第1話:討伐祭の憂鬱
「だから無駄だって! うちに来るわけないよ、あんな奴等!」
広場から戻ってみると、割烹着姿の母さんが、真剣な表情で小上がりのテーブルを拭いていた。
各テーブルに配置された塩や醤油の量を確かめ、少なければ足している。
テーブルの上をセッティングしたら、次は床の掃除に取りかかるのだろう。
十五坪の店だが、準備作業は楽じゃない。
「――イベントが終われば、どうせみんなバスで帰る。金を落とすとしてもここじゃなくて、出雲だよ。こんな地味な田舎町で、飲み会なんてするはずないでしょ」
本来であれば店を閉める土曜日なのに、厨房の前にはビニール袋や発泡スチロールの箱が積んであった。
中には沢山の野菜と海産物の姿が並び、まるで大口の予約が入ったかのようだ。
壁のメニューまで書き直したらしく、カウンターの上には筆と硯が残されている。
「ねえ、母さん! 聞いてるの?」
「今日は営業するって、もう決めたんだから」
母さんは小上がりの座布団を並べながら、五月蝿そうに言った。
シャツの首元が汗で濡れている。
「――それより如佳は、大きな声を出さないで。二階の父さんが起きてしまうでしょう?」
「なんでそういう話になるのさ」
私は本当に嫌だった。
どうして母さんも父さんも外の奴等に期待するのだろう?
なぜこの町の人たちは、八岐大蛇討伐祭に希望を抱くのだろう?
県外のプレイヤーがこの飯下町に来ることは絶対にないのに。
イベント直前に戦場へやってきて、討伐祭が終わればさっさと帰ってしまうのに。
そんな当たり前のことから目を背け、みんな入念に準備をして、すべてが終了したあとに落胆する。
私はもう、馬鹿で惨めな光景はみたくないのだ。
ふと、小上がりの壁に貼られた絵が目に入った。
ARゲーム『悪霊を狩る者たち』のポスターだ。
八岐大蛇討伐祭を宣伝したもので、中央に八つの頭を持つ大蛇が描かれている。
蛇の前では、大勢の狩人たちが様々な武器を構える姿。
右のほうに『十七時』という開始時刻と、戦闘場所の略図があり、末尾には小さな文字でバスツアーの案内も記載されていた。
バスの発着場所は出雲市駅だ。
「あんな奴等に媚びないでよ。プライドはないの?」
私は椅子を蹴った。
思った以上に力が入ってしまい、木製の脚がバキッと嫌な音をたてた。
厨房を掃いていた姉さんが顔を上げ、「いい加減にしなさい! あんたもう十五歳でしょ」と私を叱った。
興奮だけでなく、ここ数日の多忙と疲労のせいで、目が血走っている。
「――お客が来ないなんて、なんで言い切れるの? 今夜のことはまだ誰にもわからない。討伐祭が盛り上がれば、徹夜で飲む人が現れるかもしれないじゃない」
「馬鹿なの? 討伐祭はもう三度目だよ? いままでだって、誰一人として来なかったのに、『今夜は客が来る』なんて……そんな都合の良いことあるわけない!」
「今回は違う。いままでよりも町のことをアピールしてるんだから」
姉さんは掃除の手を止め、赤い目で私を見つめた。
本気で怒っているらしく、顔から表情が消えていた。
こうなったらもう、あまり刺激しないほうが良い。
仕方なく私は、出掛かっていた言葉を飲み込んだ。
悪霊を狩る者たちの攻略ページに、プレイヤー同士で情報交換できる掲示板がある。
最近はもっぱらゲームのアップデートの内容と、「八岐大蛇が弱くなる」という噂でもちきりだ。
しかし、『討伐祭が開催される町の注意点』というスレッドも同じくらい賑わっていた。
内容は、「なにもない上に虫が多い」「老人ばかりで、いつも臭い」「祭りが終わればすぐに帰るべき」といった中傷ばかり。
誤った情報を正しても、私のコメントは相手にされなかった。
逆に「知らない奴は引っ込んでろよ!」と他県のプレイヤーに責められた。
「――それにさ。仮にあんたが正しかったとしても、どうしてそれをいまの母さんに言うの?」
姉さんは顔を下に向け、掃除を再開しながら言った。
「どう言う意味?」
「もう祭りの準備を始めているんだから、あんたも応援すれば良いってこと。いま反対しても、母さんを困らせるだけじゃない」
「なにそれ?」
私はまたカチンときた。
「――言葉が軽いよ姉さんは。無責任に応援したって仕方ないのに。それともアレ? 地域振興課って、ただ応援することが仕事なの?」
「如佳!」
流石に言い過ぎたらしい。
姉さんが箒を握ったまま厨房を出てきた。
スーツ姿とはいえ、剣道二段の姉さんは強い。
「武器は止めてよ! 暴力反対!」
私は慌てて弓袋を掴み、引き戸を開けて外に出た。
眼前に現れた日光と真っ青な空が、痛いほどに眩しかった。
私は眉間に力を入れて、店の前の道路を確認する。
無駄に広いくせに、車通りはほぼなかった。
姉さんから逃げるため、私は県道を横断した。
店の正面にある古いホテルも、客足はなく閑散としていた。
車の存在しない駐車場に「ようこそ。第三回八岐大蛇討伐祭へ」と書かれたのぼりが何本も立てられている。
私は悲しく、情けなかった。
プレイヤーに期待をしたって無駄なのだ。
――あれ?
