
「ふん、白々しい」
宗近が吐き捨てた。
「数千機もの最新兵器が盗まれて、被害届を出さない軍事企業があるか」
「しかし書類上の不備がないため、公権力では捜査が出来ません。彼らの弁護士団は優秀です。我々がこれ以上追及すると、内政干渉になりかねません」
「……シンガポールか」
誰かがポツリと呟いた。
ブラックアイアン社の本社機能は、シンガポールに置かれている。同社は現地のインフラと都市開発を牛耳る、国家規模の経済的巨人だ。
近年のシンガポールは、国際社会での発言力が大幅に増した。軍事力の急拡大が主因だが、その後ろ盾にブラックアイアン社がいるとされる。マラッカ海峡を独力で封鎖できるため、シーレーンに依存する日本では強気に出にくい。
経済、軍事の両面で、まさにシンガポールの生命線だ。よっぽど強い確証でも提示しない限り、シンガポール政府は真っ向から拒絶するだろう。
根拠のない勘ではあるが、宗近はひとつの推測を口にする。
「……あるいは、テストかも知れん」
「テスト、ですか?」
現代の戦争は非対称戦といって、彼我の戦力は必ずしも同等ではない。アメリカ対テロリストのような、極端な戦力差があるものなのだ。
そして軍事の闇なのだが――。
なぜか民間の武装集団が、先進国の最新武器を持っていることがたまにある。
「あえてテロリストに最新の武器を渡して、人道を無視した戦場のデータを吸い上げる。実戦データを効率的に取るために、死の商人が良くやる手口です」
警視総監が顔を青くした。
「いや、待ってください深山さん。それはつまりアメリカのことでは?」
「……ああ、そうなる」
死神は『世界最悪』の武器商人だが、『世界最大』と言われる武器商人をご存じだろうか。文句なしにアメリカが筆頭で、それから先進国の名前ばかりが続く。
『独裁政権に弾圧される市民を救う』
実情はただの戦地での実地テストなのに、アメリカが大好きな口実だ。
「では幕僚長は、死神とアメリカが組んでいると?」
「あくまで可能性の話だ」
「可能性だけだとしても、とんでもない話だ。日本は正体不明の少女一人を捕まえるのに、最強の軍産複合体を敵に回すことになるぞ」
室内の空気が凍り付く。
相手は武器商人やテロリストのような、可愛げのある存在ではない。アメリカが百年かけて組み上げた、『王者による世界秩序』と戦うことになる。




