暴れ川を制する
# 84話 暴れ川を制する
翌朝、早朝の霧が立ち込める中、フリドは調査を開始した。
対象となるのは、領地を流れる三本の支流が合流し、一本の大河へと成るその結節点である。
川の正体を突き止めるには、単なる地形の観察だけでは足りない。
フリドはフノス男爵邸のみならず、近隣の村々を巡り、村長たちへの聞き取りを行った。
過去にどのような流れであったか。
いつ、どのような規模の被害が出たのか。
特に、どの地点で氾濫が頻発するのか。
老いた村長たちの言葉には、拭いきれない恐怖の記憶が刻まれていた。
「……あの合流地点は、まるで生き物ですよ。一度怒り出せば、川底の泥さえもひっくり返して、地形そのものを書き換えてしまう」
調査を進めるうちに、大河の構造が見えてきた。
三本の支流が合流して形成されるこの大河だが、その下流部分については、意外にも被害は少ないようだった。
増水時には川幅が大きく膨らみ、平地付近まで水没することこそあるものの、フノス男爵家によって入植制限が行われていたおかげもあり、ここ十数年は甚大な被害は免れていたのである。
問題の本質は、まさに三本の川が一点に集まる「合流地点」にあった。
一本の支流は大河に対して直線的に流れ込んでいる。しかし、残りの二本が厄介だった。
一方は大河に対して垂直に、もう一方は斜めの角度で突き刺さるように合流しているのだ。
勢いを持った水流が、互いに衝突し、ぶつかり合う。
行き場を失ったエネルギーは、その地点に巨大な渦と滞留を生み出し、周囲の堤防を食い破る。
過去、何度も合流地点の地形が変わってしまったという話も、この物理的な衝突の結果なのだろう。
「……直角に近い角度でぶつかっている。水同士がぶつかり、互いの勢いを殺している。その結果、ここに水が溜まってしまうわけか……」
フリドは川べりに立ち、水面のうねりを見つめながら思考を巡らせた。
解決策は三つ考えられた。
一つ目は、川の角度そのものを変えることだ。
直角に重なる流れを緩やかに整え、衝突によるエネルギーのロスを防ぐ。
二つ目は流速を物理的に弱める方法。
合流前に川幅を広げて勢いを殺すか、あるいは一時的な貯水池を作るか。
障害物を設置して流れを乱し、暴れる水の力を削ぎ落とすのだ。
三つ目は、川の分割。三本の勢いが一点に集中するのを防ぐため、別のルートへ逃がす案だ。
しかし、三つ目の方法は慎重にならざるを得なかった。
他に繋げる先は存在するが、そこは現在、領地の命綱である農業地帯だ。
もし増水時にそちらのルートが溢れれば、今度は取り返しのつかない食糧危機を招きかねない。
「……ならば、一つ目と二つ目を組み合わせるしかないか」
フリドの視線は、垂直に流れ込む川の中央にある「中州」へと向けられた。
増水時には容易に水没してしまうその中州。だが、現在は水面から露出している。
こここそが、作戦の要となる。
まず、中州の土地を嵩上げし、石積みの堤を築く。
ここは単なる土手ではなく、石づくりにすべきだろう。
強固な石組みによって、長期的な水圧に耐えうる恒久的な堤を作り上げる。
これを分流堤と呼ぶ。
目的は流れの分離だ。
一方の流れを斜めの支流へと早期に合流させ、もう一方の流れは現在の合流地点よりも下流へと誘導する。
つまり、最も負荷のかかる「垂直な川」の合流ポイントそのものを、物理的にずらしてしまうのだ。
これにより、増水時でも水が滞留することなく、スムーズに下流へと排出される仕組みを作る。
「だが……これだけでは足りない。もし想定外の規模の濁流が押し寄せたら?」
下流への排水能力を超えてしまった場合、溢れた水は平地全体へ薄く、広範囲に広がってしまうだろう。
それはそれで、新たな災害の種となる。
ならば、あらかじめ「逃がす場所」を決めておけばいい。
フリドは思考の地図を書き換えた。
堤防を二段階構造にする。一段目の堤防までは増水を許容し、そこを超えた分だけを制御する領域へと導くのだ。
さらに、その溢水領域の一部を「水田」として整備すれば、治水と増産という一石二鳥の策となる。
過去の最大増水量を計算に入れ、川底をあらかじめ掘り下げておくことで、通常の増水量であれば一段目の堤防内で完結するように設計する。
「あとは、堤防そのものの維持……水の破壊力をどう抑えるかだ」
どれほど優れた設計でも、物理的な浸食には限界がある。
合流地点の要所に高めの堤防を築き、そこから水の流れを制御するための構造物を配置する。
水の勢いを「受け止める」のではなく、「逃がしながら削る」のだ。
その夜、フリドは用意された晩餐の席で、フノス男爵にその計画を提示した。
静まり返る食卓。提示された図面と、あまりにも大胆な構想を前に、男爵は目を見開いたまま言葉を失っていた。
「……流石は『湿地の男爵』とお呼びするに相応しい。これほど壮大な治水計画だとは……」
しかし、男爵の表情にはすぐに現実的な懸念が浮かんだ。
「ですが、フリド殿。これほどの規模の工事を、今すぐに行うのは……。村人が動員できるかどうか……」
男爵の不安を遮るように、フリドは静かに、しかし確信に満ちた声で言った。
「その点については、ご心配ありません。私と、我が領の者たちが作り上げます。必要なのは資材の確保だけです。それさえ整えば、すぐにでも着手できます」
男爵の表情が、驚愕へと変わる。
「……シュヴァンプの人間が、ですか? まさか、彼ら自身の手で、これほどの大規模な土木工事を完遂できるというのですか?」
「ええ。私たちの領地は、常に水と隣り合わせに生きてきました。シュヴァンプ領でも、水を制御する工事は幾度も行ってきましたよ」
男爵は震える手でグラスを置き、深く、深く頷いた。
「……素晴らしい。これほど心強い言葉はありません。ぜひ、お願いします。我が領地の命運を、あなた方に託しましょう」
その夜の晩餐は、単なる提案の場ではなく、新たな共同戦線の結成の儀となった。
フリドはその後も、工事期間中の食糧供給や、資材の集積場所について、実務的な協議へと話を進めていった。
暴れ川を制するための、長い戦いが始まろうとしていた。
大規模な計画を建てる、的な話。
計画段階はやっぱり、考えるところばっかりで会話が減っちゃいますね。
楽しんでいただければ幸いです。
よろしければ、何点でも構いませんので評価いただけると嬉しいです。