ホテルの駐車場の端。
あまり使われないガードレールの上に、真っ白な着物を着た男が腰かけていた。
歳は三十歳から四十歳くらいだろうか?
がっしりと厚みのある体で、背も高い。
髭は伸び放題に伸び、汚い長髪には金色のカチューシャをつけている。
女性物のような黒のブーツを履いているが、足自体は太かった。
男は腕を組みながら、じっと私を見ている。
「なにか用ですか?」
「酒は、ないか?」
男は姿勢を変えずに訊いた。太く大きな声だった。
「日本酒のこと? まあうちは居酒屋もしているから。売るほどありますけど」
「売ってくれ。いますぐに」
「いますぐぅ?」
私はまた男の全身を観察した。
縄文時代や弥生時代の人と言ってもおかしくない奇妙な格好だ。
ただ、それだけではない。
私はこの男に見覚えがあった。
腰に長い刀を差しているので、アニメかなにかのキャラクターのコスプレだろう。
すぐに思い出せそうなのに、答えはなかなか見つからなかった。
やがて箒を持った姉さんが隣に来て、「あんた。お客さん相手に、なんて言葉遣いをしてるの!」と私を叱った。
「――申し訳ありません。開店は十七時からなんです。美味しいお酒を多数取り揃えておりますので、もうしばらくお待ちください」
店員でもないのに、姉さんは腰を低くして言った。
疲労を感じさせない素晴らしい営業スマイルだった。
昔から姉さんの外面は良かったけれど、いまの仕事に就き、色々な人たちと会うようになってから、更に洗練されたような気がする。
「別に美味くなくていいんだよ。わしが飲むわけじゃないんだから」
しかし、男は腕組みを止めなかった。
姉さんの笑顔が効かないらしい。
むしろ男の表情は険しくなっていた。
「さっきからなに言ってるの? あんたが飲まないなら、いったい誰が飲むっていうのさ?」
はっきりしない言い方にイラついたので、私は姉さんの前に歩み出た。
男は私に目を向け、私の弓袋を見て、初めてニヤリと笑った。
「敵だ」
「はぁ?」
「わからんのか? 酒を飲むのは八岐大蛇だ」
男はようやく腕組みを止めた。
自分の言葉に酔ったのか、満足そうに長い顎髭を弄る。
「わあ! プレイヤーの方でしたか。誤解をしてすみません! 八岐大蛇用のお酒なら、ここから一キロほど行った先で売っています」
私より先に男の意図を理解した姉さんが、満面の笑みで東のほうを指さした。
県道を下った先に、八岐大蛇の出現する戦場がある。
戦場近くにバス停と臨時駐車場を兼ねた広場があり、同じ場所にAR酒屋も準備されていた。
「あっちか?」
「そうです。目立つ店なので、行けばわかると思います」
「なるほど」
男は言葉少なく頷くと、ガードレールから腰をあげた。
背が高いと思っていたが、二メートルくらいはありそうだった。
男は、姉さんが教えたほうに体を向け、さっさと歩き始めた。
つまり、一言の礼も口にしなかった。
「なにあれ?」
私はまだ不満だった。
姉さんは背後から、私の両肩をがっちりと掴んだ。
「落ち着いて」
「なんでよ? 姉さんは腹が立たないの?」
「感じは悪いけど、許してあげて。外から来てくれたお客さんでしょ? 私たちはホストでしょ? 飯下町に良い印象をもってもらわなくちゃいけないの」
「地域おこしも良いけどさぁ……姉さんたちがそんな感じだから、私たちは舐められるんじゃないの?」
皮肉を言ったが、姉さんはまったく気にしない様子だった。
それどころか「でもほら。三回目のイベントにしてようやく、こっち側まで来てくれた。外の人たちだって、この町に興味を持ってくれている」と前向きな言葉を吐きだした。
「なに言ってんの。あれはただ、道に迷っただけでしょ」
私は車道を歩く男の後ろ姿を睨んだ。
会話は聞こえているはずなのに、私たちを完全に無視していた。
それにしても、ここまでどうやって来たのだろう?
