第2話 妖精姫は将軍を見る
祖国が戦に敗れたのは四年前。私は十四だった。デビュタントを翌年に控え、本来であれば楽しい盛りの筈だろう。だが、鏡の中の顔はいつもどこか陰りがあって、決して幸せいっぱい、という風情ではなかった。
私、フィリアレーデ・エアルは今は亡きエアル王国の第三王女として生を受けた。
エアルの王家には時折、人に宿った加護を見抜く目を持つ者が生まれる。加護を見るということは、突出した才能を見抜くことに等しい。
だから、父王は私のこの力を使って何とか周辺国との関係を有利に進められないかと画策し、度々私を伴って外遊に出た。王族としての教育に加え無理なスケジュールの公務。私は何時も疲れ果てていた。大体、加護持ちの人間などそうほいほい転がっているものではない。成果の上がらぬ日々に業を煮やし、その鬱憤からか外交の失策を重ね、気が付くと到底かなわぬ国と戦になっていた。
父は戦意高揚のため兄を伴って前線に赴き、共々あっさり討たれたらしい。母と二人の姉は嘆いたが、私はそれほど胸が痛むこともなかった。父には政策の道具のように扱われ、兄にも、やはりこの見た目を利用されようとしていた。
兄がもし生きていれば、デビュタントで私をどこに売り渡すかの競りが始まる筈だったのだ。条件さえよければどんな嗜虐趣味の老人にだって私を売り渡していたであろう。その未来から逃れることが出来て、安心しなかったと言えば嘘になる。
一方で、敗戦国の王族がどんな目に合うかも理解しているつもりだった。だから、恐怖ですすり泣く姉たちを不甲斐ないと責める気にもなれず、ただ気が滅入った。
夜の帳の中で王宮の窓から王都を見下ろす。不思議なほど静かだった。とても攻め落とされたとも思えない。敵国の旗を立てた兵列が、整然と広がっていく。道という血管に血が行き渡るかのように。
民の悲鳴も無ければ火の手が上がることも無い。
それは、城内が抑えられても変わらなかった。乱暴される侍女たちは無く、非戦闘員が無為に殺されることも無い。こんな敗戦があるのか、と驚いた。母と私たち姉妹は身柄こそ拘束されたものの、明らかに貴人への礼は失われなかった。
我が国の王都を落としたのが、『常勝将軍』と名高いバルドであったことは後で知った。
どんな男だろう、と想像していた。平民出身だったと聞いている。それが、あのように見事に統率の取れた兵を率いることが出来るものだろうか。
数年をかつての敵国で軟禁されて過ごし、結局社交界にデビューすることもないまま十八の年を迎えた頃になって、打診が来た。
三姉妹のいずれでも常勝将軍の妻になる気はないか、と。
戦利品、あるいは人質として連れてきたは良いものの、明らかに扱いに困っている節はあった。敗れて国体を無くしたとはいえ、エアルの直系王女達。下手な所に嫁がせてはまた新たな火種になりかねない。とは言え元王女を下級貴族にやるのも体裁が悪い。
平民出身だが救国の英雄と名高い男の妻というのは非常に都合が良さそうだ。
ところが二人の姉ははっきりと拒絶反応を示した。バルド将軍は三十の半ば、これまで妻帯したことは無いという。その年まで未婚というのは何か特殊な事情があるのではないか、ましてや元平民、更に言えば故国の仇ではないか、考えるまでもない。というのが姉達の主張であった。
確かに、そう思うのも無理はない。ただ、母は難しい顔をしていた。今の私達には何の保証もない。力のないか弱い女に無体を働いては外聞が悪い、という非常に薄っぺらな薄氷の如き厚意の上に今の生活はある。その状況で持ち込まれた縁談を断ることなど出来るだろうか。
逆に、誰かが嫁げば母と姉妹ごと庇護下に置いてもらえるのではないか、という思惑もあるのだろう。バルド将軍といえばこの国どころか近隣を見渡しても随一の武人だ。そこで、私が手を上げた。年齢差を鑑みると一番上の姉の方が良さそうだが、紙のような顔色で泣く人を無理やり押し付けてもあちらだって困るだろう。
