6. 決意
イスティム率いる討伐隊は、順調に戦果を上げていった。
その活躍を耳にして、志願兵がさらに増えたらしい。
討伐隊の規模が大きくなったことで、今までは手が回っていなかった地方へ少人数の部隊を派遣したり、脅威が大きくないからと後回しにされていた弱い魔物を退治したりすることが可能になってきた。
だが、周囲が盛り上がる中で、当のイスティムだけが、どことなく浮かない顔をしていた。
おそらく、そのことに気付いていたのはダルシアだけだっただろう。
もしかしたらイスティムは、魔物を殺すことをためらっているのだろうか、と感じることが時々あった。
まさかそんなことはないだろう、とその頃ダルシアは考えていたが、後から考えてみると、どうやら事実だったらしい。
それが決定的となったできごとがある。
「キシャ――!!」
王都近くの町で、井戸の傍に陣取り、近づく人間を威嚇していたのは、水妖と呼ばれる、青い肌と魚の尻尾を持つ半魚人だった。
鋭い牙を持ってはいるが、大きさも動きの速さも人間とほとんど変わらない。力をつけた討伐隊員達の敵ではなかった。
だが、水妖はなぜか、傷ついても逃げようとしない。
「……どうしてあいつは逃げないんだ?」
イスティムがそう呟いて足を止めた。
攻撃中止の号令がかかったわけではないので他の隊員は作戦行動を続けていたが、ダルシアは彼の横で立ち止まった。
「井戸の中に何か隠しているのかしら」
「というより、井戸を守っているみたいだ。まるで雛を守る親鳥のような……」
「え……?」
ダルシアが呟いた時には、隊員の一人が水妖にとどめを刺していた。
井戸を覗いてみると、確かに底には卵が沈んでいた。握りこぶし大の、半透明の卵だ。
親水妖を殺した隊員は、卵も潰すべきだと主張した。それは討伐隊ができた経緯を考えれば当然の意見だったし、隊員の多くもそれに同調した。
それでもイスティムはあくまで反対し、卵を持ち帰ろうと言った。
隊員たちはイスティムを信頼している。首をかしげながらも、隊長がそう言うなら……ということで話はまとまったのだが、隊員が水から持ち上げた途端に卵は表面が白濁してひび割れてしまった。
結果的に卵から生まれるはずだった子水妖を殺してしまったことに、イスティムはショックを受けたようだった。
後に、ダルシアにだけ語ってくれた。
「俺の故郷にも、水妖の伝説があるんだ。泉に近づく人間をことごとく追い払うのだと聞いている。だがそいつもきっと、ただ自分の棲み家を守ろうとしているだけなんじゃないだろうか……」
「そうは言っても、井戸が使えなくなるのは国民の生活に関わることよ。放置するわけにはいかなかったでしょう?」
「だが、必ずしも殺す必要はなかったんじゃないのか? 卵を別の、害のない場所に移動させてやることはできたはずだ。水ごと運べば……」
「そんなの、魔物には分からないわ。徹底的に邪魔してくるわよ? 私達にとって良いことなんて何一つないじゃない」
「そうでもないさ。井戸は人間のもの、卵を産んではいけないところだと彼らに分からせれば、お互い快適に共存できるじゃないか」
その言葉を聞いて、ダルシアは複雑な気分になった。
イスティムはダルシアを信頼しているから、こんな話をしてくれるのだろう。そのことは嬉しいが、今のは討伐隊の隊長としては問題のある発言だった。
彼に憧れて討伐隊に入った後輩達がもし今の言葉を聞いていたら、失望したかもしれない。
ダルシアは、イスティムは強いからそんな風に思うのだろうと考えた。
弱い魔物と戦うと、弱い者いじめをしているような気分になるのではないだろうか。
「共存なんて、する必要があるの?」
彼の優しさをどこか危なっかしく思いながら訊いてみると、
「必要というよりは、希望かな。俺の」
呟いて、イスティムはちょっと困惑したように眉を寄せた。
彼の理想は、討伐隊の方針に反している。
