穀物品評会
シュヴァンプ領に吹き抜ける風には、どこか湿った土の匂いが混じっている。
春を過ぎ、領内の緑は一層の瑞々しさを増していた。
しかし、その豊かさゆえの悩みも、フリドの胸にはあった。
(……やはり、米だけでは足りないな)
シュヴァンプ領は雨季が長く、降水量も多い。
おかげで米作りはある程度軌道に乗ったものの、食卓の内容は今もなお単調だ。
炊きたての米に、季節の山菜、そして川で獲れた魚。
悪くはないが、この豊かな土地のポテンシャルを考えれば、もっと多様な作物が育てられるはずなのだ。
さらに言えば、米の品質向上も課題だった。より粒の揃った、甘みの強い米を作りたい。
(こういう時こそ、フレイン家に直接聞きに行ければよいのだが……。彼らの農法や種子の知識があれば、もっと早く答えに辿り着けるかもしれない)
そんな、どこか焦燥感にも似た願いを抱いていた時だった。
使い慣れた足音と共に、リフが部屋に入ってきた。その手には一通の封書が握られている。
「フリド様、フレイン家から招待状が届きました」
「招待状……?」
フリドは怪訝そうに眉を寄せながらも、手渡された書状を受け取った。
封を切ると、そこには丁寧な筆致で記された、ある催しの案内があった。
近々開催される、フレイン家主催の『種子の品評会』への招待。
手紙には、今回の品評会には領地内の多くの有力貴族が出席し、多種多様な作物を育てている者たちが集まる旨が記されていた。
それにつけても、「有益な情報交換の場となる」という、招待主の思慮深い一文が添えられている。
「……まさに、願ったりかなったりか」
フリドの口元から、自然と熱い吐息が漏れた。
米を育てている者がどれほど集まるかは未知数だが、もし優れた種子が手に入るなら、それは領地の農業を一変させる可能性を秘めている。
たとえ種そのものが手に入らなくとも、この世界で広く普及している農法や、湿地帯のような多湿な環境でも育つ野菜の知見を得られるかもしれない。
(自分の知識では、湿った場所となればレンコンくらいしか思い浮かばないからな……)
未知の作物への期待が、フリドの胸を昂ぶらせる。
ただし、参加には条件があった。
一つ目は、この招待状を持つ者であること。
二つ目は、自ら育てた穀物を一から二束分、持参すること。
条件はさらに細かく、脱穀済みであること、そして不良な粒も含めて比較対象とすること、籾殻もしっかり取り除いておくこと……つまり、いわば「粒の状態」で持ってくることが求められていた。
量や品質のバラつきまで含めて比較し、真に価値のあるものを見極めるという、主催者側の厳格な意図が透けて見える。
幸いにも、手元には準備できる材料があった。
一部、脱穀前の束が残っているのだ。
今年が栽培初年度ということもあり、天日干しの期間は何週間が適切かわからない。
また、一気に脱穀する手間を省くため、二週間以上経過した束を計画的に進めていた。
半数は二週間、そこから一週間ごとに、1ヵ月ほどかけて脱穀していく予定だ。現在は三週間目。
おそらく適度な乾燥が進んでいる、絶好のタイミングと言えるだろう。
フリドは田へと向かい、天日干しに晒されている束の中から、慎重に一束を手に取った。
だが、そこでふと、ある疑問が頭をよぎる。
(……待てよ。そもそも『一束』とは、どれくらいの量なんだ?)
天日干しのために束ねてはいるものの、その大きさは括り方次第でいくらでも変わってしまう。
片手で握れる程度か、それとも両手いっぱいの量か。あるいは、脇に抱えるほどの塊なのか。
おそらくフレイン家には、彼らなりの基準があるはずだ。だが、今この場に問い合せる術はない。
「……仕方ない。これくらいの量を一束とした、と分かるように、茎も一緒に持っていくか」
フリドは思案の末、一つの妥協点を見出した。
粒だけでは量が伝わらないのであれば、脱穀した後の粒に、元の束の大きさを推測させるための茎の一部を添えて持ち込むことに決めたのだ。
量は、片手で無理なく握れる程度を二つ、別々の袋に入れて持参しよう。これなら多すぎても問題にはならないだろう。
準備は、それだけでは終わらなかった。
品評会というものは、情報の宝庫だ。
得られた知識を正確に残すには、木板では不便すぎる。
たった一枚に情報はまとまりきらないだろう。
そして、大量にメモをするには何十枚も木板を取り出すことになってしまう。
それではあまりに非効率的だ。
そこでフリドは、自作していた紙を取り出した。
木や草の繊維を灰汁で煮込み、叩きほぐし、植物から採れる粘液を混ぜて漉いた試作品。
村人の助けを借り、様々な原料で試作を重ねた。
数は二十種類、合計百枚ほど完成している。
失敗作も多かったが、今では実用に耐えるものも少しずつ増えてきた。
品質は決して高くない。
それでも文字を書き留めるには十分だった。
あわせて木炭で書くための板も用意する。
いわゆるバインダーのようなものだ。
これがないと、木炭で書くには不向きだった。
これで記録の準備は整った。
次々と準備を進めるフリドの心は、すでに遠い品評会の会場へと向かっていた。
新しい知識、新しい種、そして未知なる作物への期待感――。
その高揚感が、彼の指先に、新たな開拓への意欲を宿していた。
フレイン家からの誘い、的な話。
こちらの陣営はどう動くのか!?
楽しんでいただければ幸いです。
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