第4話 屋敷は妖精姫を迎える
驚愕の顔合わせからわずかひと月。
恐らく王族どころか貴族の輿入れとしても異例の速さで妖精姫の迎え入れ準備は整った。いや、整ったと言って良いのか、俺には何とも自信がない。だが傷み切っていた屋敷中の絨毯は全て貼り換えたし、ささくれ立っていた階段の手すりもきちんと削って磨き直した。どうせ使わないから、と締め切りにしていた部屋は残らず解放され、徹底的な清掃が行われた。
身の回りの世話をする侍女はあちらで連れて来るらしいが、それ以外にも人手は必要になる。俺自身には殆ど使用人を使う習慣が無かったため、この屋敷の維持管理に必要な程度の人員しかいなかったのだ。
なんと、実はまともな料理人すらいない。通いの女中が毎食大なべ料理をどかっと作ってくれるので、俺も使用人も区別なく、皆それを食っていた。まさしく戦場の作法であった。
だがまさかやんごとなき身分の姫を迎えるというのにこれではいけない。身元の確かな使用人を雇い入れるだけでも一苦労であり、慣れない物事の連続に忙殺されていたらひと月などあっという間だった。もうそんなに経ったか? 本当に?
昨夜は緊張のせいでまんじりともせず、元々いかめしい顔がさらに凶悪になっていた。俺の顔を見慣れている侍従さえ引きつった表情をしていた。予告されていた時刻とほぼ同時に、軽やかな蹄の音を響かせて馬車が到着する。妖精姫の乗るものとしては随分シンプルで馬も少ないな、と思っていると後ろにすぐまた同じ馬車が門扉を通って進んでくる。
なるほど、これは荷物が乗っているのだな、姫は後ろの馬車にいるのか、と眺めていれば車列は三台、四台と増えていく。どれも同じだ。いつまでも終わらぬ馬車の列に恐ろしくなっていると、十台を超えた所でやっと明らかに豪奢な六頭立ての馬車が見えた。
優雅な動作で馬が止まる。御者が降りて恭しく扉を開けた。
緊張しながら開いた扉に向けて手を差し出すと、記憶と寸分違わぬ軽さの手がそっと重ねられる。絹の手袋の冷えた感触のあと、輝くばかりの白銀の髪が現れ、またその髪に負けない程の白皙の美貌が俺を見つめた。相変わらず人間とも思えぬ容貌である。馬車のステップを踏み、地面に降り立った。降り立ったよな? 何故足音がしないんだ。浮いているのか?
「お久しぶりですね、バルド様」
妖精姫が親しげに口を開く。背後から御者の手を借りて降りて来た侍女がそっと日傘をさしかけた。なるほど、深窓の姫君ともなれば日の光ですら損なわれる可能性があるのだな、と頭に刻む。咳ばらいをした。
「お久しぶりでございます、……姫様」
名前を知らないわけではないが、まだそれを呼んで良いか解らなかった。ともかく、平民上がりの俺よりも身分が高い相手であることには違いない。だが、姫様、と言った途端に妖精姫は少し眉を寄せた。何か間違っただろうか。背後の侍女を見る。無表情だった。
「私は、妻になるのですよ」
「こ、光栄です」
勿論、俺のような男にこんな高貴な姫が降嫁するなら一般的にはそれはとんでもない僥倖であろう。望むべくもないことだ。
「そうではなく。名前でお呼び下さい」
口が引き攣った。本当に、呼んで良いのだろうか。
「フィリアレーデ、様」
「家族はフィリアと呼びますわ。妻なのですから様、も不要では?」
「いえ、では、……フィリア様、と」
まさかいきなりこの存在を呼び捨てになど出来るわけがない。フィリアは、少し瞼を下げて首を傾げた。恐らくこれが、彼女のささやかな不満の表現なのに違いない。背後で日傘を持つ侍女は、まるでその表情が見えているかのように少し眉根を寄せた。
だが、高貴な女性というものは声高に文句を言ったりはしないものだ。
「よろしいですわ。では、今後はそのように」
満点ではないが何とか及第点はもらえた。と思って良いのだろうか? まだ馬車から降りて挨拶をしただけだというのに、戦場で一戦終えた後のような疲労感が体を包む。フィリアが背後を振り返った。
「少し騒がしくなりますけれど、よろしくお願いしますね」
「はい。それにしても随分と……馬車が多い」
「ええ、まとめてみたら意外と色んな物で嵩張ってしまいましたわね」
ごくりと喉が鳴った。こともなげに言うが、十台もの馬車に何をそんなに積載する程のものがあるのか想像もつかない。俺が戦場で担いでいた荷物と言えば、いつも馬の後ろの頭陀袋に放り込める程度の物だったが。
「その、一体何が……」
「そうですねえ、デイドレスとイブニングドレス、靴や帽子の小物なんかだけでももう五台にはなってしまったでしょう? 布って嵩張りますわよね」
驚愕した。確かに今着ているドレスも、裾がふわふわ広がっていて嵩張りはすると思うが、これが、……これが五台分?
「それから、お気に入りの食器類も持ってきましたし、お化粧品も。陶器や瓶は畳めないし丁寧に梱包しますでしょう? 随分場所を取りました」
化粧品、は、勿論必要なものだろう。だが、掌に収まる程度の小瓶一本か二本程度の話ではないのか? 馬車に積んで嵩張るとはいったいどういうことだ?