そのことに、彼自身も気付いたようだった。
しばらく悩む様子を見せた後、イスティムは、討伐隊を辞めて故郷へ帰ると発表した。
隊の全員が驚いたが、中でも一番衝撃を受けたのは、やはりダルシアだっただろう。薄々予想してはいたが、やはり本人の口から聞くと、思ったよりショックは大きかった。
誰もが彼を引き留めたが、イスティムの決意は固かった。
仕事の引き継ぎが終わったら、イスティムはいなくなってしまう。
――そうなれば、たぶん、二度と会えない。
ダルシアは悩み、何度も想いを告げようとした。
早くしないと、本当にその日が来てしまう。
だが、いざとなると言葉が出なかった。
彼に迷惑がかかるのは嫌だったし、……いや、それ以上に、拒絶されるのがただ怖かったのかもしれない。
そんな葛藤を一人で抱えていることに耐え切れず、ダルシアは姉に相談した。
姉は美しく優しく、料理や針仕事が得意な、女性らしい女性だ。
きっと細やかな心遣いで有意義な意見をくれるだろうと思ったのだが、ダルシアが「好きな人がいる」と打ち明けた途端、驚いた表情になった。
「私、あなたはてっきりジークと結婚するものだと思っていたわ」
「え?」
「だって、昔からずっと仲が良かったでしょう?」
「いや、まあ確かに仲は良いけど……」
ダルシアは首を捻った。
ジークのことは好きだが、それは恋愛感情とは全く違う感情だ。
「むしろ、他にあなたみたいな男勝りの女の子を好きになる男性が現れるとは思っていなかったわ」
「好きに……なってくれたら、いいんだけど」
「なに、片想いなの?」
ダルシアの声が急に暗くなったので、姉は意外そうに眉を上げた。
「さっさと告白すればいいのに。あなたらしくない」
「私らしく……? そうなの? だって私、今まで一度も告白なんてしたことないわよ」
「そういうことじゃなくて……。あなたは、うじうじ悩んでいるくらいなら行動するタイプなのかと思っていたということよ。たとえ振られても、そのときはそのとき。何も言わないままでいるよりはいいでしょう?」
「……意外だわ……。姉さんの方が私より男らしいじゃない」
ダルシアが感嘆すると、姉は嫌そうに顔を歪めた。
「言っておくけれど、それは私にとっては全然、褒め言葉じゃありませんからね」
姉の言うことは正しい、とダルシアは思った。
どちらにしても、イスティムは故郷へ帰ってしまってもう会えなくなるのだ。
たとえ振られたとしたって、その後に顔を合わせて気まずい思いをする期間はそう長くはない。
しかしそうはいっても、こういうときに一体どんなタイミングで言ったらいいのか、ダルシアにはさっぱり分からないのだ。
まさか訓練や作戦行動中に言うわけにもいかないだろうし、かといって、周りに大勢の隊員がいる隊舎で誰かに聞かれたら恥ずかしい。
ゴルレバを含めた三人で作戦会議をすることもあるが、二人きりになることはあまりないし、もしなれたとして、はたして何と切り出したら良いのか……。
結局そんな風に悩み続けていたダルシアに、いよいよ翌日が出発という日になって、急にイスティムの方から声をかけてきた。
夕食に誘われ、期待したダルシアは、持っている中で一番女性らしい服を着て出かけて行った。
だが、彼が食事中に話したのは、討伐隊の今後に関する言葉ばかりだった。
突然やめるなどと言い出してしまって、皆に申し訳ないことをした、とか、誰々は一つの事に集中するあまり、周囲への警戒がおろそかになることがあるから心配だ、とか、でもゴルレバは優秀な指揮官だし、次の隊長を引き受けてくれて良かった、とか、ダックスの怪我もかなり治ってきているから大丈夫だろう、とか……。
ダルシアは落胆するのを通り越して腹が立ってきて、思わず、
「そんなに心配なら、私がゴルレバさんの次に隊長になって、あなた以上に立派に討伐隊を率いていってあげるわよ!」
などと言ってしまった。
その途端、彼は手に持っていたフォークを取り落とした。
