第8話 妖精姫は思案する
私が風で浮いた、というちょっとした珍事は、その日のうちにバルド自身の口で屋敷中に周知されてしまった。勿論、こんなことがあって驚いたよ、という日常の世間話としてではない。斯様な事案が発生したため喫緊に今後の対策を要する、というような使用人達への業務指示として、だ。
私の侍女たちに関しては、まあまあ慣れたもので「本日は風が強うございましたものねえ」程度のものであったが、バルド側の使用人達は大変驚愕していた。それで、なんだか異様な熱気で数々の規則が生み出された。
先ず、私は自分で日傘を持たないこと。必ず侍女か使用人が傘をさしかけるようにする。
特に風の強い日は外へ出てはならない。(テラスを含む)
開いた窓からは二歩以上の間隔をあけ、それ以上近付く際には必ず傍に使用人が控えること。
上記に伴い、窓の開閉も自身では行わず、使用人に指示すること。
元々日傘は侍女がさしてくれることが多かったし、窓の開閉も言われなくても頼んで開けてもらうことの方が多かった。風が強く天候が荒れている時にわざわざ望んで外を出歩こうとも思わない。だから、実質的には大した制限ではないと思うのだけど……。
でも、いざこうして言葉にして禁止事項を伝えられると、なんだかとても窮屈な気持ちがする。やってはいけない、と言われると逆に意識してしまうというか。誰だってそうじゃないかしら。
その上、そもそも先ず風に飛ばされるほど軽いのが問題なのだと、バルドはせっせと菓子やら果物やらを差し入れて来るようになった。侍女と分け合ってはいるけれど、最近侍女たちの方が少しふっくらしてきたんじゃないかしら。私には大した変化はない。
彼が安全だと判断した範囲の空間に籠って、美食を捧げられ、ただ漫然と日々を過ごす。それって妻と言える? とは言え、酷く心配させてしまったことは解っている。わざとじゃない、不可抗力ではあってもそれは事実だ。だから、あまり強く拒絶も出来ない。
私がこうして大人しくしていることで、少しでも安心できるのならそうした方が良いのか、とも思う。
でも、やっぱり、何だか気が塞いで。
ふう、とため息が漏れた。向かい側に座っているバルドがびくりと肩を揺らす。手に持っていたカップから紅茶が少し零れた。熱くないのだろうか。
「どこか具合でも……?」
そうして恐る恐る尋ねてくる。侍女からすると相変わらず物凄く不機嫌に見えるらしいのだが、私は全くそうは思わない。これは、不機嫌なのではなく不安そうな表情というものよ。
「いいえ、体調は良好です」
そう答えると、ほっとしたように強張っていた肩が緩む。随分解りやすいと思うのだけど、「恐ろしい」という印象がついてしまうと解らなくなってしまうのだろうか。
「では、気がかりなことが?」
「……気がかりという程のことではありませんが」
行動を縛られるのはやっぱり快適なことではない、と伝えても良いのか。悪気があってしていることではないし、兎に角私の安全を確保するための行動であることは重々承知している。
少し考えて、やっぱり言えなくて、別の話に逸らした。
「ご用意いただいた寝台、ごくごく僅かですが右上のあたりが沈んでいるように思いますわ」
「そ、それで体を痛めたり寝違えたり、」
「は、しておりません」
「では、寝つきが悪いとか睡眠が不足しているとか」
「いうこともありません。何も不都合はありません」
「だが、沈んでいるのでしょう?」
「そうですね、恐らく」
「早急に職人を手配します。申し訳ありません」
深々と頭を下げられた。謝ってほしいわけでも、何かの対処を求めていたわけでもないのだけど。ただ、ため息の理由はうまく誤魔化せた。バルドは武人らしく物事の対処や思考の切り替えがとても速い。
今は寝台の調整をする、という方向に頭が働いているから余計な心配事は考えないで済んでいるようだ。何も無いと、彼は私の前ではいつもどこか不安そうにそわそわするので、定期的にこうして「やること」を与えた方が良いのかもしれない。
家具職人は翌日早々にやってきた。
相変わらず仕事の早いことだ。バルドは職人を連れて来た後も去らずにいる。このまま立ち会ってくれるのだろう。
