第6話 将軍は妖精姫に問い詰められる
社交界から距離を置いているのもあって、普段は余り人の出入りの多い屋敷ではない。例外が大体月に一度の頻度である商人の訪問日だ。積み荷が満載の馬車を二、三台引いてやってくるのである。庭の一部を解放して積み荷を並べてもらい、使用人達もそこで私物を購入したりする。ちょっとした市場のようになるのだ。
その日も馴染みの商人が来たのでいつも通り必要な物資や調味料を伝える。金額の計算をしている時に、背後から呼びかけられた。
「旦那様、今日はとっておきがあるんですよぉ!」
振り返るとこれも見慣れた、商人の奥方だ。ふっくらした丈夫な身体で、危なげなく樽を転がしてきたようである。蓋を開けると、それは見事な林檎が詰まっていた。傷もなく艶々と赤い。とっておきというだけのことはある。
「ほう、確かに良い物のようだ」
「そりゃもう。蜜がたっぷりでそのまま食べても十分甘いんですから」
樽の中から無造作に取り出した一つを差し出される。食っても良いということだろう。普段から持ち歩いている短刀で三つに切って芯をとる。商人と奥方にも分けてやって、齧ってみた。確かに甘い。自然と口元が綻んだ。
普段食べている林檎はかなり酸味が強いが、この林檎は随分控えめだ。その分甘さを感じやすくなっているんだろう。
「確かにこれは、滅多にない程甘いな」
「そうでしょう! いかがですか。樽ごと全部買って下さるなら、勉強しますよ」
「そうだな……ではこの林檎も追加で」
毎度、と明るく答えた商人が、ふと思い出したように続ける。
「そう言えば旦那様もご結婚されるんだとか。奥様にもお気に召していただけると思いますよ」
「む、うん……」
何と答えたら良いのか解らず、思わず口がへの字になる。この林檎ならフィリアも気に入るだろうとは俺も思った。だが、まだ「奥様」というのに慣れていない。俺の中では彼女は、自分の妻というよりはやはり、非常に繊細で高価な壊れ物を預かっているような、そんな緊張が強い。
勿論妻として遇するつもりがない、などということは無いのだが……。商人とその奥方を見た。血のつながりなど無くとも、夫婦というのは似て来るものだという。この二人は正にそんな感じだった。顔の造作が似ているわけではないのだが、表情だろうか、雰囲気が似通っている。どちらも商売人らしく朗らかで柔和な印象だ。
引き比べて、俺とフィリアはどうだろうか? この世にこんなにも全てが正反対の存在などあるかという程、何もかもが違う。そんな相手が自分の妻だというのは、どうにも実感が湧かない。
「エアルのお姫様ですってねえ。とんでもなくお美しくって、妖精のようだって有名ですよ」
「そうそう、城に出入りしている仲間が遠くからお見かけしたことがあるんですが、あの麗しさは一目見たら忘れられないって言っていましたよ」
「ああ、そうだろうな。とても人間とは思えない」
俺の答えに奥方が弾けるように笑いだした。商人も目を丸くしている。
「おやまあ! 旦那様の口からそんな言葉が出て来るとはね!」
「羨ましいことですな。大事になさってくださいよ」
恐らく二人は誤解している。俺が、美貌の妖精姫に浮かれて夢中になっているとでも思っているんだろう。俺の言ったのはそういう意味ではない。とても人間とは思えないほど脆そうで恐ろしいのだ。だが、そんなことを主張しても恥になるだけだ。それよりはまだ年若い新妻に脂下がった男、の方がましではないだろうか。
そんなことよりも、思っていた以上にフィリアが活動的だったのでそれに合わせた防御策を整えねばならない。俺は毛足の長いふかふかの絨毯の在庫がないか、商人に確認した。
商人が引き揚げた夜、夕飯を前にしたフィリアはどこか沈んで見えた。
いつもなら庭でどんな花が咲いていたとか、お茶の時間の菓子が気に入ったとか、そんな他愛もないことを小鳥のように囀っているのに。一言も喋らずに黙々と手を動かしている。だが、切り分けられる肉や野菜はいつも以上に小さく細かく、皿の上の物は全く消えない。切って口に運んでいるように見えるが、全然食っていないのではないか?
