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グリムリーパー・パレード  作者: 水銀
Phase.03 グリムリーパー・ドクトリン

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15/18

Scene アスフォデロス

 都心一等地の喧騒さえも、この建物の奥までは届かない。

 銀座の高級鉄板焼き『つるかい亭』には、静寂と熱気が異様に同居していた。贅を尽くした客室は照明が落とされ、まるでスポットライトのようにカウンターだけが照らされている。

 壁際に立つヴィクトルは、背景の一部になりたいと心の底から願っていた。仄火に近づくことすら怖くて、ただ不動で胃の痛みだけに耐えている。


 本来なら二十人は座れるカウンターを、たった二人の人物が貸切っていた。

 ひとりは鷲明館の制服を着た仄火だ。

 これほどの席でも着こなしは変えずに、ネクタイをだらしなく締めていることが信じられない。テーブルには毒々しいほど緑色のメロンソーダが置かれ、炭酸の気泡が絶え間なく湧き上がっていた。自家製のバニラアイスが添えられて、夕張メロンがソーダの底に沈んでいる。

 その隣席を占拠しているのは、常軌を逸した体躯を誇る白人男性だ。イギリス製のスーツの上からでも、丸々とした筋組織の隆起が如実に見て取れる。単身で二人分の空間を占拠している男は、アレクザンダー・ロールス・ジュニア――。

 合衆国大統領だ。

 カウンターの向こう側には白衣のシェフが立ち、本日のメインを恭しく披露していた。漆塗りの盆に鎮座するのは、二キログラムもの黒毛和牛のサーロインだ。最高級に恥じない見事な霜降りは、照明の下で芸術品のような光沢を放っていた。


 熟練のシェフが肉塊を切り分け、熱した鉄板に油を馴染ませる。二振りのヘラでサーロインを滑らせると、脂が爆ぜる音が小気味よく響き渡った。

「素晴らしい。見たまえ、リトルガール。この和牛のサシを」

 大統領が飲んでいるリーデルのワイングラスには、ルビー色のオーパスワンが注がれている。恋人を見るような熱量で、色が変わっていく肉塊を見つめていた。

 対する仄火は柄の長いスプーンを持つと、メロンソーダに浮かぶバニラアイスをすくっていた。最高級の牛肉にも冷めた態度で、アイスの甘さを口へと運ぶ。

「脂ばっかりじゃん。デブまっしぐらだね」


 その無遠慮な物言いに、ヴィクトルの表情はわずかに強張った。直立不動で壁と同化している今も、鳩尾では胃酸の嵐が荒れ狂っていた。

 部屋の四隅には黒い背広の男たちが、彫像のように静かに控えている。大統領を護衛している、シークレットサービスの精鋭たちだ。容赦がない鋭利な視線が、絶えずヴィクトルの急所を射抜いていた。

 わずかでも不審な動きをしたら、即座にハチの巣にされる。ヴィクトルは銃は怖くて触れるのも嫌なため、丸腰なせいもあって生きた心地がしない。

「HAHAHAHA!」

 大統領は豪快に笑うと、フォークで肉の脂身を示した。

「そうだ。そこが問題なのだよ。日本は素晴らしい国だ。豊かで、柔らかく、甘露のごとく滴り、口の中でとろけるようだ。つまり――贅肉が多すぎるのだよ」

 哄笑の残響が消えると、大統領から柔和な笑みが消えた。

 現れたのは世界最強の大国を率いる、冷徹な為政者としての顔である。

「日本には骨はある。だが意志を忘れ、脂肪が付きすぎた。ただ肥え太り、外敵に食われるのを待つ家畜のようだ。だからこの私の手で、鍛え直してやらねばならんのだよ。愛する(ジャパン)のために」

 それは料理を評しているようで、日本の未来の話だった。

 大統領の根底にある、強固な父権主義が透けている発言だ。彼は疑いなく自身の発想を、真心からの善意であると信じている。たとえそれが相手の意思を、完全に無視した強要であったとしても。