「香水だとか、好きなお茶も少し多めに持ってきてしまいました。万が一切れたら大変ですもの」
お茶が切れると、大変なのか。……そうか。良く解らないが、本人が大変というなら大変なのだろう。高貴な姫の生活というものは、こんなにも多くの品物によって成り立っているのか。それを、今後はこの、俺の屋敷で維持できるのだろうか。なんだか頭痛がしてきた。
ともかくいつまでも外に立たせてはおけない。邸内に入ろうとフィリアを伴って踵を返すと、うちの使用人たちがぽかんと口を開けていた。そうだろう、驚くだろう。これが、俺の妻になるというのだから。
何人かは恐らく無意識に窓の桟を指でなぞっている。俺には解る、ささくれがないかチェックしているのだ。昨日までは執拗に自ら手すりを磨く俺を「そこまでしなくたって……」という目で眺めていたが、ようやく彼らも理解したらしい。ほら、うっかり棘など刺さったらそこから萎れて死んでしまいそうだろう!? 万全には万全を期さねばならないのだ!
住環境については専門家の意見も取り入れ、可能な限り配慮できたと思う。何より体に触れる身近な小物などは本人が持参しているし、世話をする侍女もついてきたのだからある程度安心と言えた。階段の手すりも窓枠も十分滑らかにしてある。
となると次は食事だ。新たに雇い入れた料理人は、俺としては美味い料理を作ると思う。だが、本物の上流階級で生活してきたフィリアにとってはどうか解らない。
その日の夕食にやって来たフィリアは服を着替え、蜜蝋の灯りに照らされて益々幻想的だった。いや、何故着替えた? 解らん。
前菜のスープを口に運び、にこりと微笑む。良かった。不味いと思ってあんな顔はしないだろう。反応が怖くて凝視してしまったが、気に入ってもらえたのなら問題ない。俺もスプーンを動かす。確かに美味い。とろりとした口当たりは滑らかで、塩気がちょうどいい。
メインは鹿肉だった。給仕が小難しい料理名とか調味料について解説していたがよくわからない。焼いた塊を好きな分、その場で切り分けてくれる方式のようだ。分厚く、たっぷりと注文する。肉は矢張り食いでがなくてはいけない。体に活力を与え筋肉を育てるのに必要だ。
皿に乗せられた鹿肉を大きく切って口へ入れる。噛み応えのある赤身肉だ。正に肉。ケチらずに香辛料も使っている気がする。これならフィリアも口に合うだろう、と視線を上げて衝撃を受けた。
薄い。切り分けられた肉が余りにも薄すぎる。ぺらっぺらではないか。フォークですくって一口で終わってしまう。だが、そのぺらぺらの肉をフィリアは更にナイフで切り分けている。ソースを絡めて小さな口に入れ、黙々と咀嚼している。いや、なるほど、口が小さすぎて一口では入らないのか。それはわかった。だが、あまりにも量が少なすぎるのではないか。
いや待てよ、別に二枚目を要求したって良いわけだ。一度に食べられる量が少ないなら、あの一枚を食べきってから二枚目、三枚目を食べるのかもしれない。そう思って自分の食事を進める。
最初に切り分けてもらったのと同じ大きさの肉をもう一度。合間にテーブルに乗ったパンを掴んでむしる。そうして俺が三枚の肉を平らげるのと同じ時間をかけて、フィリアはあのぺらっぺらで薄い肉を一枚と、テーブルのパンを半分飲み込み、あろうことかそれで給仕を下がらせた。
どういうことだ!? グラスのワインを飲み干して口を空にしてから思わず問いかける。
「その、口に合いませんでしたか」
「とても美味しくいただきましたわ。腕の良い料理人を雇っているのですね」
「いや、だが……、余り食が進んでいないように見受けられる」
「まあ、ちゃんと一皿いただきましたけれど」
フィリアが何を言われているのか解らない、という風に首を傾げた。
「あ、貴女の肉は大分薄かった。あれでは腹が膨れないでしょう」
俺の言葉を聞いたフィリアは、大きく目を見開き鈴を鳴らすようにころころと笑った。こんな声を出すのか。
「まあ、バルド様。私と貴方では体の大きさが違いますもの。同じ量はとても食べられません」
「い、いや、それは解っています。だが、それでもあんまり……、食べないから細いのでは?」
貴婦人は細く華奢なものだ、というのは解っている。だがフィリアはそれにしても図抜けている。病的にガリガリ、という風には見えないのは恐らく骨格からして華奢なのだろう。だが、それを指摘するとまた瞼を下げられてしまった。
「女性の体形について口にするのはマナーの良いことではありませんよ」
確かにそうだ。だが、俺は別に下品な意味で言ったのではない。どちらかというともっと肉をつけてくれないと不安で仕方が無いのだ。もっと防御力をつけて欲しい。とはいえ、無作法には変わりない。素直に頭を下げた。
「申し訳ありません」
「適量というものがありますわ。バルド様の見慣れた兵士の方よりは小食でしょうけれど、慣れて下さいませ」
「……努力、いたします」
翌朝の朝食に山ほどの果物を並べた俺は、またフィリアの瞼を下げさせるのだった。




