第33章 阿部氏(阿倍氏)の正体
鹿島・磐城・阿部氏(阿倍氏)の3者は、大和王権が福島県沿岸部(浜通り)を完全に掌握し、東北進出の「超巨大な一大軍事ロジスティクス拠点」へと変貌させていった歴史のパズルとして、一本の線で繋がります。
これまで見てきた「鹿島の北上」の動きに、古代のヤマトの超名門氏族である「阿部氏(阿倍氏)」と、浜通りの行政区分である「磐城(石城・いわき)」が加わることで、王権の東北侵攻作戦の裏舞台が完全に浮かび上がります。
まずキーパーソンとなる阿部氏は、大和王権の中枢を担った大臣を輩出する最高名門氏族の一つです。
阿部氏といえば、7世紀半ばに日本海を北上して秋田や北海道を遠征した「阿部比羅夫」が有名ですが、彼らの一族は日本海側(越・秋田)だけでなく、太平洋側(福島・宮城)の統治も一手に任された「対蝦夷の最高責任者」でした。
阿部氏の主流派(阿倍小苔ら)は、陸奥国守などの要職に就き、関東から福島、宮城へと至る太平洋沿岸ルートの開拓と征服を実質的にプロデュースしました。
福島県南部から茨城県北部にまたがる「磐城(古くは石城・国造の領域)」は、阿部氏にとって最も重要な地盤(拠点)となりました。
いわき市にある国指定史跡「根岸官衙遺跡」(夏井川流域)は、古代の石城郡の役所跡ですが、ここには阿部氏が氏寺として建てた「夏井廃寺」が隣接しています。
阿部氏はこの磐城の地に深く根を下ろし、ここを東北前線への物資供給基地としました。
陸路と海路の結節点である磐城は、常陸国(茨城)から陸路で北上するルートと、太平洋を船で北上する海路が合流する天然の良港(小名浜など)を抱えていました。
阿部氏は、この磐城のロジスティクス能力(兵力・兵糧・軍船の調達)を背景に、さらに北の相馬や石巻へと攻め上がっていったのです。
阿部氏が磐城を拠点に北上する際、彼らが信仰のシンボル(旗印)として強力にプッシュしたのが「鹿島神」でした。
阿部氏が東北へ連れて行った兵士や開拓民の多くは、常陸国(茨城県)の出身者でした。
彼らにとって地元の氏神である「鹿島神(武甕槌命)」は絶対的な存在です。
阿部氏は、磐城の立鉾鹿島神社をはじめとする沿岸ルート上に鹿島神を祀ることで、「我らの軍勢には鹿島の神がついている」と兵士たちを鼓舞し、団結させました。
前述の通り、福島県沿岸部(南相馬の鹿島区など)は古代の巨大な製鉄地帯でした。
鹿島神は「剣の神」であり「製鉄の神」でもあります。
阿部氏は、鹿島信仰を通じて浜通りの製鉄利権(武器製造)を完全に掌握し、アテルイたちとの三十年戦争を戦い抜くための圧倒的な軍事力を手に入れたのです。
国宝『海部氏系図』に端を発した「丹後・尾張・物部」の日本海〜大和のネットワークが[継体天皇]を押し上げたのと同様に、太平洋側では【阿部氏】という超名門プロデューサーが、【磐城】という巨大な港湾・兵站基地を動かし、【鹿島】という武神のネットワークをハイウェイのように沿岸部に張り巡らせることで、東北の生命線(石巻・北上川)をもぎ取っていったのです。
日本の古代国家が成立していく過程は、このように有力氏族の戦略、地域のポテンシャル、そして神社の勧請という「宗教・地政学」が三位一体となってダイナミックに動いていたことが分かります。