「アレックスの政治論とか、もう聞き飽きたよ」

 だが仄火は退屈そうに聞き流す。

 一国家の在り方など興味はなく、まだ食後のデザートを考える方が有意義だ。

「国家と政治を語るのに、私ほど相応しい人物もおるまい」

「前に散々話したじゃん」

「何を言う。私と政策論争が出来るほど、詳しいではないか」


 大統領はワイングラスを揺らすと、ふと視線に観察のような色合いを宿した。

 さりげなく、しかし慎重に言葉を選ぶ。

「ところで、今回の件――エイハブの販売についてだが、君たち『アスフォデロス』の総意と受け取っていいのかね?」

 唐突に出てきた最悪の単語に、ヴィクトルの背筋が泡立つ。それは裏社会に生きる人間にとって、詮索はイコールで死に繋がるような言葉だ。

「まさか。私たちに総意なんかないよ。うちは組織じゃないもん。全員が個人の裁量で動いているし、A-Hub計画も私だけで進めているものだよ」


『アスフォデロス』

 それは世界最悪とも言われる、犯罪者ファミリーの苗字である。例外なく国際手配の対象となっているが、捕まったという話は聞いたことがない。

 その中心人物たる『盟主』は、非常に悪趣味な男として知られている。年端もいかない少女たちを代理人に立て、自分は決して表舞台には出てこない。この独裁的な指導者が目指す唯一の方針こそが、アスフォデロスが求めている究極の目的だ。

 なんと『世界平和』である。

『アスフォデロスは世界を平和にしたいのだ』

 盟主はたったひとつの命題を掲げる。

『あらゆる法と倫理に縛られず、無尽蔵の財力があれば、世界平和を為し得るのか?』

 この問いに答えるために、地球を丸ごと実験場にしている狂気の一家だ。


「せめて白百合(リリー)には話を通してもらえないか? 彼女はうるさいぞ。自分の庭を荒らされるのを、ことのほか嫌がる。日本はアメリカの裏庭だ。私のオーナー気取りで、火遊びをするなと説教をしてくる」

「気取りじゃなくて飼い主じゃん。選挙で当選させてもらったんでしょ?」

「……否定はしない」

「それにざっと説明はしたよ」

「ざっと? 彼女の小言を聞くのは私なんだが?」

「アメリカがリベレーターを買うの、止めなかったでしょ? お姉ちゃんはほんとに嫌なことなら、国ごと滅ぼしてでも絶対に止めるから、何も言ってこない時点で、黙認はしてるってことだよ」


 世界最高の権力者であるはずの合衆国大統領が、特定の女性を「オーナー」と呼んで顔をしかめている。苦虫をかみつぶしたような表情からして、ヴィクトルはこう結論せざるを得ない。

 つまり白百合と呼ばれる女性は、大統領を超えるほどの地位にいる。

「あ、このメロン美味しい」

 仄火はグラスに沈んだ果実を匙ですくうと、幼い口調で感想を漏らした。苦々しげな大統領とは対照的に、友達と雑談とする姿とまったく変わらない。

「お姉ちゃんはちょっと、心配性なんだよ。お父様のことが好きすぎて、精神的な意味で『重たい女』になってると思う」

「あの怪物じみた娘に、そのような人間らしさがあるのかね?」

「お姉ちゃん、あれで女だよ? 私らって全体的に男っ気がないけど、お姉ちゃんは生々しいとこあるもん。たぶんお父様のこと、男として見てるよ」

「なんと」

「お父様は姉妹で喧嘩さえしなければ、他のことには大甘だもん。『思うままにしなさい』って言うに決まってる。私の世界平和なんてA-Hub計画のおまけだし、お父様に納得してもらうための手土産――言い方が悪いか、プレゼントだから」

「……相変わらず、君たち不凋花(ふちょうか)の姉妹は難解だな」


不凋花(ふちょうか)』。枯れない花。

 盟主が代理人として認めた、世界に五人しかいない天才少女たち。彼女たちは『死神』や『白百合』といった立場を象徴する呼称を冠して、襲名によって百年以上の長きにわたって継承している。

