Scene ゴッドファーザー
これは仄火がマメにやっている、ゲリラの掃討を巡る一幕である。
アフリカ大陸の中央にある『中央アフリカ共和国』という国は、長らく国際社会から失敗国家のひとつに数えられていた。頻発するクーデターで政権は不安定で、豊富な鉱山を持つのに経済は安定しない。各地に群居した武装勢力が強く、中央政府の支配力は限定的だった。
しかし一年ほど前に起きた『白紙戦争』という内乱の後に、首都であるバンギは劇的な成功を遂げる。
瓦礫の上に再建された新バンギは、アフリカ屈指の先進都市へと変貌した。
俺はヴィクトル・リンドベリ。
今日も地獄のハイウェイを突っ走り、断崖絶壁でダンスの真っ最中だ。
震えそうな指先を誤魔化すために、最高級のキューバ産シガーを取った。悲し気な視線で表面の傷を確認して、丁寧に指でなぞって重みを愛でる。卓にあったシガーカッターを使い、わずか数ミリだけ先端を切り落とす。断頭台のように躊躇なく、乾いた音が静かなVIPルームに響いた。
赤子も起こさない音量だったのに、対面に座る将軍の肩がわずかに跳ねる。
……頼むから、そんなに怯えないでくれ。
俺はただ、手を動かしていないと、怖くて指が震えちまうんだよ!
俺の内心は臆病な少年のようだが、ハードボイルドの演技は崩さない。我ながら顔面筋が優秀すぎて、堂々と渡り合っているように見えてしまう。
目の前にいる軍服の黒人は、CARの軍隊を率いている将軍である。実質的にはお飾りに過ぎないが、現在の立場はCARの正式な大統領だ。腐っても軍事独裁のトップであり、幾多の敵を葬ってきた強面の大男である。
対して俺は顔に自信があるだけの、元詐欺師という小悪党だ。
もし将軍が激高して拳銃を抜いたら、非武装の俺は至近距離から撃たれる。イタリア製の高級スリーピースに穴が開いて、治療もされずに放置される未来が容易に想像できてしまう。
だから俺は沈黙を選んだ。
革張りの椅子に深く腰かけて、まずは火を付けずにシガーの風味を確かめる。軽く吸い込んで通気を確認してから、美術品じみたテーブルライターで点火した。一定の距離でシガーを回転させて、ムラが出来ないようにじっくりと過熱する。
「……リ、リンドベリ殿」
まだだ。
安易に返事をしては、重厚な演技が台無しになってしまう。恐怖で今にも叫びたいくらいだが、この交渉を失敗するわけにはいかない。
焼いたシガーを口にくわえると、火を近づけながら空気を吸い込んだ。先端が赤熱して豊かな煙が立ち、安定してからコクのある香りを味わう。
なお、もっともらしく吸ってはいるが、俺は葉巻どころか煙草も嫌いだ。
豊潤な紫煙をくゆらせながら、俺はなおも沈黙を維持する。静謐でありながら凍り付いたような、アイスブルーの瞳で相手を見つめながら。
本心では逃げ出したいほど怖いし、床に膝をついて許しを請いたい。
『俺はただのパシリです! 靴も舐めます! 靴墨の味もレビューします!』
だがとても口には出せない。
なぜなら将軍が子犬に思えるほどの、本物の死神が同じ部屋にいるからだ。俺の背後にある上等な長椅子で、呑気にコーラでポテトチップスを流し込んでいる。
「……リンドベリ殿」
脂汗を流している将軍が、絞り出すような声で再度呼んだ。見ている視線は俺ではなく、十二階の高さから見下ろす街並みである。アメシストガーデンと呼ばれる、新築されたばかりの大統領府からの景色だ。
「こ、これは……あまりに、やりすぎだ。こんなことは頼んでいない」
ほんの一年ほど前まで、バンギは不衛生と貧困の見本市だった。しかし白紙戦争で全てが焼き払われて、奇抜で突拍子もない都市が再建される。いまやアフリカの赤い大地に広がるのは、風土を完全に無視した最先端の街並みだ。
中央を抜ける目抜き通りには、等間隔にジャカランダの樹が植わっている。鮮やかな紫色の花を咲かせて、散った花弁で舗装路は絨毯のようだ。フェラーリやポルシェといった定番の高級車が、大通りに何台も停車している。
重力に逆らうような形をした、奇妙な形のビルがいくつも建造中だ。群青色をした宝石のような外壁が、赤茶けた大地に鮮烈なコントラストを描いていた。
外見上は煌びやかで美しく、市民の生活も豊かに見える。生活インフラはAIによって高度に管理され、いまも莫大な資本によって都市は増殖していた。
要するにこの有様は――。
アスフォデロスによる植民地支配だ。
おぞましいことに統計上では、バンギの失業率、犯罪率は、ともに0%を叩き出している。バンギを物理的に閉鎖する壁など無いが、利便性と監視という高い障壁によって囲まれているのだ。
もはや人間の住居ではなく、その実態は『都市型の家畜場』である。戦争で国家が丸ごと白紙に戻ったため、アスフォデロスが一方的な美学で上書きした。
