11 ☆3
天井が崩れ落ちそうな階段から現れた負傷者を見るなり、救護班はすぐさま担架を持ってきた。
「君、意識はあるか?」
「ああ」
「名前は言えるか?」
――キリルだ。
救護班は頷いて背中の傷に触らないようにゆっくりと仰向けにして担架に乗せる。救護員は手早く、優先順位が高いことを示す赤いリボンを彼の手首にまき、担架をふわりと浮かせて医務室へと送り出した。
少しほっとしたのか、アカデミーの医務室へと向かう間、キリルは息を大きく吐き出して目を閉じる。
彼を見送った救護員は顔を見合わせた。
「よくもまああれだけの傷で階段を上ってきたものだ」
「上司がブーケ殿じゃあ、心配で心配で倒れてなんていられないだろうからなぁ」
「愛かねぇ」
「キリル殿の場合、これからが辛いかもしれん」
「どういうこと?」
「彼の背中の傷は普通じゃない。……よく見りゃ青い竜が刻まれていた。
これは普通の魔法実験事故なんかじゃないってことだ」
そう、アカデミーの機密事項に関わる事故だ。わずらわしそうに人相の悪い救護員が眉をひそめて断定すると、もう一人の救護員である年配の女性は気の毒そうにため息をついた。
地上に被害が出ている以上、もはやアカデミーの権威にしがみついていても仕方がないだろうに、一体彼らは何をやっているのだろう。
資料を東閲覧室に移した後、シャルロットは地下4階の現場に駆け下りた。粉々になっているか、もっと焼け爛れているであろう風景を想像していたが、意外と損傷は少ないように見える。
「一体ここで何があったの?」
現場検証に来ていた妖精を捕まえて問いかけると、何か書付をしていた妖精が振り返り、シャルロットをじろじろ見た。人相は悪いが、不思議と愛嬌がある中年の容姿をしている。
「ああ、あんたシャルロット様とやらか。さっき、キリル殿を医務室に送り込んだよ。
到底軽症とはいえない状態だった。あとで必ず見舞いに行ってやれ。
さて、この事故にはどうも闇の魔術、それも召喚魔法が関わっていると俺は見ている。爆発というか、暴発と言った方が正しいな」
ただ、召喚に失敗したという感じではないのが不思議だ、と続け、その妖精はまた調査に戻った。
あの時、轟音と大きな揺れがあった。しかし、召喚用の魔法陣は見当たらない。
天井には大きな穴があいている。これは何かが上に抜けようとしたように見える。キリルは1階の床まで空いたところもあったと言った。彼は間近でこの穴を見た。
ほうきを取り出して、吹き抜けのようになってしまった穴を辿るように上方へ飛ぶと、確かにそれは1階の床、つまり地下1階の天井にぶつかったような跡を残して止まっている。
「まるで、繋いでいた猛獣が抜け出したような……」
そして、どこかへ消えてしまったような。
召喚獣を呼ぶ方法は2つある。1つは、魔法陣を使って異世界から彼らを召喚する方法。もう一つは、召喚された召喚獣を何らかの媒体に繋ぎとめておき、その媒体から召喚する方法。
今回のケースは後者に当たりそうだ。
つまり、何らかの媒体に繋いでいたはずの召喚獣が媒体から飛び出した。そして地下1階の天井にぶつかり、どこかで消えた。
ひびが入って崩れ落ちそうな地下1階の天井を、刺激しないように注意深く探ると、何かがきらりと光ったような気がした。そっと手を伸ばせば、それは、キラキラ光る青い鱗だった。
滅多にお目にかかることの無い鱗。
――ドラゴンだ。
そう、これは、この光沢は、この強度は、これまで見た召喚獣のどれにも当たらない。ただ、最近これとよく似たものを手にしたという話を聞いた。それは、魔王の黒い竜が暴れた後に残されていた黒い鱗だ。
全てのピースが繋がり始めていた。
「私は一体何年ここにいるのよ。こんなことにも気がつかないなんて」
――忘れていたわけではない。目をそらしていただけ。
知らない振りして、普通に研究して。ああ、全ての発端はアカデミーにあったのだ。
「キリル君、いる?」
シャルロットはそうっと医務室の扉を開ける。しかし、打撲や切り傷による妖精たちは行きかっているものの、彼女の助手の姿は見当たらなかった。まさかあの怪我ですぐ退院なんてことはないはずだ。
柱をぎゅっと掴んでいると、目の前に影が伸びてくる。
「ああ、君がブーケさんか。なるほどなるほど」
彼女が振り返ると、あごにひげを生やした渋い妖精が「キリルさんなら別のところに移動させた」と、上を指差した。
「あの、彼の容態はそんなにひどいのですか?」
指先に力を入れて問いかけるが、彼は何も言わない。
「ついてきなさい」
ただ、それだけ告げると、アカデミーの制服である黒いマントと帽子がひらりとはためき、入口へと歩いていった。
その後姿を追いかけながら、シャルロットは驚きを隠せなかった。
それは他でもない。
――彼から魔力というものが「全く」感じられなかったからだ。
賢者の塔、最上階に足を踏み入れるのは、シャルロットも初めての経験だった。
「どうぞ」
キィという音をたてて開かれた扉の先には豪華な部屋がある。ふかふかの絨毯に柔らかいベッド。その上にキリルは寝かされていた。
「!」
シャルロットが駆け寄ると、彼は痛みが引いたためかぐっすりと眠っており、規則正しい寝息を立てている。
案内してくれた妖精は「大丈夫。今のところ落ち着いている」と付け加えて、近くにある椅子を引っ張り出してきた。それは研究生の講義室にある簡素な椅子で、ひどくこの場には不似合いな気がした。
「で、君はどこまで知っているのかな。ブーケさん?」
とろんとしたようでいて鋭い瞳に見つめられて、シャルロットは一瞬体を強張らせたが、もう一度お腹に力を入れなおして、はっきりと発音した。
「この案件の発端は、アカデミーの執行機関が起こしたことですね」
そう、アカデミーには多くの秘密がある。
アカデミーが浮いているのは秘密がある。
アカデミー内の天気がコントロールされているのには秘密がある。
アカデミーに豊富に存在する魔力エネルギーには秘密がある。
アカデミーでモンスターが平和に暮らしているのには秘密がある。
だからアカデミーが滅びるときも、その秘密が関係するはずだ……
「その通りだ。そして、今回の重要な鍵を握っているのが、私と、闇の手を率いる魔王と、そこでうずくまっている仮の守護神様な訳だ」
彼がアゴで示した先に見える者。それはまだほんの幼い少年に見える。
「仮の守護神?」
「ああ。彼が今アカデミーの執行機関の中で最上位に祭り上げられている妖精だ」
なあ、真実なんてものは実に薄っぺらくて、そして、汚いものだと君は思うかい?
守護神と呼ばれた少年に向かって問いかけた彼の目には、侮蔑の色が見えた。




