第2話:スサノオと名乗る男
お盆や正月でもないのに、道路のあちこちに赤い提灯が掲げられている。
提灯の中央には『第三回八岐大蛇討伐祭』と書かれ、協賛として市の名前もあった。
町の人はどこか落ち着かない様子で、いつもと違う空気が流れている。
雑貨屋の店先からトレードマークである乾物が下げられ、代わりに普段は見かけないペットボトルが並ぶ。
今年九十になる話し好きの村松さんだけは、変わらず「今日も部活かい? 頑張りな」とピントの外れたことを言った。
商店街とも言い切れない閑散とした通りを抜けて、私は左に曲がった。
一気に道幅は狭くなり、店や民家が視界から消える。
私の左前方を、稲刈り後の田圃と耕作放棄地が何枚も続いた。
農地の向こうは山脈と空だ。
私の右側は雑草の生えた斜面だけれど、結局は中国山地を構成する山となる。
どこもかしこも、山、山、山……
私たちが暮らす飯下町は、どう考えても不便だった。
都会に比べればなにもない。
討伐祭に参加するプレイヤーたちが、飯下町を避けてしまうのも当然だった。
私が『外の』プレイヤーだとしても、ホテルは出雲市に確保するだろう。
食料や飲料は出雲のコンビニで購入し、この町へはバスで来る。
万が一、必要なものを買い忘れた場合は、広場に設営される屋台で購入すれば良い。
姉さんは「生まれ育った土地だから、大事にしたい」と言うけれど、実際のところ、無理があると私は思う。
寂れるには寂れるだけの理由があるのだ。
少なくとも、年に二回しか開催されない八岐大蛇討伐祭で、町の衰退を解決できるとは思えない。
プレイヤーは祭を楽しむためにやってくる。
町の活性化なんてどうでも良い。
山道の入り口に着いたので、私は首にかけていたゴーグルを装着した。
スイッチを入れると、イヤホンからブンと稼働音がする。
瞬時に私の全身を赤いベストと白い袴が覆った。
お気に入りの戦闘着だ。
薄く見えるけれど、防御力は高い。
私は弦のない竹弓を左手に持ち替え、『金の弓』でARコーティングした。
実物なんて重いだけだと言われるけれど、握っている事実が没入感を高めてくれる。
装備を完了した私は、一度『足踏み』し、息を吐いて集中した。
まもなく樹上に悪霊らしき姿が見えた。
動きが速く、黒く、大きい。
おそらく烏天狗だろう。
前回の討伐祭の日も出現した山の悪霊。
私は背中から矢を取る動きをし、弓にあてがう振りをした。
ゴーグルを通した視界では、私の手の中に輝く弓と矢がある。
私は幻の弦を引き、狙いをつけ、矢を放った。
黄金に輝く矢は、後ろに光の筋を残して、真っ直ぐに飛んだ。
烏天狗の背中に命中すると、「百十七」という白い数字が出現した。
ダメージを負った烏天狗は私の姿を視認し、「なにやつ!」と叫んで地上に降りてきた。
私はまた弦を引き、問答無用で矢を放つ。
烏天狗は跳ね回ったが、あまり意味はなかった。
誘導能力の付加された矢は、狙った敵を追いかける。
ときおり烏天狗も団扇で反撃してきたけれど、私の装備が生み出す『全方位結界』が守ってくれた。
四発目の矢で烏天狗は消滅した。
この辺りで通常認められる悪霊と比較すれば、やはり強い相手だった。
夕方に現れる八岐大蛇の影響で、今日は高レベルの悪霊が出現することになっている。
場合によってはダメージを受けるが、一方で得られる討伐ポイントは高い。
受けたダメージを回復させながら、私は手元のウィンドウを開いた。
合計討伐ポイントが「三百六十八」になっていた。
仕掛け弓であれば百八十四個と交換できる量。
戦闘直前まで準備するアイデアは、やはり悪くない気がした。
その後も私は散発的に遭遇する烏天狗を退治しながら、罠の斜面までの道を進んだ。
「ああ……そうか」
道端に立つ『八岐大蛇ゆかりの地』と書かれた看板を見て、私は完全に合点した。
さきほどの男は須佐之男命の格好をしていたのだ。
インクが落ちて見難くなった説明文の隣に、八岐大蛇の絵が描かれている。
八岐大蛇の脇には、小人のようなサイズで須佐之男命もいた。
頭に金のカチューシャをしており、脚には黒いブーツ。
神話の世界の英雄だが、髪も髭もボサボサで、あまり格好良いとは思えない。
私はなんだかおかしくなって、その場で噴き出した。
あんな強面中年のくせに、全力で須佐之男命の真似をしていたのだ。
面白いところがあるじゃないか。
――え? なに?
不意に、私のすぐ隣を複数の烏天狗が駆け抜けた。
一体や二体ではない。
五体近い烏天狗が私を無視し、私の行く先を目指していた。
明らかに異常な行動だった。
胸騒ぎを覚えた私は、烏天狗たちの後を追った。
悪霊には『近くにいる者』あるいは『レベルの低い者』から襲いかかる習性がある。
私を襲わないならば、烏天狗の向かう先に、かなり低レベルのプレイヤーが存在するのだ。
言い換えれば、「誰かが罠の斜面の近くにいる」。
道から右に外れたところで、烏天狗の怒声と戦闘音が聞こえた。
罠の斜面からはまだ充分に離れた場所だったので、私は安心した。
ただ、わざわざこんな場所に来たプレイヤーを、見過ごすわけにもいかなかった。
可能なら、理由を訊いて追い返したい。
私は姿勢を低くして土肌の斜面を登り、茂みの影から顔を上げた。
戦いの中心には、須佐之男命の格好をしたあの男がいた。
なんの特徴もない剣を振り、烏天狗を相手に奮闘している。
――え? 強い?