「右上のあたり、とお伺いしておりますが」
「ええ、そうです。横になるとほんの少し沈み込みが深いような気がしますの」
「なるほど。では、恐れながら失礼いたします」
職人が寝台に手を付けて、ぐ、と体重をかける。何か所かで同じ動作をし、足からの高さなどを細々計りはじめた。時々首を傾げたり、頷いたりしている。その内に、ああ、という声を出した。
「ほんのごく僅かですが、床板の一部が緩んでいました。しっかり補強してやれば必要以上に沈まなくなりますよ」
「どの程度かかる」
「小一時間頂ければ」
思ったより随分早く終わるようだ。それなら、と思いつく。
「せっかく来ていただいたのですから、バルド様の寝台も見ていただいては?」
「いえ、私は特に不便を感じておりません」
「私だって不便という程ではございませんでした」
良いでしょう? と職人の方に視線を向ければ、にこやかに頷いてくれた。見てもらって何もなければ安心してそのまま使い続ければいいのだから、ということでバルドも納得したようだった。
私の寝台を直した後にバルドの寝室へ行くように伝え、使用人をつけてから私達は部屋を出る。作業を待つ間、お茶でもいかが、と誘うとぎこちなく頷いてくれた。
まだ、私と接する時には緊張するようだ。ただ隣を歩いて話しかけただけなのだが。
この調子では彼が私に慣れるには、随分時間がかかるだろう。もうひょっとすると思い切った荒療治が必要なのでは? 例えばこっちから抱きついてみる、とか。あの突風の時に私をつかまえてくれた腕の感触を、まだ覚えている。あんなに近づいたのに、私の肌は全然傷つかなかった。ちゃんと、大丈夫なのに。
結局私も臆病である。思うだけで何もできず、黙って歩いた。
今日は風が強くないし、バルド自身が一緒にいるのでテラスにお茶をセッティングしてもらう。有り余る焼き菓子も一緒に。
「この所、たくさんお菓子を下さるでしょう」
「貴女はもっと、食べるべきです」
「以前もお話した通り、人それぞれ適量というものがありますわ。侍女をこれ以上付き合わせて太らせては気の毒ですから、貴方ご自身も手伝ってくださいませ」
バルドが口を真一文字に結ぶ。多分これは気まずい表情。そもそも、お茶の時間に食べ過ぎて食事が入らないということになれば本末転倒である。
私が三つか四つに切り分けて食べるものを、彼は一口で食べてしまう。普段の食事の際にも思っていたが、大層気持ちの良い食べっぷりだ。これと比べたら私の食が細いとか進んでいないとか思うのも無理はない。
ゆったりお茶を飲んでしばらく。
使用人に連れられて職人がやって来た。
「奥様の寝台はしっかりと直してございます。普通は気が付かない程度だったと思いますが、流石高貴な方は鋭敏なもんですね」
そうだろうか。自分が殊更神経質だと思ったことはない。
「で、旦那様の寝台ですがねえ」
「問題があったか」
職人が何とも言えない表情で口ごもった。どういえば失礼にならないか考えている風に見える。腰のあたりでベルトの縁を数度なぞってから、口を開いた。
「問題というか、よくあんなひどい状態で使い続けていましたね」
率直に言うことに決めたようだ。
「……不便は、なかったのだが」
「余程荷重があったのか床板の何枚かが真っ二つに折れていますし、枠にも罅がいってる。それで力が変にかかって足が歪んでおります」
「つまり」
「買い替えた方が安くて早いですよ、旦那様」
「そんなに酷かったか」
職人からバッサリ切り捨てられ、唸るように言っている。よくそんな寝台で眠っていたものだと思う。私の視線に気が付いて、また口を真一文字にした。視線を逸らされる。
「……野営では硬い地面にそのまま横になる事もありますので……」
「それにしたって無頓着すぎますよ。奥様と旦那様の中間位が普通の人間の感覚ですね」
今度こそ、はっきりと呆れた調子で言われてしまった。あら、私も、なの?
結局バルドの寝台は新品を購入することになり、思いがけぬ売り上げに家具職人は機嫌よく引き上げて行った。
私は考える。
自分の寝台は折れて崩壊寸前でも気にしない人が、私の寝台はほんの少し違和感があるというだけで修理の職人を呼んでくれたのだ、と。




