第50章 霊峰を祀る氏族
霧島山(南九州)と富士山(東国)を祀る信仰の交差点には、日本神話の女神である木花之佐久夜毘売(コノハナサクヤヒメ、木花開耶姫)と、彼女を祖神として祀る諸県君(ひいては日下部氏)の存在が深く関わっています。
現在、富士山を神体山として祀る富士山本宮浅間大社(静岡県)の主祭神はコノハナサクヤヒメです。
しかし、彼女はもともと南九州(宮崎・鹿児島)の神話の女神でした。
コノハナサクヤヒメは、南九州の山岳信仰の象徴である霧島山(高千穂峰)に天孫降臨したニニギノミコト(瓊瓊杵尊)と、宮崎平野(一ツ瀬川流域など)で出会って結婚しました。
彼女は出産時、貞操の疑いを晴らすために「密閉した産屋に自ら火を放ち、激しく燃え盛る炎の中で3人の皇子を無事に出産した」という強烈な「火中出産」の神話を持ちます。
この「荒れ狂う火をコントロールして新たな命(恵み)を生み出す」という神格が、激しく噴火を繰り返す霧島山、そして後に東国で大噴火を起こす富士山を鎮める「最強の火山の神(浅間大神)」として、両方の山で祀られる最大の理由となりました。
前述の通り、諸県君の血筋からは仁徳天皇の妃となった「髪長媛」が生まれ、その子孫のために雄略天皇が全国に直轄地「日下部」を置きました。
この日下部氏のネットワークこそが、霧島(日向)の神話を富士山へと運んだ媒介者と考えられています。
諸県君の血を引く山梨の日下部氏は、富士山の北麓(山梨県側)の統治や、軍馬の育成、交通路の管理を任されていました。
もともと富士山の神(浅間大神)は、土着の恐ろしい山の霊(人格化されていない自然神)として恐れられていました。
そこへ、宮崎平野から大和を経由して山梨へ移住・土着した日下部氏らが、自分たちの偉大な祖先(諸県君のルーツ)に連なる「火の山を鎮める女神・コノハナサクヤヒメ」の信仰を富士山に当てはめて祀るようになったという説が、古代史や民俗学において非常に有力視されています。
考古学や地理的視点でも、霧島山と富士山は古代人にとって特別な一対の「聖なる山(活火山)」でした。
諸県君の勢力圏にある西都原古墳群(宮崎)の巨大古墳「男狭穂塚」と「女狭穂塚」は、宮内庁によってコノハナサクヤヒメとその夫の陵墓(墓)に指定されています。
古代、霧島山も富士山も、噴火によって周囲に甚大な被害をもたらす恐怖の対象でした。
ヤマト王権が日本全土を支配していく過程で、南九州の霧島連山を鎮めてきた「コノハナサクヤヒメ」の強力な神威が、東国の富士山を鎮めるためにも必要とされ、国家規模で「霧島から富士へ」と信仰が要請された背景があります。
宮崎平野の古代氏族(諸県君)の台頭、天皇家との婚姻、そして雄略天皇による「日下部」の東国(山梨)派遣という歴史のパズルは、最終的に「霧島山の女神を、富士山の神として祀る」という壮大な信仰の伝播として結実しました。
山梨に今も残る「日下部」の地名や、富士山に祀られるコノハナサクヤヒメは、宮崎平野の古代豪族が残した極めて大きな歴史の足跡なのです。




