第10話 妖精姫は将軍を選ぶ
ソファからぼんやりと会場全体を眺める。特に見ようと思っているわけでもないのに、やはりバルドはとても目立った。何より物理的に大きい。ダリウスという青年もそれなりに長身であったと思うが、その彼よりもバルドの方がまだ頭一つ分大きい。その上、身体も分厚い。
彼の上着に刺繍を施していた侍女は、「刺しても刺しても終わりが見えないんです」と涙目になっていた。どうにか間に合わせてくれたが、苦労を掛けてしまった。でも、それだけの価値のある仕事だったと思う。黒い生地に銀糸の刺繍はとても目立つ。誰が見ても私の髪の色だとすぐわかるだろう。それは私のドレスの刺繍も。
提案した時には断られるかと思ったけれど、バルドは文句ひとつ言わずに受け入れてくれた。藍玉のカフスボタンと、黒真珠のパリュールまで。こんな装いをするのは本当に仲が良いか、仲良く見せたいかのどちらかだ。バルドが拒否しなかったのはその意味をよく知らなかったからかもしれない。その可能性は大いにあった。
何を話しているかは聞こえないが、ダリウスと話している彼は随分寛いでいるように見える。私と話している時とは大違い。寂しくはあるが、仕方ない。何しろ付き合いの長さが違う。共有した経験の量が違う。それに、ダリウスは男性で従軍経験もあるんだから、バルドの言うところの「防御力」は十分あるに違いない。背だって高いし恐らく彼も突風に攫われない側の人だ。
だって、仕方がないじゃない。私だって、浮きたくて浮いたんじゃない。目を伏せると、テーブルに影が差す。顔を上げれば見知らぬ青年がすぐ傍に立っていた。
「お邪魔して申し訳ありません、殿下」
「……私はもう、王女ではございません」
今でも私を殿下と呼ぶのはエアルの貴族に連なる者だけだ。今の私はただのフィリアレーデ。何も持たない、消えた王国の血筋を抱えているだけの女。
「いいえ、貴女の高貴さは失われておりません、フィリアレーデ王女殿下」
「誉め言葉と受け取っておきますわ」
「勿論。私はレイウッド公爵家のジョエルと申します」
「既にご存知のようですが、フィリアレーデです」
エアルとは名乗らなかった。名乗りたくなかったからだ。ダリウスにしたように手を差し出そうとも思えなかった。ジョエルが少し眉尻を下げて困ったような笑顔を見せる。私の拒絶を感じているのだろう。そして、何故そんな態度を取られるのかは解らない。
明るい金髪に碧眼。細身で長身、まあ整った容貌だろうと思う。家柄も良い。自分に自信がある。実際、普段未婚の令嬢には熱い視線を向けられているに違いない。
こういう貴公子は嫌という程知っている。全員同じとは言わないが、概ね似たようなものだ。
「今日のお召し物もとてもお似合いですが……、いつもの貴女とは違いますね」
「いつもの私をご存知なのですか?」
「この国にいらしてから何度かお見かけしたことがございます。貴女は何時も、淡い色を纏って軽やかでした」
確かに、薄い水色や白いドレスを好んでいた。それを言えばこのドレスだって生地は白だし仕立ても軽やかだが。
「貴女のような繊細な方に、彼は些か……、不釣り合いではありませんか?」
声を潜めて囁かれる。不愉快だった。
「不釣り合い、とは」
「確かに戦場では敵なしの英雄でしょう。ですが、他に何が出来ます? あなたをダンスに誘うこともなく一人で放置している。満足なエスコートも出来なければ、日々の生活の気遣いだって足りていないのではありませんか?」
周囲からはそう見えるのか。実際にはバルドは私をきちんと視界に入れている。距離は離れているけれど、お互いに何かあればすぐわかる。その証拠に、ほら。ちらりとジョエルの後ろを見ればバルドが立っている。私に近付いた男が危険人物じゃないか、心配したのだろう。ただ、まだ口を挟む気はないようだった。
背後のバルドに気付かず、ジョエルはまだ語り続けている。
「この国での後ろ盾を求めて、殿下が彼との結婚を断れなかった事情は解ります。ですが、貴女にだって個人の幸福を求める権利はある筈です。お母上や姉君のために犠牲になることはありません」