 死神は武器商人として悪名高く、白百合はアメリカすらも私物化した怪物だ。ただの優秀な子供では断じてなく、極限まで肥大化したエゴと傲慢の塊である。

『自分ならば世界を平和にできる』

 誇大妄想じみた世界平和への正解を、自分だけは示せると確信している。家族と言っても血の繋がりはないが、盟主に対する帰属意識で結束している。全員が常軌を逸するほどの才能を持ち、人類史の最高峰にも達する大天才だ。

 救いようのない悪夢だが――仄火みたいのがあと四人いると思えばいい。


 つまりアスフォデロスとはこうだ。

『世界を平和にできるほどの、異次元の才能を持った五人の天才少女と、父親役として彼女たちを後援している、無尽蔵の資産を持った謎の大金持ち』


「神々の社交界に集った、枯れない才能を持つ令嬢たち。あるいは世界を玩具箱にする、悪辣な魔女の集会(サバト)か――。凡人には理解しがたいよ」

「失敬な。ただの仲良し姉妹だよ。うんまあ私から見ても、ひとり残らずイカレてるけど、お父様からお小遣いをもらって、それぞれで好きに遊んでるだけだよ」

「好奇心から聞かせてもらうが、どれほどお小遣いをもらったのだね?」

「アメリカの国防予算ほどではないよ」

「比較対象がおかしくないかね?」

「それに動かしてる総額なら、アレックスの方がずっと大きいよ?」

「当たり前だ、私はアメリカだぞ。むしろ国防予算のような金額を、誰の監査も受けることもなく、自由に動かしている君たちこそ異常だ」


 ヴィクトルは眉間に深い皺を刻み込み、正面を鋭く射抜くような眼光を湛えて直立していた。硬派な佇まいは堂に入ったもので、まさか激しい胃痛を我慢しているだけとは誰も思うまい。

 世界最強の国家元首と、裏社会でも最悪の死の商人(アームズディーラー)の組み合わせ。ファミレスで話すような気軽さで、詮索しただけで暗殺されかねない禁忌に触れている。

 彼らの視座は常人からは隔絶しすぎて、きっと個々の生命や生活の営みなど眼中にもない。運命を弄ぶ神々の戯れを、地を這う蟻から仰ぎ見ている気分だ。

 これが悪夢なら覚めてくれ……。

 現実感を喪失させるほどの重圧は、ヴィクトルの理性を摩耗させていく。ポケットの中に常備している胃薬を、規定量の三倍は噛み砕きたい衝動に駆られた。


「フランベ致します」

 料理人が恭しく口上を述べ、熱した鉄板へブランデーが注がれた。銅製の蓋が客席への熱線を遮断し、気化したアルコールが炎となって立ち昇る。

 大統領は目を細め、鉄板で揺らめく火を陶酔した様子で見つめていた。

「……美しい」

 その称賛が炎に向けられたものか、あるいは高級肉なのかは判然としない。

「やはり、鍛えねばならんな。余分な脂を落とし、鋼のような筋肉をつけるには、火にくべる必要がある」

「んー、よく燃えるね。こないだ焼いたラオスの村みたい」

 シェフが鮮やかな手際で肉を切り分けると、見せてくれた中心部はピンク色の見事なレアである。ラオスで虐殺した子供の内臓を思い出してしまって、ヴィクトルは吐き気までこみ上げてきた。

 仄火はグラスの氷を鳴らすと、大統領に向かって流し目を送る。

「アレックスの火加減なんて興味ないけどさ、火種が必要なら言ってよ」

「頼りにしているとも、リトルガール」

「最高のライターを売ってあげるよ」

「さあ食おう。血の味がするくらいが最高だ」

 大統領はステーキを口へと運び、溶ける食感を堪能しながら咀嚼する。仄火はあのラオスの話をした直後に、美味しそうに肉を食べられるのが信じられない。

 鉄と、肉と、甘いソーダの香り。

 二人の怪物はそれぞれの思惑を抱えたまま、奇妙な晩餐を楽しんでいた。

 ……胃薬。頼む、胃薬を飲ませてくれ。

 ヴィクトルは耐え難い胃痛を押し殺し、胸中で沈黙の祈りを捧げていた。最悪の魔人どもが饗宴を繰り広げる食卓において、自分など添え物のパセリ以下の価値しかないと痛感しながら。

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