第5話 妖精姫は将軍に近付きたい
私がバルド邸に居を移してから暫く。
共に暮らせば少しは距離が縮まるだろうかと思っていたのだけれど、事前の想定が甘かったか、あまり進展が無い。今は戦も無いし、積極的に社交に出るわけでもないから二人共一つ屋根の下に籠りっきりなわけだけれども、その割に一緒に過ごす時間は随分短い。
食事は日に三度ちゃんと同じテーブルに着くし、お茶に誘ったりもして断られるわけではないのだが、兎に角こちらから声をかけないとつかまらない。そんなに広い屋敷ではない筈なのに、ふらっと邸内を歩いてみても偶然庭でばったり、ということもない。
使用人に聞けば、彼は自室に閉じこもって武具を磨いていることが多いのだという。または厩で引き取った軍馬の世話なども良くしているようだ。
それでは、とまずは武具の手入れをしている時に見学させて欲しいと願ってみた。以下がその際の顛末である。
「剣を磨いておられるのですか? 是非拝見したい、わ?」
ちゃんと部屋の扉をノックして、「入れ」と言われたから入ったのに。
バルドは私が入室すると同時に背後に胡瓜を置かれた猫みたく飛び上がった。それから「是非拝見」のあたりでものすごい勢いで剣を鞘にしまって「したい」を口に出す頃には部屋の奥にある寝台に鞘ごと突き刺さるのではないかという勢いで投げた。
折角手ずから手入れしていたものを、何故そんな乱暴に放り投げたのか解らずぽかんとしていると、ぎょろぎょろ目を泳がせて口を開いたり閉じたりする。尋常な様子ではない。
「あ、あの、驚かせてしまいましたか?」
「驚きました。はい。それはもう」
これでもかという熱意を籠めて頷かれた。だが、ちゃんとノックはしたのに。入れと言われたから入ったのに。なんだか釈然としない。
「それは申し訳ないことをしましたけど、あの、剣を磨いていらしたのでしょう?」
「は、はい。暇だったもので」
「私、剣のお手入れは見たことがありませんの。見学させて下さらない?」
そう言った途端、余命宣告でもされたかのような表情になる。小刻みに手が震えて、何度も握ったり開いたりし始めた。そして一歩後ずさり、口を開いたまま固まってしまった。どういう感情かしら……?
結局そのまま二人向かい合って暫く立ち尽くしていたが、その内廊下を通りがかった使用人が彼の顔を見て悲鳴を上げ、更に私に気が付いて酷く狼狽え、結局「奥様はどうぞお部屋にお戻りください」と引き離されてしまった。
そんなに難しい、突飛なお願いをしたつもりはないのだけれど?
剣の手入れは見せてもらえなかったため日を改めて今度は厩に行ってみた。
厩には当然馬がいる。二人きりだとまだ自然に振舞えないとしても、馬が一緒に居れば良い緩衝材になるんじゃないかと思った。会話が続かない時、うまく言葉が出ない時は馬を撫でていれば間が持つ。私は動物が好きだし、良い考えだと思った。
それで、部屋に入った時は随分驚かせてしまったようだったので、今度はかなり遠くから声をかけてみた。彼は飼い葉を抱えてのしのし歩いていたが、私の声を聴くとやっぱり尻尾を踏まれた狐みたくびゃっと飛び上がった。抱えた飼い葉が宙に舞い雨の様に降り注ぐ。そんなに驚くこと、あるかしら?
それから大股のとてつもない速度でずんずん歩いてきて、あれよという間に目の前に立ちはだかった。日傘を携えて後ろにいた侍女はその勢いに驚いて小さく「ヒィ」と息をのんでいる。そうね、見慣れないと体の大きさもあってちょっと威圧感を感じるのかもしれないわ。
「な、何故このような所に」
「馬のお世話をされるんでしょう? 私もやってみたくて。動物は好きですの」
私の頭のてっぺんからつま先までじろりと見られた。こちらも心得ている。普段のドレスよりかなりシンプルで生地も丈夫な、汚れても問題ない服を着ている。靴だってヒールが無いものにした。ほら、問題ないでしょう、と言いたくて少し胸を逸らす。
だが、彼はまた一歩後ずさり、頭を抱えた。まあ、一体何が問題だって言うの? しかし文句を言うより先に侍女に肩を掴まれてしまった。
「ひ、姫様。お暇しましょう。将軍のお邪魔をしてはいけません」
「お邪魔なんかしないわ。お手伝いしに来たのですから」
「姫様! 姫様お願いですから!!」
侍女が今にも泣きそうな顔をしている。そうまで懇願されては我儘を言うことはできない。結局私は引きずられるようにして邸内へ戻るしかなかった。どういうことなの?