男の戦い方に、私は目を奪われた。
完全な近距離戦闘型で、飛び道具は使わない。
しかし、筋力パラメーターをドーピングしているのか、烏天狗はすべて一刀両断だった。
出現するダメージ値は例外なく八百以上で、男が剣を振るたびに、烏天狗の数が減っていく。
なにより、本体の動きが速かった。
縦横無尽のステップをされると、あやうく男の姿を見失いそうになる。
木の幹を足場にして、枝の上の烏天狗を退治することもあった。
プレイヤーの動き自体は本人の運動能力なので、ただただ驚嘆するしかない。
しかし烏天狗の団扇から放たれる遠距離攻撃は、少し手を焼いているようだった。
空気の弾で狙われるたび、男は剣を下げて左右に転がる。
結界どころか鎧も盾もないので、ヒットすれば大きなダメージを受けるだろう。
――まずいな。
男を心配したのではない。
飛翔する烏天狗に追われる形で、男が走り出したのだ。
このまま進めば、罠の斜面に入るだろう。
私は慌てて金の弓に矢をつがい、飛翔中の烏天狗を射た。
「誰だ!」
男は足を止め、こちらをチラリと確認した。
「加勢するよ」
「なに!」
男の合意も得ないまま、私は攻撃を継続した。
三十秒ほどで矢を四発命中させ、空中の烏天狗を撃破した。
続けて二体目……三体目……と順に打ち落としていく。
気づけば地上の烏天狗たちも一掃されていた。
すべて男が討伐したのだ。
私が到着する前に戦っていたことを考慮すると、おそらく男は一人で二十匹程度の烏天狗を倒している。
生半可な強さではなかった。
息も切れていない。
「あんた。ここでなにをしてるの?」
戦闘が終わると、私は休む間もなく質問した。
男は鼻を鳴らすだけで歩き出す。
「ねえ? お礼すら言わないつもり? ちょっと感じ悪くない?」
私は男に駆け寄り、睨みつけた。
近くによると、淀んだ川の臭いがした。
髪や髭をよく見れば、蜘蛛の巣や葉っぱが、至る所についている。
男は立ち止まり、「うむ。助かった」と面倒くさそうに応じた。
「素直でよろしい。私がいなければ、いまごろどうなっていたかわからないんだからね」
「そうかもな」
男はいい加減に同意すると、また歩き出した。
私は弓を横に倒して、男の動きを遮った。
「ちょっと待って。そもそもなんであんたがここにいるの? この町の人間でもないのに」
「なにを言っている。おまえはさっきの店の娘だろう?」
私の問いに対し、男は怪訝な顔で訊き返した。
質問の意味がまったくわからなかった。
私は「いやそうだけどさ。だからなに?」と更に問うた。
「酒だよ酒。さっきも言っただろう? わしは八岐大蛇に飲ませる酒を買うために、酒屋を探してるんだ」
「え? 嘘でしょ?」
男の回答は、にわかに信じられないものだった。
たしかに姉さんの説明は具体性に乏しかったけれど、道なりに進めばAR酒屋を見つけられたはずだ。
この山に来るためには、二回ほど脇道を選択しなければならない。
迷うほうが、どうかしてる。
「――酒屋の場所は、全然違うよ」
私が指摘すると、男は太い首を横に振った。
「そんなことはない。この方角だとわしは訊いた」
「いや。違うって」
二度否定しても、男は気にせず歩き出す。
通せんぼしていた私の弓は、男の手で乱暴に払われた。
言葉は通じるようだが、会話が成立しない。
体格差や腕力を考えれば、力づくで止めることも難しそうだった。
だからといって、このまま放置するわけにもいかない。
「ちょっと待ってよ」
私は男に呼びかけながら、善後策を考える。
AR酒屋で売っている『八塩折之酒』は、八岐大蛇にだけ効果を発揮する特殊アイテムだ。
使用プレイヤーは攻撃力が二割増しになる上、使用後のペナルティもない。
唯一「一万円」という高めの価格設定が、一般的には問題視されていた。
ただ男は課金プレイヤーだ。
ARコンタクトを着用するくらいの財力を持っている。
八塩折之酒なんて余裕で買えるだろう。
買えば使うし、使えば強くなる。
男の攻撃力が二割増しになれば、私の強力なライバルになるかもしれない。
「――迷っているみたいだから、私がAR酒屋に案内してあげる」
しかし、私は余計な考えを止めた。
男がどれだけ強くとも、その強さが二割増しになろうとも、あの『ピーター』に勝てるとは思えなかった。
ピーターに勝てないプレイヤーなら、私が気にすることもない。
「なに! 本当か?」
男は必要以上に大きな声で喜んだ。
「こんなことで嘘をつくわけないでしょ。ほら行くよ」
私は元来た道を引き返した。男は素直に私の後ろをついてくる。
いったいなにをしてるのだろう――そう私は思った。
罠の斜面でギリギリまで準備していたかったのに、私はいま正反対に向かっている。
よりにもよって、外のプレイヤーを助けるためだ。
まるで自分が馬鹿みたいだった。
「ところでおまえ、名は何と言う?」
私がぼんやりしていると、男が馴れ馴れしく訊いてきた。
「私のハンドルネームはキサカ。本名の如佳を片仮名にしただけ。あんたは?」
「わしか? わしの名はスサノオだ」
「ああ……」もう笑うしかなかった。「そうだと思っていたよ」
私は歩きながらウィンドウを呼び出した。
時刻は十四時になっていた。
討伐祭まであと三時間――そう考えると、私の鼓動は早くなった。




