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第19章 九州の反乱(逆襲)

神武東征によって大和朝廷(ヤマト王権)が成立した後、九州西部に残された投馬国(のちの肥後国・熊本の熊襲)と、最南端の狗奴国(のちの薩摩国・大隅国・鹿児島の隼人)は、朝廷にとって「最大の軍事・政治的抵抗勢力(まつろわぬ民)」として、数百年間にわたり激しい抗争と融和の歴史を繰り広げることになります。

九州の東西を固める「阿蘇山」と「霧島山」の激しい噴火、そして海神族のルートを完全に大和朝廷(中央)に握られたことで、彼らの運命は大きく動いていきました。


神武東征後も、熊本・八代から球磨・人吉盆地にかけての熊襲(くまそ=投馬国の末裔)は、大和朝廷の権威を認めず、度々反乱を起こしました。

邪馬台国連合の筆頭格であったプライドが、そうさせたのかもしれません。

これに対して朝廷は、4世紀前半、第12代・景行天皇自らが大軍を率いて九州へ討伐に向かう「九州親征」を敢行します。

景行天皇は八代(かつての投馬国の重要港)に滞在した際、地元の有力首長(熊襲の系統)の娘である御刀媛を妃に迎え、現地との血縁関係を結びます。

これにより、投馬国(熊襲)の勢力は力でねじ伏せられるだけでなく、大和朝廷のシステムの中に徐々に組み込まれていきました。

天皇の皇子であるヤマトタケル(日本武尊)が、女装して球磨地方の首長「川上タケル(熊襲建)」の宴会に忍び込み、彼を暗殺した神話は有名です。

この事件を象徴として、3世紀に5万余戸を誇った大国・投馬国の組織的な抵抗力は完全に解体され、朝廷の直轄地(県・あがた)へと分割されていきました。


投馬国(熊本)が朝廷に屈していく中、天然の要塞である「霧島山」の南側に引きこもり、最後まで徹底抗戦を続けたのが、鹿児島や種子島・屋久島を拠点とする隼人(はやと=狗奴国の末裔)です。

これまで追ってきた「100m超の巨大古墳(前方後円墳)」が日本全国へ普及していく中、鹿児湾沿岸には100mを超える巨大古墳がほとんど造られませんでした。

彼らは、大和の象徴である前方後円墳の造営を拒み、自分たちの伝統である「地下式横穴墓」や「免田式土器」を使い続けました。

大分(東海岸)や熊本(有明海)、そして出雲(日本海)や関東がすべて大和朝廷の「巨大古墳ネットワーク(交易路)」で1つに繋がったため、種子島の広田遺跡などが誇った「南海の貝交易」の利権は次第に朝廷側へと奪われていきました。

経済的に孤立した狗奴国(隼人)は、徐々に軍事的な優位性を失っていきます。

6世紀から8世紀にかけて、完全に大和朝廷の軍門に降った隼人の民ですが、彼らは滅ぼされたのではなく、その圧倒的な身体能力(軍事力)と独自の精神世界(呪術)を買われ、朝廷の中枢へと大抜擢されることになります。

隼人の戦士たちは奈良や京都に召し上げられ、天皇の身辺を警護する「近衛兵(隼人司)」に任じられました。

彼らが持つ独特の盾(隼人の盾)や、獰猛な武力は、大和の貴族たちから畏怖の対象となりました。

隼人は、宮廷の儀式において「狗(いぬ)」のように吠えることで、邪気を祓う特別な呪術的役割(魔除け)を与えられました。

これは、彼らの先祖である「狗奴国(く・な・こく)」の名前が、まさに朝廷から「狗(犬)の霊力を持つ恐るべき部族」として認識されていたことの証明でもあります。

前章で、東北の最前線である「鹽竈神社」に、関東の軍神(鹿島・香取)が祀られていると述べましたが、実は、大和朝廷が東北の蝦夷と戦う際、最前線の切り込み隊長(突撃兵)として送り込まれたのが、他ならぬ「隼人(元・狗奴国の兵士たち)」でした。

かつて卑弥呼と激しく戦った狗奴国のDNAは、数百年の時を経て、今度は朝廷の矛として、東北(塩竈・仙台平野)の地を開拓する主力となっていったのです。


景行天皇が八代・球磨(現在の熊本県南部)を含む九州各地を攻めた際に登場する「土蜘蛛(つちぐも)」の正体も、妖怪ではなく、ヤマト王権(大和朝廷)の支配に抵抗した地元の先住民族や先着の土豪(首長群)であったと考えられます。

語源は「土に隠れ籠もる」という意味の「土隠(つちごもり)」であるとされています。

彼らが縦穴式住居に住んだり、天然の岩窟(いわむろ)を拠点にしてゲリラ戦を展開したライフスタイルから、比喩的に虫の「蜘蛛」の字が当てられました。

『日本書紀』や各国の『風土記』において、王権に恭順しない(=まつろわぬ)地元の勢力を、人間ではない野蛮な怪物として見下すために使われた差別的な呼称でもあります。

『日本書紀』の神武紀などでは、土蜘蛛を「身短くして手足長し(胴が短く手足が長い)」と表現したり、八束脛(やつかはぎ=脛が異常に長い)と呼んだりして、異形の大男として描写しています。

なんとなく、ナガスネヒコの描写にも通ずるものがあります。

前述のとおり、鹿児湾沿岸には100mを超える巨大古墳がほとんど造られませんでしたが、沿岸部はもちろんのこと熊本から鹿児島へかけての点在する山間部、盆地部には、それなりの規模の古墳群や遺跡群が分布しています。

これらはまさに、土蜘蛛の民の拠点だったのかもしれません。

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