と、いうような感じで、私達の仲は一向に縮まらない。バルドに怯えている侍女たちに協力してもらうのも難しい。私からは何度も「バルド様はそんなに恐ろしい方ではないのよ」と伝えてはいるのだけれど、どうにも信用してもらえなかった。
彼女達も生粋の貴族だから、あのように大きい殿方には免疫が無いのだ。私のように加護が見えるわけでもないし、まだ国の仇、という意識も完全には抜けていないのだろう。こういうのは無理強いしても拗れるだけなので何かのきっかけを待つか、あるいは時間が経つのを待つしかない。
そもそも彼の方でも侍女たちは苦手なようなのである。廊下ですれ違う時は目一杯距離を取るし、同じ空間にいても極力目をあわせないよう、視界に入らないようにしている気がする。ひょっとすると、女性そのものが苦手なのかしら、と思う。
これまでに妻帯した事は無いというし、本当にその可能性はある。そうなると、突然これが妻だと言われて受け入れられないのも無理はないだろう。
気持ちが沈んだ。私は、ご迷惑なのかしら……。
そうして一度不安になってしまうとこれまでのように気軽に会いには行けなくなった。その代わりに遠くから目で追いかけてしまう。面と向かって尋ねることが出来ればすっきりもするのだろうけど、答えを聞くのが怖かったし、問うこと自体がバルドの負担になるのではないか、とも思って。
だって、彼は見た目は怖いかもしれないがとても優しくて責任感がある人だと思う。それは、同じ屋敷で生活して三食を共に食べ、よく観察していれば容易に知れることだった。
挙動不審ではあるものの、彼が私に対して怒鳴ったり乱暴をしたりしたことなど一度もない。使用人たちにですら、そんな態度を取っているのを見たことがない。むしろ、私に対しては屋敷の主である彼の方がかなり遠慮して身を縮ませている気がする。
そんな相手に「私が居たらご迷惑ですか」と問い詰めて、一体何が得られると思う? 内心はどうであれ絶対に否定するし、何故私がそう思ったのかと逆に気を遣わせるのが落ちである。
だから私は何も言えず、ただ遠くからその姿を追った。大きいから、視界に入る所にいてくれれば見つけるのも見つめるのも容易だった。
今日は出入りの商人が雑貨や食料品を届けてくれる日だったらしい。
突き抜けるような青空の下でも、バルドはどこか不機嫌そうに見える。見えるだけで本当に不機嫌なわけではないのだけど、顔の傷と濃い眉がそう見せてしまう。慣れていないと、確かに恐ろしく思うかもしれない。
だが実際は穏やかな人だ。今も、恐らく納品の目録を確認しながら商人と雑談している。男性同士では、彼は幾らか打ち解けて見える。私や侍女たちの前であんなに自然な表情はしない。何を話しているかは知れないけれど、口も随分滑らかみたい。
私にも、あんな風に気安くお話してもらえないものかしら。やっぱり、異性は苦手なのかもしれないわ、と思っていると、荷馬車の奥からふくよかな女性が降りてきた。大きな樽を転がしてバルドの傍へ寄っていく。
馬車が視界を遮っているからか彼は気が付いていない。ああ、そんな状態で女性が話しかけたら、きっとまた猟犬に追われるコヨーテみたく飛び上がるに違いないわ。ハラハラしながら見ていたのに、バルドは女性が話しかけるとごく普通の動作で振り返った。彼女は何事か話しながら転がしていた樽をあけ、中から真っ赤な林檎を取り出して、差し出す。
受け取ったバルドが持っていた短刀で器用にカットして、商人も含めてその場の三人で食べ始めた。紺碧の空と真っ赤な林檎、その内側の輝く白い果肉。バルドの黒い色彩と、すぐ傍に立つ女性の向日葵みたいなくっきりした黄色いドレスが目に突き刺さって。私はぎゅっと窓の桟を握りしめた。……この屋敷の桟はどこもかしこもなんでこんなに滑らかなのかしら。
彼が笑うのを、初めて見た。