「我が社は依頼を果たした。閣下のご希望通りに」
「依頼だと!? これが依頼の結果だと!? 君たちがやったのは虐殺だ! 反政府ゲリラだけならまだしも、彼らを匿っていた村人、武器を運んでいた子供、しまいにはただの通行人まで……。一晩で……たった一晩で、五千人が消えたんだぞ!」
将軍が拳を振り上げる。
「あなた方は、どれほど殺せば気が済むのだ!」
磨き抜かれたマホガニーのテーブルが、打ち付けた衝撃で鈍い音を立てた。将軍の双眸に凄まじい怒気が宿り、目尻は限界まで鋭く吊り上がる。顔色まで赤黒く鬱血していき、抑えきれない憤怒が体から立ち昇るようだ。
俺は何も答えず、震えそうになる唇を固く結んだ。返事をするための声帯が、極度の緊張で機能不全に陥っていたからである。俺は彫刻のように眉間にしわを寄せ、愁いを帯びた瞳で将軍を見続けた。ただ次の台詞を考えていただけだが、暗黒街の黒幕のようにしか見えない。
俺の沈黙は激昂する軍人を、『安い感傷に浸る弱者』として見下すものだ。侮辱の意図など毛頭なかったが、底知れない圧迫感で将軍を追い詰めてしまった。
静かだ。
空調の作動音しかしない。
この場における『ボス』は俺であり、何かを言わなければいけない。必死に言葉を探していると、大好きな映画のワンシーンが浮かんだ。
俺は意志力を丹田に籠めると、腹の底から絞り出すように静かに囁いた。
「……閣下。嘆かわしいことだ」
「な、なんだと……」
「友よ。今後もこう呼ばせて欲しい。だが君は……この私の敬意を、その陳腐な感傷で踏みにじるつもりなのかね?」
俺は紫煙の揺らめきの中で、哀れな友を静かに見つめ続けていた。
ブラックアイアン社が請け負った仕事は、辺境地域の治安の回復である。白紙戦争を逃げ延びた雑魚どもが、昔のやり方で勢力を回復しようとしたのだ。
「はいはーい。これですー」
頃合いを見計らって、仄火が効果的なタイミングで出てきた。ハンカチでポテトチップスの油を拭うと、手元のタブレット端末を操作する。
空中に投影されたホログラムが、清潔な光を放ちながら回転を始めた。
「これまであの村の周辺では、年間で二百人前後が殺害されていました。この数字は報告されている者だけなので、現実的には数倍は行くはずです。当社が介入したのは先々月ですが、それ以降の殺人件数はゼロです」
彼女は油の浮いた指先で、死者数のグラフを軽やかにスワイプする。
「平和になりました。素晴らしい成果でしょう? 何が不満なのですか? 非の打ちどころのない、完璧な平和貢献だと思いますが?」
国連が十年以上もかけて無理だったCARの平定を、アスフォデロスはわずか一年でやってのけた。辺境の残党狩りに至っては、仄火は一晩で終わらせている。
仄火には交戦規程も責任もないし、顔色をうかがう世論も存在しない。生ぬるい治安維持しか出来ない国連軍とは違って、効率的に根絶やしにするための蹂躙を躊躇なく実行した。
善意で動く無能な平和主義者ではなく、悪意すら持たぬ有能な虐殺者が平和を作ったのだ。もしやり方が気に入らないのであれば、仄火は『同じ結果を出せ』と言うだろう。口しか出せない愚物であれば、代わりはいるので殺して終わりだ。
仄火の瞳には一切の悪感情も、ましてや憐憫の念も存在していない。部屋を掃除した後の満足感に近い、純真無垢な達成感だけがある。一晩で五千人もの命を奪ったのに、単なる効率としか思っていないのだ。
この少女は何を言い出すかわからず、俺の背中には冷や汗が止まらない。
「ば、化け物が! 貴様らは、こ、この国を殺したんだ!」
「その言い方はありません。契約書の第三条。『手段を問わず、可及的速やかに犯罪行為を停止させ、治安を回復すること』。完璧に履行しましたよ?」
「だ、だが、分別というものがある! 女子供まで殺す必要がどこにあった!」
将軍が絶叫する。
しかし仄火の態度は軽薄で、泡のような些事だと気楽に受け流す。
仄火のやり方はとても衛生的であり、再発防止にも効果的である。確かにその通りではあるが、到底血の通った理屈ではない。
一切の感情や道徳を切り捨てて、無機質に合理のみを追求している。まさに死神が構築した理論と呼ぶに相応しいほどに、どこまでも無慈悲で残酷なものだ。
将軍が立ち上がり、仄火に詰め寄ろうとする。
頼む、やめてくれ。
仄火は『白い潮』と呼ばれる、正体不明の護衛を連れ歩いている。俺も実態を知らないのだが、今もすぐ近くにいるはずなのだ。極めて殺傷能力が高く、周囲の人間など盾としか思っていない。
仄火は自分に武器を向けた相手を、生かして帰すほど甘くない。もし拳銃など抜いたら、その瞬間に将軍は即死だ。すぐに将軍の配下が反撃して銃撃戦となり、俺は守ってもらえずに仄火だけが生き残る。
俺は死にたくないんだ!
