第3話 将軍は妖精姫の家族と対面する
王宮の用意した馬車は座面がふかふかで床も柔らかく、何より王都の整った道を走るため非常に快適な乗り心地だった。板張りそのままの荷台に詰め込まれて荒れた山道を駆けるのとは比べ物にならない。
本来なら十分寛げる筈のその空間で、俺は可能な限り体を小さくして呼吸を殺している。奇襲の為に泥の中に這い蹲っていた時ですらこんなに居心地が悪いと思ったことはない。
向かいの座席に先ほど突然「妻だ」と渡されたシャボン玉、もとい妖精姫がいるからだ。馬車に乗り込む時に手を貸したが、信じがたい軽さだった。体重をかけられているとは思えない細やかな感触しかなく、動き方もなんだか重心がふわふわしていて滑るような身のこなしなのだ。
地にどっしりと足を固定し、重心を低くもつ習慣が身についた兵士とは根本的に違う。そんなにふわふわしていたら容易く敵に転がされてしまうではないか、と思う。いや、この存在に敵が触れるような事態になったらその時点でもう俺の失態なのだ。何ということか。
殆ど恐慌状態の俺と違い、妖精姫はどうやら機嫌が良さそうに見える。いや、解らない。社交界の貴婦人は常にうっすらと張り付いたような微笑なのだ。あれが基本形態であるなら、この微笑も無表情と同義なのかもしれない。
だが他の貴婦人と違い、この妖精姫とはやたら目が合った。俺と相対すれば、普通なら視線を逸らしたり扇で顔を隠したりするものなのに。そして目が合う度になんだかふんわりと笑うのである。恐ろしい、一体どんな心境の顔なのか全く想像がつかない。
そしてこの妖精姫の家族となれば、やはり似たような人種なのに違いない。胃が千切れそうだった。
王宮のほど近く、だが王都の主要地区からは外れた場所に、妖精姫の屋敷はあった。元王族の住処として相応しいのかどうか、俺には解らない。だが使用人はちゃんといるし、庭や建物が荒れてもいない。女四人が住まうのであれば十分な広さもあるように見えた。
馬車が止まり、御者が扉を開ける。先ず俺が降りると、出迎えに出ていた使用人達が顔色を失い息をのんだ。驚かせただろう。まあ確かに、このふわふわの生き物が出てくると思って待っていたのに俺が出てきたら、相当驚くに違いない。申し訳ないことをした。振り返って手を差し伸べ、それから今度こそ妖精姫が現れる。
「フィリア様!」
「ご無事で……!」
悲鳴交じりの涙声である。恐れられることに慣れているとはいえ、何も感じないわけではない。が、無理もなかろう。何しろ、俺の横に並ぶと妖精姫は益々白く、細く、華奢で、重力を感じさせない淡雪の如き儚さに見えた。血と肉と骨が本当に詰まっているんだよなこの白い肌の下に? 俄には信じがたい。
「皆も承知の通り、王命によってこちらのバルド様の元へ嫁ぎます。本日はご挨拶にいらして下さったのよ」
声も軽やかだ。だが、か細く消え入りそう、というわけではない。高く透き通る見た目の通りの美声だがそれには周囲に命令し慣れた人間が持つ、重さのようなものが含まれていた。決して高圧的ではない。言葉は柔らかい。ただ、膝をついて従うのが当然、と思わせる何かがある。
使用人たちの動きは速かった。あれよという間に馬車は去り、応接間に通され、すぐ隣に妖精姫が腰を掛け、緊張した様子のメイドが紅茶と茶菓子をテーブルに並べ、それに手を付ける間もなく一目で妖精姫の血縁と解る女が三人やって来た。
一番年嵩の女は当然母親であろう。だが、とてもそうは見えない。姉妹と言っても十分通じる。見た目だけで言えば、もしこの中で俺と夫婦として年齢が釣り合うのは誰かと訊かれれば間違いなくこの母親だろう。実際は俺より随分上なのかもしれないが、貴族の女の年齢は、解らない。
母親が落ち着いた貴婦人の空気を纏う一方、姉二人の方は若い令嬢らしい華やかさがある。だが俺を一目見て怯え切っているのは明らかだった。薄い張り付いた微笑みもなく、顔色が青い。二人で身を寄せ合っている。まあ、これが普通の反応だ。