溜息が出そうになる。そう、こういう男は山ほど見てきた。何故彼らは何時も私が不幸だと決めつけるのだろう。何故私が耐えていると思い込むのだろう。そして、私を救い出す物語の王子のような口ぶりで近付いてくるのだ。
本人の中ではそれが真実なのだろう。決して悪意があるわけではない。本当に、憐れな姫を野蛮な男から助けなければ、という使命感すら覚えている。だがそこに私の意志は存在しない。うんざりした。
「私なら、貴女に相応しい環境を整え、将軍よりも確実な後ろ盾となります。陛下への口利きだって公爵家からであれば可能です」
「レイウッド公爵子息、それは不敬というものです」
「心配はいりません。私は陛下からは甥のように可愛がっていただいていますから」
最後まで聞く気がなくなってしまった。
「私に対して不敬だと言ったのです」
私は既に何者でもない。ただのフィリアレーデ。それでもこの男が私のその血筋を高貴だと、価値があるというのなら。だったら先ず彼自身がそれに相応しい態度を取るべきだ。だから私は、王女のフィリアレーデ・エアルとして口を開いた。
「何故私が救い出される無力な姫君だと思ったのです。私がいつ助けを求めたのです」
「で、殿下」
まさかこんな言葉が返って来るとは思わなかったのだろう。ジョエルは目を見開いて黙り込んだ。
「私は私の意志でバルド様へ嫁ぐのです。その私の決定に口を挟むなど、不敬です」
ジョエルを通り越して、バルドを見る。彼もまた、目を見開いて立ち尽くしていた。ねえ、やっぱり、叱られた犬みたいに見えるわ。
「そう思いませんこと? バルド様」
ジョエルが弾かれたように振り向き、そのせいでこちらからは見えないけど多分真っ青になった。一瞬喉が引き攣って、悲鳴になりかけた声が漏れる。彼の前で言えないことなら口に出すべきではなかったわね。
「あー……、そうだな。フィリア様がお決めになったことであれば、それは尊重されるべきだ」
「お聞きになりましたね?」
ジョエルは無言で二度頷いた。もう、話は終わりということだ。
「下がりなさい」
辛うじて貴公子の礼儀は忘れずに、ただ異様なほど速やかに去っていった。
バルドはそれを目で追うことすらしない。ただ、私を見ていた。ちらりと視線を滑らせる。ダリウスも少し驚いた顔で立っていた。
「フィリアレーデ様は、思ったよりも芯が強いお方ですね」
「はい。王家の生まれですから」
確かに、とダリウスが笑う。一人で何もできない、無力な少女として生きることは許されない環境だった。少し考えれば解りそうなものだが。
「お話はお済みなのですか?」
「はい、閣下はお返ししますよ」
ダリウスが挨拶をして去っていっても、バルドはまだ何も喋らなかった。とんとん、とソファの隣を手で叩くと、そこに素直に腰掛ける。本当に、犬のようだ。こんなに大きな犬は飼ったことが無いけど、多分こんな感じだと思う。
しばらく黙って座っていると、バルドがおずおずと口を開いた。
「きっと、フィリア様はお怒りになると思いますが」
「仰って」
「俺自身も、そうだと思っていました」
「具体的に」
「……俺のような男ではなく、もっと、貴女に釣り合う相応しい相手がいると。俺では貴女のような方には不足だと」
そう考えているだろうことはなんとなく解っていた。私を脆そうと表現したあの言葉と表情に、彼の気持ちは滲んでいた。必要以上に私に気を使い、屋敷や調度を整え、規則を作り全ての危険から遠ざけようとした。その行動にも。
「では私の気持ちをきちんと申し上げますわね」
目を閉じて、開ける。バルドの方は見ず、でも隣に座った彼の気配を確かに感じながら。
「私は私の意志で、貴方に嫁ぎます。貴方の妻になることを望みます。それは、後ろ盾のためではなくて……」
まだ、前を向いたまま。
「貴方を、好ましく思うからです」
静かに隣に座るバルドの手に自分の手を重ねた。彼はやっぱり恐る恐る、けれど確かに、重ねた手を握ってくれた。




