第1話 無敗の将軍は妖精姫が怖すぎる
煌びやかで巨大なダンスホールが隅々まで埋め尽くされている。国中の貴族が集まっているのではないかと思う程だ。ひょっとしたら本当にそうなのかもしれない。着慣れない礼服は酷く窮屈で、落ち着かない。金属鎧の重みはないのに何故こうも煩わしく感じるのか。
足元に視線を落とすと、いつもの泥と血で汚れ裾のほつれたマントとは違う、手触りの良いビロード生地がたっぷりとした光沢を放っている。ピカピカの革靴も、違和感がある。腰に手を当てる。唯一使い慣れた長剣の柄を握ると、少しだけ落ち着いた。
高らかなラッパの音が鳴り響いて、顔を上げる。
国王が恭しく壇上に上がった。服を着替える時に何と言われたんだったか、どうやら俺はここで表彰されるらしい。
つい半年ほど前までは毎日戦場で敵を屠っていたのに、突然こんな所に引っ張り出されても喜ぶどころの騒ぎではない。基本的に社交界とか上流階級の付き合いとかは苦手である。何気なく視線を巡らせると、周囲にいた何人かの貴族がす、と自然な動作で距離を取り、幾人かのご婦人はあからさまに顔を逸らした。
そら、あちらさんだって俺のことはお気に召さん。
「皆も良く知っている通り、此度の勝利は間違いなく一人の男の貢献が大きい。
戦場の一つ一つを全てこの場で読み上げて行けばそれだけで夜が明けてしまうので、ここでは省く。
だがこの名に相応しい戦績であったことは言うまでもない。無敗の将軍、バルドよ」
気を散らしている間に国王はどうやら俺の功績をああだこうだと述べているらしい。人の口から語られてもどうにもピンとこなかった。将軍と呼ばれるようになって久しいが、それにすらまだ慣れてはいない。
元々路地裏の浮浪児だったのだ。ただどうやら異様に喧嘩が強かったし、ろくな食事もないのに身体もぐんぐん大きくなった。だから、稼げそうな仕事として傭兵を選び、いつの間にか兵士になり、敵を殺しまくるうちに気が付いたら将軍と呼ばれるようになってしまった。
俺からすると、あちらの城を落とせと言われれば落とし、あちらの橋を死守しろと言われれば攻めてくる敵を全滅させ、こっちの街を制圧しろと言われればそうしたに過ぎない。下された命令を黙々とこなして、とうとう一度も失敗しなかった。
そうしているとどうやら戦争に勝ったらしい。次はどこの城を攻めるのかと尋ねても、もう落とすべき城はないと言われた。
確かに、戦争を終わらせたなら中々大したことだったのかもしれない。最後の方には敵は俺の顔を見るだけで蜘蛛の子を散らすように逃げた。とは言え、俺に何が出来るかというと敵をぶちのめすことだけなのだ。
他の細々した雑務は文官が調整してくれたし、大きな戦局は頭脳明晰な副官がやってくれたから、それぞれがそれぞれの仕事をした結果の勝利だろうと思う。
戦場がなくなって暫く、今回は式典をやるからと引っ張り出されてきたわけだ。
出されはしたが、平民出身の叩き上げだ。肩書だけは立派になったがこんな場での振舞い方は全く分からない。自分の居場所はここではないと思う。自分でも視線が胡乱になるのがわかる。こうしていると、随分不機嫌に見えるらしい。現にまた横の貴族が半歩遠ざかった。
「そこで、その功績に相応しい褒美を授ける」
話が一段落したようで国王がこちらを見た。頷かれる。確か、このタイミングで壇上に上がるんだったな。突撃ラッパみたいにしてくれた方が解りやすいんだが。あれはちゃんとどっち方向にどんな勢いで行くのか、メロディで解るようになっている。
目の前に立つと、身長差のせいで国王を見下ろす形になるのだが良いんだろうか。だが腰を屈めるのもみっともないし、嫌味だ。少し迷ったが咎められなかったのでそのまま王冠のてっぺんを眺めることにした。
ところで褒美とは何がもらえるのだろうか。当面住むための屋敷とかその屋敷の維持のための使用人とか経費用の一財産はすでにもらっているのだが。例えば物凄く良い血統の軍馬とかどうだろうか。黒毛で筋肉のハリがあって、足腰がしっかりしていて、毛並みが艶々と美しいやつだ。
乗ればしっかりと安定し、走れば速く、剣戟に怯えない気の強さがあると良い。良いぞ、馬が欲しい。喜んでもらおう。
「四年前に平定したエアル国から我が国にて保護していた」
なるほど、エアルの馬か。あそこは確かに良い軍馬が山ほどいた。戦利品として何頭か連れてきたはずだが全て一度王宮に献上してしまったのだ。あの中のどれかか。狙っていた貴族が他にもいたのかもしれない。背後でざわざわと驚きの声がさざめいた。
「この四年、表には出ておらんが人の口に戸は立てられぬからな。その美貌を聞き及ぶ者も多かろう」
ふむ、美しいのか。ひょっとすると軍馬ではない可能性もあるな。いや、だが競走馬というのもそれはそれで良い。ただ速く走るというそれだけのために研ぎ澄まされた馬体は確かに惚れ惚れとする。
「褒美を、これへ」
王が舞台袖に手招くような仕草をする。この場で渡されるのか。袖の空間は馬が通るには窮屈ではないかと思うが。いや待てよ、仔馬なんじゃないか? 何しろエアルを落としたのは四年前なのだ。その時に全盛期だった馬なら既に旬は過ぎている。となると、その血統の子馬というのがより可能性は高い。
仔馬から自分好みに育てるのも、それは良いものだ。期待に胸を膨らませ、軽やかな蹄の音を待つ。そして、真っ白になった。
「エアルの第三王女だった、フィリアレーデ・エアルを、常勝将軍バルドの妻として下賜する」
そこには馬ではなく、……細くて白くて華奢で細くて薄くて柔らかそうで小さくて細い少女がいた。王の言葉が遅れてやってくる。妻……? 妻、と言ったのか? 誰が?