女たちの顔立ちはよく似ている。色素が薄く目が大きく、体は細く。恐らく一般に美しいと言われる部類の。だが妖精姫とじっくり向かい合った後なら、まだ人間に見えた。なるほど、血族の中にあってもこの妖精姫は特異なのだ。
兎に角挨拶をせねばと立ち上がると、姉二人はヒッと微かな悲鳴を漏らした。座っていた方がまだマシだったか。だが一応元王族のやんごとなき方々である。こちらが座りっぱなしも無作法だろう。
「お母様、こちらがバルド様ですわ」
思わず固まってしまった俺の代わりに、鈴を鳴らすような声がした。
「バルド様、私の母と、上の姉、下の姉です」
「……はい」
身内になるのだし今後ともよろしく、というのが本来なのだろうが、どうにもこちらとよろしくしたくない、という空気を感じて口に出来なかった。それはそれで印象が悪いかもしれないが、社交界の貴公子のように口が回る性質ではないのだ。
それに、よくよく考えると俺は娘婿、妹婿である前にこの女達の父親や息子を殺した仇であった。妖精姫はまるで気にしていないように振舞うが、内心は解らない。恨まれこそすれ、歓迎されるわけがないというのは解る。王も難儀な縁を結んでくれたものだ。
俺の横に妖精姫、その向かいに母親と姉二人の並びでテーブルを囲む。会話が無い。俺がカップを上げ下げする音だけが響く。良いお茶なのかもしれないがこんな状況ではまるで味がしない。
妖精姫がソーサーにカップを戻してごく気軽な調子で言った。
「私、なるべく早くに移ろうと思いますの」
「フィリア、まさか!」
「どうして」
「何故だ!?」
姉二人の声をかき消すような声が出てしまった。何故!? ゆっくりでいいじゃないか! 王は日取りの指定まではしなかった!!!
姉姫たちがギョッとしたように俺を見ているが、そんなことを気にしている余裕はない。
「何故と仰られましても……、夫婦になるのですから、良い関係を築いていければと思っていますの。そのためには生活を共にして、お互いをより深く知るのが一番です」
「で、でも、急すぎるわよ」
「そうよ、私達と離れ離れになってしまうのよ?」
「そうだ、焦る必要はありません」
また声が被る。今度は姉姫達は口を挟むな、というようにこちらを睥睨した。いや、俺のことなのだから俺にも口を出させて欲しい。
「でもフィリア、早くとは言っても準備があるでしょう。まさか猫の子のように身一つで行くわけにはいかないわ」
流石母親だ、きちんと現実が見えている。俺が大いに頷いていると、妖精姫が首を傾げた。
「準備と言ったって、荷造り程度ではないかしら? 使用人だってもう居るでしょうし」
そうだな、準備とは……何をしたらいいのだ? この重力を感じさせない、細くて華奢で白くて柔らかいふわふわの生き物を迎え入れる準備とは……? 眉間に皴が寄る。俺一人の頭で考えても答えは出そうにない。それでもどうにか一言を絞り出した。
「こちらでも、……調整が必要です」
何の、かは俺にも解らない。解る奴に確認する時間が必要である。即ち調整で間違いない。
「……そうですね、私は嫁ぐ身なのですからそちらのご事情を考慮すべきでした」
妖精姫が少し俯いている。まさか、気落ちしているのか? 気分が落ち込んだらそのまま儚くなりやしないかと冷や汗が出た。慰めるべきか? だがどうすれば慰められるのだ? 固まって見つめることしかできないが、恐らくこれは睨みつけているように見えるのではないだろうか。向かいに座っている姉姫二人の顔がまたみるみる蒼褪めていく。
「あなた、何でそんなに行きたがるの」
膠着状態にあきれるようなため息が降った。俺の母親でもないのにお母様! と拝みたくなる。そうだ、何故そんなに前のめりなんだこの妖精姫は。
問われて、少し口ごもる。ほんのり色づきぷるぷる艶を持つ唇がもぐもぐしている。
「殿方にこんなことを言うと気分を害されるかもしれませんけど……」
「い、いえ、仰ってください」
何を言われるのか、少し身構える。
「お噂で聞くよりも可愛らしい方だと思って、私……。嬉しくなってしまいましたの」
「どういう意味!?」
「本気で言ってる!?」
「何故だ!!!!」
また声が被ったが、今度は姉姫二人は俺に見向きもしなかった。