だから震える指先でシガーを灰皿に置くと、精一杯の虚勢をかました。激昂する将軍などまるで意に介していないように、愛惜すら湛えた瞳で書類を差し出す。
「契約書へのサインで済む話だ。我々の仕事を評価していただきたい」
俺はスーツの内ポケットから、漆黒のレザーケースを抜き取った。震える指先を隠すため、あえて鷹揚にフラップを開く。重厚なモンブランの万年筆を持つと、キャップを外して将軍に差し出した。
「インクで終わらせようじゃないか。わざわざこれ以上、血のサインを書く必要はない。そうは思わないかね? 友よ」
やむにやまれぬとはいえ、自身が吐いたとは思えない大言壮語だ。健康診断の注射だって目を逸らすし、他人の血など怖くて直視も出来ないのに。
次の日曜日に教会に行って、神の御前で懺悔をしなければならない。内心で十字を切って許しを請う俺だが、脅迫がもたらした効果は劇的だ。
将軍は顔面に脂汗を浮かべて、震える指先を拳を握って誤魔化した。卓上のモンブランを力強く取ると、以外にも達筆な筆跡でサインをする。
もしこれ以上ごねると、自分も処理されると骨身に染みているのだ。
「わ、わかった! 契約継続だ! 我々は友人だ!」
「賢明な判断だ。神の祝福があらんことを」
声が震えないように懸命に抑えて、灰皿のシガーを手に取る。まるで減っていない葉巻をくわえて、口内だけで煙の甘さを味わった。背中は冷や汗でずぶ濡れで、シャツが肌に張り付いて気持ちが悪い。
将軍が逃げるように部屋を出て行くと、長椅子に戻っていた仄火が乾いた拍手をする。振り返ると実に満足げな表情で、意地の悪そうな笑みを浮かべていた。
「やっぱパパって、顔だけじゃないよね。ちゃんと演技の才能もあるよ。さっきのアドリブ、すっごい良かったもん」
「……ボス。頼みますから、次はもう少しまともな相手にしてください」
対峙した将軍の危険さは言うまでもないが、俺に割り当てられる相手が毎回のように酷すぎる。イタリアを牛耳るマフィアの大物や、非道な振る舞いで知られる独裁者にも会った。言葉をひとつ間違えるだけで、気軽に鉛玉を撃ち込んでくる。
「……酒はあるのか?」
客にふるまうものらしく、VIPルームの棚には名酒が並んでいた。マッカラン30年があったので開封すると、グラスに注いで常温で一気飲みする。愛飲家が見たら悲鳴を上げて卒倒しそうだが、燃えるようなアルコールで胃の痛みを誤魔化した。
こんな生活を続けていたら、いずれ胃に穴が開いてしまう。
否、もう空いているかも知れないし、ストレス性胃炎の先さえ見えそうだ。
「じゃあ第一フェーズは完了かな? たぶん全土の治安が回復したはずだし、これで海外からの融資も呼び込める」
仄火は無邪気に笑う。
「次は第二フェーズだね。まずはこの国の法律に手を入れて、国際的な評判を高めちゃおう。金融街でも作ってさ、カジノとかやったら面白そうじゃない?」
「……まだかき回すつもりですか?」
「いずれパパにも役職をあげるよ。楽しみにしといて」
俺は天を仰ぐ。
嗚呼、天にまします父なる神よ。絶え間ない緊張に耐える俺の胃袋に、安らぎをお与えください。そしてどうかこの小娘に、隣人愛を教えてください。
……自分で言っていて何だが、神すらも放り出しそうな無理難題である。