心臓が嫌な跳ね方をした。まさか体調が悪いのか? 病など得たら弱って萎れて死んでしまうのではないか? 食わないと栄養が足りずにそのまま儚くなってしまうのでは? 嫌な想像が幾通りも脳内を駆け巡る。
「そ、その、フィリア様」
思わず声をかけた。俺から話しかけることは珍しい。フィリアも、俯きがちだった顔を上げた。
「はい」
「今日の夕飯は、口に合いませんか」
体調が悪いのか、とは恐ろしくて聞けなかった。そうです、と言われたら医者を何人用意したら良いかわからない。フィリアは少し考え込むような素振りをして、首を振った。
「いいえ、いつも通り、良いお味です」
「だが、あまり進んでいないようだ」
不安のあまり言葉も乱れてしまう。フィリアは気にした様子もなく、またちんまりと切り分けた野菜を咀嚼した。
「昼間の」
「は、はい」
そしておもむろに話し始める。何を言われるのかと冷や汗が出た。
「商人の方とは親しいのですか」
「え、まあ、そうですね。長い付き合いではあります」
「女性の方とも?」
「奥方ですか。夫婦で商いをしているので、二人共馴染みです」
商人達のことが気になったのだろうか。庭に居るのをどこかから見ていたんだろう。何か直接買いたいものがあったのかもしれない。あの二人が取り扱っているのはどちらかというと庶民向けの物ばかりだからフィリアには声をかけなかった。
だが、ずっと屋敷に閉じこもっているんだからどんな品物でも見せてやれば気晴らしになったかもしれない。俺はこういう部分には気が回らない。
「宜しければ、来月は商品をご覧になりますか」
「……バルド様は」
フィリアが視線を下げた。
「女性がお嫌いなのかと思っておりました」
「いいえ、まさか。いや、その、大好きということもないですが、嫌いとは。ええと、男女関係なく、人間です」
どういう意味か解らず、何を答えたら良いかも解らない。男が好きか女が好きかと言われれば、それは閨に連れ込むなら当然女だが。だが、俺はそんなに派手に女遊びをする方ではないから大好き、という程ではないと思う。娼婦に入れあげて財産を溶かすようなことはしないからな。
かといって嫌いなわけでもない。性別で好きか嫌いかは判断しない。勿論、男女で接し方は変わるし、寧ろ女の方が俺のことを避ける場面の方が多い。そういう意味では、嫌っているというよりも嫌われている、という方が近いんじゃないだろうか。
だがあの商人の奥方のように普通に接してくれるならこっちだって同じように普通に接する。フィリアがふ、と瞼を下げた。俺の返答は気に入らなかったらしい。何故だ。
「ええ、そのようですね。あの女性の方とは笑ってお話になっていましたわ」
少し、声が冷えている。本当に気分を害しているようだ。何故? 不機嫌で食が進んでいなかったのか。体調不良でなかったなら安堵すべきか。だが、不機嫌なのも健康に良くないんじゃないだろうかと思ってしまう。
それより。
「ご覧になっていたのですか」
商人がいたのを見たというか、俺が話している所を見られていたのか、と合点がいった。特に疚しいところはない。気になったのなら、その時声をかけてくれたらあの商人達も喜んだだろうに。
「バルド様は、私のことは遠ざけるのに、あの女性には手ずから林檎をお与えになりましたね」
「……それは」
「女性が嫌いなのではないなら、では……」
宝石のような瞳が輝いている。瞬きするごとにきらめきが増して、だがそれが零れる寸前の涙だと気が付いて呼吸が止まった。
「私のことが、お嫌なのでしょうか」
その言葉と共にとうとう淡雪の頬を一滴、真珠のような粒が滴り落ちた。




