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第1章 古墳時代という特異な時代

魏志倭人伝をもとに邪馬台国までの行程をたどる時、海を渡って末盧国まで到達するのは有名な畿内説にしても北九州説にしてもほぼ問題が無いとされている。


しかしその後の行程については、距離が違うとか方角が違うとか、日数が合わないなど、さまざまな説が自分の都合の良いように解釈を工夫してつじつま合わせをしているようである。


本稿もご多分に漏れず、良いように解釈を試みるわけであるが、少なくとも南を東にするような、つまり元の字面を無理やり変えてしまうような工夫をせずに、当時の九州の自然条件を現実的に踏まえたうえで、無理のない工程を描いてみたい。




その前に、現代の日本列島をみると全国に約16万基におよぶ古墳が存在している。


いわゆる古墳時代とされる時代区分は、3世紀後半 から 7世紀末 までの期間を指すが、その個々の大きさは数メートル規模のものから数百メートル規模に達するものまで大小さまざまなものがある。


その中でも100m超える巨大古墳を日本地図にプロットすると、その分布に偏りがあるのが見えてくる。


古墳を築造するには、小さなものでも延べ数万人、巨大古墳ともなれば数百万人にまで達すると考えられるが、それを指示する権力もさることながら、可能にする住民をかかえる集団でなければならない。


100mを越える巨大古墳の築造年代は、邪馬台国のあったとされる3世紀とは限らないが、むしろそれよりも時代が下る方が多いかもしれない。


しかしながら、その築造を可能とする集団となるためには一朝一夕にはいかないし、母体あるいは素地となる集団がある程度古い時代からその土地に根付いていなければならない。


そう考えた時、古墳時代の初期にあたる魏志倭人伝の中で名称が挙げられる国々は、まさにその当事国(集団)であり、のちの集団の母体である可能性が極めて高いといえよう。




それではいよいよ。


次章からこれらを踏まえて、末盧国から先の行程をみていきたい。

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