母も姉も、本当に後悔しないのかとしつこい位訊いてきたけれど、私の心は変わらなかった。あの、静かな夜。街からも王宮からも悲鳴は聞こえてこなかった。私はそれに賭けたのだ。
果たして祝賀会の壇上で引き合わされた常勝将軍バルドには、強い戦神の加護が宿っていた。これほどの加護を持つ人間は滅多に見ない。彼一人で戦争を終わらせたというのもあながち嘘ではないだろう。
強い加護を持つ人間は基本的に悪心を抱きにくいものだ。滅多に加護持ちがいないのは、それにふさわしい魂の持ち主もそう多くないということなんだと私は思っている。
顔は……、大きな傷跡も相まってまあ確かに威圧感がある。波打つ黒髪と険しい表情は鬼人のようだ。それでも、差し出した私の手をとても優しい力加減で引いてくれた。本当に、優しすぎる。もっと力を込めたっていいのに。
もし、開戦前に彼の加護を見ることが出来ていたら。こんなに強い戦神の加護持ちを敵に回すなどとんでもない、と父に訴えていただろう。皮肉なものだ。そう思うと、口元はふわりと笑みを浮かべていた。多分、陰りの無い明るい笑顔になっていたと思う。
私と目があった途端、険しい表情がより一層顰められた。心なしか苦しそうに見える。大丈夫だろうか? 舞台から下がって良いと言われた次の瞬間にはもう、ばさりとマントを翻して大股に一歩踏み出した。私を置き去りにして。
思わず、と言った体で王が呼び止める。
「待て待て、妻のエスコートを忘れているぞ」
流石に無視できない相手であるから、足を止めてぎこちなく振り返った。
「やり方を知りませぬ」
そう言うものなのか。女性のエスコートの仕方を知らない男性もいるのね、と新鮮な驚きを感じた。だったら、仕方がない。別に手を引かれないと歩けないわけじゃないし、構わない。勝手に後ろについて行くことにした。何しろ、この場からは退場しなくてはならない。
歩き始めて暫くして、気が付く。先ほどの数歩とは明らかに違う。私がついてきているのを知った上で、速度を緩めてくれているんだと解った。体の大きさが違えば歩幅も違う。彼が一歩踏み出す距離は、私には二歩以上必要だと思う。なのに、急いで追わなくても良い速度になっている。
多少上流階級の作法を知らなくても、労りの心は行動を見れば解るものだ。とても大きな背中。黒く波打つ髪が揺れている。彼が歩くと人が道を開ける。私の場合はどちらかというと人が集まってくるから、何だか彼の後ろから見る景色は新鮮だった。
ダンスホールを出て城内の広い通路を歩く。誰もいない静かな空間に、二つの足音だけが響いている。何も考えずにこうしてついてきてしまったけれど、ひょっとして、馬車止めに向かっているのかしら? それはあんまりよくないんじゃないかと思って、声をかけた。
「あの、もし」
ビクッと大きな背中が飛び上がって止まる。前に回り込んで見上げると少し目を逸らされた。
「あの、このままですと私、侍女も何もなくて貴方の所に行くことになりますわ」
そう伝えると、愕然とした表情をしている。口元に手をやり、何事かもぐもぐ唸っていたが、その内に頭を下げた。
「申し訳ありません。貴女には確かに、その、準備が必要でしょう」
こんなに素直に謝られるとは思わなかった。殿方というのは面子を気にするものである。落ち度や思慮不足を指摘すると大体の人は不機嫌になったり、萎縮してしまったりするものだが。常勝将軍の異名を持ちながら頭を下げるのは厭わない人。珍しい方だわ、と密かに感嘆した。
「宜しければ先ず私の屋敷へ送ってくださる? 母や姉にもお目にかけたいわ」
「……ご挨拶は……必要、でしょうな」
凄く煮え切らない返答だった。でも何だか肩を落としてしょんぼりして、しっぽと耳の垂れさがった犬のような表情をしているから、ちょっと可愛らしいかも、と思ってしまう。これも、伝えたところで喜ぶ方はあまりいないので胸の中にしまっておく。
馬車に乗り込む時はきちんと手を貸して貰えた。震えている気がしたけど、気のせいじゃないわよね?