バスの時間にはまだ早いので、自力で来たことは確かだが。
「ところでさ」
姉さんも男の後ろ姿を目で追っていた。
「――あの人、ゴーグルをしてなかったよね? 剣以外の荷物も持っていなかったし、討伐祭はどうするのかな? 大丈夫かな?」
「迷子の案内ならともかく。忘れ物まで心配する必要はないよ。親切を通り越して、それはもはやお節介」
「そうかもしれないけどさ……でも、ARゴーグルだけは気になるよ。ゴーグルがなければ悪霊を見つけられないし、装備も出てこないんでしょ?」
「コンタクトだよ」
私は回答を先に言った。
「――腰に剣を刺していたから、たぶんあいつは近接戦闘型。そして激しい戦いが好きなんじゃないかな? そういった一部のプレイヤーは、ゴーグルよりもARコンタクトを好む傾向にあるの。単純に動きやすいから」
「へぇ。コンタクトかぁ」
姉さんは素直に感嘆していた。
業務上、『悪霊を狩る者たち』をバックアップしている筈なのに、姉さんのゲームに関する知識は乏しい。
『八岐大蛇スコア』と『討伐ポイント』の違い……といった、初歩的な情報すら持っていない。
端的に言えば、チグハグなのだ。
しかし、そのおかげで普段は偉そうな姉さんが、ゲームに関する限り、私の意見を尊重してくれる。
「ちなみにARコンタクトは高いよ。安いものでも十万円はする」
「げ! 嘘でしょ」
「なんで驚くの? ゴーグルが四万円もするんだから、普通に考えて、小型化したコンタクトが安いわけないじゃない」
「言われてみればそうだけど……でも、ゲームに十万円も使うかなぁ?」
信じられない、といった様子で姉さんは首を傾げた。
まだゲーマーの常識をわかっていないようだ。
「重課金勢なら普通だって。それにそもそも、八岐大蛇討伐祭に参加するために県外から来る人たちは、交通費と滞在費で一万円以上使うんでしょ?」
「ああ、たしかに」
姉さんは疑問が解けて満足した様子だった。
しかし私は、現状を再認識して気分が悪くなった。
今日の討伐祭に参加する者の多くは『課金プレイヤー』なのだ。
練習も工夫もほとんどせず、金の力で強い装備を用意する奴等。
私のような非課金プレイヤーが百時間以上費やした努力を、十万円ほど払うことで凌駕する。
さっきの男も同類だろう。
全国ランキングが高かったとしても、金に頼った偽りの強さだ。
「如佳。あんた今年はどうなの? 上手くいきそう?」
いつの間にか姉さんが、地域振興課の職員ではなく、姉の顔になっていた。
「――八岐大蛇があまりにも強いから、今回は少し弱くなるって聞いたけど」
「アップデートの内容は未発表。だから、なにが起こるかわからない……でも、勝算はあるよ」
「へぇ! 堂々としてるじゃない」
「まあね。この日のために、半年も頑張ってきたんだから」
偉そうに胸を張ったが、私は少し不安だった。
作戦は立てたし、予定通りの準備もした。
あとは八岐大蛇に喰らわせるだけだ。
成功すれば、これまでのように不甲斐なく敗退することはない。
それどころか、県外勢を抑えてトップスコアを取る可能性もあった。
私たちを見下した奴等の鼻を明かすチャンスだ。
ただ、実践でしか試せない『最後の確認』が残っていた。
アップデートの内容も未知数だった。
自信はあるが、確定的なものではない。
そう思うと、私は急に落ち着かなくなった。
具体的には『罠の斜面』に行きたくなったのだ。
いまさら特別なことをできるわけでもないが、じっと待つことも難しい。
ギリギリまで悪霊を倒し、討伐ポイントを獲得して、罠に変換しても良いと思った。
「ちょっと山に行ってくる」
「また外出? 少しは店を手伝いなさいよ」
「今日は無理だって。私には私の準備があるんだから」
姉さんの苦情を聞き流すと、私は弓袋の口を解いた。
中から使い慣れた竹弓を取り出し、右手に握る。
残った袋は姉さんに押し付けた。
「これを持って帰れって? あんたこそ、私を舐めてるんじゃないの?」
「まさか」
私は笑って誤魔化し、一つ息を吐いた。
まだ濃緑を残す山を見ながら、さっきの男の後を追うように、私は県道を下った。