目を見開く。何度見ても、瞬きをしても、変わらない。雪のように真っ白な肌に、ほんのりと赤みのさした頬と唇。白銀に輝く髪が緩やかに卵型の顔を豪華な額縁のように囲っている。睫毛は長く、藍玉色の瞳は大きくうるりとしていて、とても人間とは思えない。何よりも華奢で細い。
この会場にいる貴婦人達のことも住む世界が違うと感じてはいたが、これはその上を行く。生きているのか? 本当に命ある存在か? このぺらっぺらな腹の中に俺と同じ内臓が詰まっている? 血が流れている? 本当に?
こんな生き物見たことが無い。
王は、まさかこれを妻にと言ったのか? それを理解した瞬間、ゾッと血の気が引いた。戦場でも感じた事のない明確な恐怖を覚えた。血生臭い戦場で、どんな強者と相対した時ですらこんなに怯えたことはない。
だって、妻だぞ? 俺が指でつついただけで、萎れてしまいそうではないか! こんなか弱い生き物を妻にして、俺は妻殺しになるのは嫌だ!!
「バルドよ、手を」
俺が微動だにしなかったので国王がそっと声をかけて来た。か弱い生き物……、フィリアレーデも静々と手を差し出してくる。え? これを、取らないといけないってことか? この手を? 細いぞ? 余りにも細い。俺が親指を乗せたらそのまま捥ぎ取れてしまう可能性があるが?
動揺して顔が引きつる。だが、こんな大勢の前でこの怯懦を悟られるのは恥である。震えそうになる腕を必死で抑え込んだ。じりじりとこちらも手を差し出す。フィリアレーデは自ら俺の手に自分の手を重ね、優雅な仕草で自然に隣に収まった。
これもまた驚愕である。冷えた細い指に触られた感触があるのに、重さを全く感じないのだ。どういう理屈なんだ? 人間の手指はちゃんと重さが無いといけないんじゃないか? しかも隣に立たれると花のような良い香りまでする。間違ってもその辺の野原に咲いているようなのじゃない、豪華な庭園の奥深くで丹念に世話をされている類の花だ。
これを、妻に? 目の前にシャボン玉を吹き付けられて「割るな」と言われているのと同じだ。そんな無理難題を何故?
混乱している間に、背後のざわめきが徐々に大きくなっていった。フィリアレーデが出てきた時とは違う、訝しむような囁き声。
「妖精姫を賜ったというのに何の感慨も無さそうではないか」
「野蛮な平民上がりに下げ渡されるとは、気の毒に……」
「見て、あの恐ろしい顔。どんな目にあわされるかわかったものじゃないわ」
好き放題言っている。こっちは恐怖を隠すので精一杯なのだ、にこやかに礼など言えるわけがない。深呼吸しようとして、息を止めた。いや待て、この姫、俺が強く息を吹きかけたら倒れる可能性があるぞ。だってシャボン玉はそうしたら割れる。
息がかからないように注意しつつ、ちらりと見下ろした。フィリアレーデはずっとこちらを見ていたらしい、目が合った。眼球まで宝石のようにきらめいている。本当に人間か? これが? 感情が読めない、どういう気持ちなんだ。祖国を滅ぼした男に嫁げと言われて、心中穏やかではないだろう。そうでなくても無骨な軍人など恐ろしいだろうに。
だが、そんな気配は全くない。その静けさがまた恐ろしい。
ふと、フィリアレーデがにこりと笑った。
だからそれは何の感情!? どうして笑うんだ!!?? 怖い!!!!!