食器に当たり、カシャンと音が鳴ったが、彼はそちらを見なかった。
「確かに、君なら立派に皆を率いていけるだろうが……。俺はそのことで……、いや、そのことじゃないが……、その、つまり、君に話があるんだ……」
彼は顔を赤くし、珍しく何度も口ごもりながら言った。
「……無茶を承知で、頼みたいんだが」
「何を」
憮然としたまま言ったダルシアは、続くイスティムの言葉に目を見開いた。
「俺と一緒に来てくれないか?」
「え?」
「俺と結婚して、リューカへ来てほしい」
「……」
ダルシアはポカンとして口を開けた。
(え……、つまり、プロポーズ……? 私が諦めた瞬間に……。プロポーズまで不意打ちとか、ずるいじゃないの……)
それでも、嬉しかった。嬉しすぎて、咄嗟に何も言葉が出ないほど。
ダルシアが黙っているので、イスティムは居心地悪そうに身じろぎした。
「その……、色々すっ飛ばして突然こんなことを言って、驚かせたと思う。もちろん難しいのは分かってるんだ。王都を離れることになるし――」
「行くわ」
イスティムの言葉を遮ってダルシアがきっぱりと答えると、今度はイスティムがポカンとした顔になった。
よし、これでイスティムに有効な一撃を返せた、などとつい考えてしまい、そんな自分にダルシアは苦笑した。
「……そんなに簡単に決めてしまっていいのか?」
「簡単じゃないわ。でも、もう心は決まっているの」
自分でも驚くほどすんなりとその言葉は出てきた。
イスティムさえ自分を望んでくれるなら、決断に迷う理由はないのだ。
こんなことなら、もっと早く告白してしまえば良かった、と思う。
「そうなのか」
イスティムは少し赤くなった。
「俺は、ダルシアはてっきり、ジークと婚約か何かしているのかと思っていたんだ。でも違うって、つい最近聞いてな」
以前は「シュタウヘン」と呼んでいたのが、今は呼び方が変わっている。
言葉の内容からしても、ダルシアについてジークと何か話したのだろうと察せられた。
どうやら、「協力して」というダルシアの頼みを、ジークが実践してくれたらしい。
それとも……、もしかしたら姉からも、ジークに何か頼んでくれたのだろうか。
しかし姉といいイスティムといい、なぜそんな勘違いをするのか。
「イスティムまでそんなこと言うの?」
ダルシアはげんなりして呟いた。
「お父さん同士が仲が良いって前に言ってたじゃないか。家族ぐるみの付き合いがあるんだろう?」
「それはそうだけど……、でも私は、自分が選んだ人以外と結婚する気なんてないわ」
「……そうか」
その「選んだ人」というのが自分だと理解して、イスティムは心底嬉しそうに笑った。
それから、真面目な顔になって言う。
「君のご両親に、挨拶に行かなくてはな」
「父はきっと寂しがるでしょうね」
ダルシアは苦笑した。
男兄弟がいない家で、騎士になりたいなどと酔狂なことを言ったのはダルシアだけだった。
姉妹の中でも、自分は特に父から可愛がられていたと思う。
女ながら騎士団へ入りたいと言ったダルシアを応援してくれた父。
イスティムについていくということは、その父を裏切ることになるのかもしれない。
――それでも、イスティムを選んでしまった。彼と離れたくなかった。
「殴られる覚悟はしてるよ」
イスティムはそう言って、肩をすくめた。
「むしろ、剣で俺に勝てたら認めてやるとか言いそうだわ、あの人は」
父とイスティムの一騎打ちを想像し、ダルシアは、ふふっと笑った。
それはぜひとも見てみたい。
片腕だけになっても、父は毎日の稽古を欠かしたことがないから、結構いい勝負になるのではないだろうか。
それでも、イスティムが負けるところは想像できなかった。
「……あなたはそれなら大丈夫そうね」
「どうかな。だがもしそうなったときは、なんとしても勝つさ」
イスティムは、その言葉よりも自信ありげに、にやりと笑った。